山歩き

一軒家…長平谷…冠山…ウシオ谷
2020/3/29

一軒家…タキガ谷林道…長平谷…冠山…クルソン谷…ウシオ谷…登山口…41番鉄塔…186号線…一軒家

■冠山(カムリヤマ・コウソンカムリ)1339m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(点の記) (廿日市市)

タキガ谷林道入口
タキガ谷
中の谷から落ちる滝
中の谷から落ちる滝と長平谷落ち口
水量多い中の谷
頓原造林地標識の下を通る
長平谷入口
植林地を流れる長平谷
冠造林地の標識
ワサビ田跡の石積 1150m付近
冠山
北側の展望地から
クルソン岩分岐
魚切林道に出る
魚切林道からウシオ谷へ下りる階段
ウシオ谷の左岸へ渡る
登山口へ渡る橋
魚切林道終点
高速道沿いの41番鉄塔への道
41番鉄塔
41番鉄塔南の木材集積所
冠山と広場
植林地を下ると木橋に出る
太陽光パネルが並ぶ42番鉄塔の東
42番鉄塔
43番鉄塔
ハシノ谷の高架下を潜り旧道に出る
6:25 一軒家 気温4度 晴れ
 

7:15 タキガ谷林道終点
7:30 長平谷入口
8:05 冠造林地看板
8:45 ワサビ田跡石積
9:45 冠山
10:25 クルソン分岐
10:55 魚切林道
11:30 冠山登山口
12:00 41番鉄塔
12:20 42番鉄塔
12:40 43番鉄塔 
12:55 186号線 
13:20 一軒家

 気温4度だが風が強くて、手が悴む。伴蔵川左岸の道を進みタキガ谷林道に入る。入口にアマゴ漁禁止の看板がある。冠山トンネルの上を過ぎたところで右手に高速道が見えてくる。48番鉄塔を過ぎた先の送電線の下に電線注意のプレートがある。

 前方に47番鉄塔が見える。少し進むと47番鉄塔に入る道がある。スゲに白い花穂が咲く。林道を進むと眼下に白濁したタキガ谷の流れが見える。U字に林道を進み、タキガ谷水源に入る。

 タキガ谷林道終点から中の谷から落ちる滝が見える。昨日の雨で水量が多い。タキガ谷右岸の山道を進むと、長平谷から落ちる水流が中の谷の滝の下で合流しているのが見える。滝上に出ると中の谷左岸に頓原造林地の標識が見える。

ワサビ

 水量多い中の谷を渡り左岸をすすむ。山側に大きいブナが見える。頓原造林地の標識の下を通り、滝上を横切って長平谷へ出る。長平谷も水量が多い。谷を少し進むと左岸に踏み跡がある。左岸に黄色の境界柱が立っていた。左岸のスギ林を進む。

 左岸から下りる小谷に黄色の境界柱が見える。葉先の棘が痛くないハイイヌガヤが群生する。谷沿いにスギ林が続く。谷に黄色い境界柱があり、そこからほどなく左岸に冠造林地の標識がある。その近くに錆びた古い標識が残っている。大きいマイマイの殻が転がっていた。

 1093ピークの北付近にワサビの葉が残り、白いツボミが出ていた。右岸から下りる谷の石垣にもワサビが残っていた。谷を進むと1150m付近にワサビ田跡の石積が多く残っている。長平谷水源の途中から尾根を登る。登山道に合流。

ササの葉に早朝のみぞれが残る
山頂付近の樹氷

 早朝の冠山は雲が掛かっていたが、霙だったようで、ササの葉や登山道にみぞれが残っていた。木々の枝は樹氷となって白く張り付いていた。一軒家から3時間余りで冠山。北側の展望地に出ると、樹氷の先に西中国山地の峰々が広がる。

 山頂に引き返し、少し休憩してウシオ谷登山口へ下山。林の先に鉄塔が並んでいるのが見える。30分ほどでクルソン岩分岐。石の多いクルソン谷を下る。途中、クルソン仏岩から下りる山道に合流する。山頂から1時間ほどで魚切林道に出た。カードレールが付いた林道になっていた。林道を少し東へ入ってみたが、奥へ続いているようだった。

 魚切林道から木の階段を下ってウシオ谷へ下りる。木橋を渡り左岸を下る。右岸を見上げると林道が見える。右岸、左岸と木橋を渡る。左岸のササゲ峠から下りる谷の木橋を渡る。鉄橋を渡り登山口に出る。

