山歩き

中津谷…小川林道…冠山…魚切林道
2024/4/27

中津谷…488号線…小川林道…ホン谷…水源碑…源流碑…冠山…魚切林道…488号線…中津谷

■冠山(カムリヤマ・コウソンカムリ)1339m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(点の記) (廿日市市)

488号線入口 中津谷
中津谷川
不栗付橋
不栗付橋から上流
道路損壊地点から見た中津谷川
中津谷川
サカサデノ谷
二つ目の損壊地点から見た中津谷川
手摺が設置された鉄橋
中津谷川の釣り人
オモ川・小川川合流点下流
出合橋上流
出合橋
3号橋から左岸へ
3号橋上流
滝の上を通る
ワサビ田
奥出合橋
小滝のシラグチ谷
シラグチ谷
ウマダテ橋
毛部田橋
毛部田橋上流
ケブタの谷
小川林道
展望地
ガスの山
ブドウゴヤ谷
小川林道終点
林道終点から登山道へ
ホン谷
冠山・広高山分岐
ホン谷右岸を進む
地肌が露になった左岸
ホン谷を進む
右岸に渡りホン谷水源に入る
ホン谷水源標柱
冠山登山道に出る
太田川源流碑
冠山
ガスの冠山展望地
ニシノヤマタイミンガサの登山道
上のクルソン分岐
下のクルソン岩から下りる道
魚切林道に出る
林道からウシオ谷へ下りる階段
ウオキリ谷
魚切林道起点と小川林道
2号橋から見た小川川上流
6:25 中津谷 気温13度 小雨後曇
 

7:30 出合橋
8:20 奥出合橋
8:55 ウマダテ橋
9:35 小川林道終点
9:50 冠山・広高山分岐
10:30 ホン谷の水源碑
10:40 太田川源流碑
11:10 冠山
12:05 クルソン分岐
12:25 下のクルソン分岐
12:50 魚切林道
13:20 東尾根分岐
14:20 魚切林道起点 
14:25 出合橋 
14:55 不栗付橋  
15:15 中津谷 

 時々細かい雨が降る中、488号線入口を出発、気温13度。眼下の中津谷川は白く泡立っている。車道沿いにタチツボスミレが咲く。ミヤマカタバミはまだ花びらを閉じている。不栗付橋を渡る。コバノミツバツツジの花が残っている。修復された道路損壊地点から上流に、岩盤の間を白濁して流れる中津谷川が見える。

 損壊地点の向い側はトロン谷が下りる。落ち口に渡場があったが流失している。湿った法面にヒメレンゲが咲く。谷の真ん中にある岩からカツラが伸びている。カキドオシ、ヤマエンゴサク、ムラサキケマン、キケマン、ラショウモンカズラ、ツルニチニチソウが咲く。ミツバウツギはツボミ。

 岩の間からサカサデノ谷が落ちる。ギンリョウソウが落葉の間から出る。ニシキゴロモが生える。サカサデノ谷の先の道路損壊地点も修復されていた。山側斜面はコンクリート壁になり、谷側は石垣が組まれている。そこから上流は岩の間を川が落ちている。ヒメレンゲ、タチツボスミレが咲く。

ムラサキケマン
カキドオシ
コバノミツバツツジ

 鉄橋を過ぎる。橋には新しい手摺が設置されていた。ニョイスミレが咲く。釣り人が二人見える。今日は雨後なのでよく釣れるかもしれない。そこからほどなくオモ川、小川川出合。川の合流点から岩盤を滑り落ちて中津谷川に落ちる。中津谷から出合橋まで1時間ほど。出合橋のフジはまだツボミ。

 小川林道に入る。タチツボスミレ、サワハコベが咲く。車が駐車しているので、釣り人が入っているようだ。車の下に靴が揃えてある。右岸へ渡ると車止めの柵がある。3号橋を渡って左岸へ。イチリンソウはまだピンクのツボミ。タチツボスミレの中にエイザンスミレがあった。

 ミズノミ谷を過ぎると、手入れされたワサビ田がある。眼下に小滝見て林道を進む。小谷にロープを這ったワサビ田がある。ワサビの花が咲く。出合橋から1時間ほどで奥出合橋。シラグチ谷に釣り人、かつてはブドウゴヤ付近でもヤマメの産卵行動が見られた(『リュックかついで』)。小滝が続く。タチカメバソウが多い、ワサビ、ネコノメソウが咲く。コブドチ谷落ち口付近のシラグチ谷は谷が広い。オオカメノキが咲く。

ヤマエンゴサク
キケマン
ミツバウツギ

 奥出合橋から30分ほどでウマダテ橋、毛部田橋を渡る。ウド、イタドリが伸び、ナガバモミジイチゴの花が咲く。落葉からヤマウツボが出ている。ケブタの谷をUターン、タチツボスミレが多い。展望地に出るが、冠山はガスの中。キケマンが咲く。苔むしたブドウゴヤ谷を過ぎる。出発から3時間ほどで小川林道終点。

