山歩き

駄荷…日の平山…立岩山…境谷
2021/11/15

駄荷…日の平山…坂原分岐…実乗観音…立岩山…境谷…大休ミの丘…立岩ダム…県道296号線…駄荷

■日の平山(ヒノヒラヤマ)1091.3m:広島県廿日市市吉和字下山広瀬(点の記)
■立岩山(タテイワヤマ)1134.9m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字立岩山(点の記 点名:観音) 安芸太田町

吉和川左岸
駄荷集落へ入る
女鹿平山
タニノ谷右岸の山
駄荷林道入口の墓所
右谷へ渡る橋の鎖止め
右 五本桂線分岐
駄荷林道
伐採中の西側の林道
西側に作業道
駄荷林道終点
境界尾根を進む
ブナのクマ棚
日の平山
坂原分岐
登山道を進む
岩尾根に変わる
立岩観音=実乗観音
立岩観音の異質な円礫
日の平山
立岩山
立岩貯水池と十方山
市間山
登山道
カエデ
倒木ブナ
大きいブナとカエデ
降下地点のブナ林
スギ林を下る
ゴーロ帯
炭焼跡
ワサビ田跡の石積
石積が下流へ続く
境界尾根を下る
境谷水源の左谷入口=ワサビ田跡の谷
水源の谷合流点
境谷右岸の山道
大休ミの丘水源
11番標柱からダム降り口へ
ジグザグ道をダムへ下る
ダム湖右岸の山道に下りる
ダムからナガオノオカ
立岩貯水池
ダムの右岸
押ヶ垰集落
女鹿平山
観音地蔵付近から見た立岩山
ニノワラのリュウズ
小松原橋のトチノキ
吉和川左岸
駄荷集落
6:45 駄荷 気温3度 晴れ

7:00 駄荷林道入口
8:00 林道終点
8:35 日の平山
8:50 坂原分岐
9:25 実乗観音
9:35 立岩山
10:15 尾根より境谷へ
11:20 ワサビ田入口(右岸に山道)
12:15 大休ミの丘
12:35 立岩ダム
13:00 大谷川入口
13:15 バアガ谷入口
13:30 ニノワラ谷入口
13:55 十方山登山口
14:05 小松原橋
14:15 立野キャンプ場入口
14:50 駄荷

 駄荷の集会所を出発、駄荷集落の山々に日が当たり始める。吉和川の左岸は濃い紅葉に覆われている。山腹を霧が流れる。駄荷バス停前から集落の車道に入る。庭に白いツツジが咲いている。駄荷集落は紅葉の山に囲まれている。田んぼにイノシシが掘り返した跡が続く。

 女鹿平山と大井原山の間に城山(立野南)が大きく見える。ダニノ谷の先に日の平山の尾根が見える。集落を過ぎると墓所がある。その先から駄荷林道起点、林道駄荷線の標識がある。ヤマグワの葉が寒さで垂れ下がている。

 地籍調査と書かれたピンクのテープが付けられた枝が地面や谷に突き刺してある。ダニノ谷左岸の林道を進む。鎖止めのある橋を渡り、ダニノ谷右谷を進む。ここから谷は深くなる。イタヤカエデの黄葉。西へ分岐する林道はダニノ谷左谷を上がり、大井原山へ登っている。
駄荷林道入口の標識
ヤマグワ
地籍調査
イタヤカエデ 葉柄が長い

 右谷を進む。五本桂線の分岐に出る。分岐に重機が置かれている。長く設置されていた箱罠が撤去されていた。伐採作業中の看板が立てられている。分岐まで進むと、西に入る林道は伐採された倒木で埋まっていた。西側が伐採作業中のようだった。日の平山南西の尾根に出ようと思っていたが、東の林道へ進み南東の尾根に出ることにした。

 林道を南へ進み、Uターンして北へ進む。作業道が西側に入っている。伐採の為の作業道のようだ。駄荷林道入口から1時間ほどで論田の頭の北の林道終点。ササ原に入り、吉和と筒賀の境界尾根に出る。ササの尾根を進む。ミヤマシキミの真っ赤な実。ブナにクマ棚がある。幹に新しい爪痕があった。

 黄葉したブナの葉が残る。林道終点から30分ほどで日の平山。遠くの山は霧で曇り空のよう。山頂にマムシグサが赤い実を付けていた。ツルアジサイのドライフラワー。オトコヨウゾメの赤い実が残る。15分ほどで坂原分岐、ここの道標は2009年の設置。見上げると青空が見える。イイギリの赤い実が落ちている。

