山歩き

樽床ダム…三段峡…奥三段峡…中ノ甲林道
2022/11/6

樽床ダム…三ツ滝…餅ノ木…三段滝…猿飛…横川出合…田代…奥三段峡…赤川出合…十文字キビレ…樽床ダム

霧の樽床ダム
遊歩道入口
三ツ滝
三ツ滝
貴船滝
竜門
出合滝
ますや
三段峡保勝會案内所
100年を経過した看板 広島電鉄の餅の木の標識
崖崩れが遊歩道を塞ぐ
三段滝の展望所
三段滝
遊歩道の紅葉
楓林館跡
橋が崩落
横川出合
紅葉の林道
楓橋
田代橋
砥石川山
奥三段峡道標
瀞淵
イキイシノ谷
イキイシノ谷落ち口から見た蜘蛛淵の滝
蜘蛛淵の下流に下りる
ロープを張った崖を進む
蜘蛛淵の上流に下りる
左岸のスズメバチの巣
F2
F3
二つに割れた巨石
谷を塞ぐ巨石 雲岩
右岸のロープ 雲岩
右岸から見た雲岩
松尾の瀬
畳ヶ平
畳ヶ平右岸の鉄滓 中ノ甲鑪のものか
畳ヶ平
蛇淵
モヂキゴウラ
モヂキゴウラ
モヂキゴウラ 中央の木が生える大岩
出合谷
お岩淵
お岩淵
お岩淵落ち口と堰堤
お岩淵
堰堤の左岸を登る
堰堤から見た上流
アカゴウ谷左岸の川原から林道に上がる
林道の紅葉
砥石川山
十文字キビレ
広島学院碑
6:40 樽床ダム 気温8度 晴れ

6:45 三ツ滝
7:10 出合滝
7:30 餅ノ木
8:20 三段滝
8:45 分岐(楓林館跡)
8:55 猿飛
9:10 横川出合
9:45 田代橋
9:55 林道分岐(大朝鹿野線)
10:00 イキイシ谷
10:10 蜘蛛淵
10:20 蜘蛛淵上流
11:20 雲岩
11:55 畳ヶ平
12:30 モヂキゴウラ
13:20 お岩渕
13:40 アカゴウ谷
14:30 笹小屋
14:55 十文字キビレ
15:20 学院遭難碑
15:30 樽床ダム

 樽床ダムは霧の中。遊歩道の入口に「特別名勝三段峡」の石柱があり、昭和七年と刻まれている。クマ笹の葉は濡れている。カエデの葉を踏みながら山道をジグザグに下る。5分ほどで三ツ滝。紅葉した木々の先に滝が見える。滝の上部は霧で煙っている。

 少し進むと、右岸に貴船(キビネ)滝が落ちている。続いて岩盤を細い水流が貫く竜門が滝となって落ちる。少し歩いて石段を登り、左岸に渡る。餅の木まで1.3kmの道標。橋から見る谷は左に黄葉、右に紅葉が覆う。紅葉したヌルデに実が付いている。

 鴛鴦淵から鴛鴦が飛び立つ。落葉した葉を踏みながら進む。右岸に渡る。上流右岸に板状の節理が見られる。下流に出合滝が見える。出合滝は板状の岩の上を滑っている。黄葉の道を進む。昭和七年の名勝石柱を過ぎると、右岸に娘滝。

ダイモンジソウ
ミヤマガマズミ
モチノキ谷木橋

 樽床ダムから50分ほどで餅ノ木。「ますや」に古い看板が掛かっていた。「三段峡保勝会案内書」とあり、熊南峰が大正6年(1917年)、桝屋旅館に泊まって三段滝を撮影した時代のものだろう。一世紀を超えて掛かっていたことになる。保勝會の横の黄色のプレートに「餅の木 広島電鉄株式会社」の文字が見える。ここは広電のバス停だったようだ。

 餅ノ木駐車場から遊歩道に入る。モチノキ谷の木橋を渡るとクマ生息地の標識。昭和七年の名勝石柱。右岸の遊歩道を進むと、青立付近の斜面が崩れ、道を岩が覆う。岩を滑る玉緒滝を過ぎる。カッコウ岩付近で崖崩れで道が埋まる。続いてすぐに崩壊地点、川原へ下りて迂回する。4、5分進んだ所で、また岩が道を押し流す。

