山歩き

亀井谷…旧羅漢山…恐羅漢山…天杉山
2019/3/31

登山センター…カメイ谷…ジョシのキビレ…旧羅漢山…恐羅漢山…台所原…天杉山…高岳分岐…登山センター

■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記 点名:羅漢) (安芸太田町)
                          島根県益田市匹見町匹見亀井谷
■中ノ川山(ナカノゴウヤマ)1170.2m:広島県山県郡戸河内町中ノ甲(点の記 点名:中ノ甲) 安芸太田町
■天杉山(アマスギヤマ)1173.6m:島根県美濃郡匹見町一ノ谷(点の記) 益田市
■野田原の頭(ノタノハラノカシラ)1136m:島根県美濃郡匹見町 (益田市)

元組小学校跡
元組小跡 石垣の由来
191号線の歩道を進む
新槇原遺跡
道川小学校跡
田中ノ尻遺跡
八幡宮
307号線を進む
上家屋遺跡
亀井谷奥橋
タズガエキ
広見入口
ジョシ谷を登る
ジョシのキビレ
カマのキビレから見た中ノ川山
尾根道と登山道の分岐
旧羅漢山
恐羅漢山
十方山を望む
恐羅漢山
サバノ頭を望む
台所原への分岐
ブナ林を下る
台所原
中ノ川山三角点
砥石川山
登山道のブナ
天杉山三角点
野田原ノ頭
中の甲林道分岐
高岳分岐三叉路
高岳分岐三叉路
登山道のブナ
春日山を望む
大竜頭を望む
大竜頭
駐車場の案内図
三の滝橋と登山センター
6:25 登山センター 小雪 気温1度

6:45 道の駅
7:25 倉渡瀬橋
8:10 亀井谷奥橋
8:40 ジョシ谷
9:50 ジョシのキビレ
11:00 カマのキビレ
11:55 旧羅漢山
12:30 恐羅漢山
13:20 台所原
13:55 中ノ川山
14:00 岩倉山分岐
14:50 天杉山
15:30 野田原の頭
16:35 高岳分岐
17:45 登山センター


 小雪の舞う登山センターを出発。元組小学校跡の門柱から階段を下りると、「石垣の由来」の看板がある。上流の石垣40mは明治39年、旧元組小学校の為築造され、積石は付近の山石を使用し、石工は臼木谷の秀浦善一氏と書かれている。

 191号線の歩道を進む。小雪交じりの向風が強い。田んぼの準備がされつつある。道の駅手前に地蔵堂と石碑がある。旧石器の新槇原遺跡から道川小学校跡の校庭の前を通り307号線に出る。旧石器と縄文前期の田中ノ尻遺跡がある。遺跡の向かいの山は伐採されていた。
元組小学校跡
307号線のウメ

 県道を進むと忠魂碑、八幡宮がある。匹見川下流左岸の山々は白く霞んでいた。白梅、ピンクのアセビが咲き、道路沿いに菜の花が咲く。事故で死んでいたタヌキの片付けをしていた近所の人は畑を荒らして困ると言っておられた。猟師ヶ谷橋を渡り、縄文後期の上家屋(うえなや)遺跡の前を通り、亀井谷へ進む。倉渡瀬橋を渡り、亀井谷林道に入る。

 谷沿いのイヌシデの雄花が膨らんでいる。キブシが咲き始める。仙床寺跡付近は鎖止めで、亀井谷国有林の看板がある。亀井谷橋を渡り左岸を進む。林道縁にフキノトウが出る。入口から30分ほどで亀井谷奥橋。橋の下から尾の長いヤマドリが飛び立った。右岸の山道に入るとクマの糞があった。すぐに左岸に渡ると古い石垣が残っている。

クマ糞
アセビ
キブシ

 右岸、左岸と渡る。右岸にタズガエキが落ちる。左岸ジロタの堰堤が見えるとジョシ谷入口。木に広見入口の記しがある。少し進んでピンクのテープがあるジョシ谷右岸の入口に出る。雪の被る左岸の山道を登る。右谷に入り分岐地点から山腹を縫う山道に入る。尾根をジグザグに登って行くと大きいミズナラがある。眼下に大きいブナが見えるとジョシのキビレ、気温1度。

