7:10 多々羅橋西 気温3度 晴れ
7:20 青松林道入口
8:00 錦橋(大佐川合流)
8:30 大佐川橋
8:45 黒滝橋
9:25 クロタキ谷建物跡
10:00 小谷入口
11:00 向山三角点(746m)
11:20 林道へ出る
11:50 分岐・鎖止め(送電線下)
12:15 青松林道入口
12:25 多々羅橋西
県道11号の多田羅橋西の駐車地を出発。町道下山橋山線に入る。ササの葉に雪が被る。入口に消えかけた奥滝山峡の道標がある。対岸に養豚場が見える。松原川の円礫は藻に覆われている。青松林道の入口を過ぎる。青松たたら跡の谷側に「大きな栗の木」の道標があるが、クリの木は朽ちている。
道の両側に雪の筋が続く、気温3度。岩の間を泡立つ急流が流れる。急流と淵が交互に現れる。キシツツジのピンクの花が寒さに震えていた。松原川取水えん堤に進む。ここから水路記号が北の佐川ダムに通じている。谷は岩崖を通る。見上げると、青空に送電線が通っていた。28番と29番鉄塔の間を松原川が流れる。
右岸に小谷が見える。この谷は向山の水源に入っている。桁跡の石垣がある。川は岩盤の上を通る。石垣の道が続く。松原川の岩の谷を振り返る。右岸が崖の千丈崖を通る。出崎の先端の右岸から谷が落ちている。この谷の水源も向山。大佐川下流が煙っている。錦橋が見える。出発から1時間ほどで錦橋。
大佐川右岸に芸北町の林道中山線の標識がある。錦橋は雪で白くなっていた。大佐川右岸を進むと両岸から岩が迫る。塀の渕と言う。さらに進むと谷は崖の間を通る。前方にトンネルが見える。トンネルの手前の岩山から小谷が落ちている。トンネル付近を通難函(えとうらず)と呼ぶ。岩肌が露わなトンネルを通る。
トンネルの下流は岩が点在する谷で、水流は緩やかで、イカダを流すには難儀な所である。左岸の山に日が射している。ヤマコウバシが葉を残す。暗いヒノキの植林地の中に「向山造林地」の標識がある。高い石垣が見える。大佐川は細い岩の間を白濁して深い渕に落ちる。煙渕と呼ぶ。右岸に向山水源から谷が降りている。
左岸の川と合流。のり面にヤマグルマが葉を出す。前方に小屋が見える。橋げた跡を過ぎると大佐川橋。雪で白くなった橋を左岸へ渡る。以前は少し上流へ橋が架かっていたようだ。橋の下流は円礫が川原を埋める。川に沿って曲流する道を進むと懸崖に入る。両岸が高い崖になる。水流は岩を浸食して通る。崖下は長い渕になる。ここは黒滝長渕と呼ぶ。道標があり、長渕、煙渕、えとうらず、塀の渕、天神岩の五大壮観が記されている。
林道中山線 |
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塀の渕 |
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えとうらず |
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サルトリイバラ |
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向山造林地 |
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煙渕 |
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黒滝長渕からすぐに黒滝橋。町道から高く突き出ているメタセコイアが見える。山腹から出ているスギより大分高い。黒滝橋の左岸端の地点からメタセコイアを撮る。橋の中ほど、右岸よりからも撮った。メタセコイアの地点に進む。黒滝橋左岸の撮影地点からここまで102mほど。
1週間前と比べて、相当に葉が落ちていた。幹周囲は3.2mとかなり大きかった。周辺に幼木が見られなかった。幹の下は短枝で埋まっていた。幹の下から見上げるとほどんど葉が無かった。林道を進む。メタセコイアの葉が落ちている。黒滝橋のメタセコイアから220m付近まで葉が落ちていた。
堰堤を過ぎ、廃屋を過ぎて160mほど進んだ所に見逃していたメタセコイアが立っていた。谷側へ降りると林道の下を水路トンネルが通っていた。かなり大きいメタセコイアだった。周囲3.3mで、黒滝橋のメタセコイアと同樹齢と思われる木だった。根本は短枝で埋まっていた。木の西側に進むと建物の基礎跡があった。ドラム缶が転がっている。見上げるとメタセコイアが輝いていた。建物の基礎跡は石垣の上にあった。スギ林下には廃車があった。
基礎跡があるのは、そこから上流で谷が3つに分れている地点だった。メタセコイアは真ん中の谷の入口に立っていた。
黒滝長渕 |
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ヤマコウバシ |