 丸淵を回る。三段滝の北の遊歩道がピークになった所で一休み。ジグザグに下ると、紅葉樹の間に滝が見える。三段滝の展望所が崖に引っかかるように作られている。黄葉のカエデと滝。紅葉した山の中を滝が落ちている。滝の展望所の説明版では、「今も滝を上流へと後退させている。節理の方向は北20度東、傾斜はいずれも垂直に近い」とある。

三段滝説明版
ヌルデ
ハウチワカエデ

 遊歩道に日が射して、紅葉が鮮やかに輝く。タカノツメの黄葉した三つ葉が落ちていた。分岐の石段を登る。猿飛まで1.2km。次の分岐に出ると楓林館跡。五郎堰付近の右岸に水平方向に節理が見られる。左岸の岩壁の下を通る。猿飛は運行中の張り紙、「10:00〜15:00 ペット乗船不可」とある。

 眼下に猿飛の紅葉を見る。鵜の子付近の橋が崩落していた。板を重ねた橋が掛かる。板端で滑らないことを確かめて、恐る恐る進むと、中ほどで板が数センチ撓んだ。無事に通り抜ける。谷の大岩に縦、横に節理が見られる。横川出合の橋で一休み。

 日が射す紅葉の林道を進む。楓橋下流のカエデが輝く。左岸の岩壁に水平に節理が走る。楓橋を渡り左岸へ。川鵜淵右岸に水平、垂直に節理が見える。谷の岩は白っぽい。車道の北側にも節理の露出。林道は橋下を通る。田代の石垣が続く。紅葉の林道の先に砥石川山が見える。ハウチワカエデの赤、ミズナラの黄が輝く。

楓橋下流のカエデ
タカノツメ
コマユミ

 石垣の先に田代橋が見える。樽床ダムから3時間ほどで田代橋。田代川の両岸が紅葉に輝く。林道を進むと砥石川山が見える。分岐点に奥三段峡への道標がある。ここから瀞淵の入口になる。右岸の淵の上に板状の節理が見える。右岸の岩壁に縦、横の亀裂が続く。左岸の岩は、右岸と比べて白い。イキイシノ谷の落ち口付近の田代川右岸に柱状節理、岩の下部は板状になっている。

 イキイシ谷左岸山道が入っている。イキイシ谷の岩は白っぽい。右岸に渡って田代川の川原に下りると、蜘蛛淵が見える。山道へ戻ると、すぐに分岐する。これは尾根に上がる道のようだ。谷沿いに進むと、下に淵が見える。次の分岐をさらに下へ進み、谷へ下りると、蜘蛛淵のすぐ下流に出る。そこから下流側も狭い崖渕になっている。

 少し戻ると、分岐点にピンクのテープがある。その先からロープが渡してある。ロープを伝い10分ほどで、蜘蛛淵上流の谷へ下りた。右岸、左岸と渡りながら進む。左岸の崖の上にスズメバチの巣が見える。2mほどの小滝(F2)を越える。花が枯れたダイモンジソウがあった。紅葉が輝く。瀬が続く。イノシシの掘り返した跡。前方に小滝(F3)が見える。

ムラサキシキブ
イタヤカエデ
鉄滓 畳ヶ平

 F3の先は瀬が続く。右岸に大岩があるF4を越える。紅葉が美しい。左岸に真っ二つに割れた巨石が座る。前方に雲岩が見える。雲岩は巨岩が谷を埋めている。16年前は真ん中の巨岩に登って越えていたのだが、よく見ると、右岸にロープが垂れ下がっていた。右岸を越える。右岸に板状の節理が見られる。

 松尾の瀬が続く。右岸に小さい渕がある。左岸に板状の廊下が現れる。畳ヶ平と呼ぶ。右岸、左岸に節理が見られる。下部は板状になっている。畳ヶ平の入口左岸に鉄滓(ノロ)があった。中之甲のタタラから流れ出たものか。岩の廊下を進む。右岸に柱状節理、下部に板状の節理。右岸の剥がれた岩が白い。

