6:30 後温井駐車場 気温4度 晴れ
6:50 アンテナ塔(大箒山トンネル上)
6:55 瀧山峡大橋
7:15 猪山展望台下
8:15 新盆徳橋(盆徳滝の上)
8:35 とや橋(渡屋)
9:00 黒滝橋
9:25 黒滝集落跡
9:35 メタセコイア林
10:40 黒滝峠(ハツトナエ越)
11:10 大箒山北の鞍部
11:30 大箒山
11:45 大箒山東の鞍部(道標)
12:15 登山口(大箒林道)
12:50 ウシロヌクイ谷上(大箒林道)
13:40 ウシロヌクイ谷下(大箒林道)
14:00 大箒林道起点
14:25 後温井駐車場
大箒山トンネル手前の駐車場を出発、気温4度で寒い。186号線を渡ると、大箒山登山道入口の道標が見える。ダム湖の上は雲海が漂っている。ヤクシソウ、ヨメナが咲く。五輪山の下に雲海が見える。186号線の上に出ると、高鉢山に日が差し始めた。
アンテナ塔へ入る階段を上がり、瀧山峡大橋に向かってササ尾根を下る。サイレン塔直下に大橋が見える。右へ回って急坂を下り、大箒山トンネル入口に出る。コマユミが赤い実を付ける。橋を進むと滝山川上流の山側に雲海が残っていた。下流側には水面上と山腹に雲海が残る。
進行方向の榎平山トンネルの上に猪山展望台と11番鉄塔が見える。橋から高鉢山が見える。橋を渡り遊歩道に入ると大きいケヤキがある。遊歩道から車道に出る。車道を上がると大箒山へ続く伐採された尾根が見えてくる。高鉢山の左手にある雲海の上に滝山の頭が見える。
猪山展望台の入口にバイクが止まっていた。猪山展望台の下に築かれた石垣の説明版がある。加計町・戸河内村・雄鹿原村間の里道改修時の石垣を復元したもので、里道は1903年(明治36年)着工し、明治45年に完成した。日当たりにイヌホオズキが咲く。
洗川橋を見下ろす地点に進むと雉野原キャンプ場が見え、数台の車が止まっていた。その上の向山三角点の山腹に雲海の煙が残っていた。車道分岐に出ると猪山展望台への道標があり、右へ少し進むと古道への入口がある。暗い植林地を進むと電気柵があり、猪山自治会の「クマ用電気柵」の案内がある。
電気柵を外して古道を進む。谷側に三本の電線が続く。古道を倒木が塞ぐ。日当たりにセイタカアワダチソウが茂る。西側が開け、A峯の伐採尾根が見え、送電線が左から右へ山側へ入っているのが見える。その上に山腹を通る大箒林道が見える。
クマ用電気柵の案内 |
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イヌホオズキ |
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キクバヤマボクチ |
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雉野原キャンプ場に向かって落ちる小谷に石垣が組まれた水路が通っていた。アキノキリンソウが咲く。山側にも谷側にも石垣が組まれている。おそらくこの古道は加計と雄鹿原を結ぶ明治に作られた里道であろう。谷側が崩れて電気柵が当たらない所に足跡が入っていた。足跡は古道を横切り山側へ入っていた。大型動物はこの抜け道を利用して山と谷を行き来しているようだ。
六反原トンネル出口の上の電気柵入口に出た。猪山自治会の案内標識がある。眼下の186号線はこの先で分岐している。トンネルの入口にイノシシの絵がある。浜田・芸北方面と小原・猪山に分岐する。猪山梅の里鬼後の標識もある。山側に入る道に電気柵がある。
小原方面の車道に出る。ホオズキがオレンジ色の実を付けていた。車道の山側にも電気柵が通っている。新猪山大橋を渡る。「いのしやまかわ」とあるので、猪山は「いのしやま」と呼ぶようだ。ノコンギク、ヤクシソウが咲く。新盆徳橋に進む。盆徳橋にある民家は屋根が壊れ、廃屋と化している。橋下に盆徳滝が落ちている。
新猪山大橋 いのしやま |
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アキノキリンソウ |
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オホズキ |
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下山隧道 |
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新盆徳橋を渡り西へ進む。伐採尾根のA峯が見える。ネムノキに実が付いていた。オオウラジロノキの実がたくさん落ちている。眼下に186号線から雉野原キャンプ場に入る分岐が見える。「榎平山国有林」の標識がある。黒滝洞門を左手に見る。
