6:35 カメイ谷入口 晴れ 気温18度
7:15 亀井谷奥橋
7:40 銅山跡
8:35 33曲り入口
9:40 F10m
10:40 右谷
13:00 平太小屋原
13:10 旧羅漢山
13:50 カマのキビレ
14:45 ジョシのキビレ
15:30 ジョシ谷
15:50 カメイ谷
16:45 カメイ谷入口
亀井谷入口を出発、気温18度だが蒸し暑い。ミツバウツギにハート型の実が付いている。キンミズヒキが多い。仙床寺跡を過ぎると林道は鎖止め。エゴノキに実が生る。亀井谷橋を渡り左岸を進む。40分ほどで奥亀井谷橋。
右岸から谷に入るとササが刈られていた。左岸に渡る地点に新しいロープが張ってあった。これなら少々増水しても渡れそう。ロープに木札が下げてあり、「山に入り今日の出合いが君と君 ああ楽し」、裏側には「山歩き心も体も癒されて」と書かれていた。
二番目の渡渉地点には金属チェーンが渡してあった。三つ目の渡渉地点には無かった。左岸を進む、キバナアキギリ、アキチョウジが咲く。ジロタの谷の堰堤が見える、ジョシ谷を渡る所にロープが架かる。広見入口の目印を過ぎてジョシ谷右岸の入口に出る。
キバナアキギリ |
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アキチョウジ |
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ピンクのテープはカメイ谷左岸に続いているが、右岸に渡り銅山跡に上がる。デミセ谷を渡り、石垣の上に出る。チャボガヤが実を付ける。平坦地に土管があった。その山側には石垣があった。石垣から山道が下りていた。そこを下ると平坦地に出て、右岸の山道に出た。
所々、山道の山側に石垣が残っている。左岸を見るとピンクのテープが続いていた。実を付けたミツバウツギがあった。左岸との合流点まで進むとロープが渡してあった。その付近の山側に石垣があり、炭焼跡のようだった。
アマスギ谷を渡る。アマスギ谷左岸に石垣がある。山道はカメイ谷の高い所を通っている。しばらく進むと長い石垣の所に出る。そこから少し進んだ所で左岸に渡る。橋脚の跡だろうか、右岸に石垣が残っている。少し進んで小滝の上流を右岸に渡る。出発から2時間ほどで33曲り。
オトコヨウゾメ |
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チャボガヤ |
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整備された山道はここまで。33曲りの谷を渡り、右岸の山道を上がるとササ薮になっている。ササの中は岩がごろごろしている。左岸へ渡る地点で山道が崩壊、おそらくこの地点に橋が架かっていたと思われる。急な谷へ下りて左岸へ渡る。薮となった道跡を進む。
地図上にある破線道の終点まで進むと、左岸から下りる谷のまん中の木にピンクのテープが巻いてあった。この谷はカマのキビレの方へ上がっている。谷を進み、小滝を越える。モミジガサが咲く。大岩の谷を進み、F10mの手前に出る。左岸を巻いて、F10mの上に出る。
少し進むと小滝が谷を塞ぐ。右岸を巻く。ダイモンジソウが咲いていた。さらに小滝を越える。右岸の崖を下りるロープがあった。急な谷を登る。左岸から落ちる滝の手前で左岸を巻き、滝の上の右谷に出た。苔むした岩の上で一休み。清水で顔を洗う。
ナメラダイモンジソウ |
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モミジガサ |
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岩の右谷を進む。クマが食べたのか、ミヤマガマズミの実が無い。アキチョウジが咲く。谷は伏流水になって、水音だけが聞こえる。岩の谷から谷に沿う樹林に入る。スギやトチ、ミズナラ、ブナの樹林を進む。大きいスギが多い。ヤマシグレの実も食べられている。フウリンウメモドキの赤い実。
5.3mのミズナラの下を通る。14年前、ここを通っている。リョウブが実を付ける。大岩の薮の中に入ってしまった。岩と岩の間の穴に落ちないよう注意する。平太小屋原西の登山道にようやく出る。出発から6時間余りかかった。一休みして、10分ほどで旧羅漢山。獅子岩の上にあがってみる。西側の展望岩に出て、しばらく休憩。
ユキザサ |
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エリマキツチグリ |
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空は低い雲が覆っていて見通しはよくない。春日山も霞んでいる。巨石の間を下る。ツルリンドウが咲く。ユキザサの実が赤から斑模様になっている。キンミズヒキ、ヒヨドリバナが咲く。30分ほどでカマのキビレ。ジョシのキビレへ下りる山道が整備されていた。ギンリョウソウが伸びる。
ナナカマドの赤い実が落ちている。カマから1時間ほどでジョシのキビレ。ここもササが刈られ広くなっている。刈られたササを踏みながら山道を下る。キビレから45分でジョシ谷に出る。そこから20分でカメイ谷へ出た。渡渉地点で顔を洗い、靴の汚れを流す。林道に出るとやたらマムシが多かった。1時間ほどで出発点に帰着。
ヒカゲミツバ? |
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ツリフネソウ |
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キンミズヒキ |
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ナナカマド |
