山歩き

2012/11/4
トマリガ谷・平家ヶ岳



小西集落…ホトケ岩…平家ヶ岳…木谷峡 2006/6/17
小西集落…小西谷…オリハ谷…ホトケ谷…1016P…1038P…1042.6P…1042P…平家ヶ岳…オモ越…平家屋敷跡…木谷峡…小西集落

■平家ヶ岳(ヘイケガダケ)1066.4m:山口県玖珂郡錦町大字広瀬字平家ヶ岳

小西集落入口
小西林道入口
山神社
エノキ谷
オリハ谷
オリハ谷
ホトケ谷水源
ホトケ岩
ホトケ岩
906ピークから降りる谷
906ピークから降りる谷の左岸の石積
906ピーク東のブナ
平家ヶ岳 1038ピークから
平家ヶ岳
平家屋敷跡
6:15 小西集落出発 曇り 気温17度

6:50 オリハ谷
9:10 ホトケ岩
11:35 1016P
12:30 1038P
13:10 1042.6P
13:55 1042P
14:20 平家ヶ岳
14:40 オモ越
14:50 平家屋敷跡
16:20 小西集落


 木谷峡に入り、鹿落ちの滝を通ってしばらく進むと、車道は平家屋敷跡と小西集落に分かれる。数軒の小西集落の前を通って上がると駐車場。ブナ原生林の看板があり、2.5km先にブナ原と呼ばれる、樹齢100年以上のブナが27haに群生していると言う。小西集落は人の気配がない。

 「クマ出没注意」のプレートの横から小西谷に沿う小西林道を上がった。水田跡の石垣はスギ林になっている。右手の小祠を過ぎると左に、注連縄を下げた石の鳥居に「山神社」と書かれた社がある。

 小西林道は深く抉れているので、上がるのは四輪駆動車でないと無理だろう。大堰堤のエノキ谷を過ぎると、右岸にオリハ谷がある。林道は上へ上がっている。小西谷を渡りオリハ谷へ入ると、鉄で組まれた階段状の堰堤がある。堰堤に「平成4年治山事業」とあった。オリハ谷は小さい谷で枝が覆っている。左右はスギ林が降りている。

 1時間ほどで鞍部に出た。そこから尾根を登り、ホトケ谷へ降りた。尾根上には古い踏み跡が残っている。ホトケ谷水源のヒノキ林を下り、尾根から1時間弱でホトケ岩に出た。ホトケ岩は906ピークから降りる谷の落ち口の左岸にある。

 ホトケ岩に登ってみた。ホトケ岩の頂からヒノキの大木が伸びていた。ホトケ岩は岩の小山である。周囲は林に覆われているので見にくいが、近付いてみると、この辺りだけ岩が山のように突き出ている。

 谷には釣り人のエサの袋が落ちていた。この辺りまで釣上がる人がいるようだ。906ピークから降りる谷を登った。大分上がったところで、大きな石積が残っていた。炭焼き窯の跡だろうか。そこから少し登って林道に出たが、潅木に覆われて歩けたものではない。おそらくホトケ谷から上がる林道のようだ。
 

 ヒノキ林の水源を上がり、906ピーク東の鞍部に出た。古いテープが残っている。大きいブナがあった。ヤブを通り「広島山稜会」の分水嶺のプレートのある分岐に出たのが11時10分。小雨が降り始めた。ここからは踏み跡があるが、ササで覆われている。ひたすらササ道を進んだ。林で左右の展望はない。踏み跡のある分岐に出てから1016ピークを通り、2時間ほどで1038ピークに着いた。

 ここから東に展望がある。平家ヶ岳の左手に羅漢山、手前は大将陣山、さらに左に霞んでいるが、冠山。ピークから急な下りになる。高いので良く見えないが、ブナに実が付いている。30分ほどで1042.6ピーク、ようやく縦走路の北端に着いた。分水嶺のプレートがある。前方に平家ヶ岳が見えてくる。1042ピークを通り、縦走路北端1042.6ピークから1時間ほどで平家ヶ岳へ到着した。やっと展望のあるところに出たが、今度はガスが出て霞んでいる。

三角点 

 平家ヶ岳は二等三角点で、点名は平家岳、選点は明治27年。

 平家ヶ岳は『防長地下上申』(1749年)と大野村(1749年)の絵図では「こまのカミ山」と呼ばれていた。『防長風土注進案』(1842年)では、平家屋敷跡の「築山」を「平家ヶ岳」と呼んでいたが、1066.4m峯の山頂まで持ち上げれれてしまった(「西中国山地」桑原良敏)。

 平家ヶ岳は1000m超えの小さな山だが、周辺は900m超の山域が幅広く広がる山容の大きな山である。平家ヶ岳から北へ進む周回道のほとんどはササ薮である。

 急な斜面を下った。林道が山腹に走っている。20分ほどでオモ越に下った。林道が上がっているが鎖止めがある。10分ほどで平家屋敷跡、説明板によると、壇の浦の合戦で敗れた平家の松前隼人が、馬糞ヶ岳からこの山峡に移り住み、農耕や木地師をしていたと言う。木谷川を下り、1時間余りで小西集落に帰着した。集落では畑仕事をされたいた。まだこの山間の地に住む人がいた。