フキノトウ
道端のスイセン

 車道を下ると、林道魚切線終点の標柱が立っていた。冠山北の小川林道から続く魚切林道はウシオ谷まで延長されていた。平成17年度に完成している。林道終点にフキノトウが出ていた。

 魚切林道終点で休憩し、車道を進む。前方に車道を横切る送電線が見えてくる。道端に黄色のスイセンが咲いていた。途中から西側の車道を上がる。高速道に沿って進むと、41、40番鉄塔への標柱があった。標柱から山側は広い原っぱになっている。

 41番鉄塔は鉄柵で囲まれている。鉄塔の南側は木材集積所になっていた。冠山に向かって道が延びている。途中広場になっている。道の途中から引き返し送電線の側へ進む。植林地を通り小谷へ下ると木橋が架かっていた。42番鉄塔が見える側へ石垣の斜面を登る。

41、40番鉄塔の標柱
41番と42番鉄塔の間の谷の木橋
太陽光パネルを拡張しているようだ
42番鉄塔東
42番鉄塔西から南側を望む

 広い敷地に出ると多数の太陽光パネルが設置されていた。太陽光パネルの西側に42番鉄塔が立っている。傍のウメが満開だった。西側は谷になっており高速道下のトンネルが見える。トンネルの手前まで下り、高速道に沿って車道を進む。日が暑いので分岐道を林の中に入った。

 分岐道に廃車があり、林の中の43番鉄塔に出る。ハシノ谷左岸に山道があり、下ると43標柱が立っていた。谷側に下りると上流に大きい堰堤がある。高速道下はガードになっており潜って旧道に出た。186号線に合流し一軒家に帰着。

42番鉄塔東の太陽光パネルの衛星画像
(ピンクはgps軌跡)
出力0.719MW(メガワット)とあるので数百のパネルが設置されているようだ。衛星写真で見ると42番鉄塔の東側にたくさんの太陽光パネルが見える。
左の一番上の短い列に40基のパネルが見える。
下側に高速道が通る。
42番鉄塔傍のウメ

 

地名考

 冠山(1339m)の呼称は、はじめ「カムリヤマ」と呼ばれ、後に「冠山」の字が当てられ、「かんむりやま」と呼ぶようになった。冠山の西の峯は「ウシロカムリ」と呼ばれている。

 才乙の「冠山」(1002m)は、元の呼び名は「かむり」と呼ばれ、地元では「かぶりやま」と呼ばれている。 

 才乙の冠山の北東の島根県瑞穂町の「冠山」(859m)は、コウブリ山、コーブリ山、カウムリ山などの名があり、元の呼び名は「カフリ山」であった(以上『西中国山地』桑原良敏)。

 出雲風土記に冠山がある。出雲風土記、神門郡の山野にある冠山は「かがふりやま」と読む。

 「郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。〔大神の御冠(みかがふり)である〕」(出雲風土記)。

 出雲風土記の冠山の由来は、大神の「みかがふり」ということから、山の形が大神の冠に似ているので冠山と呼んでいる。


 冠は古くは「かがふり」といった。頭にかぶるもの、かぶる、位階、頂く・受けるなどの意がある。

 古事記、万葉集に冠(かがふり)がある。

 古事記の冠(カガフリ)

 「次、於投棄御冠飽咋之宇斯神」(原文)

 「次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神」

 ここにいう冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるもの。

 万葉集の冠(かがふり)

 万葉集に「かがふり」を含む歌が3首ある。

 歌番号892
 麻被 引可賀布利(原文)
 あさぶすま ひきかがふり(かな)
 麻ぶすまをかぶる(かける・ひっかぶる)(訳)

 「かがふり」はかぶる、掛けるの意。

 歌番号3858
 五位乃冠(原文)
 ごゐのかがふり(かな)
 五位の位階(冠は位を示す文書に代わった)

 「かがふり」は位を示す。
 古くは位階によって冠の色が違った。

 歌番号4321
 美許等加我布理(原文)
 みことかがふり(かな)
 天皇の命令を受け(訳)

 「かがふり」は受けるの意。

 「かがふり」は古代には、「かんむり」「かぶる」「うける」の意があったことがわかる。


 カガフリ カウブリ カウブル カウムル カブリ カムリ カンムリ などと変化したと考えられる。


 万葉集(4238)に「かづらかむ」がある。

 「縵可牟」(かづらかむ=原文)で、「かづらを被る」の意である。「かぶる」「かむる」の用例は古くからあったと思われる。


 次のような方言がある。

 首里・那覇方言 
 カカイムン (名詞) 憑きもの。もののけが憑くこと。生霊または死霊が何か頼みごとなどあって人に憑くこと。 

 今帰仁方言
 「カガーミー」「カンヂュイ」=鶏冠・とさか
 「カンビン」「ハンビン」は、被るの意。

 沖縄方言
 「カンムイ」は、頭にかぶるもの一般、帽子、冠。
 「カンジムン」 頭にかぶるもの
 「カンジュン」は、かぶるの意。
 「タマンチャーブイ」 王冠(玉御冠・たまみきやぶり)
 「カンジ」 とさか