 ジョシ谷入口から1時間ほどで新雪が覆うジョシのキビレ。コーヒータイムの後、尾根の切り開きを東へ進む。1090ピークには岩がある。鞍部へ下り、ジョシ谷から上がる破線道に出る。この道はもう見当たらない。さらに進むと大きいブナがあり、大きいスギの木の下で雪を避けて一休み。

ジョシ谷分岐東のブナ
ノウサギの足跡

 亀井谷が見える。ノウサギの足跡が横切る。ヒノキ林の手前の1155ピークに進む。ヒノキ林の中にヤマドリの足跡があった。ほどなくカマのキビレ。中ノ川山が見えた。その先で扇沢から上がる登山道と合流する。合流点にカマのキビレ、ジョシのキビレの道標が掛かっている。

 ヒノキ林の登山道を進む。登っているとスギ林に変わる。巨石帯に入る。登山道を見失うが左へ回り、見覚えのある長い巨石の下に出た。巨石の横を登り登山道に出た。ジョシのキビレから2時間ほどで旧羅漢山。広見山、半四郎山が見える。新雪の道を下る。雪を被った恐羅漢山が見える。

上部の巨石
広見山を望む
内黒山を望む

 鞍部へ下り、登りの登山道に出る。展望地に出ると十方山から続く南西尾根が眼前に広がる。30分ほどで恐羅漢山。サバノ頭方向は霞んでいる。十方山側も、もう霞んでいた。台所原分岐に進む。雪のブナ林を下る。1時間ほどで台所原。

 背の高いササの間を進んで尾根に取り付く。ノウサギの足跡がある。30分ほどで中ノ川山、ササの下に三角点があった。ほどなく岩倉山分岐、明瞭な山道が西へ続いている。東側に砥石川山が見える。登山道は境界線の西側斜面を通っている。大きいブナがある。雪で道が不明な所がある。中ノ川山から1時間ほどで天杉山。

台所原
中ノ川山へ

 天杉山からの下りは、雪で倒れたササで登山道が見えなくなっている。雪面を下り途中、尾根を横切る登山道に出た。鞍部に下ると中の甲林道の道標がある。天杉山から40分ほどで野田原ノ頭。少し進むと中の甲林道、天杉山、高岳分岐の道標がある。

 明瞭な登山道を進む。野田原の頭から長い登山道を歩き、高岳、奥匹見峡、天杉山の三叉路に出る。「クマが出没します」の注意がある。奥匹見峡への尾根道を進む。所々、大きいブナがある。下って行くと、登山道の雪が消える。アカマツ林を下る。展望地に出ると、春日山が見えるが雲が掛かっている。

 さらに下って行くと、山腹から落ちる大竜頭が見える。日当たりのヒサカキに雄花が咲いていた。アセビは白い花をたくさん付ける。大竜頭が小さくなっていく。急坂を下り駐車場に出る。天杉山への道標がある。奥匹見峡の案内図があり、落差50mの大竜頭まで40分とある。10分ほどで登山センターに帰着。
 

ヒサカキ
アセビ
ツルアジサイ
ネコノメソウ
菜の花


地名考

 「十方山の記録の初見は、安芸国で最も古い地誌といわれている黒川道祐『芸備国郡志』(1663年)であろう」(「西中国山地」桑原良敏)とある。

 匹見側にはさらに古い記録がある。広見川は古代には「加江ノ川」(カエノカワ)と呼ばれており、「加江ノ川」の奥に十方山があることから、旧羅漢山を十方山と呼んでいた。

 『附言山田郷内東村、有加江乃川。源芸石広見河内奥、自十方山下流而到干此』(『匹見八幡宮祭神帳』1651年『石見匹見町史』)。

 『芸備国郡志』(1663年)は十方山について、「其山突兀…見北海往来之船舶」とある。「突兀」は「山や岩などの険しくそびえているさま」の意で、旧羅漢山は、西面は巨石群で、その頂きが岩峯になっている。山頂からは日本海が見える。『芸備国郡志』の十方山は旧羅漢山そのものである。

 『日本書紀通証』(1762年)は十方山を、「石窟」「多竒石」「恠巌」とあり、「岩穴」「多くの普通でない岩」「不思議な巌窟」などと形容しており、旧羅漢山の山頂直下の巨石群と石窟を表現していると思われる。

