6:05 一軒家 気温2度 晴れ
7:10 林道終点(タキガ谷)
7:20 中の谷(滝の上部)
7:40 林道終点(タキガ谷)
8:20 頓原雨量観測局
9:00 フカ谷
10:10 太田川源流の碑
10:30 冠山
11:15 寂地山・松の木峠分岐
11:45 寺床
11:55 1164P
12:45 レイホウカタケ
13:00 54番鉄塔
13:15 53番鉄塔
13:45 一軒家
気温2度で寒い。冠山林道入口にガマズミが咲いていた。スギ林の林道を進む。赤みを帯びたイタドリの葉が伸びる。オトコヨウゾメの花が残る。高速道の通行音が絶えず聞こえる。キツツキの機関銃音が響く。チゴユリ、シャクが咲く。先週、たくさん咲いていたタチツボスミレは見られない。
国道で見たスミレが林道の日当たりに咲いていた。ウマノアシガタ、ニョイスミレ、カキドオシ、ムラサキゴケ、ウワバミソウ、クルマバソウが咲く。左の小谷から水があふれている。タキガ谷は白く泡立つ。林道分岐をタキガ谷に入る。蔓が折れたフジから花がぶら下がる。ムラサキケマンが咲く。
中の谷の滝から水が溢れ落ちていた。水量がかなり多い。右岸の山道を登り滝上に出る。小川のような谷だが、今日は水が溢れ急流となっていた。左岸に頓原造林地の標識が見える。戻って滝上に出る。引き返して滝下に降りてみた。どこも渡渉できそうになかった。
カキドオシ |
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ニョイスミレ |
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引き返してフカ谷を登ることにした。エンレイソウが咲く。分岐に戻り林道を登る。ヒメレンゲ、キケマンが咲く。頓原雨量観測局に出る。東側の平家城三角点の上にアンテナ塔が見える。トゲの無いサンショウの葉が伸びる。薮の林道に入る。小木が生える林道を進む。ヘビイチゴはツボミ、ウドが伸びる。
1184ピークから下りる尾根の岩が露出している。冠山溶岩が流れ出たものだろう。岩盤の間から湧き水が流れ出ていた。岩盤の壁が続く。スミレサイシン、エイザンスミレの葉が残る。林道にスギの木が伸びている。フカ谷の東側の小谷の所で林道が崩壊していた。小谷から出ている黒い導水管がフカ谷へ降りている。
林道上部のフカ谷側から水流が滝のように落ちていた。林道崩壊地点から少し引き返して、小谷の東側のスギ林を登る。小谷を渡り、フカ谷の東側の尾根に取り付く。スギ林下にユキザサが咲く。尾根は倒木が塞いでいる。尾根の西側を進む。眼下にフカ谷の岩崖が見える。
ガマズミ |
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イタドリ |
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フカ谷の岩崖を過ぎると、谷が近くなり左岸の踏み跡に出る。ニシノヤマタイミンガサが伸びる。谷沿いの踏み跡を進む。やがて踏み跡は消え、谷の左岸、右岸を渡りながら進む。タチカメバソウが咲く。谷の分岐を右へ進む。フカ谷水源に二本の大スギが立つ。そこからほどなく源流の碑。フカ谷から1時間ほどだった。
源流碑の前で一休み。冠山登山道に進む。カタクリの実が残る。シコクスミレは葉だけで花は終わり。20分ほどで冠山。北の展望所に進むと、今日はスッキリとして見通しが利く。足元にイワカガミが残り、岩の間にダイセンミツバツツジの花が見える。山頂のユキザサにはツボミが残る。
登山道を引き返す。10分ほどでホン谷分岐。分岐から少し進むと、ホン谷水源の谷を登山道が横切るが、今日は、水流が多く流れていた。山頂から40分ほどで、松の木峠、寂地山分岐。スギ林の土滝山を過ぎる。ツクバネソウ、ナツトウダイが咲き、カタクリの実が続く。マムシグサ、チゴユリがあり、タチツボスミレは葉だけ。
チゴユリ |
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シャク |
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境界石柱を過ぎると岩のピーク、そこから展望がある。鬼ヶ城山の左に冠山溶岩台地の稗原峠を隔てて鬼石山が見える。鬼ヶ城山の後に羅漢山、その右に法華山が見える。展望所の岩で一休み。ギンリョウソウが多い。寺床を過ぎると、樹林の間から平家城のアンテナ塔が見えた。
新葉光るカラマツ林を見上げる。ヒノキ林下に長葉のスミレの葉が残る。その近くに葉裏が白いスミレの葉があった。958ピークのジャノウツ山を過ぎる。エイザンスミレの葉。ヒノキ林のレイホウカタケへの登りに、モミジガサが伸びる。冠山トンネル上の明るい林を通る。
875ピークの手前に防火用の赤いドラム缶がある。その辺りから林の上に鉄塔が見える。林をを抜けて54番鉄塔に出る。林下にクロモジ、ガマズミ。鉄塔下にワラビが伸びる。スギ林のトンネルを抜けて山道を下り、53番鉄塔に出る。草が茂る車道を進むと鉄橋。そこで一休みして日が照り付けるスギ林の車道を通り一軒家に帰着。気温28度になっていた。
スミレ |
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ウマノアシガタ |
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ウワバミソウ |
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ムラサキゴケ |
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オトコヨウゾメ |
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フジ |
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ムラサキケマン |
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エンレイソウ |
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ヒメレンゲ |
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キケマン |
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アサクラザンショウ |
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ヘビイチゴ |