渡屋橋を渡り大佐川左岸の古道に入る。滝山川右岸に下山発電所が見える。「榎平山ミズナラ・コナラ希少個体群保護林」の標識がある。北側の尾根に入る山道がある。山側に石垣が続く。この林道の奥に雄鹿原村があったので、大佐川左岸の道は明治の里道かもしれない。峡谷遠望地の道標がある。ノイバラに実が付く。谷側にも石垣がある。
下山造林地の標識がある。「樹間より峡谷を観る 紅葉期は格別」の道標がある。山側に目立つ石垣があった。アキチョウジが咲く。山側の滝を過ぎると分岐道がある。山へ入る分岐道にも石垣が続いている。これも里道の跡なのか。地図では黒滝橋から破線道が北側に通っているので、これと合流するのかもしれない。この道は大仙原に通じている。
向山黒滝林道は黒滝橋で通行止めになっていた。川平山山腹工事と書かれている。沈下橋の黒滝橋を渡る。右岸にあるメタセコイアが目立つ。高くてよく見えないが、雄花が下がっているように見える。幹の根本まで進むとかなり太い木だった。近くに「向い山黒滝事業区」の標識があった。
スギ林の林道を進む。堰堤を過ぎ、小滝を過ぎると廃屋がある。一本のスギを囲んで小屋が立っていた。この当たりから先は「黒滝かじや跡」だったところだ。さらに進むとメタセコイアの群生地に入る。谷と林道の間にメタセコイア林がある。高い枝から雄花を下げている。
太い幹の周辺に細いメタセコイアがあるので、その子孫たちであろう。メタセコイア林は300mほどの間に続いている。羽状で対生の葉はヒノキのようにやわらかく、落葉する。水が流れる林道にミズタビラコが咲いていた。メタセコイア林を抜け、小川となった林道を進む。右岸へ渡る林道にもミズタビラコが咲く。
メタセコイア |
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メタセコイア 雄花 |
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オオウラジロノキの実 |
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ノイバラ |
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東側へ入る分岐道があり、18・19鉄塔を西側に示す標柱がある。水流で抉られた荒れた林道が続く。左岸へ渡りU字の林道を曲がった所で新しい作業道が通っていた。林道も新しくなっていた。この付近から工事中になっているようだった。2018年にここを通った時、この先で林道終点で峠まで山道だった。
峠に向かって林道を進む。あちこちに作業道が入っている。キャタピラーの付いた作業車が止まり、水路管が置かれていた。上空に送電線が見える。18番鉄塔へ上がる山腹に作業道がジグザグに横切っていた。裁断された丸太が並び、ショベルカーが止まる。林道は黒滝峠を裸にしていた。この峠はハツトナエ越とも呼ぶ。
林道は黒滝峠からオオボウキ谷へ下りていた。黒滝峠から掘り下げられた馬道に入る。薮を抜けてヒノキ林に入る。この古道は鉄を運んだ道だったが、あちこち薮になっている。小谷にイノシシの足跡があった。峠から30分ほどで大箒山北の鞍部。薮尾根を登る。20分ほどで大箒山。北側にクマ棚があった。
東の登山道を下る。ハウチワカエデが紅く染まる。オトコヨウゾメ、ミヤマシキミの赤い実。風も無いのに遠く南側のササが揺れている。15分ほどで東側の鞍部、馬道が南北に通っている。馬道を南へ進むと、数匹の小さいイノシシが逃げて行った。オオホウキ谷水源の湿地で遊んでいたのか。
コナラの枝が散乱していた。クマ棚がある。オトコヨウゾメに赤い五つの実が下がる。鞍部から30分ほどで大箒林道の登山口に下りる。林道は枝が覆い始めている。ムラサキシキブの実が多い。ヤマハンノキが伸びる。サルトリイバラの赤い実。
伐採境の尾根まで下ると西面の裸の尾根が開けてくる。山腹を縫う林道の先に高鉢山が見え、下ると温井ダムが見えてくる。続いて滝山、五輪山が見える。林道沿いのススキの白い穂が伸びる。左にダムを見ながら林道を進む。左の山々が開け、牛ヶ首山、櫛山などの峯が続く。
オトコヨウゾメ |
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ムラサキシキブ |
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マムシグサが実を付ける。ヨウシュヤマゴボウが多い。サンショウの実が残る。林道はUターンし、ウシロヌクイ谷へ進む。小さいイノシシが一匹山側から林道出て走り去った。ウシロヌクイ谷へ作業道が下りているが、入口は薮になっている。
大箒林道起点に進む。大箒山登山口入口の道標がある。ヒヨドリジョウゴが赤と緑の実を付ける。186号線の上に出る。雲の無い青空に高鉢山が見える。途中の水場で顔を洗う。林道起点から25分ほどで駐車場に帰着。
