山歩き

一軒家…源流碑…冠山…冠山南登山道
2024/5/4

一軒家…頓原雨量観測局…5.4mブナ…1184P…源流碑…冠山…冠山分岐…寺床…54番鉄塔…一軒家

■冠山(カムリヤマ・カフリヤマ・コウソンカムリ)1339m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(点の記) (廿日市市)

一軒屋バス停
一軒家駐車場から山側の車道へ入る
冠山林道入口
伐採されえた間伐材
タキガ谷
タキガ谷へ入る林道
頓原雨量観測局
アンテナ塔
ヒノキ林を登る
岩尾根を進む
周囲5.4mブナ
幹が空洞の折れたブナ
ササ薮を進む
1184ピーク付近のブナ
1240m付近のスギ ここから先はスギ林
スギ林を進む
フカ谷水源に下りる
太田川源流の碑の裏手に出る
太田川源流の碑
冠山
春日山 広見山 恐羅漢山 十方山
女鹿平山と吉和の里
オオカメノキ 広高山 坊主山
太田川源流の碑への分岐
小川林道への分岐
松の木峠・寂地山分岐
土滝山を通過
新しい境界柱
展望地から見える鬼ヶ城山、羅漢山
寺床の平坦地
カラマツ
ヒノキ林を下る
54番鉄塔
ヒノキ林の小木の間を山道が通る
山道は送電線の西側を下る
ワラビが群生する53番鉄塔
草薮になりつつある車道
フカ谷に架かる鉄橋
橋の下流で伴蔵川と合流
排気塔
スギ林の先が一軒家
6:15 一軒家 気温10度 晴れ
 

7:40 頓原雨量観測局
8:00 5.4mブナ
8:40 1184P
9:20 太田川源流碑
9:50 冠山
10:40 冠山・寂地山分岐
11:15 寺床
11:30 1164P
12:35 54番鉄塔
12:50 53番鉄塔
13:20 一軒家


 一軒家駐車場を出発、気温10度。バス停は一軒屋となっている。山側の車道を進む。道沿いにカキドオシ、ニョイスミレが咲く。分岐を右へ入ると鉄柵のある冠山林道入口。これより上流はアマゴ禁止区域の看板がある。スギ林の林道を進む。ムラサキゴケが咲く。

 中国自動車道の冠山トンネルを越えると車の通過音が絶えず響く。シャク、カキドオシが咲く。間伐された幹や枝が転がっている。ムラサキケマン、ニョイスミレが咲き、イタドリが伸びる。平家城南に入る林道分岐、この林道は平家南線と呼ぶ。クサイチゴが咲く。

 タキガ谷の水流が大きく聞こえてくる。眼下に白濁して流れる谷が見える。林道はUターンして登り、平家城北に入る。この林道は平家線と呼ぶ。タチツボスミレ、ラショウモンカズラ、ニョイスミレが咲き、ホウチャクソウが花を下げる。途中分岐してタキガ谷へ下りているが、この道は谷で終点になる。以前この辺りでシカを見かけた。

カキドオシ
ニョイスミレ

 クサイチゴ、チゴユリ、タチツボスミレ、ニョイスミレ、キケマン、ムラサキケマンが咲く。一軒家から1時間半ほどで頓原雨量観測局。気温15度。南側にアンテナ塔が見え、その下には平家三角点(995m)がある。林道はフカ谷水源に入っているが、薮になっている。この林道はフカ谷右岸へ渡ったところで終点。

 雨量観測局の裏手からヒノキ林に入る。ヒノキ林下のスミレを撮るため屈んだところ、ヒガラと思われる小鳥が1m先に舞い降りてきた。興味深げにこちらを見ながら、挨拶するとすぐに飛び立った。ギンリョウソウが出ている。急坂を登り岩尾根に出る。イワカガミが多い。ミヤマシキミが咲く。

 林の向こうに黒い大きい陰が見える。冠山周辺では最も大きいブナのひとつと思われる周囲5.4mのブナに出る。大きい幹の下はゴツゴツした根が地面を覆っている。ミヤマシキミの赤い実。ヒナスミレ、白花ニシキゴロモが咲く。ササの中にイノシシの掘り返した跡。

ムラサキゴケ
シャク

 ブナ林のササ尾根を進む。地面から10cmほどの高さに双葉が出て、白い花を咲かせていた。オトコヨウゾメだった。ミヤマシキミに緑の実。ギンリョウソウが多い。展望地に出るが新葉で見えない。ブナの尾根を進む。オトコヨウゾメが咲く。ブナが倒れていた。折れた幹を見ると空洞になったいた。

 ササが深くなる。ササに花穂が付いていた。オトコヨウゾメが多い。岩尾根にイワカガミが群生。ブナの1184ピークを通過。ササ薮を進む。大きいスギのピークを越えるとスギの原生林に変わる。スギ林下にミヤマシキミの赤い実、ユキザサはツボミ。スギ林からフカ谷水源へ下りる。