 廊下を過ぎると瀬が続く。深い渕になると蛇淵。右岸を進む。ツリバナに実が下がる。右岸にキャッチ&リリースの標識がある。釣り人が入るようだ。蛇淵から少し進むと、広い渕になる。さらに進むと、谷に数条の流れが見える。モヂキゴウラと呼ぶ。谷の真ん中に、木が生える大岩があり、谷の流れは、そこで左右に分流している。

ウリハダカエデ
クロモジ
出合谷落口上流

 さらに進むと、倒木が谷を塞ぐ。瀬が続く。16年前、左岸で見たハシゴが右岸にあった。ダイモンジソウの花が残っていた。出合谷を過ぎたところに、キャッチ&リリースの標識。瀬と渕と小滝が続く。お岩淵に進む。左岸をへつる。足と手掛かりがある。コマユミの実が下がる。お岩淵の上に進むと、前方に堰堤が見える。

 堰堤の下に進む。左岸の倒木を越えて、堰堤の上に出る。堰堤の上流は池のように水が溜まり、そこで中ノ川川とアカゴウ谷が合流している。水面に映えるカエデの先に聖山の尾根が見える。堰堤から林道に出るアカゴウ谷左岸の山道は薮になり、水流に抉られて、一部消失している。途中、川原に下りて林道に上がった。奥三段峡入口から3時間ほど掛かった。

 林道端に奥三段峡風景林の看板がある。ブナ、ミズナラを主体として天然林が広がっていると紹介されている。一休みして林道を進む。気温15度。カエデ、ミズナラ、ブナが輝く。ムラサキシキブの実、クロモジ、ハリギリの黄葉、ウリハダカエデの赤。紅葉の林の先に砥石川山が見える。1時間ほどで笹小屋、分岐に山道が通る。そこから少し進むと林道分岐、イキイシ谷に林道が下りている。

 コシアブラの黄色い落葉、1時間余りで十文字キビレ。聖山への道標、イキイシ谷へ下りる林道は薮だが、南東方向へ林道が入る。ミヤマガマズミの実が残る。学院遭難碑に寄る。碑文が記されている。

  ニコラオ 多田光信

  昭和三十六年十二月三十日帰天す。

  彼は暫くの間に完成され、
 多くの歳月を満たせり。げに
 その魂は神に嘉せられたり。
  さればこそ神は悪の中より
 彼を引き出すことを急ぎ給い
 しなれ。
           広島学院

広島学院碑


奥三段峡風景林
ツリバナ
コシアブラ
コシアブラ
ウリハダカエデ
ハリギリ
アクシバ

 

 ■地名考

 中之甲の道

 「樽床→十文字峠(キビレ)→中之甲の道は、1765年頃中之甲に鈩が置かれていた頃よりあった。昭和8年に木馬道ができて広げられ、昭和14年に樽床→十文字峠に林道が完成した」(「西中国山地」桑原良敏)。

 中之甲という地名の初見 1738年

 「中之甲の集落は現在、無人である。昭和二十年代までは、帝国製鉄の炭焼労務者の居住地で、小学校の分教場まであったが田畑の無い所を見ると定住地ではなく、出現したり消滅したりの歴史を繰り返していたようだ。中之甲という地名の初見は、加計の鉄山経営者の佐々木家へ戸河内横川の住人、六右衛門らから出された『申定鈩約束之事・元文三年(1738年)四月四日』という『加計万乗』に集録してある文書である。この中の

 『横川惣山之内、餅木、田代、中之甲、台所原、牛木屋、おそらかん、水越まで…』という箇所である。中之甲にはその後、寛保二年(1742年)より寛延三年(1750年)までの八年間、鈩が置かれていた。向井義郎氏の鈩分布図によると、その場所はキツネ原とアマスギ谷の落ち口の五十本原のようである。筆者も中川と赤川との出合原に住み長い間帝国製鉄の森林監理人であった樽床の後藤氏よりこの場所であったことを確認した」(前同)。

 奥三段峡という呼称

 「奥三段峡という呼称はおそらく熊南峰氏が命名したものだろう。大正十五年に彼が発行した『三段峡案内』には峡中にくも渕、松尾、蛇渕、お岩渕の名が見える。滝の名称ではなく淵の名になっているところを見ると、彼が命名したのではなく案内した村人より聞き書きしたものと思われる。

