山歩き

柴木…向井山…最早山…向山
2021/12/12

柴木(シワギ)…川手三角点…メタセコイア…向井山三角点…林道…最早山…向山…バア堀…林道…柴木

■川手(カワテ)426.6m:広島県山県郡戸河内町字川手(点の記) 安芸太田町
■向井山(ムカイヤマ)731.5m:広島県山県郡戸河内町字柴木(点の記) 安芸太田町(柴木部落共有地)
■最早山・蔵座山(モヤイ・ゾウザ)1064m:広島県山県郡安芸太田町(板ヶ谷・松原の呼称)
■向山(ムカイヤマ)1065.5m:広島県山県郡安芸太田町大字柴木字段原(点の記・点名:柴木しばき)

駐車場から見える1番鉄塔
柴木
柴木川第一発電所
1番鉄塔入口
電気柵沿いの道
1番鉄塔
鉄柵の横を登る
ヒノキとスギの尾根に「田中」の石柱
尾根上の墓所
426三角点(川手)
腰掛が付いた小屋
小屋と石柱
ヒノキ林下の導水管点検道
擁壁の上が通路になっている
コンクリート壁の下に細長いコンクリート施設が見える
山道を登ると南端のメタセコイアに出る
メタセコイアの北端
メタセコイアの東側にコンクリート壁
コンクリート桝
上から見たコンクリート桝
崖上から見たメタセコイア
導水管の横に出る
導水管の東側に出る
階段を登る
トンネル出口の建物が見える
サバノ頭
731m三角点(向井山)
大平山
梶ノ木にメタセコイアが見える
トンネル出口
サージタンク
サージタンク
尾根上のヌタ場 直近まで使っていた
岩尾根に出る
作業道へ降りる
林道のクマ棚
最早山
畳ヶ平のクマ棚
向山
バア堀=サルサガ池
林道・作業道分岐
作業道終点から見える尾根の岩
階段を下る
ジグザグの山道に入る
小雨で霞む柴木
導水管の西をモノレールが通る
電気柵の入口の真ん中をモノレールが通る
人も荷物も運ぶモノレール
柴木川第一発電所の横をレールが通る
7:15 柴木駐車場 気温8度 曇り

7:30 1番鉄塔
7:35 墓所
7:45 426三角点(川手)
7:55 小屋
8:10 コンクリート擁壁
8:20 メタセコイア林
8:35 コンクリート桝
8:45 導水管点検道
9:15 導水管
9:55 731三角点(向井山)
10:10 トンネル出口
10:20 サージタンク
11:20 林道
12:15 最早山 
12:25 畳ヶ平
12:35 向山
12:50 バア堀(サルサガ池)
12:55 林道
13:15 作業道終点
14:00 トンネル出口
14:55 柴木駐車場

 駐車場から見上げると1番鉄塔が見える。三段峡の奥の峯に低い雲が流れる。柴木川左岸の道を進むと1番鉄塔を示す標柱が倒れており、山側に電気柵の入口がある。南側に続く電気柵に沿う道を進むが、道が狭く電気柵に触れそうである。東側へ回る所で、ますます道が狭くなった。曲がり角から尾根を上がり、鉄柵で囲まれた1番鉄塔に出る。送電線は南東の土居へ延びている。

 鉄柵に沿って上がると、北側から別の山道が通っていた。鉄柵に沿ってさらに尾根を登ると、ヒノキ林に入る。尾根を進むと「田中」と刻まれた石柱が立っていた。さらに進むとスギ林の下に墓所があった。昭和14年、51年の文字が刻まれている。三基の墓石の後ろには自然石の墓石もあった。墓へ入る道は消失している。

 スギ林を登り426m三角点(川手)に出る。暗い樹林の下にミヤマシキミが赤い実を付ける。三角点の近くに白い碍子が落葉に埋まっていた。スギ林を下っていくと、鞍部に小屋があった。小屋の板壁に腰掛が付けてあった。休み場だろうか。小屋の前を川手集落へ続く、薮となった道が通っていた。小屋から尾根を進むとすぐ、自然石の石柱が立っていた。
墓所
ミヤマシキミ
小屋の向いの石柱

 鞍部からヒノキ林の尾根に、導水管点検道が通っていた。尾根の途中から北側へ折れてメタセコイアを探す。見えないので集落側へ下っていくと、擁壁の上を通る道に出た。集落の上側に山腹を横切る路が通っている。擁壁を支えるように、直角にコンクリート壁が設置されている。擁壁の下側には長細いコンクリート構造物が見えた。川手のトンネル試掘口の上に出たようだ。

