山歩き

虫木ノ峠…黒滝峠…大箒山…大平山
2020/11/8

イヌガ谷…虫木ノ峠…松原林道…オオボウキ谷…黒滝峠…大箒山…床尾山…床尾峠…大平山…熊野滝林道

■大箒山(オオホウキヤマ)1013.3m:広島県山県郡戸河内町大字松原(点の記・大坊木) 安芸太田町(所有 松原自治会)
■床尾山(トコオヤマ)990.6m:広島県山県郡加計町大字下殿賀字上山(点の記・上山=ウエヤマ) 安芸太田町 
■大平山(オオヒラヤマ)1014m:広島県山県郡戸河内町字松原(点の記) 安芸太田町(所有 松原部落共有地総代)

地割れの旧道
旧道を進む
ミズナシ谷の橋
市間山を望む
大平山
虫木ノ峠の箱罠
松原林道入口付近
松原林道へ入る
堀割
伐採された山
丸太が並ぶ
オオブナ谷からシモコ谷水源に林道が入っている
イタガ谷の橋
小滝の先で分岐
オオボウキ谷とオオブナ谷分岐
松原事業区
アマゴ
新松原事業地
分岐 新道が黒滝峠へ上がる
伐採された黒滝峠
オオウラジロノキの爪痕 馬道
大箒山北の鞍部
オオホウキ谷水源を登る
大箒山北面のクマ棚
大箒山
山頂のクマ棚
大箒山東鞍部から馬道を進む
紅葉の林
円座
林の向こうの大箒山
伐採地から温井ダム
猪山集落
A峯
B峯
3.2mブナ
黄葉のブナ
倒木が続く尾根
コナラのクマ棚
D峯西
オオエキ水源の伐採地
床尾山
床尾山のクマ棚
床尾峠に入る林道
大平山が見える
大平山
大平山 クリの木のクマ棚
大平山北面から掛津山が見える
作業道に出る
間伐されたヒノキ林
作業道終点
ヒノキ林から深入山が見える
林道から見える向山と深入山
林道の水路
熊野滝山と懸崖
熊野滝林道終点
熊野滝橋
6:30 イヌガ谷落口 気温13度 晴れ
 

7:20 虫木ノ峠
7:45 堀割
8:05 オオボウキ谷
9:00 黒滝峠
9:30 大箒山北の鞍部
10:00 大箒山
10:20 大箒山東鞍部
10:35 展望尾根
11:25 C峯
11:50 D峯
12:10 床尾山
12:35 床尾峠
13:05 E峯
13:35 大平山
14:10 作業道終点
14:40 作業道
15:00 熊野滝林道終点
15:25 熊野滝橋
15:30 イヌガ谷落口

 イヌガ谷落口を出発、旧道を進む。クリゴヤ谷を過ぎたところて、車道は長いひび割れが通っていた。車道が谷側にずれているようだ。前方に191号線の橋が見える。ミズナシ谷まで進むと谷側に古い橋がある。V字にターンし坂を上がり191号線に出る。

 紅葉する大平山の峯を見渡す。191号線を渡り旧道を上がると、イタガ谷の先に大きい山容の市間山が見え、その下に雲海が漂う。渋い紅葉が続く林の旧道を上がる。1時間ほどで虫木ノ峠、峠に箱罠が仕掛けてあった。

 峠を下ると松原林道起点に出る。林道入口付近に丸太が積まれてあった。松原林道に入る。アンテナ塔を過ぎた先に丸石が積まれてあった。林道の北端へ進むと北側への展望がある。眼下に垰集落から南へ入る谷に車道が通っているのが見える。

191号線西の旧道の紅葉
松原林道の積まれた丸石
松原林道北の展望
松原林道のカエデ
モミジガサ
ツルリンドウ

 北のオオノタ谷とイタガ谷を結ぶ堀割に進む。シモコ谷の反対側の谷の水源に木材搬出中の表示があり、水源の山は裸になっていた。谷の入口に丸太が積まれていた。衛星写真の案内図があり、林道は現在地からオオブナ谷の水源を通り、シモコ谷の水源の山へ延びていた。