ハウチワカエデ |
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ミヤマシキミ |
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ヤマハンノキ |
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ゲンノショウコ |
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サルトリイバラ |
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マムシグサ |
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ヨウシュヤマゴボウ |
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サンショウ |
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ヒヨドリジョウゴ |
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■地名考
黒瀧山、クロタキ谷
『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村の境が記され、「黒瀧山分峯水走り限り」とある。「水走り」は山と山の下り尾根が出あう、いわゆる鞍部のことである。
芸藩通志(1825年=文政八年)戸河内村絵図の橋山村境に、瀧山川右岸の山と山の間に「留」「黒タキ山」「論所」と書かれている。
国土地理院地図画像に、黒滝橋から2kmほどクロタキ谷を入った所に「黒滝」と表示されている。周辺に田んぼ記号があり、建物がある。
カシミール3D空中写真1974年には、黒滝付近に、建物と開地が見られる。
向山三角点(747m峯)の点の記に「黒瀧越小径」と書かれている。北側の青松林道から山道を進み、当時の雄鹿原村境界尾根に達した地点を「黒瀧越小径」と呼び、南のクロタキ谷に「黒滝」集落がある。
向山三角点(747m峯)「点の記」に書かれている、三角点に至る道程は、方角に疑問があるが、「黒瀧越小径より東北方約600m小径を登ると本点に達す」とあるので、黒瀧越は向山の南の境界付近と思われる。
向山黒滝三角点の山は、南面に大きい崖がある。
黒滝橋上流に「黒滝長渕」があり、その上流が大きい崖になっている。
向山黒滝三角点の山周辺に残る「黒滝」地名がいくつかある。
クロタキ谷の「黒滝」集落
大佐川の黒滝橋
奥滝山峡の黒滝長渕
186号線の黒滝洞門
滝山川の黒滝水位観測所
向山三角点の所在地「字向山黒滝」
「タキは岩壁、懸崖の意で、山頂の岩壁、山の中腹にある岩壁、渓谷の側壁、すべてタキと呼んでおり、水が落下している滝とは無関係な語意である」
「タキは昔からこの地方で使われている。『防長地下上伸』宇佐村絵図(1750年)を見ると、寂地川水源にあたる土瀧山の中腹に岸壁の絵が書いてあり、『みやうぜんの横タキ』とある。この絵図は藩の絵図方役人が地下の庄屋の案内で実地検分して画いたものであるが、山の中腹の尾根上にあって水の流れていないこの岩壁に滝(タキ)や嶽の字を当てることができず困惑して片仮名書きにしたものと推察される。筆者も困って本書では懸崖(タキ)を用いている」(『西中国山地』桑原良敏)。
「ホウキ」地名
「大箒山は戸河内町と加計町の境界にある山である。『戸河内森原家手鑑帖』(1715年)に大箒山の山名はない。加計町側の『加計村御建山御留山野山腰林御改帖』(1707年)に大はうき≠ニあるのが初見と思われる。大箒山の山名は加計町側の呼称が一般化して現在も用いられていると考えるのが穏当のようだ」(「西中国山地」桑原良敏)。
「点の記」に、大箒山は二等三角点で点名は大坊木(おおぼうき)とあり、所在地は戸河内町大字松原、俗称大箒山と言う。選点は明治26年と古い。点名の大坊木≠ヘ大箒山の東面、加計側の小字名である。南東の668.6mピーク(点名 上温井)の字名は大坊木≠ニなっている。温井側には大枋木林道(おおほうき)が通っている。
加計の地籍図によると、大坊木は山頂からカジヤ谷の北面、滝山川と戸河内境に挟まれる大箒山東面辺りをいう。
「温井ではオオホウキ、松原、杉泊ではオオボウキと濁音で呼ぶ人が多い」(「西中国山地」)。
杉泊の呼び名のオオボウキが、明治に入って地籍を決める時、大坊木と表したと思われる。戸河内の松原でもオオボウキと呼んでいるのは、「鉄の道」で松原と杉泊が繋がっていたためだろう。