 広島県が刊行した『史跡名勝天然記念物調査報告書・第一輯・三段峡』は公式な記録と見てよいだろう。これには横川出合(横川川・田代川)から赤川出合までの間を奥三段峡としてある」(前同)。


 もぢきこうら モヂキゴウラの名称

 
熊南峰の『三段峡案内』(大正15年=1926年)には、モヂキゴウラの名称はない。三段峡案内図にも載っていない。1929年の『史跡名勝天然記念物調査報告書』に「もぢきこうら」が記されている。

 「『史跡名勝天然記念物調査報告書』には、蜘蛛渕、蛇渕、お岩渕、松尾の奇岩、の写真が収められており他に畳ケ平、もぢきこうら、のことも記されている。

 蜘蛛渕について『百八十余年前、炭焼人此所に息ふ。蜘蛛ありその草履に巣つくる。怪しみて之を脱せしに、遂に此渕に曳き入る。此伝説に基きて、此名あり』と記してある」(「西中国山地」)。

 吉野盆見『名勝三段峡 (其三)』(1929年)にも、同じ内容が記されいる。「もぢきこうら」は、「もちきじうら」となっているので、間違いと思われる。

 『名勝三段峡 (其三)』では、モヂキゴウラは以下のように記されている。「前者」は「蛇淵」のこと。

 「もちきじうら。前者よリ二町に在り。川幅廣き所、流水数條に分れて急湍及瀧をなし、其間に巨岩聳え、其上に青樹茂り、頗る変化に富む河床景たり」(『名勝三段峡 (其三)』)。

 『源流』(宮林深雪=1985年)に「もちきごうら」の説明がある。

 「さらに数百メートル上流は、川幅が広くなって流水が数条に分れている。急流や浅瀬、滝をつくり、渓流の中に緑樹をもった巨岩があり、変化にとんだ川床の風景である。もちきごうらという名称がある」(『源流』)とある。

 これは『名勝三段峡 (其三)』と同じ表現であり、『史蹟名勝天然記念物調査報告書』の内容を参考にしたものだろう。

 モヂキゴウラ付近では、「巨岩の上に青樹茂り」「渓流の中に緑樹をもった巨岩あり」とある。「樹茂」は、「木茂」で、逆にすると「茂木」で、モテギ、モトギと読むが、名のりでは、「茂」を「モチ」とも読むようだ。

 歴史上の人物では「徳川茂承」(モチツグ)、「藤原末茂」(スエモチ)、「藤原能茂」(ヨシモチ)がいる。

 モヂキゴウラは、「茂木ゴウラ」「茂木河原」と表し、「木が茂る河原」の意となる。


 イキイシノ谷(異木異石)

 イキイシ谷は瀞淵に落ちる谷である。『名勝三段峡 (其三)』では、瀞淵について下記のように記されている。

 「瀞淵 両岸の奇岩絶壁をなして相対立し直角に交叉す、節理或は縦、或は横、或は水平に、異木は其間隙を縫ひ長き清潭に映す。奇岩異木清淵に相調和して、神仙の庭園蓬莱郷たるの感を抱かしむ」

 イキイシ谷は「西中国山地」「広島をめぐる山と谷」では、「イキイシノ谷」と記している。

 「中之甲林道が、出合谷の頭の鞍部を越える所が出合キビレで、昔はこの地点よりイキイシノ谷へ向って田代へ出る小径があった」(「西中国山地」比尻山の項)。

 「広島をめぐる山と谷」(加藤武三)では、奥三段峡の概念図にイキイシノ谷とある。

 モヂキゴウラの名称が、河原に樹が茂る様子から名付けられたように、イキイシノ谷の呼び名も落口の瀞淵付近の様子を表したものと思われる。

 異木(ことき)は、ほかの種類の木、奇岩は、珍しい形をした大きな岩、奇岩怪石(きがんかいせき)も同意。

 『名勝三段峡其一』は、龍の口について、

 「要之此龍の口は、急湍、爆布、深淵、奇石等の勝景夥多密集し、入峡門の一大偉観たり」

 同じく『其二』では、横堰について、

 「横堰 楓林館より中山を超えて七町にて達す。大岩奇石或は縦或は横に、河床を充塞す」として、「奇石」の語を使用している。

 イキイシノ谷落口付近は、「奇岩異木清淵に相調和」している様子から、「奇岩異木」を「異木奇岩」「異木奇石」「異木異石」のように表して、「イキイイシの谷」「イキイシの谷」と名付けたように思われる。「イキイシ」は、異なる木や岩が淵に調和している様子を表現したものである。


