6:25 中津谷 気温13度 小雨後曇
7:30 出合橋
8:20 奥出合橋
8:55 ウマダテ橋
9:35 小川林道終点
9:50 冠山・広高山分岐
10:30 ホン谷の水源碑
10:40 太田川源流碑
11:10 冠山
12:05 クルソン分岐
12:25 下のクルソン分岐
12:50 魚切林道
13:20 東尾根分岐
14:20 魚切林道起点
14:25 出合橋
14:55 不栗付橋
15:15 中津谷
時々細かい雨が降る中、488号線入口を出発、気温13度。眼下の中津谷川は白く泡立っている。車道沿いにタチツボスミレが咲く。ミヤマカタバミはまだ花びらを閉じている。不栗付橋を渡る。コバノミツバツツジの花が残っている。修復された道路損壊地点から上流に、岩盤の間を白濁して流れる中津谷川が見える。
損壊地点の向い側はトロン谷が下りる。落ち口に渡場があったが流失している。湿った法面にヒメレンゲが咲く。谷の真ん中にある岩からカツラが伸びている。カキドオシ、ヤマエンゴサク、ムラサキケマン、キケマン、ラショウモンカズラ、ツルニチニチソウが咲く。ミツバウツギはツボミ。
岩の間からサカサデノ谷が落ちる。ギンリョウソウが落葉の間から出る。ニシキゴロモが生える。サカサデノ谷の先の道路損壊地点も修復されていた。山側斜面はコンクリート壁になり、谷側は石垣が組まれている。そこから上流は岩の間を川が落ちている。ヒメレンゲ、タチツボスミレが咲く。
鉄橋を過ぎる。橋には新しい手摺が設置されていた。ニョイスミレが咲く。釣り人が二人見える。今日は雨後なのでよく釣れるかもしれない。そこからほどなくオモ川、小川川出合。川の合流点から岩盤を滑り落ちて中津谷川に落ちる。中津谷から出合橋まで1時間ほど。出合橋のフジはまだツボミ。
小川林道に入る。タチツボスミレ、サワハコベが咲く。車が駐車しているので、釣り人が入っているようだ。車の下に靴が揃えてある。右岸へ渡ると車止めの柵がある。3号橋を渡って左岸へ。イチリンソウはまだピンクのツボミ。タチツボスミレの中にエイザンスミレがあった。
ミズノミ谷を過ぎると、手入れされたワサビ田がある。眼下に小滝見て林道を進む。小谷にロープを這ったワサビ田がある。ワサビの花が咲く。出合橋から1時間ほどで奥出合橋。シラグチ谷に釣り人、かつてはブドウゴヤ付近でもヤマメの産卵行動が見られた(『リュックかついで』)。小滝が続く。タチカメバソウが多い、ワサビ、ネコノメソウが咲く。コブドチ谷落ち口付近のシラグチ谷は谷が広い。オオカメノキが咲く。
奥出合橋から30分ほどでウマダテ橋、毛部田橋を渡る。ウド、イタドリが伸び、ナガバモミジイチゴの花が咲く。落葉からヤマウツボが出ている。ケブタの谷をUターン、タチツボスミレが多い。展望地に出るが、冠山はガスの中。キケマンが咲く。苔むしたブドウゴヤ谷を過ぎる。出発から3時間ほどで小川林道終点。
「クマに注意」の標柱から登山道に入る。タチツボスミレが多い。ニシノヤマタイミンガサが続く。登山道に入るとシコクスミレが見られる。眼下にホン谷を見ながら左岸を登ると冠山・広高山分岐に出る。そこから下って右岸へ渡る。スゲが果穂を付ける。右岸に山道が続く。
左岸が崩れて山肌が露になっていた。左岸、右岸と渡りながら、左岸の斜面を登ると、ササの下にカタクリが咲いていた。下って右岸へ渡るとホン谷源流部に入る。カタクリの花が続く。林道終点から1時間ほどでホン谷の朽ちかけた水源標柱に出る。タチツボスミレ、シコクスミレが見られる。冠山登山道に出てほどなく太田川源流碑。
ラショウモンカズラ |
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ツルニチニチソウ |
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ギンリョウソウ |
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冠山登山道に戻る。カタクリ、シコクスミレの咲く登山道を進む。白花のニシキゴロモがある。山頂へ近付くに連れ、シコクスミレが多くなる。小川林道終点から1時間半ほどで冠山。展望地に進むが、辺りはガスで真っ白、オオカメノキが咲いていた。登山道を東へ下る。シコクスミレ、オオカメノキが咲き、ユキザサはツボミ。
ニシノヤマタイミンガサの道を下る。1200mを下った所でジャクチスミレが見られた。その辺り、シコクスミレが混在する。ツルアリドオシの赤い実。ニシキゴロモ、エンレイソウが多い。山頂から1時間ほどで上のクルソン分岐、「国体エスケープルート」の標識が残っている。さらに20分ほどで下のクルソン分岐。タチツボスミレが多い。エイザンスミレの葉。
山頂から1時間半ほどで魚切林道。登山道の階段がウシオ谷へ下りている。魚切林道を進む。タンポポが一斉に咲いている。タチツボスミレ、ニョイスミレ、町で見るスミレが咲く。ミヤマシキミ、ナガバモミジイチゴ、キブシが咲く。白く泡立つウオキリ谷の分岐を通る。林道に出てから1時間半で鎖止めのある魚切林道起点。
朝はツボミだったイチリンソウが咲いている。ほどなく出合橋。不栗付橋まで車は通らなかった。出合橋から40分ほどで中津谷に帰着、気温17度だった。
ヒメレンゲ |
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フジ |
