山歩き

駄荷…日の平山…立岩山…立岩ダム
2023/3/4

駄荷…駄荷林道…日の平山…実乗観音…立岩山…大休ミの丘…立岩ダム…県道296…駄荷

■日の平山(ヒノヒラヤマ)1091.3m:広島県廿日市市吉和字下山広瀬(点の記)
■立岩山(タテイワヤマ)1134.9m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字立岩山(点の記 点名:観音) 安芸太田町 

駄荷の山を望む
県道は通行止
天童神社
駄荷林道入口
駄荷林道の箱罠
倒木が林道を塞ぐ
ダニノ谷を渡る橋で鎖止
倒木が続く
押返線分岐
赤茶のスギ林
標高が上がると雪の林道になる
展望地に出る
女鹿平山と冠山
作業道終点からササの尾根へ
雪の残る細い尾根
日の平山
坂原分岐
深入山方向を望む
雪の尾根道
立岩山
小室井山
雪の無い岩尾根
倒れた二本杉
眼下に坂原集落
立岩観音
立岩観音の根本
岩崖を登ると十方山への展望
日の平山と冠山
立岩山と市間山
十方山と立岩貯水池
押ヶ垰集落
雪の尾根を下る
倒れたブナ
3mブナ
ブナ林を進む
降下地点の境界石柱
ササ尾根を下る
雪の残る斜面
929ピーク西のブナ
境谷水源に入る分岐道に出る
大休ミの丘水源
10番11番鉄塔標柱
ダム降口
右岸の山道へ出る
立岩ダムとナガオノオカ
水天宮
押ヶ垰集落
工事中の大谷川入口
観音地蔵
立岩山
女鹿平山
ニノワラのリュウズ
十方山登山口
ニイハタ谷
規制線地点
小松原橋と大トチ
小松原橋右岸から尾根を望む
山の神
ヒノ谷落ち口
取水施設と魚道
6:30 駄荷集会所 気温2度 晴れ

6:40 天童神社
6:50 駄荷林道入口
8:20 展望地
8:30 日の平山西尾根(作業道終点)
9:00 日の平山
9:15 坂原分岐
9:55 立岩観音
10:00 立岩山
11:00 1071P(水走り)
11:10 尾根降下地点(境界柱)
12:00 929P
12:40 ワサビ田への山道
12:55 10・11番鉄塔標柱
13:00 ダム降り口
13:15 立岩ダム
14:30 十方山登山口 
14:40 滑落地点(2/26)
14:55 立野入口
15:30 駄荷集会所

 駄荷集会所を出発、気温1度。薄霧が山に漂う。県道は3月15日まで冬期通行止の標識。駄荷バス停を通り、集落に入る。途中、天童神社に寄る。神社は駄荷城跡の東、車道のピークにある。神社の東にシノヅカ谷が通っている。引き返して駄荷林道に進む。入口に林道駄荷線の標識。少し進むと箱罠が設置されていた。

 岩とともに落ちた倒木が林道を塞ぐ。再び倒木。ダニノ谷に架かる橋に鎖止めがある。林道を覆う倒木が続く。林道押返線の分岐に重機が置いてある。次の分岐を山側に進む。林道に分岐道が多い。スギの葉が赤茶色になって花粉をばらまいているようだ。ヒノキの倒木もある。

 標高が上がると雪が残る。吹き溜まりに足が沈む。日当たりでは雪が消える。ヤマドリとノウサギの足跡が交差する。伐採された展望地に雪が無かった。霜柱が土の中から伸びている。展望地から振り返ると、女鹿平山が見え、その後に冠山が見える。左に板敷山、小室井山が続く。小石の上に霜柱が密集していた。茶色のウリハダカエデの実が落ちている。

駄荷バス停
駄荷線標識
ヤマドリとノウサギ

 作業道終点に進む。作業道は尾根を越えて西側に延びている。一休みしてササ薮の尾根を進む。細尾根に雪が残る。左に十方山が見える。作業道終点から30分ほどで日の平山。三角点は雪が覆う。雪尾根にノウサギの足跡が続く。ヤマドリとノウサギの足跡が賑やかだ。15分ほどで坂原分岐。

