山歩き

三段峡…横川…古屋敷…内黒峠
2020/11/29

柴木…葭ヶ原…横川出合…古屋敷…内黒峠…内黒山…薮ヶ迫山…柴木

■内黒山(ウチグロヤマ)1082m:広島縣山縣郡戸河内町字柴木(三角点なし) (安芸太田町)
■薮ヶ迫山(ヤブガサコヤマ)1050m:広島県山県郡安芸太田町大字柴木字宮里山(点の記)

雲が下りる柴木
三段峡方向
柴木川発電所
長淵橋
姉妹滝
龍ノ口
左岸の山腹にモノレールが入る
赤滝
皆実高校遭難碑
石樋と煙る天狗岩
石樋観音
塔岩
天狗岩
黒渕渡船場入口
黒渕
黒渕荘
黒渕荘
仏岩
蛇杉橋
南峰橋
大淵
耶源
ミズナシ川
葭ヶ原
柴木川
猿飛渡船場分岐
猿飛の小舟
横川出合
幸橋
モリガ谷左岸の社
弥五郎碑
山から下りる導水管
魚切滝
古屋敷橋手前から旧道に入る
旧道の丸太が取り除かれた
ワタン谷右岸の石垣
ワタン谷の丸太橋
ぬかるみの丸太
石垣の旧道
展望地から見た中山
旧道崩壊地点
アサ谷水源の丸太橋
オオ谷水源の丸太橋
展望所から砥石川山、聖山を望む
花が散乱する加藤武三碑 内黒峠
内黒峠の登山道と作業道
内黒山への道標
分岐の倒れた道標と薮ヶ迫山への道
薮ヶ迫山三角点
深入山を望む
向山
宮里山標識
ヒノキ林を下る
内黒山登山口
6:55 柴木駐車場 気温5度 曇り
 

7:50 黒渕
8:55 葭ヶ原
9:20 猿飛
9:30 横川出合
10:20 古屋敷
11:30 展望所 
11:40 内黒峠
12:00 内黒山
12:10 薮ヶ迫山
13:35 登山口
13:55 柴木
  
 柴木の里山に雲が下りる。三段峡側もガスが漂う。車道から左岸に入るとハチの巣箱が置いてある。アキノキリンソウが残る。発電所の横から谷を見ると数羽のカワガラスが川の岩の上に居た。暗いスギ林を通り長淵橋に進む。

 まだ薄暗い遊歩道を通る。姉妹滝の水量は少ないが、龍ノ口は白く泡立っている。龍ノ口の山腹にモノレールが通っていた。遊歩道に資材が積まれモノレールで山腹に運んでいる。兜石が見える地点に進むと、ようやく雲煙が上がり始め、五立が見えてくる。

 赤滝を過ぎ庄兵衛岩の下のトンネルを抜けると皆実高校遭難碑。石樋の遊歩道にムラサキシキブの実が残る。石樋から見える天狗岩には雲が掛かる。眼下に石樋観音を見る。

カワガラス
アキノキリンソウ
ムラサキシキブ
蓬莱岩

 ぐるの瀬の上に出ると天狗岩の煙は薄くなっている。見上げると塔岩が立つ。右岸の岩の間に二谷の水流が見える。足元にフユイチゴが実を付ける。天狗岩の下の蓬莱岩は天狗岩から落下したものでなく、谷の根付き岩であるという。

 天狗岩の山腹が剝がれ白い山肌の下に岩が落下していた。天狗岩の下の谷は黒渕へ延びるのが見える。黒渕渡船場から坂を上がる。眼下に黒渕荘を見る。向山の山腹は雲煙が残る。

 仏岩を見ながら雌滝、雄滝を回る。蔵座林道終点から南へ下りる尾根に日が差し煙が舞い上がる。フユイチゴが多い。蛇杉橋へ進む。ヒヨドリジョウゴに実が生る。雲の切れ目から日が差す。右岸にムラサキシキブの実が残る。