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イチリンソウ |
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イチリンソウ |
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タチカメバソウ |
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ワサビ |
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ネコノメソウ |
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キブシ |
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キブシ |
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ナガバモミジイチゴ |
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ヤマウツボ |
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ウド |
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ミヤマシキミ |
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カタクリ |
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カタクリ |
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ニシキゴロモ |
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オオカメノキ |
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ユキザサ |
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ニシノヤマタイミンガサ |
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ツルアリドオシ |
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エンレイソウ |
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タチツボスミレ |
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エイザンスミレ |
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エイザンスミレ |
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シコクスミレ |
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シコクスミレ |
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シコクスミレ |
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シコクスミレ |
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シコクスミレ |
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ジャクチスミレ |
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ジャクチスミレ |
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ジャクチスミレ |
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ジャクチスミレ |
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スミレ |
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ニョイスミレ |
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ヒナスミレ |
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ヒナスミレ |
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コタチツボスミレ |
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■地名考
吉和の冠山=カムリヤマ・カフリヤマ
「冠山の山名の初見は『吉和村御建野山腰林帳』(1725年)と思われる。『高そん加むり山、この山の内。来留尊佛と申石御座候』と記されている」
「『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図に初めて<冠山>(かふりやま)の字が使われている。
『吉和村絵図』(江戸末期)には片仮名で<カンムリ>とあり、その奥に<ウシロカムリ>の山名が見える。
冠山はカムリ山でなく<カンムリ山>と呼び、後冠山は<ウシロカムリ山>と呼んでいたようだが、この呼称は、現在も汐原・中津谷で使われている」
「冠山は山頂の北面に懸崖があり、周辺の山々から眺めた場合、すぐそれとわかる特徴的な山容をしている。『芸藩通志』の佐伯郡山林の項に
冠(かふり)山、吉和村の西南にあり、山の形状、冠に似たり
とあるとおり、冠山という山名は明らかにピークの名として付けられ、山の形が山名となったものである。<後冠山>は、『冠山の後方にある山』という意で、この山には懸崖はない」(「西中国山地」桑原良敏)。
「西中国山地」「吉和村誌」によると、冠山、後冠山の山名は次のようになっている。
★高そん加むり山(吉和村御建野山腰林帳・1725年)
★かむり山(下調べ書出帳吉和村・1819年・吉和村誌)
★冠山(『芸藩通志』吉和村絵図・1825年)
★冠(かふり)山(『芸藩通志』 山林の項)
★カンムリ(吉和村絵図・江戸末期)
★ウシロカムリ(吉和村絵図・江戸末期)
時代順に考えると冠山の呼称は、はじめ「カムリヤマ」と呼ばれ、後に「冠山」の字が当てられたが、『芸藩通志』の佐伯郡山林の項の冠山に「かふり」とルビが振ってある。『芸藩通志』吉和村絵図の冠山は「かふりやま」と呼んでいたようだ。
才乙の冠山=カムリ・カブリ
才乙の「冠山」も、元の呼び名は「かむり」と呼ばれ、地元では「かぶりやま」と呼ばれている。
「『国郡志御用に付しらべ書出帳・大利原』(1819年・文政2年)に1002.9m峯を<大かむり>、その西の916m峯を<小かむり>としてある。『書出帳・草安村』には916m峯を<小かむり>と記され、いずれも平仮名である」
「島根県側の『旭町史』には<大かぶり><小かぶり>の山名が使われている。周辺の谷、谷中、大利原、才乙の古老数名から聞き取りを行なったが、島根県側も広島県側も<大カブリ><小カブリ>の山名が使用されていた」(「西中国山地」)。
島根県瑞穂町の冠山=カフリヤマ
「冠山の呼び方の特殊な例をこの山の北東、島根県の石見町と瑞穂町の町界にある冠山、859m峯に見ることができる。この山は『石見外記』(1820年・文政3年)に<カフリ山>または<カウムリ山>と記され『島根県誌』(大正12年)には<コーブリ山>とルビがふってある。現在も<コウブリ山>と呼ばれている」(「西中国山地」)。
出雲風土記の冠山=カガフリヤマ
『出雲国風土記』(733年)に冠山がある。出雲風土記、神門郡の山野にある冠山は「かがふりやま」と読む。
出雲風土記原文
冠山 郡家東南五里二百五十六歩。〔大神之御冠〕
訳
冠山 郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。〔大神の御冠(みかがふり)である。〕
出雲風土記の冠山の由来は、大神の「みかがふり」ということから、山の形が大神の冠に似ているので冠山と呼んでいる。
古事記の御冠=ミカガフリ
古事記に「みかがふり」がある。「次に投げ捨てた御冠(みかがふり)に生まれた神の名は、
飽咋(あきぐひ)のウシノの神」とあるように、冠(かんむり)の意として使われている。
万葉集の可賀布利=カガフリ
万葉集(奈良時代末)に「かがふり」がある。
歌番号892
麻被 引可賀布利(原文)
あさぶすま ひきかがふり(かな)
麻ぶすまをかぶる(かける・ひっかぶる)(訳)
「かがふり」はかぶる、掛けるの意。
上代語「かがふり」は、以下のように音韻変化したと思われる。
かうぶり
こうぶり・かんむり
かふり・かぶり・かむり
万葉集(4238)に「かづらかむ」がある。「かづらを付ける」の意である。
アイヌ語カムレ
kamure (kamu-re) カムレ
〜に〜をかぶせる
sikakamure (si-ka-kamure) シカカムレ
自分・の上に・かぶせる
kamu-re カムレ
かぶせる・おおう
toy-kamure トイカムレ
土・をかぶせる
u-tek-kamure ウテクカムレ
互いに・手・をかぶせる(手を合わせる)
上記の例から次のようにあらわすことができる。
ka-kamure-i
カ・カムレ・イ=カカムリ
上・にかぶせる・もの
「カカムリ」は古代語「かがふり」に近い。
「カカムリ」が「カガフリ」に転訛したとも考えられる。
「カガフリ」は「上にかぶせるもの」の意であり、「かんむり」「かぶる」の意となった。
アイヌ語kamuy カムイ
アイヌ語kamuyは、神の意だが、分解すると次のようになる。
ka-mu-i カ・ム・イ 上面・ふさがる・もの
カシミール3Dデータ
総沿面距離20.8km 標高差727m
区間沿面距離
中津谷
↓ 3.4km
出合橋
↓ 5.4km
小川林道終点
↓ 2.1km
冠山
↓ 2.2km
魚切林道
↓ 7.7km
中津谷
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