五本桂線標柱
ミヤマシキミ
ブナの爪痕
ブナ

 落葉の登山道を進む。棘の幹の下にハリギリの緑の葉。カエデが日に輝く。後ろに日の平山、前方に立岩山が見える。岩尾根に変わる。倒木を回ると立岩観音。立岩観音の下は角礫が覆うが、その中に異質な円礫が点在する。

 立岩観音の後ろへ回り、崖を登って展望地に出る。霞んでいるが、眼下に立岩貯水池が見える。十方山は雲が降りている。日の平山が見える。日の平山から1時間ほどで立岩山。市間山に日が射しているが霞んでいる。正面の十方山は暗い雲が降りている。

 眼下に押ヶ垰集落が見える。南方向に鷹ノ巣山、灰郷スマモ山が見える。アセビに赤い花芽が出る。ヤマグルマの実。タカノツメの黄葉。スギ林を抜けてキハダ群生地のピークに出る。ピークから急坂を下る。コシアブラの黄葉。カエデが鮮やかに輝く。

霞む押ヶ垰集落
マムシグサ 日の平山
オトコヨウゾメ
ハリギリ

 ブナの倒木を過ぎると大きいブナが立つ、その横にカエデが花を添える。ブナが林立する水走り付近から境谷水源のスギ林を下る。モミジガサが多い。右の小谷と合流、ゴーロを下る。次の小谷と合流した所に炭焼跡があった。谷をちょろちょろ水が流れている。

 炭焼跡から少し下った所にワサビ田跡の石積みがあった。ワサビの葉が残っていた。谷に石積が続く。次の谷の合流点の左谷にも石積みが続いていた。右岸に山道があった。この山道は右岸の山の上へ登っていた。山道から境界尾根を下り、境谷水源左谷のワサビ田入口の谷へ出る。ツルリンドウに赤い実。

 ワサビ田入口から大休ミの丘へ通じる山道が谷の右岸にあるが、踏み跡は消えかけている。途中から山道が明瞭になってくる。コナラにクマ棚があった。ヒサカキの黒い実。30分ほどで尾根道と合流。ミヤマシキミの小さい花芽、オトコヨウゾメの赤い実。大休ミの丘の水源に出る。スギ林の中の11番標柱に進むとダム降り口への山道がある。

11番標柱
イイギリ
アセビ
ヤマグルマ

 急坂の山道を下る。ダムに向かって紅葉が下りる。10分ほどでダム湖右岸の山道に下りる。立岩ダム右岸から下流山腹にモノレールが入り、工事中だった。モノレールは地形図の導水管記号に沿って入っているように見えた。ダムからナガオノオカを見ると紅葉に染まっている。湖面は静かに靄っていた。

 ダム下流両岸の山は紅葉に照らされる。スギ林の下のケルンコルに押ヶ垰集落が見える。県道を進む。ダムの上流に女鹿平山が見える。キクバヤマボクチ、フユイチゴ、ノイバラの赤い実、カキの実が成っていた。日当たりにオトコエシ、チャノキ、ヨモギの白い虫こぶ、アキノキリンソウ、ガマズミの実。

 立岩観音を見上げる位置にある観音地蔵は枝が覆っている。立岩山は紅葉に染まる。アキチョウジ、サルトリイバラ、ムラサキシキブ、コマユミ。ニノワラ谷に三段滝が見える。ニイハタ谷から谷が滑り落ちる。トチノキの巨木がある小松原橋を渡る。吉和川左岸の紅葉が鮮やか。スギ林に入ると、道沿いにセリバオウレンが多い。江戸期、吉和の特産物だったなごりか。立野キャンプ場を過ぎ、ダムから2時間半ほどで駄荷、集落の山は紅葉に覆われていた。

コシアブラ
タカノツメ
モミジガサ
ワサビ
ツルリンドウ
ヒサカキ
ソヨゴ
オトコヨウゾメ
キクバヤマボクチ
ノイバラ
オトコエシ
チャノキ
フユイチゴ
ヨモギの虫こぶ
アキノキリンソウ
ヨモギ
ガマズミ
アキチョウジ
サルトリイバラ
コマユミ
ムラサキシキブ
セリバオウレン
観音地蔵


地名考

 三の氏山 実乗之観音

 「『芸藩通志』(1825年)の山県郡内古蹟名勝の項を見ると

 石窟 上筒賀村、立岩山上にあり、中に実乗観音あり

と記されている。この記述から

…『山頂に実乗観音をまつってある石窟のある山が立岩山という名の山である』と読み取れる

…『実乗』は読み方はわからないが地名ではないかと思われる。

…吉和村側の村人にもこの峯に観音のあることはよく知られており、『ミノジの観音』と呼ばれている。『ミヨウジ』とか『ミヨジ』と言う人もある。『ミノジ』とは何であろう。