 蜘蛛渕の伝説 蜘蛛 河童 大蛇 龍神

 奥三段峡の入口の蜘蛛渕では、炭焼人が蜘蛛によって渕に引き込まれる。これは享保の後の寛延期、1700年代半ばの話だが、蜘蛛は河童であろう。同じような伝説、民話が全国にある。

 田代の話では、お岩の夫の田代の五郎は木こりだが、お岩渕に落ちて死ぬ。 

 お岩の物語は樽床では、中之甲のタタラ場への使いの後、お岩渕(幽霊渕)に身を投じる。 

 奥三段峡の淵で起きる悲劇は、炭焼、きこり、タタラに関係して起こっている。鑪の開発とともに、田代、中の甲の間で人々の交流がすすみ、奥三段峡の淵で起こる事故が増えたのだろう。

 奥三段峡西側の砥石郷山に魔の池がある。池には大蛇が棲み、村人の雨乞いの願い応えて飢饉から救う。この大蛇は龍神であろう(『魔の池』とごうちの民話)。


 1700年代の中ノ河赤河山、田代山は草山

 1700〜1800年代、田代、中ノ甲、餅ノ木周辺で、下記のように鑪が経営された。

操業期間 年数 操業場所 鑪名
?〜享保4(1719)   戸河内村横川 田代鑪
享保4(1719)〜
享保13(1728)
10 戸河内村横川 横川鑪
寛保3(1743)〜
宝暦11(1761)
19 戸河内村横川 横川中ノ甲鑪・田代鑪
宝暦11(1761)〜
明和2(1765)
5 戸河内村柴木 もち小屋鑪
 (水梨鑪?)
寛政6(1794)〜
文化2(1805)
12 戸河内村柴木 餅ノ木鑪
文化2(1805)〜
文化8(1811)
7 戸河内村横川 田代鑪
『中国山地でのたたら製鉄〜安芸地域の事例から』山ア一郎

 たたらの立地条件は「粉鉄七里に、炭三里」といわれ、砂鉄の採取範囲を七里(約21Km)、製炭範囲は三里(約12km)必要としたため、広大な山林を必要とした。たたら炭に適した木の樹齢は30年以上とされ、一ヶ所でのたたら操業を継続するには約1800ヘクタールの森林面積を確保する必要があった。

 享保期、文政期の植生によると、たたら操業の後、浅木、草山、蕨山になっている。

享保期・文政期における
戸河内村の入会野山と植生(『戸河内町史』)
(奥三段峡周辺)
享保12年(1727) 文政2年(1819)
横川東平 杉・栗・浅木 杉・栗・浅木
横川西平 草山 蕨山
恐羅漢山 杉・浅木 杉・浅木
中ノ河赤河山 草山 蕨山
添河山 草山 蕨山
田代山 ― 蕨山
餅木南平 草山 蕨山
 浅木とは節の多い粗悪な雑木を指し、浅木を焼いた粗悪な炭を浅木炭と呼ぶ

 皆伐された山は水持ちが悪くなる。干ばつにより飢饉を招いたことから、「魔の池」のような、戸河内の民話が生まれたのだろう。


 おそらかん周辺のたたら場

 横川川沿い
  横川たたら跡、
  古屋敷たたら跡、
  二軒小屋たたら跡

 牛小屋谷落口と田代川付近
  田代山たたら跡(鉄滓散布)

 餅の木付近
  庄原たたら跡(鉄滓散布)
  餅の木山たたら跡
  (炉跡、金池、作業小屋、勘定場)

 中ノ川川沿い
  中ノ甲山
  
1号たたら跡(金池、作業小屋、金屋子社)
  2号たたら跡(炉床、金池、作業小屋)
  3号たたら跡
  4号たたら跡(炉床、金池、作業小屋、勘定場)
  5号たたら跡