ヒヨドリジョウゴ
日が差す葭ヶ原のピーク

 南峰橋を渡り大淵で一休み。トンネルを抜け尾根の先端の王城の岩壁を回る。右岸に耶源の岩壁が立つ。谷は浅くなりツルヨシが生える。葭ヶ原の山に日が差す。足元が枝や落ち葉で埋もれている。

 山側が崩れ、イノシシが掘り返した跡もある。ミズナシ川の駐車場は空だった。ショベルカーが見える。街灯が点いていた。天気雨になった。葭ヶ原の閉じた小屋の横のトイレも灯が点いていた。

 ツルヨシが覆う柴木川を渡る。風致保安林の標識がある。二段滝まで1.1kmの道標がある。三段滝の分岐を過ぎると楓林館跡。五郎堰を回り巨岩の下を通る。サワグルミの大木を過ぎると川床に小屋が見える。猿飛から坂を上がる。

楓林館跡
サワグルミの大木
コウゾリナ
三段峡漁協の標識

 猿飛眼下に三艘の小舟が見える。二段滝を過ぎ鵜の子の木橋を渡ると横川の赤い橋が見えてくる。橋へ上がる階段の下に文部省の古い石柱がある。ツルウメモドキがたくさんの実を付ける。ツキノワグマ生息地の標識がある。三段峡漁協の標識には釣り期8月31日までとなっている。

 車道を進む。枝に茶色の葉が残っていたのでヤマコウバシかと思ったが、近づいてみるとイヌブナだった。幸橋を渡る。右岸の山腹は茶色になっている。モリガ谷左岸に社の建物が見える。弥五郎碑は昭和59年の設置。

 アサ谷から細い谷が落ちる。右岸の山から管が下りて横川川へ続いていた。横川橋上の大規模林道に出る。アキノキリンソウが咲く。タヌキの溜糞がある。魚切滝が落ちる。横川水位・雨量観測所を過ぎる。

津島弥五郎の碑
水位・雨量観測所
クマ糞
クマ糞
ヌルデの虫こぶ
ノリウツギ

 横川出合から50分ほどで古屋敷橋。橋の手前から旧道に入る。以前、入口は薮だったが刈られている。旧道を塞いでいた丸太も取り除かれていた。今月、恐羅漢トレイルのコースであったため旧道が整備されたようだ。右岸に石垣が見える。

 ワタン谷に丸太橋が新設された。ぬかるみに丸太が敷かれていた。所々、高い石垣がある。イヨキリ谷を渡った先にクマ糞があった。枝に茶色の葉が残るのはイヌブナ。Fields Outdoor Sports Creation の旗が枝に付いていた。

 送電線の下の小山が伐採され展望地になっていた。中山の向こうは雲が下りて見えない。恐羅漢公園線の鉄塔から送電線が頭上を通り、下の大規模林道手前の鉄塔へ延びている。展望地の先で旧道が崩落していた。

恐羅漢トレイルコースの旗
クマシデ
ソヨゴ
ミズナラのクマ棚
ミズナラの爪痕
ウリハダカエデの落ち葉が多くなる

 使用されていないコンクリート電柱が立っている。アサ谷水源の石垣が組まれた谷に丸太橋が架けてある。そこから少し先でクマ糞があった。茶色になったウリハダカエデの落ち葉が多くなる。オオ谷へ下りる分岐道はササ薮になっている。

 大谷水源の法面の手前に丸太橋が渡してある。展望所の北面にミズナラのクマ棚があった。ヌルデの虫こぶが落ちている。展望所で一休み。砥石川山、聖山に雲が下りる。ノリウツギの装飾花、茶色になったクマシデの穂が残り、ツルウメモドキが実を付ける。

 5分ほどで内黒峠、加藤武三の碑へ寄る。カラスの仕業だろう、碑の前に花が散乱し、花立からすべて花が抜き取られていた。花を花立に戻す。内黒山登山道の右に作業道が入っている。