 谷側の水位観測所に道が下りている。シモコ谷落ち口の上流に橋が見える。林に日が差し紅葉が輝く。眼下に小滝が見えるとオオボウキ谷落ち口。林道はオオボウキ谷とオオブナ谷に分かれる。オオボウキ谷の先に植林地の山が見える。オオボウキ谷に沿う林道を進む。松原事業区の標識がある。

 谷を見ると魚影があった。15cmほどのスマートなアマゴのようだった。最初の橋の上流にも10cm弱の魚が群れていた。次の橋の上流にも居た。水源の植林地に日が当たる。ススキの奥のヒノキ林に看板が見える。少し進むと新松原事業地の標識がある。左岸に茂った林道が入っている。

群れるアマゴ
クリの木のクマ棚の下

 橋の下にアマゴとは違う黒っぽい魚影があった。すぐに岩陰に隠れる。最上部の橋の下にも同様の魚影が見られた。おそらくゴギだろう。分岐で新しい林道が黒滝峠へ上がっていた。分岐で一休みして黒滝峠へ進む。伐採された峠には丸太が積まれていた。林道はクロタキ谷へ下りている。

 峠から尾根を少し登り馬道へ下りる。コアジサイの黄葉が続くヒノキ林の馬道を進む。手にした木に鋭い爪痕があった。オオウラジロノキだった。見上げると実が一つ残っていた。峠から30分ほどで大箒山北の鞍部、馬道を進みオオホウキ谷水源の谷を登る。落ち葉で埋まる谷は滑りやすい。コシアブラの黄色の葉が落ちている。

 谷から尾根に登るとミズナラにクマ棚が多くみられる。峠から1時間ほどで大箒山。山頂にも2週間前には無かったクマ棚があった。東面を下る山道にもクマ棚が続く。ミヤマシキミの赤い実とツボミ。ミズナラに爪痕が残る。20分ほどで東の鞍部。鞍部にもクマ棚。掘り下げた馬道を進む。

オオウラジロノキの爪痕
オオホウキ谷水源の谷
ミズナラの爪痕
円座
コシアブラ

 紅葉が輝く林を進む。サル谷とオオホウキ谷の鞍部に盛り上げた馬道が通る。鞍部から尾根へ上がる道の曲がり角に円座があった。ササを敷き詰めた盛り上がった座に落ち葉が覆っていた。サル谷水源に緑の草が覆う。尾根に上がる馬道にイタヤカエデ、ハウチワカエデ、ミズナラブナ、ケヤキなどの葉が覆う。

 輝く林の向こうに大箒山が見える。東鞍部から15分ほどの伐採尾根。A峯からB峯に掛けての東面が伐採されている。眼下に温井ダムが見えるが。山全体に霞が掛かったようにぼやけている。猪山の集落は紅葉の山に囲まれていた。

 小木のオトコヨウゾメに赤い実が残る。伐採地のユズリハは背が低い。ミズナラの幼木の葉が真っ赤になっていた。ミヤマシキミのツボミも赤い。尾根を南へ進む。高いミズナラの上にクマ棚が残り、下には枝が散乱する。尾根にクマ棚が続く。3.2mブナ過ぎた所にもクマ棚があった。

伐採尾根に上がる馬道
伐採尾根に出る
A峯
ミヤマシキミ
ミズナラのクマ棚の下
コナラのクマ棚の下
倒木の尾根
倒れたブナ

 956ピーク、サイの峠へ下りる馬道の分岐を過ぎる。黄葉の林を進む。C峯を過ぎると倒木が多くなる。この当たりは風が強く、尾根の両側の木々が倒れている。西側のブナが倒れていた。3.4mブナを過ぎた先にもクマ棚があった。D峯北のコナラにクマ棚があった。D峯を西に回る。ブナが黄色に輝く。

 鞍部に下りると南のオオエキ水源が伐採され、下にパワーショベルが見えた。オトコヨウゾメの赤い実。大箒山から2時間ほどで床尾山。ここにもクマ棚があった。西へ進み、以前展望地だった所は薮に変わり、そこから南西へ進む。床尾山から30分ほどで床尾峠。東西に林道が入っている。

 ヒノキ林の尾根を進む。ハウチワカエデが赤く輝く。日当たりに生えるツルリンドウに実が付いていた。前方に大平山が見えてくる。重機の音が絶えず響く。床尾峠から1時間ほどで植林地の大平山。クリの木にクマ棚がある。北へ下るとヒノキ林の間に掛津山が見えた。ウリハダカエデが赤く染まる。

