6:10 戸河内駅跡 気温12度 晴れ
7:05 那須古道流田口
8:40 ジョウダン右谷水源
9:10 展望岩
9:25 那須
10:10 那須橋(出合橋)
10:20 打梨橋
10:50 鱒溜ダム
11:10 ダム上の尾根
11:40 589ピーク
12:10 47番鉄塔
12:30 46番鉄塔
12:40 尾根道分岐(44・45・46標柱)
12:45 45番鉄塔
12:50 44標柱分岐
13:20 電気柵
13:40 田吹水路橋
14:05 戸河内駅跡
安芸太田町役場前の戸河内駅跡を出発、おっぱい山は霧の中。役場前バス停の先に「梶ノ木おおスギ」「洗川の谷渡り台杉」の標識。
ガソリンスタンド跡で薪を販売中、1束500円。焚き火募金の看板がある。販売している薪は間伐材などのスギやヒノキを薪として、「一薪一苗」の募金を集め、広葉樹(クヌギ・コナラなど)を中心に針葉樹(スギ・ヒノキ)を植林し、混交樹林の森づくりの活動として、1点の薪から1本の苗を山へ植林している。
191号線から旧道を通り、明神橋に進む。橋から上流を見ると、霧が靄っている。おっぱい山、横川古道の入口を過ぎる。アサギマダラが集まるヒヨドリバナが咲く。30分ほどで須床橋。クサギがムラサキの実を付ける。マイマイが這うツタは、葉が穴だらけになっている。キケマンが咲く。
遊井の横畠工芸を過ぎる。割り木木工の看板がある。そこから少し先に、右岸に渡れそうな堰堤がある。戸河内駅跡から40分ほどで流田橋。ノコンギク、ヤマハッカが咲く。太田川の岩盤の川床の先に流田の集落が見える。アキチョウジが多い。畑に赤いセージの花のように見えるもの。右岸に地蔵堂が見える。下流を振り返ると霧が薄く漂う。
クサギ |
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ヒヨドリバナ |
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アショウ谷左岸に石垣が見える。右岸には数段の高い石垣。那須古道入口に進む。入口正面の上に石垣が見える。100mほど引き返して、コンクリート法面の端からアショウ谷右岸の石垣の山に入る。高い石垣は水田跡のようだった。左岸にも石垣がある。法面の上は薮になっている。法面の上の薮と棘の中を30mほど南に進む。そこから山へ上がると、土留の石垣があった。
さらに登ると、流田口から斜めに上がる山道の途中に出た。山道を上がり、堰堤の下の横道に出る。ホウノキの実がたくさん落ちている。長い石垣の所でUターン。北端に炭焼跡の石積みがある。上側の斜面に方形に割れた大岩がある。古道は再びUターンして尾根上に出る。
しばらく尾根下を進むと、大きく掘り下げた炭焼跡がある。道は谷側へ入る。谷を奥へ進むと吉和郷の古道に出る。イノシシが掘り返した跡が続く。ジョウダン右谷の丸太橋を渡る。途中、小さな穴が掘られ、山道が砂で覆われている所があった。山道が尾根を越える所に、新しいクマ糞があった。
ジョウダン左谷の丸太橋を渡る。大きいスギ並木を通り過ぎると、倒木が道を塞ぐ。左手に女鹿平山が見える。石垣が崩れている所がある。古いクマ糞の所からほどなく展望岩。展望岩から市間山が見え、立岩山の頭が覗く。右手に桧尾山の頭が見え、尾根が左へ降りている。
古道を進むと那須集落が見えてくる。彦八の頭の下の民家に日が当たる。30軒ほどの石州瓦の赤い屋根が点在する。新しく建てられた黒い屋根の家が一軒見える。藁ぶき屋根を黒いトタンで覆った屋根も見える。
山道にトチの実がたくさん落ちていた。那須小学校跡の裏手を通り、錆びた鉄橋を渡り、那須集落の車道に出る。入口に那須古道の標識がある。ウメモドキの赤い実。その裏手に木地師、石田冨次の碑がある。明治41年に那須古道に碑が建てられたが、その後、ここに移された。
藁ぶき屋根を囲った民家 |
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錆びた鉄橋を渡る |
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石田冨次碑 |
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ナガミノツルケマン |
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クリを食べたクマ糞? 車道 |
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車道を下る。20分ほどで大正橋。左岸の車道を進む。ノコンギク、アキノキリンソウが咲く。ウバユリが実を付ける。キバナアキギリ、フシグロセンノウが咲く。川音が大きくなる。古道口から30分ほどで那須滝。車道に白い糞、クリを食べたクマかな。
40分ほどで那須橋。太田川の水量は少ない。下流にハチガ頭の峯。1番鉄塔へ進む。北側へ51番鉄塔へ上がる道が入る。大竹谷町有林の標識、昭和35年、45年とある。打梨発電所の導水管を見上げる。導水管の上部にサージタンクが見える。
10分ほどで打梨橋。下流に向かって左岸に水路が通っている。右岸の車道を進むと、所々、山側から水流が落ちている。左岸に水路が見える。オオズエ谷は細い滝が落ちる。その先に地蔵さんが祀られている。自然石を祠のように積んである。上空に47番鉄塔が見える。車道は苔むしている。打梨平事業地の標識がある。
右岸に48番鉄塔が見える。カツラの標識。送電線の下にトンネルが通る。鱒溜ダムが見えてくる。ここまで鉄塔へ上がる道は無かった。打梨橋から30分ほどで鱒溜ダム。ダムの北端から急な斜面を登る。20分ほどで尾根に上がる。さらに尾根の急斜面が続く。鱒溜ダムから50分ほどで、植林地の589ピーク。そこから少し先に大きいコナラがあった。
2年前にあったヌタ場はまだあった。イノシシの足跡がある。導水管を過ぎた辺りにコナラの枝が散乱していた。鱒溜ダムから1時間20分ほどで47番鉄塔。西側から上がる道は無いようだ。ツリフネソウ、キバナアキギリが咲く。ここから山道が東へ続いている。ヒノキ林、スギ林の横道を進む。アケビの実が落ちていた。
46番鉄塔手前で北側が開け、向山、最早山が見える。左に内黒山が見える。46番鉄塔は山道から下へ降りた所にある。44,45.46番を示す標柱の分岐に進む。ここから尾根を進めば明ヶ崎三角点、馬道を下りれば田吹に出る。45番鉄塔まで進み引き返す。