 
 
木谷峡


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カシミールデータ
総沿面距離15.5km
標高差576m

区間沿面距離
小西
↓ 3.2km
ホトケ岩
↓ 4.3km
1042.6P
↓ 1.7km
平家ヶ岳
↓ 1.3km
平家屋敷
↓ 5km
小西


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地名考

●ホトケ岩
 ホトケ谷のホトケ岩は岩の小山である。何故、どこにでもあるようなタダの岩の山にホトケ岩と名付けたのだろうか。ホトケ岩は906ピークから降りる谷の落ち口にある。谷の途中に炭焼き窯跡の石積があったので、昔から人の出入りがあったと思われる。ホトケ岩は906ピークの谷へ上がる目印になる。

 ホトケ岩はアイヌ語で 
 tu-pok-ke-iwa
 ト・ポク・ケ・イワ
 峯・の下・の所の・岩

 仏とは関係ないが、「ポトクエ」すなわち、ホトケである。おそらく谷の分岐の目印として「ポク・ケ」と呼んでいたのではないだろうか。この岩が分岐になければただの岩の小山で、名前も付けられなかったと思われる。

 ホトケと呼ばれる岩が「西中国山地」にいくつかある。黒ダキ山の西にある仏石は、高さ数メートル、2.5m四方の四角柱で、大地から突き出た石塔である。巨大な冠山のクルソン佛石も黒ダキ山の仏石と同様と思われる。羅漢山の仏岩は、岩の表面から突起がたくさん出ている岩である。これはら皆「トゥ・ポク・ケ・イワ」と思われる。

 十方山の登山口のセト滝に落ちるアライ川の奥に、ブツダンタキがある。仏壇の扉が左右に開いたような岩で、扉の部分が細長い特徴がある。道のないアライ川の水源の岩崖に名前が付いている事自体が不思議なことだ。

 ブツダンタキ
 putu-tanne-tak-i
 プツ・タンネ・タク・イ
 口・長い・岩の・所

 恐羅漢山南のヨビヤ峠にある「呼び岩」は『松落葉集』(1768年)に詠まれ、よく反響することから「呼び岩」と言われている。

 アイヌ語で yopi-iwa ヨピ・イワ と表わし、「分れ・岩」の意がある。左右に分かれているヨビイワはアイヌが命名したと思われる。これが「ブツダン」と呼ばれなかったのは、岩の横幅が短いためであろう。

 仏、ホトケを含む地名に、弥畝山のホトケ谷、弟見山の仏峠、寂地山の佛ダキなどがあるが、これらの地名が古くから呼ばれているなら、「トゥ・ポク・ケ」の意と思われる。

 ホトケにしてもブツダンにしても、その語源がアイヌ語にあるとすれば、日本に仏教が伝来する前から、そう呼ばれていたことは興味あることである。

 柳田國男はホトケの呼び名が中世民間の盆の行事から始まったのではないかという考えが、突拍子もないものとはいえないと言っているが、ホトケの呼び名は比較的新しいのではないだろうか。

●平家ヶ岳
 近辺の「平家」を含む山の地名に以下がある。
○山口県川上村 平家山(ヘイケヤマ)
○広島県櫛山東 平家ヶ城山(ヘイケガジョウヤマ)
○広島県櫛山東 平家山(ヘイケヤマ)

 櫛山の東に平家の山が二つ並んでいるのは興味あることである。櫛山に近い平家山については、櫛山のページで次のように推測した。

 櫛山の南に樋佐毛山がある。アイヌ語で、cip-sanke
 チプ・サンケ と表わし、「船・を出す」の意がある。
 チプ・サンケ→ヒ・サゲ の転訛

 アイヌのチプサンケの儀式には、様々な神々が登場するが、その神々の名と樋佐毛山周辺の山名が符合する。その神の一つに、平家山を指していると思われる「火の守り神」 ape-hekote-kamuy アペ・ヘコテ・カムイ がある。
 
  hekote→heike の転訛ではないかとも考えられる。

 平家ヶ岳は
 penke-horka-tokom
 ペンケ・ホロカ・トコム
 川上の・後戻りする・小山

 平家屋敷跡の説明板に、平家の残党が馬糞ヶ岳から移り住んだのが平家屋敷跡と言う。

 その馬糞ヶ岳はアイヌ語で 
 hat-punkar-us-nay-tokom
 ハッ・プンカル・トコム
 ブドウ・蔓の・小山
 

 
 

                               大将陣山          羅漢山          1038ピークから
                                     寂地山              冠山           1038ピークから
登路(青線は磁北線 青は900m超 ピンクは1000m超)