オトコヨウゾメ
伐採地のエゾユズリハ
伐採地のミズナラ
伐採地のミヤマシキミ
作業道のヌタ場

 大平山北を通る作業道に出る。湿った道にイノシシの足跡が続き、ヌタ場があった。タラノキが葉を伸ばす。作業道は薮になりつつある。北尾根の沿う作業道を進む。ヒノキ林の間隔が見通し良く間伐されている。分岐道が所々あり、大平山から20分ほどで作業道終点。休憩して尾根を下る。

 小木のヒノキ林下に踏み跡がある。ヒノキの上に深入山が見える。終点から20分ほどで作業道に出た。深入山、向山、苅尾山への展望が開ける。熊野滝山が向かいに見える。作業道の真ん中が抉られ水路になっていた。作業道の分岐道が南へ延びていた。

 下って行くと熊野滝山の山腹に懸崖が見える。20分ほどで熊野滝林道終点に出る。小礫、丸太が積まれ重機が止まっていた。ヤクシソウが咲く。ダンコウバイの分裂葉とスペードの葉が黄葉する。枝のジャングルにスズメバチの巣が下がっていた。紅葉した大きいケヤキがあった。熊野滝橋に「アマゴ増殖・保護区間」の表示がある。畑の向こうの大平山山腹の紅葉が鮮やかだった。
 
 

熊野滝林道終点
枝の中の巣
アマゴ標識 熊野滝橋
大平山山腹の紅葉
熊野滝林道標識
 
 
ヤクシソウ
ダンコウバイ
ノイバラ
ノブドウ
 シシウド
タラノキ
ヤマシロギク
ノコンギク



地名考

 大箒山周辺の三角点の「点の記」の所有者欄をみると、共有が多い。大箒山は財団法人松原自治会、大平山は松原部落共有地総代となっている。
 最早山は村人共有の山という意味合いで、モヤイヤマ≠ニ呼ばれていたと思われる。

●点名 大坊木(1013m 二等三角点・大箒山)
 所有者 財団法人松原自治会

●点名 向井山(731m 四等三角点)
 所有者 柴木部落共有地総代

●点名 作見谷(918m 三等三角点)
 所有者 共有地総代(25名)

●点名 犬ヶ谷(915m 四等三角点)
 所有者 共有者代表

●点名 大平山(1014m 四等三角点)
 所有者 松原部落共有地総代

●点名 高果山(751m 三等三角点)
 所有者 共有地総代

●点名 後山(787m 四等三角点)
 所有者 財団法人松原自治会

●点名 牛小屋(1019m 四等三角点)
 所有者 横川部落


 広辞苑のもやい

 @もやい 舫い もやうこと。船と船ををつなぎ合わせること。むやい。太平記(14世紀中ごろ)「流れ淀うたる浪に筏のもやいを押し切られて」

 A催合と書く。二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同。おもやい。部落内の共同作業。また、利益の共同分配。

 舫い繫り 船一隻に錨を入れ、この船に他の船をもやい、またその船に他の船をもやい、幾隻も一緒に碇泊すること。

 舫い杭 船をつなぐために河中や河岸に立てた柱。かせ。

 舫い綱 船をつなぐ綱。

 もやう モヤフ 舫うと書く。船と船をつなぎ合せる。杭などに船をつなぐ。むやう。


 モヤイの由来

 「宋書倭国伝」(432年着手−502年完成)に、「装治船舫」とあり、「船舫」は船と船をつなぎ合わせることであるという。

 「方」は『象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき)(舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる』(角川新字源)とある。

 「舫」は「船」と「方」(フネ)が並んだ状態を表す。


 モヤイの初出は、『山家集』(平安末期)、『平家物語』にあり、「むやひ」「もやひ」と表している。
 
 『山家集』(さんかしゅう)西行法師の歌集

 『ともぶねはむやひつゝ』
 (友舟どうし舟をつなぎ合わせ)

 『平家物語』(鎌倉時代に成立)

