6:55 柴木駐車場 気温5度 曇り
7:50 黒渕
8:55 葭ヶ原
9:20 猿飛
9:30 横川出合
10:20 古屋敷
11:30 展望所
11:40 内黒峠
12:00 内黒山
12:10 薮ヶ迫山
13:35 登山口
13:55 柴木
柴木の里山に雲が下りる。三段峡側もガスが漂う。車道から左岸に入るとハチの巣箱が置いてある。アキノキリンソウが残る。発電所の横から谷を見ると数羽のカワガラスが川の岩の上に居た。暗いスギ林を通り長淵橋に進む。
まだ薄暗い遊歩道を通る。姉妹滝の水量は少ないが、龍ノ口は白く泡立っている。龍ノ口の山腹にモノレールが通っていた。遊歩道に資材が積まれモノレールで山腹に運んでいる。兜石が見える地点に進むと、ようやく雲煙が上がり始め、五立が見えてくる。
赤滝を過ぎ庄兵衛岩の下のトンネルを抜けると皆実高校遭難碑。石樋の遊歩道にムラサキシキブの実が残る。石樋から見える天狗岩には雲が掛かる。眼下に石樋観音を見る。
カワガラス |
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アキノキリンソウ |
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ムラサキシキブ |
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蓬莱岩 |
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ぐるの瀬の上に出ると天狗岩の煙は薄くなっている。見上げると塔岩が立つ。右岸の岩の間に二谷の水流が見える。足元にフユイチゴが実を付ける。天狗岩の下の蓬莱岩は天狗岩から落下したものでなく、谷の根付き岩であるという。
天狗岩の山腹が剝がれ白い山肌の下に岩が落下していた。天狗岩の下の谷は黒渕へ延びるのが見える。黒渕渡船場から坂を上がる。眼下に黒渕荘を見る。向山の山腹は雲煙が残る。
仏岩を見ながら雌滝、雄滝を回る。蔵座林道終点から南へ下りる尾根に日が差し煙が舞い上がる。フユイチゴが多い。蛇杉橋へ進む。ヒヨドリジョウゴに実が生る。雲の切れ目から日が差す。右岸にムラサキシキブの実が残る。
ヒヨドリジョウゴ |
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日が差す葭ヶ原のピーク |
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南峰橋を渡り大淵で一休み。トンネルを抜け尾根の先端の王城の岩壁を回る。右岸に耶源の岩壁が立つ。谷は浅くなりツルヨシが生える。葭ヶ原の山に日が差す。足元が枝や落ち葉で埋もれている。
山側が崩れ、イノシシが掘り返した跡もある。ミズナシ川の駐車場は空だった。ショベルカーが見える。街灯が点いていた。天気雨になった。葭ヶ原の閉じた小屋の横のトイレも灯が点いていた。
ツルヨシが覆う柴木川を渡る。風致保安林の標識がある。二段滝まで1.1kmの道標がある。三段滝の分岐を過ぎると楓林館跡。五郎堰を回り巨岩の下を通る。サワグルミの大木を過ぎると川床に小屋が見える。猿飛から坂を上がる。
楓林館跡 |
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サワグルミの大木 |
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コウゾリナ |
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三段峡漁協の標識 |
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猿飛眼下に三艘の小舟が見える。二段滝を過ぎ鵜の子の木橋を渡ると横川の赤い橋が見えてくる。橋へ上がる階段の下に文部省の古い石柱がある。ツルウメモドキがたくさんの実を付ける。ツキノワグマ生息地の標識がある。三段峡漁協の標識には釣り期8月31日までとなっている。
車道を進む。枝に茶色の葉が残っていたのでヤマコウバシかと思ったが、近づいてみるとイヌブナだった。幸橋を渡る。右岸の山腹は茶色になっている。モリガ谷左岸に社の建物が見える。弥五郎碑は昭和59年の設置。
アサ谷から細い谷が落ちる。右岸の山から管が下りて横川川へ続いていた。横川橋上の大規模林道に出る。アキノキリンソウが咲く。タヌキの溜糞がある。魚切滝が落ちる。横川水位・雨量観測所を過ぎる。
津島弥五郎の碑 |
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水位・雨量観測所 |
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クマ糞 |
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クマ糞 |
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ヌルデの虫こぶ |
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ノリウツギ |
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横川出合から50分ほどで古屋敷橋。橋の手前から旧道に入る。以前、入口は薮だったが刈られている。旧道を塞いでいた丸太も取り除かれていた。今月、恐羅漢トレイルのコースであったため旧道が整備されたようだ。右岸に石垣が見える。