 奄美方言
 「カブルリ」は、かぶるの意。
 「かブルリ」 かぶる(帽子、笠、手拭いなどで頭を覆う。布団を頭まで掛ける)、頭から浴びる(水、波などを)、こうむる、受ける(不浄のけがれなどを)(人の罪を≪かぶる≫意には用いない)

 宮古方言
 「カムギ」は、鶏冠の意。

 新潟県
 アゲカムリ 女のかぶりもの

 対馬
 カムリイシ 墓上に敷く平石を冠り石という

 伊豆の新島
 カムリカタビラ 被り帷子

 壱岐
 ワタボウシカムリ 綿帽子かむり

 福島県
 デンバカブリ 手拭きの被り方の一種

 岩手県
 トリコカブリ 手拭きの被り方

 壱岐
 フキカブリ 新築家屋の屋根葺終り


 アイヌ語では次の用例がある。

 hup-ka-kamu-mun
 フプ・カ・カム・ムン
 はれもの・の上を・覆う・草

 hukakam < hux-ka-kamu-mun 知里別巻T−302p

 hux-ka-kamu-mun < hup(はれもの)-ka(の上を)-kamu(覆う)-mun(草) 同303p

 hukakam フカカム マイズルソウ 同208p

 トドマツ hupの語源=腫物 同233p

 huxtek < hup-tek トドマツ・手=枝 同234p


 「フカカム」と呼び、マイズルソウのことである。樺太では患部を舞鶴草の葉で覆い、膿の吸出しに用いた。


 神(カミ)の由来

 日本語の神は、カミで神の意で、カミを分解しても意味はない。

 アイヌ語の神=カムイは「カム・イ」「カ・ム・イ」に分解でき、以下の意がある。

 カム・イ かぶさる・もの
 カ・ム・イ 上・ふさがる・もの

 このことはカムイが日本語からアイヌ語に入ったものではないことを証明している。

 アイヌ語より前に縄文語「カ・ム・イ」があり、それを音節ごとの意味どおりに引き継いだのがアイヌ語、それに対して渡来系の人々は、表面の意味だけを受け継いだとみられる。

 日本語のカミは古くはカムという音だった。神歌(カムウタ)、神サビ(カムサビ)、神祖(カムオヤ)、神懸(カムガカリ)、神集う(カムツドウ)、神上がる(カムアガル)など複合語の中に現れる。

 大野晋はカミの古形として kamui を推定している。

 宮古島、多良間島、伊良部島では、神はカムの音で、日本語の古い特徴なのではないかといわれている。
 (ミドゥむマ ヤーヌ カむ=女は家の神様=琉球語音声データベース・宮古方言)

 万葉集に雷を含む歌が四首ある。原文に雷を含む歌が二首あり、「イカヅチ」と詠む。他の二首は伊加土山(イカヅチヤマ)、可未奈那里曽祢(カミナナリソネ)である。

 可未奈那里曽祢(3421)の訓読と意味は以下のとおり。

 伊香保嶺に雷な鳴りそね
 我が上には故はなけども子らによりてぞ

 伊香保の嶺に 雷よ鳴らないでくれ  
 私は何ともないが 子らは恐がるから


 他に訓読「鳴る神」が七首ある。原文に鳴神(三首)、動神、響神、雷神(二首)とあり、「ナルカミ」と詠む。


 これらの歌から雷は神鳴りであることがわかる。

 雷光や雷鳴は上から恐ろしい威力で覆いかぶさる存在、恐ろしい威力で人間を覆うものと考えられる。

 カム・イ かぶさる・もの
 カ・ム・イ 上・ふさがる・もの

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カシミール3Dデータ

総沿面距離14.7km
標高差706m

区間沿面距離

一軒家
↓ 3.1km
長平谷
↓ 2.3km
冠山
↓ 4.0km
ウシオ谷登山口
↓ 5.3km
一軒家
 

 
 
 
 
中の谷の滝
冠山北の展望地から
冠山北の展望地から
冠山北の展望地から
冠山北の展望地から
41番鉄塔から冠山を望む
42番鉄塔から板敷山、焼山峠を望む
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)