 「クマに注意」の標柱から登山道に入る。タチツボスミレが多い。ニシノヤマタイミンガサが続く。登山道に入るとシコクスミレが見られる。眼下にホン谷を見ながら左岸を登ると冠山・広高山分岐に出る。そこから下って右岸へ渡る。スゲが果穂を付ける。右岸に山道が続く。

 左岸が崩れて山肌が露になっていた。左岸、右岸と渡りながら、左岸の斜面を登ると、ササの下にカタクリが咲いていた。下って右岸へ渡るとホン谷源流部に入る。カタクリの花が続く。林道終点から1時間ほどでホン谷の朽ちかけた水源標柱に出る。タチツボスミレ、シコクスミレが見られる。冠山登山道に出てほどなく太田川源流碑。

ラショウモンカズラ
ツルニチニチソウ
ギンリョウソウ

 冠山登山道に戻る。カタクリ、シコクスミレの咲く登山道を進む。白花のニシキゴロモがある。山頂へ近付くに連れ、シコクスミレが多くなる。小川林道終点から1時間半ほどで冠山。展望地に進むが、辺りはガスで真っ白、オオカメノキが咲いていた。登山道を東へ下る。シコクスミレ、オオカメノキが咲き、ユキザサはツボミ。

 ニシノヤマタイミンガサの道を下る。1200mを下った所でジャクチスミレが見られた。その辺り、シコクスミレが混在する。ツルアリドオシの赤い実。ニシキゴロモ、エンレイソウが多い。山頂から1時間ほどで上のクルソン分岐、「国体エスケープルート」の標識が残っている。さらに20分ほどで下のクルソン分岐。タチツボスミレが多い。エイザンスミレの葉。

 山頂から1時間半ほどで魚切林道。登山道の階段がウシオ谷へ下りている。魚切林道を進む。タンポポが一斉に咲いている。タチツボスミレ、ニョイスミレ、町で見るスミレが咲く。ミヤマシキミ、ナガバモミジイチゴ、キブシが咲く。白く泡立つウオキリ谷の分岐を通る。林道に出てから1時間半で鎖止めのある魚切林道起点。

 朝はツボミだったイチリンソウが咲いている。ほどなく出合橋。不栗付橋まで車は通らなかった。出合橋から40分ほどで中津谷に帰着、気温17度だった。

ヒメレンゲ
フジ
イチリンソウ
イチリンソウ
タチカメバソウ
ワサビ
ネコノメソウ
キブシ
キブシ
ナガバモミジイチゴ
ヤマウツボ
ウド
ミヤマシキミ
カタクリ
カタクリ
ニシキゴロモ
オオカメノキ
ユキザサ
ニシノヤマタイミンガサ
ツルアリドオシ
エンレイソウ
タチツボスミレ
エイザンスミレ
エイザンスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
シコクスミレ
ジャクチスミレ
ジャクチスミレ
ジャクチスミレ
ジャクチスミレ
スミレ
ニョイスミレ
ヒナスミレ
ヒナスミレ
コタチツボスミレ

 
 ■地名考

 吉和の冠山=カムリヤマ・カフリヤマ

 「冠山の山名の初見は『吉和村御建野山腰林帳』(1725年)と思われる。『高そん加むり山、この山の内。来留尊佛と申石御座候』と記されている」

 「『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図に初めて<冠山>(かふりやま)の字が使われている。

 『吉和村絵図』(江戸末期)には片仮名で<カンムリ>とあり、その奥に<ウシロカムリ>の山名が見える。

 冠山はカムリ山でなく<カンムリ山>と呼び、後冠山は<ウシロカムリ山>と呼んでいたようだが、この呼称は、現在も汐原・中津谷で使われている」

 「冠山は山頂の北面に懸崖があり、周辺の山々から眺めた場合、すぐそれとわかる特徴的な山容をしている。『芸藩通志』の佐伯郡山林の項に

 冠(かふり)山、吉和村の西南にあり、山の形状、冠に似たり

 とあるとおり、冠山という山名は明らかにピークの名として付けられ、山の形が山名となったものである。<後冠山>は、『冠山の後方にある山』という意で、この山には懸崖はない」(「西中国山地」桑原良敏)。


 「西中国山地」「吉和村誌」によると、冠山、後冠山の山名は次のようになっている。

★高そん加むり山(吉和村御建野山腰林帳・1725年)

★かむり山(下調べ書出帳吉和村・1819年・吉和村誌)

★冠山(『芸藩通志』吉和村絵図・1825年)
★冠(かふり)山(『芸藩通志』 山林の項)

★カンムリ(吉和村絵図・江戸末期)

★ウシロカムリ(吉和村絵図・江戸末期)