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黒滝橋のメタセコイアの根本 |
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向い山黒滝事業区 |
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基礎跡地点から林道に戻り、メタセコイア群生地の下流端に進む。そこから谷へ降り、2本の大きいメタセコイアの幹を測った。幹周囲3.2mと3mだった。そこから上流を見ると、親のメタセコイアの子どもたちが並んでいるように見えた。林道に上がると、日が当たるメタセコイアの幹から水蒸気が煙っていた。
メタセコイア群生地からスギ林の小谷に入る。谷をスギの枝が覆う。ノウサギの糞が塊ってあった。水源の谷を登る。境界尾根の手前で、谷が右に折れると湿地のようになる。水源にマムシグサが実を付けていた。境界尾根に出ると山道が通っていた。西方向に鉄塔と雪を被った山が見える。苅尾山のようだった。
火の用心のプレートが落ちている。尾根の分岐に進むと、古い境界石柱が立っていた。山道は向山三角点へ続いていた。谷に入ってから1時間ほどで向山。林越しに雪山が見える。向山から山道を下るとほどなく道は北方向へ分れる。西側のササ薮に入る。しばらくササと灌木の尾根を下ると左側に林道が見えたのでそこへ下る。
林道下の水路 建物跡付近 |
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建物跡のメタセコイア |
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ヤマグルマ |
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ノウサギの糞 |
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マムシグサ |
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中国電力案内板 |
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鎖止めと26番鉄塔への標柱 |
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水源林造成事業 |
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林道を進むと分岐に出る。左の林道を下る。小屋の屋根が残る分岐道に出る。そこから少し進むと分岐道がある。南へ延びる林道は22番鉄塔の手前まで続いている。林道を少し進むと中国電力の案内版がある分岐に出る。育成樹種にスギ、ヒノキ、アカマツとある。
ここは鎖止めがされていて、26番鉄塔への標柱が立つ。青松線を下る。水源林造成事業の看板がある。所在地は橋山字向山となっている。林道を下っていくとクマ棚があった。向山から1時間余りで青松林道入口。朝は気付かなかったが、町道にサルトリイバラの実がたくさん成っていた。
■地名考
黒瀧山、クロタキ谷
『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村の境が記され、「黒瀧山分峯水走り限り」とある。「水走り」は山と山の下り尾根が出あう、いわゆる鞍部のことである。
芸藩通志(1825年=文政八年)戸河内村絵図の橋山村境に、瀧山川右岸の山と山の間に「留」「黒タキ山」「論所」と書かれている。
国土地理院地図画像に、黒滝橋から2kmほどクロタキ谷を入った所に「黒滝」と表示されている。周辺に田んぼ記号があり、建物がある。
カシミール3D空中写真1974年には、黒滝付近に、建物と開地が見られる。
明治32年測量図昭和7年修正 5万分の1(大日本帝国陸地測量部)には黒瀧付近のクロタキ谷両岸に建物が見える。
向山三角点(747m峯)の点の記に「黒瀧越小径」と書かれている。北側の青松林道から山道を進み、当時の雄鹿原村境界尾根に達した地点を「黒瀧越小径」と呼び、南のクロタキ谷に「黒滝」集落がある。
向山三角点(747m峯)「点の記」に書かれている、三角点に至る道程は、方角に疑問があるが、「黒瀧越小径より東北方約600m小径を登ると本点に達す」とあるので、黒瀧越は向山の南の境界付近と思われる。
向山黒滝三角点(853m)の山は、南面に大きい崖がある。黒滝橋上流に「黒滝長渕」があり、その上流が大きい崖になっている。向山黒滝三角点の山周辺に残る「黒滝」地名がいくつかある。
クロタキ谷の「黒滝」集落
大佐川の黒滝橋
奥滝山峡の黒滝長渕
186号線の黒滝洞門
滝山川の黒滝水位観測所
向山三角点(853m)の所在地「字向山黒滝」