 下って行くと深入山が見える。雪尾根を進む。ヤマドリの足跡が行ったり来たり。前方に立岩山が見えてくる。南側が開け、小室井山、日の平山が見える。岩尾根は雪が消えている。二本の大スギが西側に倒れている。眼下に坂原の集落が見える。立岩観音の前に出る。

 観音の後へ回り、岩崖を登ると、十方山と立岩貯水池が見える。十方山の雪尾根を人が歩いていれば見えそうだった。日の平山、女鹿平山、冠山の峯が一直線に並んでいる。雪尾根にイノシシの足跡がある。日の平山から1時間ほどで立岩山。市間山の向こうに白い深入山が見える。赤くなったスギ林の下に押ヶ垰集落が見える。十方山の白と立岩貯水池の青が鮮やかだった。

小石から出た霜柱
ウリハダカエデ

 立岩山のヤマグルマが茶色の実を付ける。雪尾根を進む。立岩山東のピークから雪の急坂を下る。イノシシの足跡が続く。倒れたブナの先に周囲3mの大きいブナが立つ。1071ピーク南の平坦地には大きいブナが多い。ノウサギの糞が転がっている。ブナの実の殻が落ちている。ミヤマシキミの赤い実が目立つ。

 境界柱が見えると、降下地点。ササ尾根に薄い踏み跡がある。イノシシの足跡を尾根を登っていた。尾根の両側の斜面は、まだ雪が覆っている。林の向こうにナガオノオカが見える。ミヤマシキミのツボミ。スギ林を通り、929ピークに進む。

 ピークから急坂を下ると、枯木が立ち、その先に大きいブナが尾根上に立つ。750m付近のウラジロガシに食痕があった。細い幹にか皮剝が見られる。境谷水源のワサビ田跡に入る山道に出る。山道を下り、大休ミの丘水源の水路に出る。水路を越えてササ原を進み、10番11番標柱に進む。上空を送電線が通っている。そこからダム降口まで山道がある。

ヤマドリとノウサギ
ヤマドリ
イノシシの足跡

 ジグザグの坂を下る。ホオノキの実がたくさん落ちている。15分ほどでダムへ降りた。ダム堰堤の先にナガオノオカの峯が見える。静かな湖面に水天宮が浮かぶ。左岸に上がると、押ヶ垰断層のケルンコルに集落が見える。県道を進む。湖岸のアセビにたくさんの花が付いていた。

 大谷川川口で重機が動いていた。流れ出た流木を回収しているようだった。大谷川右岸にある観音地蔵から振り返ると、観音様は立岩観音見つめているように思われた。バアガ谷を過ぎる。ヒサカキにたくさんのツボミ。湖面の先に女鹿平山が見える。ヤブツバキはツボミが多いが、早くも花を落としている木がある。

 ニノワラのリュウズに三段滝が見える。一ノ原には佐原屋家の納骨塔がある。湖岸沿いに多いハルニレはまだ眠っている。十方山登山口を過ぎる。土石止堰堤の先のニイハタ谷で水を補給。そこから少し先の、先日の滑落現場を通る。十方山からの下山ルートは、おそらく黒ダキ山経由だったと思われる。このルートには小松原橋に向って降りる踏み跡があるはずだが。

ヤマグルマ
ノウサギの糞
ブナの実の殻

 左岸に大トチのある小松原橋を渡る。吉和川の流れは光り輝いていた。小松原橋右岸から橋の向こうの尾根を見上げる。吉和発電所手前の雪崩の多い地点には、まだ雪が残っていた。県道の途中に軽トラックが放棄されていた。立野キャンプ場入口を過ぎる。山の神の小社は傾いている。吉和川左岸にヒノ谷落ち口が見える。

 水利使用標識がある。農協の発電を目的としている。そこから少し先に取水施設がある。小堰堤が吉和川をせき止め、取水している。堰堤の真ん中に魚道が見える。水路はここから県道沿いを通り、下流の吉和発電所につながっている。1時間450キロワット、1959年の稼働。アセビのツボミが膨らむ。立岩ダムから2時間ほどで帰着。 