ワタン谷に丸太橋が新設された。ぬかるみに丸太が敷かれていた。所々、高い石垣がある。イヨキリ谷を渡った先にクマ糞があった。枝に茶色の葉が残るのはイヌブナ。Fields
Outdoor Sports Creation の旗が枝に付いていた。
送電線の下の小山が伐採され展望地になっていた。中山の向こうは雲が下りて見えない。恐羅漢公園線の鉄塔から送電線が頭上を通り、下の大規模林道手前の鉄塔へ延びている。展望地の先で旧道が崩落していた。
恐羅漢トレイルコースの旗 |
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クマシデ |
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ソヨゴ |
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ミズナラのクマ棚 |
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ミズナラの爪痕 |
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ウリハダカエデの落ち葉が多くなる |
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使用されていないコンクリート電柱が立っている。アサ谷水源の石垣が組まれた谷に丸太橋が架けてある。そこから少し先でクマ糞があった。茶色になったウリハダカエデの落ち葉が多くなる。オオ谷へ下りる分岐道はササ薮になっている。
大谷水源の法面の手前に丸太橋が渡してある。展望所の北面にミズナラのクマ棚があった。ヌルデの虫こぶが落ちている。展望所で一休み。砥石川山、聖山に雲が下りる。ノリウツギの装飾花、茶色になったクマシデの穂が残り、ツルウメモドキが実を付ける。
5分ほどで内黒峠、加藤武三の碑へ寄る。カラスの仕業だろう、碑の前に花が散乱し、花立からすべて花が抜き取られていた。花を花立に戻す。内黒山登山道の右に作業道が入っている。
加藤武三碑の由来 |
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ツルアリドウシ |
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フユイチゴ |
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クリの木のクマ棚 |
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分岐の道標 |
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薮ヶ迫山 雨量観測局 |
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明るいブナ林を登る。ミズナラのクマ棚が続く。南側に作業道が入っている。内黒山手前にクマ糞があった。スギ林を進む。古いクマ糞がある。時々林に日が差す。分岐の道標は倒れていた。薮ヶ迫山(宮里山)が明るくなっていたので寄ってみた。
山頂の雨量観測局周辺は伐採されていたが展望はない。南側の展望岩へ下りてみたが、ヒノキが伸び展望は無かった。登山道を進むとクリの木のクマ棚が続く。林の間から向山、深入山が見える。
尾根道から南側へ下る分岐のクリにもクマ棚、爪痕があった。宮里山事業地の標識がある。ヒノキ林を下る。植林地の中にクリのイガが落ちている。下って行くと柴木川発電所から上がる導水管が見えてくる。
ソヨゴに赤い実がたくさん生る。ツボミと赤い実のミヤマシキミ。植林地を下る。ユズリハが多くなる。ツルアリドウシの赤い実がところどころにある。内黒山から1時間半ほどで登山口、車道の法面にフユイチゴの赤い実がたくさん生っていた。15分ほどで駐車場に帰着。
クリの木の爪痕 |
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クリの木のクマ棚 |
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ツルウメモドキ |
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イヌブナ |
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ユズリハ |
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ミヤマシキミ |
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ミヤマシキミ |
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■地名考
「キビレ」「クビレ」地名
「内黒峠は十方山から北へ丸子頭、彦八の頭、内黒山へと続く長い尾根の最低鞍部を越える九九〇メートル標高の峠である。この峠越えの道は戸河内より横川、田代、中之甲など奥山の山里へ通じる唯一の道であり、ふるい歴史を持った峠といえる。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)によると<オオクビレ>という峠名が付けられている」(「西中国山地」桑原良敏)。