 谷にはニシノヤマタイミンガサ。水源を登りきると太田川源流碑の裏手に出る。「山名 冠山 北緯34°27′44″ 東経132°04′27″ 源流地点の標高1,223m」と記されている。碑の表側は「太田川源流の碑」。気温18度。一休みして登山道に出る。分岐に「太田川源流の碑 この奥 碑から先は道なし」と道標。

ムラサキケマン
クサイチゴ

 シコクスミレ、カタクリの葉が残る。山頂直下のスギ林下にシコクスミレの花が少し残っていた。先週は群生していたのだが、散るのは早い。カタクリは花から丸い実に変わっている。山頂近くにシコクスミレ、ユキザサのツボミ。山頂から展望地に進む。気温20度。

 先週、ガスで真っ白だったが、今日は見通しが良い。オオカメノキの花の向こうに広高山、立岩山、大神ヶ岳、坊主山、春日山、広見山、恐羅漢山、十方山、市間山、立岩山、女鹿平山が北側に障壁のように連なる。女鹿平山の山裾に吉和の里が見える。

 山頂から引き返す。スギ林の日当たりにエンレイソウ、タチツボスミレが咲く。モミジガサの新葉。山頂から40分ほどで松の木峠、寂地山分岐、新しい道標がある。山道沿いにニシノヤマタイミンガサ、ユキザサがツボミから花が開き始めている。土滝山を過ぎる。「公共」と記された新しい石柱が立っている。境界柱だろうか。タチツボスミレの花、エイザンスミレは葉だけ。

ラショウモンカズラ
イタドリ

 ツクバネソウが咲く。岩のある展望地に出る。鬼ヶ城山の後に羅漢山、法華山が見える。寺床へ下りる。ユキザサが群生する。カラマツ林下にイワカガミが咲き、ギンリョウソウが出る、エイザンスミレの葉。見上げるとカラマツの葉が輝く。1164ピークからヒノキ林を下る。エンレイソウ、モミジガサ、オトコヨウゾメ、チゴユリが続く。

 レイホウガタケを過ぎて、冠山トンネルの上を通る。スギ林下の赤いドラム缶付近から54番鉄塔に進む。気温24度。ヒノキの小木の間に53番鉄塔へ下りる道がある。山道が送電線下の西側を通っている。オトコヨウゾメが咲く。20分ほどでワラビが群生する53番鉄塔に出る。車道への出口は棘の茎が覆う。ナタで振り払う。

 送電線鉄塔に向って草が茂り始めた道が続く。ニョイスミレが群生し、ウマノアシガタが咲く。フカ谷に架かる橋は倒木が塞いでいた。橋の下流で伴蔵川に合流する。橋の下へ降りて顔を洗った。車道の鎖止めを越えると、高速道の換気塔がある。日が照り付ける植林地の間を一軒家に帰着、気温25度だった。

オトコヨウゾメ
イワカガミ
オオイワカガミ
チゴユリ
ユキザサ
ユキザサ
ツクバネソウ
ホウチャクソウ
ニシキゴロモ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
オオカメノキ
エンレイソウ
ギンリョウソウ
ニシノヤマタイミンガサ
モミジガサ
カタクリ
タチツボスミレ
タチツボスミレ
タチツボスミレ
ヒナスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
アリアケスミレ
アリアケスミレ
アリアケスミレ
アリアケスミレ


地名考

 吉和の冠山 かむり山 かふり山

 「冠山の山名の初見は『吉和村御建野山腰林帳』(1725年)と思われる。『高そん加むり山、この山の内。来留尊佛と申石御座候』と記されている」

 「『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図に初めて<冠山>の字が使われている。『吉和村絵図』(江戸末期)には片仮名で<カンムリ>とあり、その奥に<ウシロカムリ>の山名が見える。冠山はカムリ山でなく<カンムリ山>と呼び、後冠山は<ウシロカムリ山>と呼んでいたようだが、この呼称は、現在も汐原・中津谷で使われている」

 「冠山は山頂の北面に懸崖があり、周辺の山々から眺めた場合、すぐそれとわかる特徴的な山容をしている。『芸藩通志』の佐伯郡山林の項に

 冠山、吉和村の西南にあり、山の形状、冠に似たり

 とあるとおり、冠山という山名は明らかにピークの名として付けられ、山の形が山名となったものである。<後冠山>は、『冠山の後方にある山』という意で、この山には懸崖はない」(以上「西中国山地」桑原良敏)。

 『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図に初めて「冠山」の字が使われているが、『芸藩通志』の山林の項には、「冠山」に「かふり」とルビが振ってあり、冠山はカフリヤマと呼んでいたようだ。
 「西中国山地」「吉和村誌」によると、冠山、後冠山の山名は次のようになっている。

★高そん加むり山(吉和村御建野山腰林帳・1725年)

★冠山の名がない(佐伯郡廿ヶ村郷邑記・1806年)

★冠山の名がない(安芸郡佐伯郡図・1810年)

★かむり山(下調べ書出帳吉和村・1819年・吉和村誌)