 「昭和49年、三段峡駅から石見今福駅間の工事が認可となり、5月に三段峡で杭打式が挙行された。島根側では旭町丸原地内で工事が始まり、広島側も三段峡トンネル(9910m)の地質調査のため、安芸太田町の川手と松原地内で調査坑が掘られ、橋山駅の用地買収も終わっていた。しかし、この工事も昭和55年、国鉄の財政上の問題で工事中止とな ってしまった」(『幻の広浜鉄道今福線を巡る』)。

  「今福線で最長となる9910mの三段峡トンネルでは、地質調査のため安芸太田町川手地内で360mの試掘坑が水平坑で掘削され、松原地内では傾斜して200mが掘り進められた。現在、松原の試掘坑口には水が入口まで溜まり頑丈な柵が設置されている。また、川手の試掘坑は広島の酒造会社が焼酎の貯蔵庫として利用されている」(前同)。

 戸河内ウイスキーは、川手の「中国醸造 戸河内貯蔵庫」で熟成された事に由来している。
 擁壁路から見上げると紅葉するメタセコイアが見えた。道を少し引き返すと、見えた方向に山道が通っていた。ほどなく南端のメタセコイアの所に出た。ここから北60mの間に13本のメタセコイアが植えられていた。そこはちょうど崖下の平坦地になっていた。

 メタセコイアの北端に移動し、幹を測ると周囲2.8mほどで、その隣は2.2m、2.7mだった。ここのメタセコイアは樽床ダムの建設工事の際、植栽された。クロタキ谷のメタセコイアは幹周囲3mを超えている。おそらく生育条件が良いクロタキ谷の方が早く成長したと思われる。

 メタセコイアが並ぶ東側にも擁壁のコンクリートが見える。メタセコイアの南端から南へ山の斜面を進むとコンクリート施設が見えた。上から中を覗くと、空っぽで桝になっている。水を貯めるものでもなく、竪坑の跡だろうか。中は落葉で埋まっていた。

擁壁を支えるコンクリート壁
擁壁路を支える壁が続く
メタセコイアが並ぶ
崖下の平坦地
南側から見たコンクリート桝

 導水管点検道の尾根に戻る。ヒノキ林の尾根を山道がジグザグに登っている。崖上のメタセコイア見晴らし地点に出る。紅葉したメタセコイアが並ぶ。さらに進むと尾根の右側が崖下へ崩れていた。山道は導水管近くまで接する。コンクリート基礎がある地点から先は薮道になる。薮から導水管の東側に出る。下に柴木の里が見える。

 導水管を潜り、西側の階段を登る。上方にトンネル出口の建物が見える。ソヨゴにたくさんの実が成る。途中、導水管を潜り、東側の尾根に出る。サバノ頭から薮ヶ迫山へ続く峯が見える。導水管に出てから40分ほどで向井山三角点。尾根を下り導水管の上に出る。東側に大平山、高鉢山の峯が見える。

 眼下に梶ノ木が見え、高いメタセコイアが確認できる。正教山に雲か掛かる。アキノキリンソウが残っていた。谷を回りトンネル出口に進む。出口の施設に「第1固定台」「bQ伸縮継手」のプレートが付けてある。トンネル出口から尾根に木の階段が続く。ほどなく尾根上にコンクリートのサージタンクが穴を開けている。周辺の木が伐採されていた。日当たりにミヤマシキミの小さいツボミが出ていた。

眼下のメタセコイアを望む
導水管点検道の尾根の右側が崩れている
導水管東側のコンクリート基礎
鍋山を望む

 サージタンクからササ尾根に出る。ユズリハに黒い実が付いていた。ヌタ場は以前からここにある。回りのササや落葉が泥で白くなっている。少し前にイノシシが利用したようだ。ブナの幹が折れていた。ここは西風がまともに通る。837ピークの西付近で、東側に林道が通っていた。南延した林道が通っているようだった。倒木にナラタケ?が出ていた。

 岩尾根に出る。オトコヨウゾメに赤い実が残る。岩尾根を進むと、途中、東側に作業道が見えた。スギの葉が覆う作業道に降りる。尾根に入る登山口に進む。道はここで南延する林道と尾根下を通る作業道に分れる。おそらく、この林道が837ピーク南付近を通っているようだ。尾根道に入る所にあったヌタ場は涸れていた。