水利使用標識
 
 
ウラジロガシの皮剝
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
オホノキの実
アセビ
アセビ
ヒサカキ
ヤブツバキ
ヤブツバキ


地名考

 立岩山の初見

 「立岩山の山名の初見は、1768年(明和5年)に上梓された佐々木右衛門正封の『松落葉集』と思われる」(「西中国山地」)。

 広島大学の「デジタル郷土図書館」HPの「松落葉集」の立岩山の項に、恭種、洞明、三合堂の三つの歌がある。

 恭種(やすたね)

 花と見ていざ行(ゆき)見むとおもひ立(たつ)いは山の端(は)にかヽるしら雲
 (大意 桜の花だと見ちがえて、さあ行って見ようと思い立つたが、それは立岩山の端にかかった白雲であった)

 洞明

 打見ればそれとしられて炭竃のけぶりたえせず立つ岩の峯
 (大意 ちよつと見てもすぐに立岩山の峯ということがわかるように、この山の炭竈の煙はたえず立ちのぼっている)

 三合堂

 動きなき立岩山の数寄屋炭焼にし人は名のみ残りて
 (大意 立岩山で焼く数寄屋炭は、この焼いた人の名のみ残つて伝わつている)

 いずれも立岩山を唄ったものであり、1700年代には、立岩山と呼ばれていたと思われる。


 三の氏山 実乗之観音

 「『芸藩通志』(1825年)の山県郡内古蹟名勝の項を見ると

 石窟 上筒賀村、立岩山上にあり、中に実乗観音あり

と記されている。この記述から

…『山頂に実乗観音をまつってある石窟のある山が立岩山という名の山である』と読み取れる

…『実乗』は読み方はわからないが地名ではないかと思われる。

…吉和村側の村人にもこの峯に観音のあることはよく知られており、『ミノジの観音』と呼ばれている。『ミヨウジ』とか『ミヨジ』と言う人もある。『ミノジ』とは何であろう。

…吉和村三浦一之介家所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)には、この1135m峯付近の山に『三の氏山』という山名が付されている。『ミノジ』は『ミノウジ』が転訛したものと思われる。

 ミノウジ観音 ミノジ観音 実乗観音と変化してきたもので実乗は当て字ではなかろうか」(「西中国山地」桑原良敏)。


 『書出帳』の立岩山

 『上筒賀村国郡志御用につき下調べ書出帳』(文政2年=1819年)の名勝の項に立岩山がある。

 「立岩山

 頂上に実乗之観音と申巌崖御座候、古者隣村近郷者不及申ニ石州辺ゟも参詣之人群衆をなし申由伝候、今ニ石州辺海浜之小石此所ニ御座候、此観音之前ニくぐり岩と申岩御座候、其前ニ又鞍かけ杉と申古木御座候、中興巳来参詣之人無御座候、右由来縁記無御座申伝而巳ニ御座候、観音者今ニ御座候、既ニ松落葉集ニ載申候」(『上筒賀村書出帳』)。

  「立岩山へは、筒賀村坂原よりタテイワ谷の右谷へ入り、山頂の観音に至る参道があって多くの村人が登っていたという。…この径は主稜鞍部より立岩貯水池側のタケノオク谷を降り、水没した二の原の集落へ通じていて、筒賀村と吉和村を結ぶ主要道で村人によく利用され、吉和側の村人もこの径を登って観音に参拝していたという」(「西中国山地」)。

 立岩山には坂原、吉和の多くの村人が参拝していたが、『書出帳』によれば、「古」には石州からも参詣人が群衆をなしていたという。当時は観音の前に「くぐり岩」「鞍かけ杉」があったようだ。

 「石州辺海浜之小石此所ニ御座候」(上記)とあるので、立岩観音の下にある円礫がその小石かもしれない。また、『松落葉集』に立岩山が記載されていることも書かれている。


 三野地日の平山 箕ノ地山 みのぢ山

 「ミノジ」は『吉和村誌』に載る古文書に以下のように記されている。

 「三野地日の平山」(山林区分=野山 『御建山・野山・腰林帖』 1725年)