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エイザンスミレ |
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キランソウ |
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ユキザサ |
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ニシノヤマタイミンガサ |
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シコクスミレ |
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イワガラミ |
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ダイセンミツバツツジ |
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ツクバネソウ |
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ナツトウダイ |
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カタクリ |
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マムシグサ |
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ギンリョウソウ |
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クロモジ |
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オククルマムグラ |
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コオニタビラコ |
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ミミナグサ |
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ヒメナベワリ |
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■地名考
吉和の冠山 かむり山 かふり山
「冠山の山名の初見は『吉和村御建野山腰林帳』(1725年)と思われる。『高そん加むり山、この山の内。来留尊佛と申石御座候』と記されている」(『西中国山地』桑原良敏)。
『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図に冠山。
『芸藩通志』山林の項に、吉和村の冠山に「かふり」とルビが振ってある。
『西中国山地』『吉和村誌』によると、冠山、後冠山の山名は次のようになっている。
★高そん加むり山(吉和村御建野山腰林帳・1725年)
★冠山の名がない(佐伯郡廿ヶ村郷邑記・1806年)
★冠山の名がない(安芸郡佐伯郡図・1810年)
★かむり山(下調べ書出帳吉和村・1819年・吉和村誌)
★冠山(かふりやま)(芸藩通志・1825年)
★カンムリ(吉和村絵図・江戸末期)
★ウシロカムリ(吉和村絵図・江戸末期)
才乙の冠山 かむり山 かぶり山
才乙の「冠山」も、元の呼び名は「かむり」と呼ばれ、地元では「かぶりやま」と呼ばれている。
「『国郡志御用に付しらべ書出帳・大利原』(1819年・文政2年)に1002.9m峯を<大かむり>、その西の916m峯を<小かむり>としてある。『書出帳・草安村』には916m峯を<小かむり>と記され、いずれも平仮名である。『芸藩通志』(1829・文政12年)大利原村絵図、草安村絵図、『山県郡全図』には<冠山>と漢字が使われている。地元の庄屋から出されたものは平仮名であったのが編集者により漢字化されたものと考えられる」
「島根県側の『旭町史』には<大かぶり><小かぶり>の山名が使われている。周辺の谷、谷中、大利原、才乙の古老数名から聞き取りを行なったが、島根県側も広島県側も<大カブリ><小カブリ>の山名が使用されていた」(『西中国山地』)。
瑞穂町の冠山 カフリ山
島根県瑞穂町の「冠山」は、元は「カフリ山」であった。
「冠山の呼び方の特殊な例をこの山の北東、島根県の石見町と瑞穂町の町界にある冠山・859m峯に見ることができる。この山は『石見外記』(1820年・文政3年)に<カフリ山>または<カウムリ山>と記され『島根県誌』(大正12年)には<コーブリ山>とルビがふってある。現在も<コウブリ山>と呼ばれている」(『西中国山地』)。
書かれたものを見る限り、冠山(かんむりやま)の呼称は、はじめ「カムリヤマ」「カフリヤマ」「カブリヤマ」と呼ばれ、後に「冠山」の字が当てられ、「かんむりやま」と呼ぶようになった。
出雲風土記の冠山 かがふりやま
出雲風土記に冠山がある。出雲風土記、神門郡の山野にある冠山は「かがふりやま」と読む。
出雲風土記原文
冠山 郡家東南五里二百五十六歩。〔大神之御冠。〕
訳
冠山(かがふりやま)。
郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。〔大神の御冠(みかがふり)である。〕
出雲風土記の冠山の由来は、大神の「みかがふり」ということから、山の形が大神の冠に似ているのでカガフリヤマと呼んでいる。
古事記の御冠 みかがふり
古事記に「みかがふり」がある。「次に投げ捨てた御冠(みかがふり)に生まれた神の名は、
飽咋(あきぐひ)のウシノの神」とあるように、冠(かんむり)の意として使われている。
万葉集 かがふり
歌番号892
麻被 引可賀布利(原文)
あさぶすま ひきかがふり(かな)
麻ぶすまをかぶる(かける・ひっかぶる)(訳)
「かがふり」はかぶる、掛けるの意。
アイヌ語 カムレ
kamu カム かぶさる・覆う
kamu-re カムレ かぶせる・おおう
kamuy カムイ 神 カム・イ=かぶさる・もの
ka-mu-i カ・ム・イ 上面・ふさがる・もの
カシミール3Dデータ
総沿面距離13.6km
標高差646m
区間沿面距離
一軒家
↓ 2.9km
林道終点(タキガ谷)
↓ 3.0km
フカ谷
↓ 1.1km
源流の碑
↓ 0.8km
冠山
↓ 5.8km
一軒家
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