 『千余艘の纜舳綱を組み合はせ中に舫を入れ歩み板を引き渡し渡いたれば舟の上は平々たり』
 (一千余艘の艫綱や舳先の綱を組み合わせ、間にもやいを入れ、歩み板を渡すと、舟の上は真っ平らになった)

 平安期の「舫」も船と船をつなぐ意であったようだ。

 万葉集に「もやう」の表現は無いが、船をつなぐ歌がある。

 集歌1190番 
 原文 舟盡 可志振立而 廬利為 名子江乃濱邊 過不勝鳧
 訓読 舟泊(は)ててかし振り立てて廬りせむ名子江(なこえ)の浜辺(はまへ)過ぎかてぬかも

 私訳 舟を泊めて、舟を繋ぐかしを貫き立てて仮の宿りをしよう。名子江の浜辺を通り過ぎることはできないでしょう。 (『竹取翁と万葉集のお勉強』HP)

 「可志振立而」(かしふりたてて)は、杭を振り立てて、船を繋いだ様子を表す。


 もやい 方言

 おもやい 東京・愛知。 
 おもやいで・おもやで・おもやん(共同で)神奈川。
 しない 静岡。 
 みやい 愛知。 
 もえー 神奈川。 
 もやい 東京・神奈川・静岡・岐阜・三重・和歌山。 
 もーやいこ 愛知。 
 もーやーこ 愛知。 
 もよー 船と船とをつなぎ合せる 山形。 
 もよい 仲間 静岡。 
 もより 神奈川。
 (以上「昔の茨城弁集」から)

 モエー 南九州

 今帰仁方言
 ムヤールン(もやい合う)同じ食器から多くの者がとって食べる。
 ムエー 模合・無尽講・頼母子講 ムエイともいう

 首里・那覇方言
 ムエー(模合)・ユレー、ユーレー(寄合) 相互扶助システム(無尽講・頼母子講)

 宮古島方言
 ムヤイ(模合) 相互扶助的な金融組織
 模合墓(1766年)

 与論島 ムエー・ユイケ―・ユイタバー 結い

 久高島 ムエー 頼母子講・頼合・無尽
 
 徳之島 ムエ 頼母子


 模合の歴史
 古くは琉球王国の尚敬王の時代(1735年 - )、1733年の『球陽』でその記述が見られるが、これは備荒貯蓄のことであり、貧窮者救済の意味があったとされる。無尽講を意味する模合の発祥は詳しくはわかっていないが、18世紀以前から行われていたようである。当時の模合は、貨幣ではなく農産物などの食料品などが模合の対象であった。変わり種としては「労働力の提供」というのもあった(ウィキペディア)。


 『データベースれきはく 民俗語彙』から

 ムヤマ(共山) 共有山林 佐渡 ムヤイヤマの転訛か
 ムヤ 横穴の風葬 共同で使用。 喜界島
 モヤイマトギ 共同の狩り、平等の分配 高知県高岡郡梼(ゆず)原村
 モヤヤマ 共同薪山、共同山作業 熊本県
 モヤウ 共同仕事 東京都南多摩郡恩方村


 ユイの由来

 家々の間で労働力を交換しあって作業を相互に手伝うこと。ユイの発音が変化してイイ、エエ、ヨイあるいはヨイコなどと各地で呼ばれる。沖縄でユイーマールという。

 田植、稲刈りや脱穀など種々の農作業、屋根ふきなどの際にユイが行われた。

 ユイを結ぶ相手の家は、村内在住の親類や近隣の家々と行うのが一般的である。

 平安時代の歌集『堀河院百首』(1105年成立)に

 『残り田はそしろにすきし明日はただゆひもやとはで早苗とりてん』(隆源) とあり、ユイはやとうものとして歌われている。 


 ユイとは

 それは本家や手作地主が分家、従属農民に労働力を提供させることを東北地方や北九州でヤトイといったことに通じるものである。かつてはこのように、労働力の提供とそれに対するさまざまな反対給付という形で結ばれた本家末家的ユイが基本であり、それに加えて分家や従属農民が互いに結ぶ小農的ユイが併存していた。