加藤武三碑の由来
ツルアリドウシ
フユイチゴ
クリの木のクマ棚
分岐の道標
薮ヶ迫山 雨量観測局

 明るいブナ林を登る。ミズナラのクマ棚が続く。南側に作業道が入っている。内黒山手前にクマ糞があった。スギ林を進む。古いクマ糞がある。時々林に日が差す。分岐の道標は倒れていた。薮ヶ迫山(宮里山)が明るくなっていたので寄ってみた。

 山頂の雨量観測局周辺は伐採されていたが展望はない。南側の展望岩へ下りてみたが、ヒノキが伸び展望は無かった。登山道を進むとクリの木のクマ棚が続く。林の間から向山、深入山が見える。

 尾根道から南側へ下る分岐のクリにもクマ棚、爪痕があった。宮里山事業地の標識がある。ヒノキ林を下る。植林地の中にクリのイガが落ちている。下って行くと柴木川発電所から上がる導水管が見えてくる。

 ソヨゴに赤い実がたくさん生る。ツボミと赤い実のミヤマシキミ。植林地を下る。ユズリハが多くなる。ツルアリドウシの赤い実がところどころにある。内黒山から1時間半ほどで登山口、車道の法面にフユイチゴの赤い実がたくさん生っていた。15分ほどで駐車場に帰着。

クリの木の爪痕
クリの木のクマ棚
 
 
 
ツルウメモドキ
イヌブナ
ユズリハ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ


■地名考

 「キビレ」「クビレ」地名

 「内黒峠は十方山から北へ丸子頭、彦八の頭、内黒山へと続く長い尾根の最低鞍部を越える九九〇メートル標高の峠である。この峠越えの道は戸河内より横川、田代、中之甲など奥山の山里へ通じる唯一の道であり、ふるい歴史を持った峠といえる。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)によると<オオクビレ>という峠名が付けられている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 「<クビレ・キビレ>もこの地域特有な方言で、尾根の鞍部の意である。古くから使われており、『防長地下上申』宇佐郷村の境目書にも出てくるし、『戸河内森原家手鑑帳』(1713年・正徳5年)の他村境覚書の項にもある。内黒峠は<大くびれ>と呼ばれていた。

 現在も戸河内町横川で使われており周辺に<夏焼のキビレ>、<ボーギのキビレ>、<カマのキビレ>の呼称がある。ここでは

 クビレ→キビレ 

と訛っているが、広島県西部、島根県西部地方では、結ぶことをくびる→きびるという転訛の事例があるように、ク→キと訛っている場合が多い

 <ボーギのキビレ>は、榜木の立ててある鞍部の意であるが、この鞍部には必ず径が通じていたので、国境の峠の別称と理解してよい」(「西中国山地」)。


 西中国山地では他に、アカゴウキビレ、オオキビレ、カザゴヤキビレ、ケンノジキビレ、ジャノクラキビレ、ジョシのキビレ、バーのキビレ、十文字キビレなどがあり、クビレは、ホンゾウのクビレ、七人小屋のクビレ、三ノ谷クビレなどの地名がある。