 「箕ノ地山」(山林区分=野山 『下調べ書出帳』 1819年)

 「水源みのぢ山ゟ流出下組駄荷ニ而大川江入ル」(『下調べ書出帳』)


 『下調べ書出帳』に「水源みのぢ山より流出、下組駄荷に出、大川へ入る」とある。駄荷へ流れ出る谷はダニノ谷であり、水源は日の平山である。

 「みのぢ山」「箕ノ地山」「三野地日の平山」と記されている「ミノジ」は日の平山周辺の地名である。

 立岩山の観音を「実乗(ミノジ)の観音」と呼び、立岩山は三の氏山とも呼ばれていたことから、「ミノジ」の地名は、日の平山から立岩山に掛けての地名を表していると思われる。


 地質調査所地図に「美濃地山」

 地質調査所 『二十万分之一地形圖幅 濱田図幅』(1893年=明治26年)

 坂原の西側の境界尾根に「美濃地山」(下に地図)


 吉和村、上筒賀村、戸河内村の境
 
 美濃国(岐阜)は、7世紀木簡に「三野国」とあることから、三つに野に由来があるとされる。石見の美濃は、『石見外記』に「美濃ハ三野ナルベシ」とある。

 吉和村、上筒賀村、戸河内村の境は、南から、切ふさぎ尾、日の平山、立岩山、1071ピーク北尾根、境谷、キリイシのタキの尾根へと続く。このうち、日の平山と立岩山の峯に、「ミノジ」と呼ぶ地名がある。

 日の平山は、「みのぢ山」「箕ノ地山」「三野地日の平山」とも呼び、立岩山は、三の氏山とも呼ぶ。

 日の平山から市間山へ延びる尾根は、吉和村、上筒賀村、戸河内村の三つの村の境界になっていることから、「三野地」(ミノジ)は「三つの村の境のある野山の地」とも解される。


 みのじ観音道と天童明神(駄荷)

 「駄荷の天童は、みのじ観音の登山道と関係があろう。みのじ観音は最近村内有志で、いわゆる立岩山(1135m)の山頂の巨岩であることを確かめた。巨岩の周辺にはこわれた祠跡や下から持ち上がったとみられるかなりの石が列石ふうに並んでいる。

 この登山道の麓が駄荷域で、今のもみの木森林公園、旧樫田域から小室井山(1072m)に登る幻の『たかさきこう(おう)かん道』と通じる。つまり小室井山と立岩山をつなぐ道があり、立岩側の道がみのじ観音道である」(『吉和村誌』)。

 「日の平山は、潅木とササの薮山で頂の展望も悪く、山頂へ登る径もないのでヤブこぎはまぬがれない。観音信仰の盛んであった明治大正の頃は吉和村石原の教立寺(キョウリュウジ)裏より<高崎こうかん道>と呼ばれていた尾根道が付けられ観音まで続いていたが、現在はその跡すら定かでない」(「西中国山地」)。

 教立寺 教龍寺 帖落寺

 『芸藩通志』吉和村絵図の石原付近に、「西願寺派 帖落寺」が見える。その近くに古城跡とあるのは駄荷城跡と思われる。

 『下調べ書出帳』(吉和村)に帳落寺(帖落寺)がある。

 「帳落寺 

 私称 教立寺与唱来リ…
 右往古者西福寺与申禅寺ニ而御座候…
 天正元葵酉年(1573年)真宗ニ改宗仕…寺号教立寺
 寛文年中寺院御改之節寺号書出し不申ニ付御帳落ニ相成候由…」とある。

 教立寺は往古、西福寺という禅寺であったが、寛文年中(1661〜1673年)に、寺院御改のとき、寺号書出し、しなかったため、寺社帳に載らず帳落(帖落)となった。明治初年に教立寺を教龍寺に改称した。