★冠山(かふりやま)(芸藩通志・1825年)

★カンムリ(吉和村絵図・江戸末期)

★ウシロカムリ(吉和村絵図・江戸末期)


 書かれたものを見る限り、冠山(かんむりやま)の呼称は、「カムリヤマ」「カフリヤマ」と呼ばれ、後に「冠山」の字が当てられ、「かんむりやま」と呼ぶようになった。


 才乙の冠山 かむり山 かぶり山

 才乙の「冠山」も、元の呼び名は「かむり」と呼ばれ、地元では「かぶりやま」と呼ばれている。

 「『国郡志御用に付しらべ書出帳・大利原』(1819年・文政2年)に1002.9m峯を<大かむり>、その西の916m峯を<小かむり>としてある。『書出帳・草安村』には916m峯を<小かむり>と記され、いずれも平仮名である。『芸藩通志』(1829・文政12年)大利原村絵図、草安村絵図、『山県郡全図』には<冠山>と漢字が使われている。地元の庄屋から出されたものは平仮名であったのが編集者により漢字化されたものと考えられる」

 「島根県側の『旭町史』には<大かぶり><小かぶり>の山名が使われている。周辺の谷、谷中、大利原、才乙の古老数名から聞き取りを行なったが、島根県側も広島県側も<大カブリ><小カブリ>の山名が使用されていた」(以上「西中国山地」)。


 瑞穂町の冠山 カフリ山

 島根県瑞穂町の「冠山」は、元は「カフリ山」であった。

 「冠山の呼び方の特殊な例をこの山の北東、島根県の石見町と瑞穂町の町界にある冠山・859m峯に見ることができる。この山は『石見外記』(1820年・文政3年)に<カフリ山>または<カウムリ山>と記され『島根県誌』(大正12年)には<コーブリ山>とルビがふってある。現在も<コウブリ山>と呼ばれている」(以上「西中国山地」桑原良敏)。


 出雲風土記の冠山 かがふりやま

 出雲風土記に冠山がある。出雲風土記、神門郡の山野にある冠山は「かがふりやま」と読む。

 出雲風土記原文

 冠山 郡家東南五里二百五十六歩。〔大神之御冠。〕

 訳

 冠山(かがふりやま)。

 郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。〔大神の御冠(みかがふり)である。〕

 出雲風土記の冠山の由来は、大神の「みかがふり」ということから、山の形が大神の冠に似ているのでカガフリヤマと呼んでいる。


 古事記の御冠 みかがふり

 古事記に「みかがふり」がある。「次に投げ捨てた御冠(みかがふり)に生まれた神の名は、 飽咋(あきぐひ)のウシノの神」とあるように、冠(かんむり)の意として使われている。


 万葉集 かがふり

 万葉集に「かがふり」を含む歌が3首ある。

 歌番号892
 麻被 引可賀布利(原文)
 あさぶすま ひきかがふり(かな)
 麻ぶすまをかぶる(かける・ひっかぶる)(訳)

 「かがふり」はかぶる、掛けるの意。

 歌番号3858
 五位乃冠(原文)
 ごゐのかがふり(かな)
 五位の位階(冠は位を示す文書に代わった)

 「かがふり」は位を示す。
 古くは位階によって冠の色が違った。

 歌番号4321
 美許等加我布理(原文)
 みことかがふり(かな)
 天皇の命令を受け(訳)

 「かがふり」は受けるの意。

 「かがふり」は古代には、「かんむり」「かぶる」「うける」の意があったことがわかる。


 方言の冠

 鶏冠の今帰仁方言は、「カガーミー」「カンヂュイ」。同じく「カンビン」「ハンビン」は、被るの意。

 沖縄方言「カンムイ」は、頭にかぶるもの一般、帽子の意。同じく「カンジュン」は、かぶるの意。

 奄美方言「カブルリ」は、かぶるの意。

 対馬「カムリイシ」は、墓上に敷く平石を冠り石(カムリイシ)という。


 アイヌ語 カムレ

 kamu カム かぶさる・覆う

 kamu-re カムレ かぶせる・おおう

 kamuy カムイ 神 カム・イ=かぶさる・もの
 ka-mu-i カ・ム・イ 上面・ふさがる・もの

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カシミール3Dデータ

総沿面距離12.2km
標高差645m

区間沿面距離
一軒家
↓ 3.7km
頓原雨量観測局
↓ 1.7km
源流碑
↓ 0.8km
冠山
↓ 2.1km
寺床
↓ 3.9km
一軒家
 

平家三角点北西尾根の5.4mブナ
5.4mブナ
5.4mブナ
5.4mブナ
5.4mブナ
太田川源流の碑 南側
冠山から望む
春日山 広見山 恐羅漢山 十方山
市間山 立岩山 女鹿平山 小室井山
広高山 立岩山 大神ヶ岳 千両山 坊主山 春日山
恐羅漢山 十方山 市間山 女鹿平山
鬼ヶ城山 羅漢山 法華山
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)