 近世になり後者のみがユイと呼ばれるようになり、本家末家的ユイはヤトイとかスケ、テツダイと呼ばれるようになったものと考えられている(『岩井國臣の世界』より)。

 『雇はれて老なるゆひが田歌かな』 几菫 「井華集」(寛政元年 1789年)。

 「ゆい」の語源は「雇人(ゆひ)」だ。

 広辞苑のゆい

 ゆい 結い
 @結うこと。
 A標(しめ)を結うこと。
 B田植などの時に互いに力を貸し合うこと。また、その人。てまがえ。

 ゆい 方言

 江戸時代からある農作業を助け合う相互援助組織。冠婚葬祭も助け合った。=『いい』『よい』。 

 てまっかり・てまっかーり 群馬。 
 ゆい 宮城・福島・群馬・神奈川・山梨・静岡。 
 ゆいまーる 沖縄。
 (以上「昔の茨城弁集」から)

 今帰仁方言
 ユイ  労働の交換
 ユイセー ユンセー (ゆいし合い)労力の交換をし合うこと。
 ユイマールー 労力交換を順に行うこと。
 メーユイ 稲を束ねること。
 ユールン 結う・縛る
 ユン 寄る

 首里・那覇方言
 ユーユン 結う・縛る
 カラジユーユン 髪を結う
 ユユン 寄る・集まる
 モーユン 踊る・舞う

 沖永良部島
 ユーユン 結う
 ユイムン 寄り木(海岸に漂着した木や物)
 ヨーユン 寄る・集まる・共同する・力を合わせる
 モーユン 回る・回転する


 万葉集のゆひ

 標結 しめゆひ しめゆふ
 印結 しめゆひ
 緘結 しめゆひ
 髪結 かみゆひ
 手結 たゆひ
 足結 あゆひ
 紐結 ひもゆふ

 標結 占有を示す標識として、縄などをむすんで巡らす。また、草などをむすんで目印をつける。

 紐結 霊威ある紐をユフことにより相手の無事を祈り、神の加護や神意を留める。再会を願う呪術。

 髪結 髪は神の宿るものであり、髪をユフことにより神に選ばれたことを示すという


 アイヌ語 ムィエ

 muye ムィエ 束ねる・縛る・結ぶ
 muyepa ムィパ 縛る
 muyehe ムィヘ 束

 i-muye-uras イ・ムィエ・ウラシ
 それを・束ねた・笹の枝葉
 (それで屋根や側壁を葺く)

 kamuy sapa muye カムイ・サパ・ムィエ
 神の・頭を・束ねた
 (ヨモギの茎を束ねた草人形)

 『蝦夷拾遺』(文政4年・1821年 下に原文)にアイヌ語ムエがある。

 ムエ 結

 当時のアイヌの発音を聞いて「ムエ」と表したと思われる。
 沖縄など南西諸島では「模合」を「ムエー」と呼ぶところが多い。『蝦夷拾遺』の「ムエ」は「結ぶ」の意であるが、方言「ムエ」とアイヌ語「ムエ」が重なる。

 モヤイの古形はムヤイである。

 ユイとモヤイは共に「むすぶ」の意がある。元々同じ語源なのか。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離21.4km
標高差512m

区間沿面距離
イヌガ谷
↓ 9.0km
大箒山
↓ 4.1km
床尾山
↓ 2.8km
大平山
↓ 5.5km
イヌガ谷
 

模合帳(琉球方言ムエー)

読谷村で行われた模合(1880年)

 
表題に「辰四月九日波平村東リ百次之当間にや宅へ相揃銅銭五拾貫文現銭持参書留帳」とあり、光緒(1880)年の年代を持つ。琉球王国末期から近代初頭における模合(庶民金融、方言でムエー)の実態を伝える数少ない史料の一つである。模合の歴史に関する研究は皆無に近く、本史料の分析はこれからの課題である。文中に波平・長浜・伊良皆・儀間・座喜味・上地などの村名が登場するので、読谷山間切(現在の読谷村)で行われた模合であることがわかる(琉球大学附属図書館HP)。
 
蝦夷拾遺

ムエ 結 
(アイヌ語 muye ムィエ 束ねる・縛る・結ぶ) 左4段目に結
 
 
市間山
サル谷水源
円座 サル谷水源
温井ダム
温井ダム
猪山集落
A峯
D峯付近
深入山
向山と深入山
熊野滝山
シモコ谷に林道が入る
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)