 本山からは正式な寺院として認められながら、藩では権利が制限されていたのが「帳落」寺。

 高崎こうかん道

 「高崎こうかん道」は、立岩観音へ登る尾根道だが、「こうかん」を「行還」(コウカン)と表せば、「行き帰り」「往き還り」、往復の意である。高崎こうかん道とは、高い山道がけわしい往復の道のことであろう。

 立岩の観音さま

 筒賀の昔話に「立岩の観音さま」がある。

 坂原の立岩山には観音さまが立っていた。姫がいて、谷の岩屋の奥に住んでいた。ある若者が姫を嫁にほしく、観音さまにお願いした。お百度参りを遂げたら許すという。若者は一反の白い布を巻きつけて、立岩山の尾根を走ってお参りして百日目、両側崖の尾根路に、真っ黒い、こっとい牛が邪魔し、角で突きかかってきた。若者が無理やり通ろうとすると、牛は鬼に変身し追いかけてきた。逃げる若者がつまづくと、鬼は力余って道端の大石をたたきつけた。鬼がひるんでいる間に若者は逃げかえった。鬼がたたきつけた石は、いまも鬼の手型が残っていて、鬼石と呼んでいる(筒賀小学校HP)。

教龍寺事業地 2009-02-14

 鬼石は鬼爪石とも呼び、石原にある。鬼爪石の東側の山林には、「教龍寺事業地」の標識がある。

 昔話に「お百度参り」「白い布を巻く」とあるように、明治大正の頃、多くの巡礼者が高崎こうかん道を登り降りしたと想像される。

 「この山に初めて観音を設置したのは吉和側の村人であったと思われる」(「西中国山地」)。

 それにしても、吉和、筒賀の村人にとどまらず、「石州」の人々が「群衆」をなして参拝したのは何故だろう。『書出帳』(1819年)に書かれた頃には、「中興巳来参詣之人無御座候」とあるように、参詣する人が無くなっている。

 「一実乗」は、仏語で、「唯一の、真実の、理を説く教え」の意である。「実乗観音」と表すと、「真実の理を説く教えの観音さま」の意となる。立岩観音を実乗観音と呼ぶことで、石州の人々も関心を持ったのではないか。仏語である実乗観音を広めたのは誰なのだろうか。高崎こうかん道の入口は、なぜ教立寺の裏にあったのだろうか。

 『書出帳』による教立寺の来歴をみると、

 往古 西福寺(禅寺)。
 天正元葵酉年(1573)真宗に改宗、寺号教立寺。
 四代目知圓時代貞享三(1686)年本願寺より寺号免許申請、その他、親鸞聖人の真影並びに宝物等申請。
 真宗開基天正元年(1573)より文政二卯年まで、247年真宗相続。

 とあるように、古、寺の興隆の時期があった時代に、実乗観音と呼ぶようになったのかもしれない。

天童神社(『吉和村誌』)
 
天童神社(『吉和村誌』)
 
立岩観音(『吉和村誌』)
 
立岩観音(『吉和村誌』)


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カシミール3Dデータ

総沿面距離18.7km
標高差635m

区間沿面距離
駄荷
↓ 5.1km
日の平山
↓ 1.6km
立岩山
↓ 1.7km
降下地点
↓ 2.8km
立岩ダム
↓ 7.5km
駄荷
 

 
『芸藩通志』上筒賀村絵図(1825年)

市間山、立岩山、立岩観音が見える。
 
『芸藩通志』吉和村絵図(1825年)

石原付近に「西願寺派」「帖落寺」が見える
 
『芸藩通志』上筒賀村絵図(1825年)

山県郡内古蹟名勝の項 石窟
 
 
明治32年測図昭和2年修正測図 大日本帝国陸地測量部 「津田」の部分
1:50000地形図

石原の教龍寺付近に民家が多数ある。
 
地質調査所 『二十万分之一地形圖幅 濱田図幅』(1893年=明治26年)

坂原の西側の境界尾根に「美濃地山」
 
立岩の観音さま(筒賀小学校HP 筒賀の昔話)
 
 
作業道の展望地から
女鹿平山と冠山
立岩山南から
日の平山、女鹿平山、冠山
立岩山から見る十方山
市間山と深入山
押ヶ垰集落
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)