山歩き

二軒小屋…十方山…内黒峠…古屋敷
2019/5/4

二軒小屋…シシガ谷登山口…十方山…奥三ツ倉…中三ツ倉…丸子頭…彦八の頭…内黒峠…旧道…古屋敷

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)
■丸子頭(マルコカシラ)1236m:広島県山県郡戸河内町字横川(点の記) (安芸太田町)
■彦八の頭(ヒコハチノカシラ)1151m:広島県山県郡戸河内町(点の記) (安芸太田町)

サバノ頭
二軒小屋右岸の石垣
マルコ谷落ち口の橋脚
死人谷の石垣
死人谷の石垣とミツバツツジ
二十八万谷左岸へ入る石垣道
十方山登山口
旧羅漢と恐羅漢
丸子頭
十方山北峯のプレート
十方山
立岩山
五里山方向
論所・掘割
十方山を振り返る
奥三ツ倉のオオカメノキ
中三ツ倉
中三ツ倉北から苅尾山、深入山を望む
リョウブの尾根
丸子頭
藤本新道分岐
カザゴヤキビレから見る藤十郎の峯
彦八の頭西から見る恐羅漢山
彦八の頭
市間山と立岩山
彦八の頭北から見る恐羅漢山
1166ピーク 彦八
ミズナラの大木
内黒山
加藤武三之碑
展望所
砥石川山と聖山
アサ谷の石垣
旧道崩壊地点
旧道の石垣
イヨキリ谷の石垣
ワタン谷の石垣
古屋敷橋に出る
6:50 二軒小屋 晴れ 気温7度
 

7:35 十方山登山口
8:35 十方山北峯
8:45 十方山
9:10 奥三ツ倉
9:25 中三ツ倉
9:50 丸子頭
10:20 藤本新道分岐
10:45 彦八の頭
11:15 1166P(彦八)
11:50 内黒峠
11:55 展望所
13:30 古屋敷
13:45 二軒小屋

 道縁にカキドオシが咲き、タネツケバナが多い。アカシデが花穂を下げる。横川川右岸、ウシロ谷とホシデノ谷の間に石垣が見える。キブシ、ミツマタの花が残っている。カラマツの葉が大分伸びてきた。クロモジの花が咲き、葉は毛で覆われている。ナガバモミジイチゴの白い花。マルコ谷落ち口付近にコンクリートの橋脚が残っている。

 最奥の集落跡が残る死人谷にコバノミツバツツジが咲く。ここまで林道は工事中。ミヤマキケマンが多い。八百ノ谷にシナノキの葉が出ていた。横川川右岸に石垣道が見え、二十八万谷に入っている。明治32年の五万分一地図には二十八万谷に二軒の民家が見える。

アカシデ
ナガバモミジイチゴ

 スギ林下の中にトチノキの幼木が生え、葉が出ていた。日陰にミヤマカタバミの白い花が咲く。林道沿いにスミレが多い。40分ほどで十方山登山口。南尾根の新道を登る。ナナカマドが新葉を広げる。ヤマザクラの花びらが落ちている。境界尾根に出る。ツボミが出ているユキザサが多い。

 タムシバの花びらが落ち、ウリハダカエデの葉が地面から出ている。エンレイソウが咲く。1100mを過ぎるとカラマツが点在する。ヤマザクラの木に花が残っていた。クマザサの子が出て、根本をかじるとほんのりと甘みがある。コハウチワカエデの葉が地面から出る。1200m付近から北に丸子頭が見える。振り返ると旧羅漢、恐羅漢の双耳峯が見える。

シナノキ
ユキザサ

 日が当たる尾根道からスギ林の陰に入る。スギ林下にミヤマカタバミが群生していた。エンレイソウも咲く。枝に付いたカラマツの実が落ちていた。オオカメノキが咲いていた。ハリギリの幼木の葉が出ている。1時間ほどで十方山北峯。木札に十方最高地点(1328m)と書いてある。三角点より9m高い。ここにもオオカメノキが咲いている。

 ショウジョウバカマが咲く。北峯から10分ほどで三角点山頂。気温23度。今日はくっきりとした展望だが、瀬戸内海辺りは見えない、クルソン岩は見える。女鹿平山の左に吉和の里が見える。東へ進む。ナナカマドが木いっぱいに葉を広げる。ミヤマカタバミが咲く。水源の湿地にバイケイソウが出る。

ミヤマカタバミ
コハウチワカエデ

 論所の掘割を渡る。登りになって振り返ると十方山の道標が見える。ブナの新葉が出る。20分ほどで奥三ツ倉。女鹿平山の後ろに羅漢山が大きく見える。ここにもオオカメノキが咲く。登山道を進むにつれ、木に咲いているのはオオカメノキだけ。東側が開け、藤十郎の先に加計の山々が見える。15分ほどで中三ツ倉。