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ギンリョウソウ |
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ヒヨドリバナ |
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キンミズヒキ |
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ヤマシグレ |
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ミヤマガマズミ |
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エゴノキ |
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シシウド |
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ミツバウツギ |
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ノブドウ |
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ウド |
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リョウブ |
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フウリンウメモドキ |
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ツルリンドウ |
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ミヤマタマゴダケ |
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■地名考
大正期、益田と道川を結ぶ索道が建設された。索道の総延長は約30キロメートルで、工期は3期に分けて行われた。益田〜匹見間と匹見〜道川間でそれぞれの間に次の駅をおいた。
益田駅、大谷駅、馬ノ谷駅、澄川駅、都谷仮駅、広瀬駅、匹見駅、下組駅、亀井谷駅、元組駅の合計10駅が設置された。
第1期、2期は大正13年に、匹見〜道川間の第3工区は大正14年に計画され、大正15年、益田〜道川間の30キロ全線が完成した。
二条の鋼鉄線は7本6つよりのロープで、約200本の鉄塔にかけられ、索道の軌条とされた。当時、匹見から益田へは旧道を歩いて10時間、馬車で2日間、車で5時間であった。
膨大な山林から、原木、枕木、木炭、薪を終日満載して搬出し、益田からは酒、味噌、米、塩、油、肉といった日常生活物資が送り込まれた。輸送能力は1日40トン、大正14年度で1年間に搬出された貨物は約8000トンにおよび、益田から発送された物資は1200トン以上もあった。
索道運賃は上りと下りで多少異なるが、上り10キロ辺り1円という低運賃であった。
匹見の山々の材は大正14年以降、向こう50年間切り出すことができるといわれていたが、道路敷設や改修等により貨物自動車が幅を利かせ、あいまって施設の老朽修理代がかさみ、採算が次第に難しくなり降番を余儀なくされ、索道は30年間の歴史を閉じることになった。昭和26年7月をもって事業を中止し、ついに全線を撤去した(『索道のしおり』匹見ウッドパーク)。
亀井谷林道から出た材木や炭は索道亀井谷駅に集められた。
索道 亀井谷駅
亀井谷入口の東、匹見川の左岸にあった |
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索道 亀井谷駅 |
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伐り出した原木を人力で麓まで下す木馬(キンマ)
キンマ(木馬)
旧美濃地家住宅主屋 |
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『石見八重葎』(1816年)の春日山
『石見八重葎』東本郷(疋見)の項に以下の山名がある。
三葛山 太神ヶ嶽(ママ) 阿増地山 広見山 十方山 春日山 岩倉山 日晩山 平家嶽…
東村郷八尾村の項に
「高山 春日山 昔ヨリ此山ニ登リタル人アルヲ聞カズ 神出ヶ嶽トモ云」とある。
「神出ヶ嶽」は「カミイデガタケ」の読むのだろう。春日山の東にカメイ谷があり、「カメイ」「カミイ」は呼び名が似ている。
カメイ谷は「カメ谷」「オオカメ谷」とも呼ぶ。地形図にあるカメイ谷に入る破線道はカマのキビレから下りる谷が終点である。カマのキビレは林道がつくられた時の地名ではないか。
ジョシ谷 ジョシのキビレ
カメ谷 カメのキビレ→カマのキビレ
のように転訛したと思われる。
旧羅漢山は獅子岩山とも呼ぶ。
『島根県美濃郡統計一覧』(大正9年=1920年の美濃郡図には、旧羅漢山は「獅子岩山」としている。「獅子岩山」は、『大日本管轄分地図・島根県管内全図』(明治33年=1900年)にも山名がある。獅子岩は山頂にある巨石と思われる。
明治・大正期になり、亀井谷が開発されて、旧羅漢山に登る人が多くなり、そのころ呼ばれだした地名であろう。
カシミール3Dデータ
総沿面距離16.1km
標高差899m
区間沿面距離
亀井谷入口
↓ 4.7km
33曲り
↓ 3.5km
旧羅漢山
↓ 2.9km
ジョシのキビレ
↓ 5.0km
亀井谷入口
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