…吉和村三浦一之介家所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)には、この1135m峯付近の山に『三の氏山』という山名が付されている。『ミノジ』は『ミノウジ』が転訛したものと思われる。

 ミノウジ観音 ミノジ観音 実乗観音と変化してきたもので実乗は当て字ではなかろうか」(「西中国山地」桑原良敏)。


 『書出帳』の立岩山

 『上筒賀村国郡志御用につき下調べ書出帳』(文政2年=1819年)の名勝の項に立岩山がある。

 「立岩山

 頂上に実乗之観音と申巌崖御座候、古者隣村近郷者不及申ニ石州辺ゟも参詣之人群衆をなし申由伝候、今ニ石州辺海浜之小石此所ニ御座候、此観音之前ニくぐり岩と申岩御座候、其前ニ又鞍かけ杉と申古木御座候、中興巳来参詣之人無御座候、右由来縁記無御座申伝而巳ニ御座候、観音者今ニ御座候、既ニ松落葉集ニ載申候」(『上筒賀村書出帳』)。

  「立岩山へは、筒賀村坂原よりタテイワ谷の右谷へ入り、山頂の観音に至る参道があって多くの村人が登っていたという。…この径は主稜鞍部より立岩貯水池側のタケノオク谷を降り、水没した二の原の集落へ通じていて、筒賀村と吉和村を結ぶ主要道で村人によく利用され、吉和側の村人もこの径を登って観音に参拝していたという」(「西中国山地」)。

 立岩山には坂原、吉和の多くの村人が参拝していたが、「書出帳」によれば、「古」には石州からも参詣人が群衆をなしていたという。当時は観音の前に「くぐり岩」「鞍かけ杉」があったようだ。

 「石州辺海浜之小石此所ニ御座候」とあるので、立岩観音の下にある丸石がその小石かもしれない。文政2年からみて古とは、石見に支配が及んだ毛利氏の時代のことなのだろうか。


 三野地日の平山 箕ノ地山 みのぢ山

 「ミノジ」は『吉和村誌』に載る古文書に以下のように記されている箇所がある。

 「三野地日の平山」(山林区分=野山 『御建山・野山・腰林帖』 1725年)

 「箕ノ地山」(山林区分=野山 『下調べ書出帳』 1819年)

 「水源みのぢ山ゟ流出下組駄荷ニ而大川江入ル」(『下調べ書出帳』)


 『下調べ書出帳』に「水源みのぢ山より流出、下組駄荷に出、大川へ入る」とある。駄荷へ流れ出る谷はダニノ谷であり、水源は日の平山である。

 「みのぢ山」「箕ノ地山」「三野地日の平山」と記されているの「ミノジ」は日の平山周辺の地名である。

 立岩山の観音を「実乗(ミノジ)の観音」と呼び、立岩山は三の氏山とも呼ばれていたことから、「ミノジ」の地名は、日の平山から立岩山に掛けての地名を表していると思われる。


 山林区分 野山(のざん)

 「三野地日の平山」は、山林区分が野山(のざん)で、管理収益の主体が村にある山である。『下調べ書出帳』などの古文書では、立岩山、市間山も野山(のざん)である。「ミノジ」は三つの野山が並ぶ意と解される。市間山の東にノジイ谷があり、入口に野地氏の墓がある。

 「三野地」は「三つの野山の地」と考えられる。

 「三野地日の平山」は、「三野地の日の平山」ではないか。立岩山は「三野地の立岩山」と呼んでいたのではないか。そのため立岩山は「三の氏山」とも呼ばれた。


 吉和村、上筒賀村、戸河内村の境
 
 美濃国(岐阜)は、7世紀木簡に「三野国」とあることから、三つに野に由来があるとされる。石見の美濃は、『石見外記』に「美濃ハ三野ナルベシ」とある。

 日の平山から市間山へ延びる尾根は、吉和村、上筒賀村、戸河内村の三つの村の境界になっていることから、「三野地」は「三つの村の境のある野山の地」とも解される。


 『手鑑帳』の村境

 正徳5年(1715年)の『手鑑帳』に、上筒賀村境、下吉和村境について次のように記されている。

 「上筒賀村境…清水山弥兵衛分迄峯水走り限り…
 佐伯郡下吉和村の内下山分境、清水山弥兵分、うへは尾したは境目谷限り大川迄、それより向へ渡り押ケ垰分かや野尾続き切石の尾迄…」