 ミズナシ川(柴木)
  水梨たたら跡(金池、勘定場跡、作業小屋)
  (小屋たたら跡)もち木


 餅ノ木字名
  大字小板字餅ノ木
  大字横川字餅ノ木
  大字横川字横川餅ノ木平

 熊南峰の三段峡案内
  
(大正13年頃1924年 戸河内町史)
  三段峡ニ就テ
  蜘蛛淵、蛇淵、幽霊淵

 名勝天然記念物三段峡の概説
  
(大正13年頃 戸河内町史)
  蜘蛛淵、蛇淵、お岩淵

  大正15年 三段峡案内

 広島県史跡名勝天然記念物調査報告第1集輯
  (1929年 昭和4年)

 吉野盆見「名勝三段峡 (其一其二其三)」(1929年)
 
 『源流』(宮林深雪 1985年)
 熊南峰の足跡
 大正6年(1917年) 地元の人から柴木の奥の峡谷のことを聞く。
 南峰は戸河内本郷の藤川旅館に3年間下宿。
 大正6年10月8日、餅ノ木の枡見戸市(桝屋旅館)に泊まり、息子の府市さんの案内で三段滝を撮影。
 大正7年6月14日内黒峠を越へ、横川より三段滝、猿飛を見る。

 『広島をめぐる山と谷』(加藤武三 1962年)奥三段峡

 『リュックかついで』(1980年)奥三段峡

 『西中国山地』(桑原良敏 1982年)奥三段峡


 モヂキ・モジキ地名

 モジキ山(ワラビ山) 445m三角点、点名=熊野ダム
 所在地:広島県安芸郡熊野町字モチキ山

 茂知木川(モヂキ・モジキ 山口市徳地深谷)

 曲木(モジキ 香川県綾川町西分)

 モヂキ(高知県香南市 大字沢谷字モヂキ)

 モヂキ山(高知県宿毛市)

 モジキ谷(最食谷・毛敷谷 奈良県吉野郡)


 奥三段峡周辺三角点

 田代 921m
 安芸太田町大字横川字中の甲

 奥三段峡 965m
 山県郡戸河内町中ノ甲

 砥石山(砥石郷山) 1176m
 山県郡戸河内町横川

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カシミール3Dデータ

総沿面距離19.6km 標高差399m

区間沿面距離

樽床ダム
↓ 7.7km
横川出合
↓ 6.4km
赤川出合
↓ 3.5km
十文字キビレ
↓ 2.0km 
樽床ダム
 

大正期の三段峡案内図の奥三段峡の部分

出合から右岸を通り、川鳥渕下流で左岸に渡り、田代を経て奥三段峡の左岸に破線道が描かれている
餅ノ木に「ますや」
 
吉野盆見「名勝三段峡 (其一)」 1929年(昭和4年) 名勝三段峡の奥三段峡の部分

赤川出合付近に涙渕の名称がある
 
『広島をめぐる山と谷』(加藤武三 1962年)

奥三段峡 出合原に小屋
『リュックかついで』(1980年)奥三段峡  
『西中国山地』(桑原良敏 1982年)奥三段峡

松尾は雲岩と畳ヶ平の間にある名称
 
明治32年測図昭和7年修正 大日本帝國陸地測量部
三段峡の奥三段峡部分

イキイシノ谷左岸、中ノ川川左岸に破線道
 
明治32年測図昭和7年修正 大日本帝國陸地測量部(三段峡)

ダム建設前の樽床
 
『芸藩通志』戸河内村絵図
 
 田代、ソヘゴウの地名
 
シームレス地質図+カシミール3D 合成図

凡例は20万分の1シームレス地質図V2(産総研)
K21_vas_ap 
 の凡例は貫入岩西の奥三段峡(標高710m)

 K21_vas_ai 
 の凡例はイキイシノ谷と田代川の合流点付近(標高654m)
  
三ツ滝
橋から鴛鴦淵方向
餅ノ木 ますや
三段滝展望所
三段滝
楓橋下流
田代橋から上流
砥石川山
瀞淵
蜘蛛淵
奥三段峡F2上流
雲岩
畳ヶ平 中ノ甲タタラから流れ出たと思われる鉄滓
畳ヶ平
畳ヶ平
畳ヶ平
蛇淵
モヂキゴウラ
モヂキゴウラ
モヂキゴウラ 谷の真ん中の木が生える岩
出合谷落口下流
奥三段峡F10下流
お岩淵下流
お岩淵
堰堤から上流方向
中ノ甲林道
砥石川山
 
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)