「<クビレ・キビレ>もこの地域特有な方言で、尾根の鞍部の意である。古くから使われており、『防長地下上申』宇佐郷村の境目書にも出てくるし、『戸河内森原家手鑑帳』(1713年・正徳5年)の他村境覚書の項にもある。内黒峠は<大くびれ>と呼ばれていた。
現在も戸河内町横川で使われており周辺に<夏焼のキビレ>、<ボーギのキビレ>、<カマのキビレ>の呼称がある。ここでは
クビレ→キビレ
と訛っているが、広島県西部、島根県西部地方では、結ぶことをくびる→きびるという転訛の事例があるように、ク→キと訛っている場合が多い
<ボーギのキビレ>は、榜木の立ててある鞍部の意であるが、この鞍部には必ず径が通じていたので、国境の峠の別称と理解してよい」(「西中国山地」)。
西中国山地では他に、アカゴウキビレ、オオキビレ、カザゴヤキビレ、ケンノジキビレ、ジャノクラキビレ、ジョシのキビレ、バーのキビレ、十文字キビレなどがあり、クビレは、ホンゾウのクビレ、七人小屋のクビレ、三ノ谷クビレなどの地名がある。
関東の奥多摩町の奥の奥秩父連峰にクビレ地名が多い。
鞘口ノクビレ、大クビレ、大京谷クビレ、梯子坂ノクビレ、巳ノ戸ノ大クビレ、クタシノクビレ(秩父市)などがあり、いずれも山の鞍部の地名である。
秋田県湯沢市に大クビレがある。
上クビレ沢(カミクビレサワ)は山形県西川町にある。
クビレ地名は西中国山地だけではないようだ。
峠データベースに久比里坂(クビリサカ)がある。横須賀三浦半島の端にある峠名である。クビリサカは古い地名のようだ。
「◯小名 …△久比里村南の惣名なり、元祿の改には西浦賀村之内久比里村と載す、相傳ふ鎭守若宮社に納むる石より地名起れり」(「新編相模国風土記稿」1841年)。
鹿児島市に喜入の地名がある。
「喜入」(キイレ)の名は、1414年島津久豊がこの地で上げた戦勝を祝して給黎を「喜入」と改めたのが最初です(鹿児島市喜入町HP)。
給黎郡は『和名抄』によると、「岐比礼」と読み「給黎郷」の一郡一郷だった。給黎郡創設は646年とあります。
『きひれ 給黎(薩郡)岐比礼《キヒレ》 給《キフ》ヲ「キヒ」ニ用ヒタリ』(「地名字音転用例」本居宣長)とあり、喜入は元々、「キヒレ」と呼んだようだ。
喜入町は、鹿児島市の南に位置し、錦江湾沿いに南北16km、東西6.2kmと長細い地形を成しています。また16kmに及ぶ長い海岸線は、沖合い1.5kmまで遠浅となっています(喜入町HP)。
「クビリ」は沖縄では坂の意である。
イシクビリ 石のある坂(首里・那覇方言)
ミーマクビリ 嶺間・坂(首里台地北側の地名)
『フィラ /hwira/ 1 (名詞)
「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻)
の「比良」と関係ある語かと思われ、「比良」もまた坂の意であったかと思われる。また、ヌファヌ
イシクビリ nuhwanuqqisikubiri[伊野波の石くびり]
、語の語末の部分と関係あるか。 ミニマクビリ minimakubiri
[みにまくびり]など。なお、サクフィラ sakuhwira(急な坂)
という語もある。サカ(坂)にフィラを使用する際は、ウリをつけてウリビラとする。アイヌ語や古朝鮮語のピラに関連する語と考えられる』(首里・那覇方言データベース)。
沖永良部島の喜美留(キビル)は、薩摩藩統治時代には、「木枇留」(キビル)と表していた。キビルは島の東側の平地にある。
クビレ、キビレの地名は中国地方だけでなく、各地に点在している。かつては共通語であったものが、これらの地に残ったのか、あるいは別の理由なのか。
アイヌ語では次のような地名、方言がある。
ri-kipir
リ・キピリ
高い・崖(力昼=リキビル)北海道
ho-kipir
ホ・キピリ
川尻・崖(濃昼=ゴキピル)北海道
atuy teksama kipir
アトィ・テクサマ・キピリ
海・辺の・崖(旭川方言)
atuy sama kipir
アトィ・サマ・キピリ
海・辺の・崖(旭川方言)
kipiri
キピリ
丘(小山)(木のない丘)(樺太方言)
アイヌ語小辞典には以下のようにある。
kipir キピル
kipiri キピリ
@水際からそそり立っている崖
A海岸の砂丘=hunki フンキ(北見地方)
kipir → kip-ir (額・ひとつづきのもの)
kipiri-ka キピリカ 海岸段丘の上の平地
沖永良部島の喜美留(キビル)、鹿児島市の喜入(給黎、岐比礼=キイレ)は、海岸沿いの平地地形であり、アイヌ語
kipir (海岸の砂丘、丘)に近い地形と思われる。
沖縄のクビリは坂の意味があり、万葉集には坂は峠の意として使用されている。
万葉集(歌番号・原文・訓読)
3192 三坂越(み坂越ゆ)
3442 欲妣左賀 古要(呼坂越え)
3477 欲婢佐可 古要(呼坂越え)
3523 佐可故要(坂越え)
3962 山坂古延(山坂越え)
4154 山坂<超>(山坂越え)
中国地方のキビレ、クビレ、沖縄のクビリ、横須賀のクビリサカ、奥秩父のクビレ地名などは、アイヌ語
kipir =砂丘、丘と関連ある地名であるかもしれない。
カシミール3Dデータ
総沿面距離20.9km
標高差758m
区間沿面距離
柴木
↓ 7.7km
葭ヶ原
↓ 5.2km
古屋敷
↓ 3.7km
内黒山
↓ 4.3km
柴木
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