 曇り空の林道を進む。トンネルが通る西付近から点々とクマ棚が残る。最早山の東から尾根に入る。ササを分けて10分ほどで目印の大岩に出る。畳ヶ平に進むとクマ棚が目立つ。イノシシがけたたましく鳴きながら、目の前のササを揺らして横切って行った。最早山から20分ほどで向山。ここにはブナの巨木が数本残っていたが伐採された。西南の展望地へ進もうと思ったが、スギとヒノキが高く伸びていた。

ソヨゴ
導水管の東側に出る
薮ヶ迫山とサバノ頭
ヌタ場となったバア堀

 途中から尾根に戻り、東へ折れてバア堀へ向かう。向山から10分ほどでバア堀の南端に出る。水は涸れてイノシシのヌタ場と化していた。水がある時、周囲を廻ってみたみたが、200mほどの小さな池である。時期にはモリアオガエルの卵塊が枝にぶら下がっている。バア堀はワル谷とマツオ谷の間にあったので、この付近で間違いないだろう。この堀の東側にも堀跡があるが、今は涸れている。

 バア堀から5分ほどで林道に出る。20分ほどで林道・作業道分岐。岩尾根東の作業道に入る。ヌタ場があった。尾根の大岩の所で作業道終点。尾根下を進み、岩尾根を回り込んで導水管尾根に出る。途中、小雨がぱらついた。40分ほどでトンネル出口に降りる。

 大平山に低い雲が降りている。長い階段が終わると、ジグザグの山道になる。小雨が降る。眼下の柴木は霞む。ジグザグの途中、モノレールの工事中だった。導水管の西側にモノレールが通っている。電気柵の入口の中央をモノレールが通る。入口に「MB‐600 ニッカリ」と書かれたモノレールが取り付けられていた。人も荷物も運べるものだった。柴木川第一発電所の横にレールが続く。発電所の前の敷地が出発点だった。

アキノキリンソウ
ユズリハ
ミヤマシキミ
ナラタケ?
オトコヨウゾメ

 
地名考

 最早山周辺の三角点の「点の記」の所有者欄に共有が多い。最早山は村人共有の山という意味合いで、モヤイヤマ≠ニ呼ばれていたと思われる。

●点名 向井山(731m 四等三角点)
 所有者 柴木部落共有地

●点名 作見谷(918m 三等三角点)
 所有者 共有地総代(25名)

●点名 犬ヶ谷(915m 四等三角点)
 所有者 共有者代表

●点名 大平山(1014m 四等三角点)
 所有者 松原部落共有地総代

●点名 後山(787m 四等三角点)
 所有者 財団法人松原自治会

●点名 大坊木(1013m 二等三角点)
 所有者 財団法人松原自治会 

●点名 樽床(772m 四等三角点)
 共有管理


 モヤイの由来

 モヤイの初出は、『山家集』、『平家物語』にあり、「むやひ」「もやひ」と表している。
 
 『山家集』(さんかしゅう)平安末期 西行法師の歌集

 『ともぶねはむやひつゝ』
 (友舟どうし舟をつなぎ合わせ)

 『平家物語』(鎌倉時代に成立)

 『千余艘の纜舳綱を組み合はせ中に舫を入れ歩み板を引き渡し渡いたれば舟の上は平々たり』
 (一千余艘の艫綱や舳先の綱を組み合わせ、間にもやいを入れ、歩み板を渡すと、舟の上は真っ平らになった)

 広辞苑のもやい

 @もやい 舫い もやうこと。船と船ををつなぎ合わせること。むやい。太平記(14世紀中ごろ)「流れ淀うたる浪に筏のもやいを押し切られて」

 A催合と書く。二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同。おもやい。部落内の共同作業。また、利益の共同分配。

 舫い繋り(もやいかかり) 船一隻に錨を入れ、この船に他の船をもやい、またその船に他の船をもやい、幾隻も一緒に碇泊すること。

 舫い杭 船をつなぐために河中や河岸に立てた柱。かせ。

 舫い綱 船をつなぐ綱。

 もやう モヤフ 舫うと書く。船と船をつなぎ合せる。杭などに船をつなぐ。むやう。

 もやい 方言

 おもやい 東京・愛知。
 おもやいで・おもやで・おもやん(共同で)神奈川。
 しない 静岡。
 みやい 愛知。
 もえー 神奈川。
 もやい 東京・神奈川・静岡・岐阜・三重・和歌山。
 もーやいこ 愛知。
 もーやーこ 愛知。
 もよー 船と船とをつなぎ合せる 山形。
 もよい 仲間 静岡。
 もより 神奈川。
 (以上「昔の茨城弁集」から)