 『石州古図』(1818年)では、春日山と広見山の間に十方山があり、この山は旧羅漢山考えられる(下図)。

『石州古図』(石見国絵図) 1818年
道川村・下道川村に春日山・十方山

(島根大HP)


『国郡全図』安芸国
(1837年 神戸大HPから)

底見(匹見)と八幡原の上に
二つの山(高岳と聖山)を隔ててソカヒ山


 以上、整理すると各出典と山名、現在の山名の関係は以下のようになる。

 十方山

出典 山名 現在の山名
『匹見八幡宮祭神帳』1651年 十方山 旧羅漢山
『芸備国郡志』
1663年
十方辻 旧羅漢山
『戸河内森原家手鑑帳』1715年 十方山 十方山
『吉和村御建野山越林帖』1725年 西十方山 旧羅漢山
『日本書記通証』
1762年
十方山 旧羅漢山
『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』1806年 西十方 旧羅漢山
『石見八重葎』1816年 十方山 旧羅漢山
『石州古図』
1818年
十方山 旧羅漢山
『芸藩通志吉和村絵図』1825年 西十方 旧羅漢山
参謀本部測量局
明治
十方山 旧羅漢山

 恐羅漢山

出典 山名 現在の山名
『戸河内森原家手鑑帳』1715年 おそらかん山
おそらかん辻
 
『申定鈩山約束之事』1738年 おそらかん山  
『書出帳・戸河内村』1819年 オソラカン  
『芸藩通志』
1825年
ヲソラカン山
おそらかん山
そかひ山
西十方
旧羅漢山
『大日本與地便覧』1834年 ソカヒ山  
『国郡全図』
1837年
ソカヒ山  
匹見町の村人 匹見羅漢 旧羅漢山
三角点点名
1895年
羅漢 恐羅漢山
『広島山岳会会報』1932年 恐羅漢山 旧羅漢山
三笠宮 匹見から登頂
昭和53年高校登山大会(1978年)
旧羅漢山 旧羅漢山

 十方山は元々旧羅漢山の山名であったと思われる。
 おそらかん山、そかひ山の山名も、旧羅漢山であったと思われる。

 「十方山という山名は十方の展望をよくすることのできる山という意からでたものと思われる(『西中国山地』)と言われているが、十方山が元々、旧羅漢山の呼び名であった可能性があり、その意味は別の意味をもっていると思われる。

 西中国山地の山名に次の山がある。

 向半四郎 半四郎山の向かいの山
 ウシロカムリ 冠山の後ろにある山
 向真入山 深入山の向かいにある山

 恐羅漢山、ソカヒ山は次のように考えられる。

 ソカヒ(背向)羅漢 羅漢の背後にある山(旧羅漢山)
 オソ羅漢 羅漢の後ろにある山(旧羅漢山)


 「後ろ」の方言

 出雲弁
 オッソ 後ろ(出雲・大田)
 (用例 おっそから ぼいちゃげてくー)
 (用例訳 後ろから 追いかけてくる)

 出雲地方における促音便の変化
 sir が促音 ss に変化
 おしろ(後ろ) osiro おっそ osso

 出雲・平田【くじける】共通語   崩れる
 おっそ山がくじけて(うしろ山が崩れて)

 大社方言アクセントにおける類と音調型の対応
 後ろ(usIro/osso)

 隠岐五箇村
 オシロ 後ろ

 八束町(大根島=島根県)
 オシロマエ 後ろ前

 浜田市
 おそ 嘘(うそ) お→う

 島根県では、「後ろ」方言に、オッソ、オシロなどの音韻変化が見られる。

 「おそ羅漢山」は「羅漢の後ろにある山」の意と思われる。羅漢は旧羅漢山西面の巨石群のことだろう。
 ソカヒ山はソカヒ羅漢山であり、背向羅漢山の意で「羅漢の背後の山」の意と思われる。

 『五燈會元』(1252年)に「供養十方羅漢僧」という言葉がある。「天下の修行僧を供養する」という意味である。旧羅漢山は十方羅漢山であったと思われる。「天下の羅漢山」の意であろう。