「タキは岩壁、懸崖の意で、山頂の岩壁、山の中腹にある岩壁、渓谷の側壁、すべてタキと呼んでおり、水が落下している滝とは無関係な語意である」
「タキは昔からこの地方で使われている。『防長地下上伸』宇佐村絵図(1750年)を見ると、寂地川水源にあたる土瀧山の中腹に岸壁の絵が書いてあり、『みやうぜんの横タキ』とある。この絵図は藩の絵図方役人が地下の庄屋の案内で実地検分して画いたものであるが、山の中腹の尾根上にあって水の流れていないこの岩壁に滝(タキ)や嶽の字を当てることができず困惑して片仮名書きにしたものと推察される。筆者も困って本書では懸崖(タキ)を用いている」(『西中国山地』桑原良敏)。
メタセコイアについて
広島大学のメタセコイア
●昭和27〜28年(1952〜53)広大のメタセコイア(樹齢69年)
「戦後に県内にもたらされた。広島市中区東千田町の旧広島大学キャンパスの並木は昭和27〜28年ころに植栽されたもので,県内への導入としてはごく初期のものである。」(『広島県植物誌』)。
メタセコイアの樹高、幹周囲、樹齢
●マキノ高原(滋賀県)
昭和56年(1981年)樹高25m(2018年の記載)
樹齢37年
●埼玉県立自然の博物館(平成26年調査)(2014年)
昭和29年(1954年)植栽の4本
28.8m 31.9m 28.9m 28m(樹齢60年)
(26m 25m 23m 23m(10年前の調査・樹齢50年)
●メタセコイアの移植(株式会社サンコー緑化・北海道)
樹高13m 幹周2.07m 樹齢60年(推定)
●久伊豆神社(埼玉県)のメタセコイア(2018年記載)
昭和37年(1962年)植栽
樹齢56年 幹周4.38m 樹高29m
クロタキ谷周辺のメタセコイア
●松原小学校小板分校
平成20年に廃校になったが、跡地に植栽された大きなメタセコイアが残っている。
松原小学校小板分校のメタセコイア |
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●梶ノ木に2本のメタセコイア
梶ノ木の1本はかなり大きいメタセコイア、植栽ではないだろう。
梶ノ木上側のメタセコイア |
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梶ノ木下側のメタセコイア |
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●川手(板ヶ谷川右岸)
191号線から15、6本の紅葉したメタセコイアが見える。樽床ダムの工事の際、植栽されたものだと言う。その北側の民家裏に1本の小さいメタセコイアが幹を伸ばしている。植栽された地点から種子が運ばれたのかもしれない。
樽床ダムは昭和32年(1957年)に完成している。ダム完成までに植栽されていれば、樹齢は64年以上になる。千田町の広島大学のメタセコイアについで古いものであると思われる。
板ヶ谷川右岸川手のメタセコイア |
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板ヶ谷川右岸川手民家のメタセコイア |
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クロタキ谷のメタセコイア
●黒滝橋右岸のメタセコイア
樹高約30m 幹周3.2m
●クロタキ谷建物跡のメタセコイア
幹周3.3m
●クロタキ谷群生地端のメタセコイア
幹周3.2m 3mの2本
メタセコイアの樹高、幹周、樹齢の関係については精確な情報がない。埼玉県立自然の博物館と株式会社サンコー緑化の資料が参考になる。
生育環境によって成長の度合は違うが、およそ樹高は60年ほどで30m、幹周は60年で2mになる。黒滝橋右岸のメタセコイアは樹高約30m、幹周3.2mで、おそらく60年以上は経過しているのではないか。クロタキ谷建物跡のメタセコイア、クロタキ谷メタセコイア群生地端のメタセコイアも同様である。
クロタキ谷のメタセコイアについては植栽されたのかどうか分からない。メタセコイアの種子は風に乗って数キロ飛ぶと言う。可能性としては、このあたりでは最も古いメタセコイアである川手の種子が飛んできて樹林を形成したのかもしれない。梶ノ木のメタセコイアは植栽とは思われない。川手の種子が飛んできたのではないか。川手から梶ノ木まで1.3km、川手からクロタキ谷メタセコイア群生地まで10kmほどである。
カシミール3Dデータ
総沿面距離11.5km
標高差314m
区間沿面距離
多々羅橋西
↓ 4.9km
黒滝橋
↓ 1.9km
メタセコイア群生地
↓ 1.0km
向山
↓ 3.7km
多々羅橋西
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