 モエー 南九州

 今帰仁方言
 ムヤールン(もやい合う)同じ食器から多くの者がとって食べる。
 ムエー 模合・無尽講・頼母子講 ムエイともいう

 首里・那覇方言
 ムエー(模合)・ユレー、ユーレー(寄合) 相互扶助システム(無尽講・頼母子講)

 宮古島方言
 ムヤイ(模合) 相互扶助的な金融組織
 模合墓(1766年)

 与論島 ムエー・ユイケ―・ユイタバー 結い

 久高島 ムエー 頼母子講・頼合・無尽

 徳之島 ムエ 頼母子

 模合の歴史
 古くは琉球王国の尚敬王の時代(1735年 - )、1733年の『球陽』でその記述が見られるが、これは備荒貯蓄のことであり、貧窮者救済の意味があったとされる。無尽講を意味する模合の発祥は詳しくはわかっていないが、18世紀以前から行われていたようである。当時の模合は、貨幣ではなく農産物などの食料品などが模合の対象であった。変わり種としては「労働力の提供」というのもあった(ウィキペディア)。


 『データベースれきはく 民俗語彙』から

 ムヤマ(共山) 共有山林 佐渡 ムヤイヤマの転訛か
 ムヤ 横穴の風葬 共同で使用。 喜界島
 モヤイマトギ 共同の狩り、平等の分配 高知県高岡郡梼(ゆず)原村
 モヤヤマ 共同薪山、共同山作業 熊本県
 モヤウ 共同仕事 東京都南多摩郡恩方村

 ユイの由来

 家々の間で労働力を交換しあって作業を相互に手伝うこと。ユイの発音が変化してイイ、エエ、ヨイあるいはヨイコなどと各地で呼ばれる。沖縄でユイーマールという。

 田植、稲刈りや脱穀など種々の農作業、屋根ふきなどの際にユイが行われた。

 ユイを結ぶ相手の家は、村内在住の親類や近隣の家々と行うのが一般的である。

 平安時代の歌集『堀河院百首』(1105年成立)に

 『残り田はそしろにすきし明日はただゆひもやとはで早苗とりてん』(隆源) とあり、ユイはやとうものとして歌われている。

 ユイとは

 それは本家や手作地主が分家、従属農民に労働力を提供させることを東北地方や北九州でヤトイといったことに通じるものである。かつてはこのように、労働力の提供とそれに対するさまざまな反対給付という形で結ばれた本家末家的ユイが基本であり、それに加えて分家や従属農民が互いに結ぶ小農的ユイが併存していた。

 近世になり後者のみがユイと呼ばれるようになり、本家末家的ユイはヤトイとかスケ、テツダイと呼ばれるようになったものと考えられている(『岩井國臣の世界』より)。

 『雇はれて老なるゆひが田歌かな』 几菫 「井華集」(寛政元年 1789年)。

 「ゆい」の語源は「雇人(ゆひ)」だ。

 広辞苑のゆい

 ゆい 結い
 @結うこと。
 A標(しめ)を結うこと。
 B田植などの時に互いに力を貸し合うこと。また、その人。てまがえ。

 ゆい 方言

 江戸時代からある農作業を助け合う相互援助組織。冠婚葬祭も助け合った。=『いい』『よい』。

 てまっかり・てまっかーり 群馬。
 ゆい 宮城・福島・群馬・神奈川・山梨・静岡。
 ゆいまーる 沖縄。
 (以上「昔の茨城弁集」から)

 今帰仁方言
 ユイ  労働の交換
 ユイセー ユンセー (ゆいし合い)労力の交換をし合うこと。
 ユイマールー 労力交換を順に行うこと。
 メーユイ 稲を束ねること。
 ユールン 結う・縛る
 ユン 寄る