箒の字をいつから当てるようになったのか定かでないが、比較的新しいと思われる。広島県統計年鑑を見ると、昭和元年(大箒山)、昭和29年(大坊木)、昭和33年(大箒山)と変遷している。
「登山口となる加計町温井の里には、江の淵という所がある。『芸藩通志』に、『スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した所だ』という里人の伝承が紹介されている」(『リュックかついで』)。
伯耆国(ほうきのくに)の由来
伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となったという(ウィキペディア)。
「ほうき」の語源
「伯耆」とは、旧国名「伯耆国」のなごりで、現在の鳥取県中西部と島根県東部の一部を含む地域では今でも多くの「伯耆○○」という地名や旧跡が残っております。その中でもとりわけ有名なのが「伯耆富士(ほうきふじ)」「伯耆大山(ほうきだいせん)」でしょう。(元々の伯耆国の「ほうき」の語源については「山脚が断崖となって水に落ちるところ」など諸説あるようです)(伯耆町HPから)。
ハケ (ハッケ, バケ, バッケ) とホキ (ホッキ)
東日本特に武蔵を中心として最も多く分布する崖地名のハケ、ハッケ、バケ、バッケについては柳田先生の御考証もあり、新編武蔵風土記などにもすでにこれを指摘しており、また今日ではいろいろの人の注意もひいているので、改めてこゝに紙面を費す必要はあるまい。このハケ類には峡、八景、八卦、羽毛、端気など種々の字があてられ、これらのハケが単独の地名となつているほか、峡田というような地名として存在している。
東北地方には八卦や八景などが多いようである。八景山などの場合は、近江八景の八景と同じく、勝地の意味でつけられたものがあつても、それはもちろん別である。
八景のアテ字に関連して挙げたいのは、宮城県追波湾にある大八景島、小八景島である。ヤケ島とよませている。共に島の周囲全体を、断崖が取卷いている。これはハケにあてた八景の字を、ヤケとよむようになつたものかどうか。
次にホキ、ホッキ (保木、保喜、堀切、房木、仏木、宝城など)についてであるが、少なくとも北九州には断崖の個所をホキとよぶ言葉がなお残つている。この地方では現在、日常語として穴のことをホゲ、穴のあくことをホゲル、穴をあけることをホガスなどと使つているが、これはホキと同語根かと思われる。私はホキを初め地方的方言かと思つていたが、辞書によると岸険の意訳文字をあて、「断崖の個所や山腹の峻しい所をホキといい、古語である」と説かれている。
ホキの分布は広いが、西日本殊に四国・九州方面に多いようで、大保木とか切房木とかの地名が崖地によくある。大保下(おほげ)(延岡図幅)
もある。コ島県吉野川上流沿岸の、断崖地として著名な大歩危、小歩危も恐らくこれであろう。大分県下毛郡三保村洞ノ上
(中津市東南) は、ホキの地形にあてはまるので洞の字を用いたことと思われる。ハケとホキは同系のもののように思うが、そのハケがアイヌ語のPake
(パケ, 端) から来たろうという説が正しいとすれば、ホキともつながることが考えられる。
堀切をホッキとよませている例は多い。これには水沢地などの堀割や、坂道の切通しをいうのではなくて、崖から来たものが、たしかにあるように見なされる。たとえば山梨県西八代郡山保村堀切
(市川大門町の南方)
はたしかに断崖地である。仏沢や仏木峠なども恐らくこれであろう(『崖を意味する地名』松尾俊郎)。
大箒山の「ホウキ」は、滝山峡右岸の三角点に「大坊木」があり、大箒山東面、滝山峡右岸の小字名である。崖の方言に「ホキ」があり、伯耆町HPにも崖を指摘しており、崖に関連する地名であるのかもしれない。
マタギ言葉ハケ
アイヌ語の中にも偶然かも知れぬが似た語がある。国後島の大八卦(ホロボツケ)、一名ノボリパッケ、島中の第一の高山なりと大槻氏風土記に見ゆとある。ノボリは即ち山であらうから此バッケも切崖のことかも知れぬ。バチェラア氏語彙には、Pake=the
head(頭)、サパ(頭)に同じであるが、永田氏の蝦夷語地名解にはペシパケ岬、ペシは崖、パケは端、平なる山側とある(「地名の研究」柳田国男)。
マタギ言葉 |
アイヌ語 |
日本語 |
ハケ・ハッケ・ハッケィ・ハッキ |
パケ
pake |
頭 |
カシミール3Dデータ
総沿面距離22.0km
標高差648m
区間沿面距離
後温井駐車場
↓ 7.0km
とや橋
↓ 1.2km
黒滝橋
↓ 4.1km
黒滝峠
↓ 1.2km
大箒山
↓ 8.5km
後温井駐車場
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