 進むと北側へ展望が開ける。砥石川山、苅尾山、深入山、大箒山、大平山の峯が見える。ホオノキ、リョウブの葉が出る。リョウブ林を抜けると、丸子頭1364mのプレートがある。そこから100mほどで丸子頭、後ろのナナカマドが葉を伸ばす。山道を進む。クロモジが咲く。大きいヤマザクラに花が残る。右手に藤十郎の峯の植林地が見える。ブナ林の1152ピークを過ぎるとスミレが群生していた。

ナナカマド
バイケイソウ

 タコブナのような幹の下の方からたくさんの枝が出ている。丸子頭から30分ほどで藤本新道分岐。ブナ林のカザゴヤキビレを通る。南側が開け藤十郎の峯が見える。登りに入ると恐羅漢スキー場が見える。藤本新道分岐から25分で彦八の頭。市間山、立岩山が見える。市間山左のエンボウ原の山腹に林道が入っている。

 彦八の頭から新しく道が切り開かれ、登山道と繋がっていた。リョウブ林を抜け、ヒノキ林に入る。登りになると古屋敷へ下りる谷の先に恐羅漢スキー場が見える。ブナ林を抜け1166ピーク(彦八)。東側が伐採されている。東に見える植林地の中に白い広葉樹が点在する。恐羅漢公園線に二本のアンテナ塔が見える。その先に本郷の里が見える。ここは中ヶ谷頭とも呼ぶ。

ホオノキ
クロモジ

 ピークから下った鞍部に枯れたミズナラの大木がある。展望地に進むと内黒山が見える。ヤマザクラに花が残る。立ち止まって東側の山を見ていると、ものすごい、ササが揺れる音がしてキヤケ谷へ下って行った。クマかイノシシか大きい獣のようだった。

 ヒノキ林下にミヤマカタバミが群生する。峠に出る手前、登る人に会う。日陰の気温は23度。碑の加藤武三は大正元年広島市の生まれで、碑は1974年10月10日に建之された。彦八の頭から1時間で峠。タンポポが咲く車道を下り、展望所で一休み。砥石川山、聖山が見える。ドウダンツツジの花が咲いていた。

ニシノヤマタイミンガサ
ドウダンツツジ

 展望所から薮の旧道に下りる。ササ薮を抜けると道が消失し、車道下の法面を通る。それを抜けるとササ薮の古屋敷へ下りる旧道になる。湿地にタチカメバソウが群生する。トチノキが地面から葉を出している。モリガ谷へ降りる古道もササが茂っている。分岐付近はイノシシが激しく掘り返してササが無かった。

 アサ谷水源の水場で一休み。石垣が組まれて橋が架かっていたようだ。水場を過ぎるとササが少ない所がある。コンクリート電柱の下に碍子が落ちていた。崩落カ所があり道が消失している。イヌブナの葉が出ている。石垣の旧道を通る。イヨキリ谷は石垣が残っている。水量が多いワタン谷で一休み。両岸に石垣が組まれている。

 薮を抜けて古屋敷橋に出る。展望所から1時間半ほどだった。日が照る車道は27度になっていた。釣り人が川に入る所だった。八重のヤマブキがあちこちに咲いている。頭を轢かれたシマヘビが水路の横に居た。川沿いにネコヤナギが咲く。二軒小屋に「林道大朝鹿野線終点幅員7.0m」の標識がある。古屋敷から15分で二軒小屋。

オオカメノキ
コバノミツバツツジ
ミヤマキケマン
トチノキ
エンレイソウ
ウリハダカエデ
カラマツ
ショウジョウバカマ
ブナ
イヌブナ
ニシキゴロモ
ニシキゴロモ
リョウブ
タチカメバソウ
ヤエヤマブキ
カキドオシ


地名考

 『匹見八幡宮祭神帳』(1651年)の十方山

 広見川の奥に十方山がある。

 『石見八重葎』(1816年)の十方山

 『石見八重葎』東本郷(疋見)の項に以下の山名がある。
 三葛山 太神ヶ嶽 阿増地山 広見山 十方山 春日山 岩倉山 日晩山 平家嶽…

 東村郷八尾村の項に
 「高山 春日山 昔ヨリ此山ニ登リタル人アルヲ聞カズ 神出ヶ嶽トモ云」とある。

 広見村の項に
 「高山 十方山 魔所と言テ登ル人ナシ 広見山トモ云」とあり、広見川の奥に十方山がある。

 『石州古図』(1820年)の十方山

 『石州古図』に広見山があり、その奥の石見側に十方山と春日山が並んであり、続いてツゴウ山が見える。

 『芸備国郡志』(1663年)の十方山

 『芸備国郡志』は十方山について、「其山突兀…見北海往来之船舶」とある。「突兀」は「山や岩などの険しくそびえているさま」の意で、旧羅漢山は、西面は巨石群で、その頂きが岩峯になっている。山頂からは日本海が見える。『芸備国郡志』の十方山は旧羅漢山そのものである。