 時代順に考えると冠山の呼称は、はじめ「カムリヤマ」と呼ばれ、後に「冠山」の字が当てられたが、『芸藩通志』の佐伯郡山林の項の冠山に「かふり」とルビが振ってある。『芸藩通志』吉和村絵図の冠山は「かふりやま」と呼んでいたようだ。


 才乙の冠山=カムリ・カブリ

 才乙の「冠山」も、元の呼び名は「かむり」と呼ばれ、地元では「かぶりやま」と呼ばれている。

 「『国郡志御用に付しらべ書出帳・大利原』(1819年・文政2年)に1002.9m峯を<大かむり>、その西の916m峯を<小かむり>としてある。『書出帳・草安村』には916m峯を<小かむり>と記され、いずれも平仮名である」

 「島根県側の『旭町史』には<大かぶり><小かぶり>の山名が使われている。周辺の谷、谷中、大利原、才乙の古老数名から聞き取りを行なったが、島根県側も広島県側も<大カブリ><小カブリ>の山名が使用されていた」(「西中国山地」)。


 島根県瑞穂町の冠山=カフリヤマ

 「冠山の呼び方の特殊な例をこの山の北東、島根県の石見町と瑞穂町の町界にある冠山、859m峯に見ることができる。この山は『石見外記』(1820年・文政3年)に<カフリ山>または<カウムリ山>と記され『島根県誌』(大正12年)には<コーブリ山>とルビがふってある。現在も<コウブリ山>と呼ばれている」(「西中国山地」)。


 出雲風土記の冠山=カガフリヤマ

 『出雲国風土記』(733年)に冠山がある。出雲風土記、神門郡の山野にある冠山は「かがふりやま」と読む。

 出雲風土記原文
 冠山 郡家東南五里二百五十六歩。〔大神之御冠〕

 訳
 冠山 郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。〔大神の御冠(みかがふり)である。〕

 出雲風土記の冠山の由来は、大神の「みかがふり」ということから、山の形が大神の冠に似ているので冠山と呼んでいる。


 古事記の御冠=ミカガフリ

 古事記に「みかがふり」がある。「次に投げ捨てた御冠(みかがふり)に生まれた神の名は、 飽咋(あきぐひ)のウシノの神」とあるように、冠(かんむり)の意として使われている。


 万葉集の可賀布利=カガフリ

 万葉集(奈良時代末)に「かがふり」がある。

 歌番号892
 麻被 引可賀布利(原文)
 あさぶすま ひきかがふり(かな)
 麻ぶすまをかぶる(かける・ひっかぶる)(訳)

 「かがふり」はかぶる、掛けるの意。

 上代語「かがふり」は、以下のように音韻変化したと思われる。

 かうぶり

 こうぶり・かんむり

 かふり・かぶり・かむり


 万葉集(4238)に「かづらかむ」がある。「かづらを付ける」の意である。


 アイヌ語カムレ

 kamure (kamu-re) カムレ 
 〜に〜をかぶせる

 sikakamure (si-ka-kamure) シカカムレ
 自分・の上に・かぶせる

 kamu-re カムレ
 かぶせる・おおう

 toy-kamure トイカムレ
 土・をかぶせる

 u-tek-kamure ウテクカムレ
 互いに・手・をかぶせる(手を合わせる)


 上記の例から次のようにあらわすことができる。

 ka-kamure-i
 カ・カムレ・イ=カカムリ
 上・にかぶせる・もの

 「カカムリ」は古代語「かがふり」に近い。
 「カカムリ」が「カガフリ」に転訛したとも考えられる。

 「カガフリ」は「上にかぶせるもの」の意であり、「かんむり」「かぶる」の意となった。


 アイヌ語kamuy カムイ

 アイヌ語kamuyは、神の意だが、分解すると次のようになる。

 ka-mu-i カ・ム・イ 上面・ふさがる・もの

 

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カシミール3Dデータ

総沿面距離20.8km 標高差727m

区間沿面距離

中津谷
↓ 3.4km
出合橋
↓ 5.4km
小川林道終点
↓ 2.1km
冠山
↓ 2.2km
魚切林道
↓ 7.7km 
中津谷
 

 
 
 
 
『芸藩通志』(1825年)

山林の項 冠山に「かふり」とルビが振ってあり、冠山はカフリヤマと呼んでいたと思われる。
『芸藩通志』(1825年)吉和村絵図

冠山 クルソン佛石 平家城 二艘船岩 四艘船岩などの地名が見える。
 
中津谷川
損壊地点から見た中津谷川
中津谷川の真ん中の岩からカツラが伸びる
オモ川・小川川合流点下流
小滝の上を通る小川林道
シラグチ谷
シラグチ谷
シラグチ谷 毛部田橋から
展望地から冠山方向
ブドウゴヤ谷
ホン谷
ホン谷
ホン谷水源標柱
太田川源流碑
冠山展望地
魚切林道に出る
ウオキリ谷
 
1974年空中写真+カシミール3D
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)