 清水山は市間山の西面、水走りは市間山南尾根の1071ピーク付近のことである。「水走り」は山と山の尾根が出あう鞍部のことである(『戸河内町史』)。

 『手鑑帳』にある「水走り」について、それぞれの村境の表現は次のようになっている。

 中筒賀村境 峯水走り限り

 上筒賀村境 峯水走り限り

 吉和村下山分境 おそらかん山大峯尾続き水走り限り

 疋見村境 おそらかん山の内大峯尾水走り限り

 下道川村境 大峯尾水走り限り

 上道川村境 大峯尾水走り限り

 八幡村境 三つ子岩懸り木峯水走り限り

 橋山村境 峯水走り限り

 戸谷村境 峯尾水走り限り


 峯の走り 水走り

 山の峯が下の方へ延びているのを、青森県の方言で は「走り」 という。

 岩手山の焼走り(ヤケバシリ)は、熔岩流が山の斜面を流下するのを見た当時の人々が「焼走り」と呼んだことに由来すると言われているが、むしろ溶岩流の走り根を表す呼び名でないか。岩手山の北に「車之走峠」があるが、これも山の走り根のことであろう。


 書紀(720年)雄略六年二月・歌謡に、「挙暮利矩能(こもりくの) 播都制能野磨播(はつせのやまは) 伊底柁智能(いでたちの) 与慮斯企野磨(よろしきやま) 和斯里底能(わしりでの) 与盧斯企夜磨能(よろしきやまの)」がある。

 この歌は奈良の三輪山、巻向山を詠ったと言われている。

 「いでたちの よろしきやま」 は垂直方向の姿・形が良いこと、「わしりでの よろしきやま」の「わしりで」は「走り出」のことで、山の尾根が水平方向に勢いがあることを表す。

 万葉集(3331番)に「忍坂の山は走出のよろしき山」は
、「山の地勢が走り出て来たように低く横に突き出ている状態」を表す。

 万葉集(210番)に「走出の堤」(はしりでのつつみ)があり、「突き出た堤」と解釈されている。

 「わしりでの山」、「走出の山」はそれぞれ山を形容している。

 市間山の南尾根の「水走り」は、「峯走り」を意味し、尾根が南へ延びている様子を表していると思われる。

 
 ワシ・ワシリ方言

 ワシ 崖の上の雪が滑り飛ぶこと(東北地方)

 ワシ 上層新雪の雪崩(秋田県仙北郡)

 ワシリ 波の荒い海岸の道(佐渡島)。もともとは『走り』の意味と思われる。『走る』は古くは『わしる』とも言った(『昔の茨城弁集』)

 ワシ・ワスの用例

 「十有二月(しはす)」 (日本書紀)

 「十二月尓者(しはすには)」(万葉集)

 「東西に急ぎ、南北にわしる」(徒然草)

 「十二月(シハス) 師の馳せる有」(色葉字類抄・平安末期)


 アイヌ語地名 メノコパシリ

 アイヌ語地名にメノコパシリがある。北海道古宇郡照岸にある地名である。

 menoko-pasiri メノコ・パシリ 婦女・走る所 
 (永田方正『北海道蝦夷語地名解』)

 アイヌ語地名 ワシル

 「ホンツコタン 山を越て道あり 絶壁の下を通る處有ワシルと云波高之節ハ往来不成」(『蝦夷恵曽谷日誌』・1870年米沢藩)

 yuk-pas-pi-nay
 kim-o-pas キモパシ 山へ走る


 アイヌ語日本語音韻対応

 pas(走る) hasu(馳)はせる
 haseru(馳・走)走る
 hasiru(走)はせると同源
  (『日本語とアイヌ語』片山龍峯) 

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カシミール3Dデータ

総沿面距離18.3km
標高差635m

区間沿面距離
駄荷
↓ 5.1km
日の平山
↓ 1.6km
立岩山
↓ 4.2km
立岩ダム
↓ 7.4km
駄荷 
 

『芸藩通志』上筒賀村絵図(1825年・文政8年)

立岩山、立岩観音、市間山の地名
 
『芸藩通志』吉和村絵図(1825年・文政8年)
 
立岩、大畠、二ノ原、一ノ原、立野の地名
 
大日本帝國陸地測量部 明治32年測図昭和2年修正測図 1:50000地形図 三段峡

立岩ダム付近で車道が右岸を通る
押ヶ垰、清水、立岩、三ノ原、下山、一ノ原、廣瀬、瀬戸滝、立野、駄荷の地名
三ノ原に文の地図記号
   
ダニノ谷右岸
日の平山南のブナ
立岩観音
立岩観音下の角礫と異質な円礫

「石州辺海浜之小石此所ニ御座候」(「書出帳」)とある
十方山と立岩貯水池
市間山
2.9mブナとカエデ
尾根のカエデ
ブナ林から降下
ワサビ田跡に出る
大休ミの丘
立岩ダム右岸
立岩山
吉和川左岸
駄荷集落
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)