掘り下げた馬道を下ると、44番鉄塔への分岐に出る。尾根を東へ進むと谷側と尾根側に分れる分岐に出る。尾根側の作業道を下る。石垣の先に電気柵があった。その先に廃屋。屋根掛けの石垣を過ぎると、田吹水路橋の上の山腹の車道に出た。鍋山が見える。
ハゼにソバが干してあった。チャノキが咲く。民家の横を通り、水路橋の真上に進む。上から水路橋の水流が見える。導水管も送電線も東へ続く。日が射す車道は27度で暑い。粒谷川上流の山腹に民家が見える。盆手山の下を通る。田吹川の左岸を進む。田吹水路橋から30分ほどで戸河内駅跡に帰着。
45番鉄塔 |
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分岐 左44番鉄塔 |
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石垣 |
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電気柵を抜けると廃屋 |
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屋根掛け |
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鍋山 |
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田吹川 |
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ジンジソウ
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ツリフネソウ
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キバナアキギリ
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ヤマハッカ
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ノコンギク
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ツタを這うマイマイ
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ノブドウ
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赤いセージ?
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アオキ
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ウバユリ
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フシグロセンノウ
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アキノキリンソウ
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チャノキ
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ハゼのソバ
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■地名考
寛永地詰
『浅野氏は福島氏時代の村高や年貢高を継承しながら郡村の支配をおこなった。寛永15年(1638年)に蔵入地(大名直轄地)に限って検地を実施した。加計村や戸河内村などで再び検地がおこなわれた。なおこの検地の結果は幕府にも報告されず、この寛永15年の検地を地詰(じづめ)とよんでいる』(「戸河内町史」)。
吉和郷のほのぎ名(小字)
吉和郷は太田川と柴木川が合流する辺りから、太田川の上流の両岸に開けた所である。
ほのぎ「あそい」(あせう谷など)
面積102畝27歩(約101u)
ほのぎ名に流田は無いので、「あそい」は、アショウ谷、流田、遊井付近の面積を含むと思われる。アショウ谷両岸に石垣があり、耕地だったと思われる。ほのぎ「あそい」の一部であったと思われる。
ほのぎ「つつら原」
面積125畝27歩(約111.6u)
ほのぎ「つつら原」は、「あそい」より少し広い。
芸藩通志戸河内村絵図に、太田川右岸に葛原がある。打梨橋下流右岸のように見えるが、ここの字名は打梨平なので、鱒溜ダムより下流の右岸の辺りと思われる。
(ほのぎ名、面積は「戸河内町史」から)
那須の地名と恐羅漢山
ハブセゴウは那須集落を中心にして西の山側、ダイガハラよりも西の山側を指している。裏向と表してハブセゴウと呼んでいる。裏向は背向のことで、後ろを意味する。石見方言のハバは仲間外れの意で、地形では外れ、端の意と思われる。ハブセゴウは後ろの外れの意であろう。那須の東側は向平と呼んでいる。
恐羅漢山は「ソカヒ山」とも呼ばれる。
「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「西中国山地」)。
『芸藩通志』戸河内村絵図を見ると、十方山の隣にヲソラカン山と記されており、その位置は旧羅漢山と思われる。また『芸藩通志』では西十方をおそらかん山と呼んでいる。
石見側では旧羅漢山を羅漢山と呼んでいる。この場合の羅漢は旧羅漢山北側の巨石群を指していると思われる。また石見では旧羅漢山を「獅子岩山」と呼んでいる。獅子岩は山頂の巨石のことだろう。石見側からよく登られた山ではないか。戸河内ではこの巨石の名が無い。
石見方言「オソ」は後ろの意である。「オソラカン」は羅漢の後ろにある山の意か、山の後ろにある羅漢の意と考えられる。
ソカヒ山は『日本地名箋』(1874年)の山県郡の項に背向(ソガヒ)山と記している。「背向」は後ろの意であり、「ソガヒ羅漢」「オソ羅漢」も同じ意味になる。
また旧羅漢山を西十方とも呼んでいることから、ソカヒ山はソカヒ十方の意であるかもしれない。匹見では1600年代から旧羅漢山を十方山と呼んでいる(『匹見八幡宮祭神帳』1651年)。
カシミール3Dデータ
総沿面距離19.5km
標高差369m
区間沿面距離
戸河内駅跡
↓ 8.9km
那須
↓ 4.9km
鱒溜ダム
↓ 3.6km
田吹
↓ 2.1km
戸河内駅跡
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