 首里・那覇方言
 ユーユン 結う・縛る
 カラジユーユン 髪を結う
 ユユン 寄る・集まる
 モーユン 踊る・舞う

 沖永良部島
 ユーユン 結う
 ユイムン 寄り木(海岸に漂着した木や物)
 ヨーユン 寄る・集まる・共同する・力を合わせる
 モーユン 回る・回転する

 万葉集のゆひ

 標結 しめゆひ しめゆふ
 印結 しめゆひ
 緘結 しめゆひ
 髪結 かみゆひ
 手結 たゆひ
 足結 あゆひ
 紐結 ひもゆふ

 標結 占有を示す標識として、縄などをむすんで巡らす。また、草などをむすんで目印をつける。

 紐結 霊威ある紐をユフことにより相手の無事を祈り、神の加護や神意を留める。再会を願う呪術。

 髪結 髪は神の宿るものであり、髪をユフことにより神に選ばれたことを示すという


 アイヌ語 ムィエ

 muye ムィエ 束ねる・縛る・結ぶ
 muyepa ムィパ 縛る
 muyehe ムィヘ 束

 i-muye-uras イ・ムィエ・ウラシ
 それを・束ねた・笹の枝葉
 (それで屋根や側壁を葺く)

 kamuy sapa muye カムイ・サパ・ムィエ
 神の・頭を・束ねた
 (ヨモギの茎を束ねた草人形)

 アイヌ語―日本語 音韻対応表
  (『日本語とアイヌ語』片山龍峯)

muye(束ねる・縛る)

moru(盛)
  mahu(舞)
  maku(巻・枕)
  maku-ru(捲)
  magu(曲)
  maku(負)
  megu-ru(廻)
  meku-ru(捲)

muypa(縛る)複数形

muyahu(舫)
  moyahu(舫)
  moyahu(催)
  moyaho-su(催)
  matohu(纏)
  matomu(纏)
  matoha-ru(纏)
  matuha-ru(纏)
 

magahu(紛)

 『蝦夷拾遺』(文政4年・1821年)にアイヌ語ムエがある。

 ムエ 結

 当時のアイヌの発音を聞いて「ムエ」と表したと思われる。
 沖縄など南西諸島では「模合」を「ムエー」と呼ぶところが多い。『蝦夷拾遺』の「ムエ」は「結ぶ」の意であるが、方言「ムエ」とアイヌ語「ムエ」が重なる。

 モヤイの古形はムヤイである。

 ユイとモヤイは共に「むすぶ」の意がある。元々同じ語源なのか。


 「舫」の初見は太平記(14C後)のようだが、「舫」は舟が2艘並んだ状態を表す。舟が並んだ状態を元々「もやい」と呼び、後に「舫」の字を当てた。

 「縄文遺跡から出土した丸木舟2艘をつないで「双胴舟」に仕立て、航海を試みた例は、1999年7月に行われた『縄文丸木舟復元プロジェクト』と2005年7月から8月にかけて行われた『大王のひつぎ実験航海』の2件が確認できた。

 『縄文丸木舟復元プロジェクト』 丸木舟2艘をつないで静岡・下田→伊豆七島・神津島間の渡航を試みるも、ひび割れで中止。

 『大王のひつぎ実験航海』 台船に、阿蘇ピンク石で造った石棺を載せ、復元古代船「海王」で、熊本県宇土市から、海路、畿内まで引いて運ぶ、という試み。大阪南港に到着した」(『レファレンス事例詳細』HP)。

 舟を並べる発想は縄文時代には始まっていたと思われる。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離12.4km
標高差739m

区間沿面距離
柴木駐車場
↓ 1.3km
メタセコイア植栽地
↓ 3.4km
林道
↓ 2.5km
向山
↓ 1.6km
作業道
↓ 3.6km
柴木駐車場
 

大日本帝國陸地測量部 明治32年測図昭和2年修正測図 1:50000地形図 三段峡

川手付近
「芸藩通志」戸河内村絵図 

川手・柴木付近
 
1974年の空中写真 カシミール3D

メタセコイアの西に裸地が見える
南北に擁壁と思われる線が見える
土砂災害警戒区域・土砂災害特別警戒区域 区域図+カシミール3D

川手の西側に擁壁記号が南北に描かれている
  
蝦夷拾遺

ムエ 結 (アイヌ語 muye ムィエ 束ねる・縛る・結ぶ) 左4段目に結

 
柴木川第一発電所
スギ林下の墓所
小屋と石柱
擁壁の上の路 それを支えるコンクリート壁が見える
南側から見たメタセコイア
北側から見たメタセコイア
メタセコイア
崖上から見たメタセコイア
薮ヶ迫山とサバノ頭
大平山
梶ノ木のメタセコイア
サージタンク
バア堀=サルサガ池
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)