 関東の奥多摩町の奥の奥秩父連峰にクビレ地名が多い。

 鞘口ノクビレ、大クビレ、大京谷クビレ、梯子坂ノクビレ、巳ノ戸ノ大クビレ、クタシノクビレ(秩父市)などがあり、いずれも山の鞍部の地名である。

 秋田県湯沢市に大クビレがある。

 上クビレ沢(カミクビレサワ)は山形県西川町にある。

 クビレ地名は西中国山地だけではないようだ。


 峠データベースに久比里坂(クビリサカ)がある。横須賀三浦半島の端にある峠名である。クビリサカは古い地名のようだ。

 「◯小名 …△久比里村南の惣名なり、元祿の改には西浦賀村之内久比里村と載す、相傳ふ鎭守若宮社に納むる石より地名起れり」(「新編相模国風土記稿」1841年)。

 鹿児島市に喜入の地名がある。

 「喜入」(キイレ)の名は、1414年島津久豊がこの地で上げた戦勝を祝して給黎を「喜入」と改めたのが最初です(鹿児島市喜入町HP)。

 給黎郡は『和名抄』によると、「岐比礼」と読み「給黎郷」の一郡一郷だった。給黎郡創設は646年とあります。

 『きひれ 給黎(薩郡)岐比礼《キヒレ》 給《キフ》ヲ「キヒ」ニ用ヒタリ』(「地名字音転用例」本居宣長)とあり、喜入は元々、「キヒレ」と呼んだようだ。

 喜入町は、鹿児島市の南に位置し、錦江湾沿いに南北16km、東西6.2kmと長細い地形を成しています。また16kmに及ぶ長い海岸線は、沖合い1.5kmまで遠浅となっています(喜入町HP)。


 「クビリ」は沖縄では坂の意である。

 イシクビリ 石のある坂(首里・那覇方言)

 ミーマクビリ 嶺間・坂(首里台地北側の地名)

 『フィラ /hwira/ 1 (名詞) 「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻) の「比良」と関係ある語かと思われ、「比良」もまた坂の意であったかと思われる。また、ヌファヌ イシクビリ nuhwanuqqisikubiri[伊野波の石くびり] 、語の語末の部分と関係あるか。 ミニマクビリ minimakubiri [みにまくびり]など。なお、サクフィラ  sakuhwira(急な坂) という語もある。サカ(坂)にフィラを使用する際は、ウリをつけてウリビラとする。アイヌ語や古朝鮮語のピラに関連する語と考えられる』(首里・那覇方言データベース)。


 沖永良部島の喜美留(キビル)は、薩摩藩統治時代には、「木枇留」(キビル)と表していた。キビルは島の東側の平地にある。


 クビレ、キビレの地名は中国地方だけでなく、各地に点在している。かつては共通語であったものが、これらの地に残ったのか、あるいは別の理由なのか。


 アイヌ語では次のような地名、方言がある。

 ri-kipir
 リ・キピリ
 高い・崖(力昼=リキビル)北海道

 ho-kipir
 ホ・キピリ
 川尻・崖(濃昼=ゴキピル)北海道

 atuy teksama kipir
 アトィ・テクサマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 atuy sama kipir
 アトィ・サマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 kipiri
 キピリ
 丘(小山)(木のない丘)(樺太方言)


 アイヌ語小辞典には以下のようにある。

 kipir キピル 
 kipiri キピリ

 @水際からそそり立っている崖
 A海岸の砂丘=hunki フンキ(北見地方)

 kipir → kip-ir (額・ひとつづきのもの)

 kipiri-ka キピリカ 海岸段丘の上の平地


 沖永良部島の喜美留(キビル)、鹿児島市の喜入(給黎、岐比礼=キイレ)は、海岸沿いの平地地形であり、アイヌ語 kipir (海岸の砂丘、丘)に近い地形と思われる。

 沖縄のクビリは坂の意味があり、万葉集には坂は峠の意として使用されている。

 万葉集(歌番号・原文・訓読)
 3192 三坂越(み坂越ゆ)
 3442 欲妣左賀 古要(呼坂越え)
 3477 欲婢佐可 古要(呼坂越え)
 3523 佐可故要(坂越え)
 3962 山坂古延(山坂越え)
 4154 山坂<超>(山坂越え)


 中国地方のキビレ、クビレ、沖縄のクビリ、横須賀のクビリサカ、奥秩父のクビレ地名などは、アイヌ語 kipir =砂丘、丘と関連ある地名であるかもしれない。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離20.9km
標高差758m

区間沿面距離
柴木
↓ 7.7km
葭ヶ原
↓ 5.2km
古屋敷
↓ 3.7km
内黒山
↓ 4.3km
柴木
  

 
芸藩通志』戸河内村絵図の内黒峠付近

上本郷から内黒山西に破線道が通り古屋敷に下りている
龍ノ口の左に宮里山、込平山の地名が見える
 
中山 旧道展望地から
砥石川山と聖山
深入山
向山
柴木川第一発電所
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)