 著者の黒川道祐は広島藩医でもあり、安芸国の地誌に詳しかったと思われる。

 『日本書紀通証』(1762年)の十方山

 『日本書紀通証』には十方山を、「石窟」「多竒石」「恠巌」とあり、「岩穴」「多くの普通でない岩」「不思議な巌窟」などと形容しており、旧羅漢山の山頂直下の巨石帯と石窟を表現していると思われる。

 『石見八重葎』の「魔所」、『芸備国郡志』の「其山突兀」、『日本書紀通証』の「石窟」「多竒石」「恠巌」、『石州古図』の十方山の位置から、十方山は石見側では旧羅漢山を指していたと思われる。


 『西中国山地』の十方山

 1715年の『戸河内森原家手鑑帳』にも十方山は見られ、横川より登られていたようだ。隣村境覚書の項を見ると、今日の地図上の位置に十方山の山名が付けられていたことがわかる。

 佐伯郡吉和村側の資料としては、『吉和村御建野山腰林帖』(1725年・享保10年)が重要で、十方山、西十方山の山名が見られる。ついで『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』(1806年・文化3年)が刊行されている。この頃より吉和村では、十方山の裏(西)に更に大きな山のあることが知られており、東十方(十方山)と西十方(現在の旧羅漢山)を区別していた。
 
 また『佐伯郡廿ヶ村・郷邑記』には『芸備国郡志』の十方山に関する記述の、「西十方、東十方と二峯あるにもかかわらず一つの峯として記されている」ことが誤りであることを指摘している(『西中国山地』)。

 『松落葉集』(1768年)の十方山

 『松落葉集』に十方頂(じゅっぽうちょう)と題した宝雲(ほううん)の詩がある。

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 東天は仙嶽(せんがく)の雪
 西海は馬関(ばかん)の潮(うしお)
 山頂にして頂なるを知らず
 杳然(ようぜん) 九霄(きゅうしん)に坐す
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 「ここ十方山の頂に立てば、遠く東の空には仙人でも住むかと思われる高い山が雪をいただいているのが見え、西方ははるかに下関あたりの海原(うなばら)まで見渡せる。このように十方のながめがきくので身は山頂にありながら、山頂にあるとは思われず、はるか天の最も高い所にいるような気がする」(『広島大学デジタルミュージアム』)。

 『松落葉集』の十方山は現在の十方山から見た情景を詠ったものであり、『西中国山地』にあるように、十方山には二つの峯があったことがわかる。


 『芸藩通志』(1825年)のおそらかん山の位置

 『芸藩通志』戸河内村絵図に十方山とヲソラカン山が並んであり、その間を横川川が通っており、古ヤシキ、ヨコ川の地名が見える。旧羅漢山をヲソラカン山と呼んでいたと思われる。

 『芸藩通志』(1825年)のそかひ山

 『芸藩通志』(山縣郡23、58、59)山林の項の十方山に「一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし」とある。

 このことからソカヒ山も旧羅漢山であることがわかる。
 
 『日本地名箋』(1874年)、安藝、山縣の項に「背向山」があり、「ソガヒ」と仮名書きしてある。


 恐羅漢山三角点選点(1895年) 
 点名は「羅漢」

 「らかん」を漢字で表した最初ではないか。

 『島根県統計書』(1926年・大正15年)ラカン山
 『島根県統計書』島根県全図にラカン山が旧羅漢山の位置にある。


  『島根県地理小学』(1887年)に獅子岩山
 『島根県地理小学』に獅子岩山がある。
 『島根県統計書』(1911年・明治44年)の島根県全図に「獅子岩山」「十方岳」が旧羅漢山の位置にある。

 以上のことから旧羅漢山は以下のような山名があった。
 十方山・おそらかん山・そかひ山・ラカン山・獅子岩山


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カシミール3Dデータ

総沿面距離15.7km
標高差581m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 4.4km
十方山
↓ 2.7km
丸子頭
↓ 4.2km
内黒峠
↓ 3.1km
古屋敷
↓ 1.3km
二軒小屋
 

 

 
 
『石州古図』(石見国絵図・1818年・島根大HP)

石見に広見山・春日山・十方山がある
 
芸藩通志 戸河内村絵図

旧羅漢山の位置にヲソラカン山がある。
「一に西十方をおそらかん山とよぶ」
「日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし」(芸藩通志)。
吉和―打梨―那須―横川―ヲソラカン山の北―上道川村と下道川村の間に下りる道があった。
 
『新刻日本輿地路程全図』(1775年 信州大学HP)のソカイ山
 
『国郡全図』安芸国
(1837年 神戸大HP)

底見(匹見)と八幡原の上に二つの山(高岳と聖山)を隔ててソカヒ山
 
『島根県美濃郡統計一覧』
(大正9年=1920年)

美濃郡図 旧羅漢山の位置に『獅子岩山』がある。
 
島根県統計書
(1926年・大正15年)

旧羅漢山の位置にラカン山
 
冠山を望む
女鹿平山
苅尾山と深入山
恐羅漢山
内黒山
砥石川山と聖山
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)