 『芸藩通志』戸河内村にある道

 吉和―打梨―那須―横川―ヲソラカン山の南から上道川村と下道川村の間に下りる道があった(下絵図)。


 アイヌ語 osor オソル=尻

 osor オソル 尻
 oshor オショル 尻
 ushor ウショル 尻

次のように転訛してのではないか。

 osoru オソル → osso オッソ → oso オソ

 osiri オシリ → siri シリ(書紀)

 usiro ウシロ → ussho ウッショ osiro オシロ

 書紀 後方羊蹄=シリヘシ

 (書紀原文 「後方羊蹄此云斯梨蔽之」)

 オソル オシリ シリ ウシロ への転訛。

 シリ 尻・後


 匹見羅漢・恐羅漢山 登山コースの開発

 「国体開催の申請順位が島根県に決定した昭和48年(1973)。県山岳連盟理事の鼠谷清(昭和18年生)は、匹見町の山を舞台にしたコースづくりの可能性を探るため、一人で山に向かった。

 踏査の季節を6月にしたのは、ルート案の調査を蜂が飛び回る前にしておきたかったからである。リュックを背負い道川の三の滝沿いの沢を登り、野田ノ原から尾根伝いに広島県境を台所原へと進んだ。しかし道らしきものはまったくない上、2メートルほどの背丈よりも高いクマザサは行く手を阻み視界をさえぎった。体にからまるカズラを切りながら、地図や磁石を使わずカンを頼りに進み、途中で方角がわからなくなると、何度も高い木に登っては位置を確認した。そして行ったり戻ったりを繰り返しながら、太陽の位置や枝の張り具合で場所の見当をつけて歩いた。
 
 鼠谷には縦走競技に、中国地方で最も自然が残っている恐羅漢山と天杉山を競技のコースに入れたいというこだわりがあった。

 当初の計画では三の滝から扇沢のルート案があったが、標高差が大きく登り坂でコースがきつすぎることから扇沢から三の滝の逆コースを行く新ルートの開発となった。

 こうした関係者の渾身の努力を重ねながら昭和53年にはコースが決定した。そらから地元道川の住民による道刈りの奉仕活動が始まったが、縦走コースは、町内の造林業者に下刈を依頼した。当時は便利な重機もなく、すべて人力による道づくりであった。

 縦走競技は、スタート地点扇沢から広見山を背にブナ林を抜け匹見羅漢山の頂上に出、ブナやアシオスギ、サラサドウダンの群落の中を北へたどり恐羅漢山の頂上に出る。そして中の甲鞍部を下り、再び中の甲山の稜線に出、匹見町側のブナ林をぬいながら天杉山に至る。やがてコースは西に変わり奥匹見峡の景勝地・三の滝を経て道川小学校がゴール地点となる、最も変化に富んだコースとなった。

 こうして鼠谷たちによるルート開発から十年がかりで山岳競技が開催された」

 「昭和53年10月29日から11月2日までは、三笠宮寛仁親王殿下をお迎えし、道川の西日本登山センターを中心に中国5県高校登山大会が開かれた」(以上『匹見町誌』)。


 匹見羅漢・恐羅漢山登山コース

 戸河内町との境に位置する匹見羅漢、恐羅漢山。南北に約1キロ離れて岩塊ピークがあり、双耳峰になっている。北ピークを恐羅漢、南ピークを匹見羅漢と呼んでいる。

 匹見羅漢―恐羅漢―台所原―中川山―天杉山―三の滝へのコースは、昭和57年の島根国体山岳競技の縦走コースとなった魅力的なコースである。春はヤマザクラ、ツツジなどが彩り、ブナ、トチノキ、ナラ、カエデなどの広葉樹が新芽を出し、楽しませてくれる。片道(広見扇沢から登り山頂まで)所要時間約2時間。

 
旧羅漢山の西側に開ける広大な扇沢には、スギの人工林の床に岩海が眠っている」(以上『匹見町誌』から)。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離25.0km
標高差920m

区間沿面距離
登山センター
↓ 7.1km
亀井谷奥橋
↓ 6.3km
旧羅漢山
↓ 2.5km
台所原
↓ 3.0km
天杉山
↓ 6.1km
登山センター
 

 
 
 
黒川道祐『芸備国郡志』(1663年)
谷川士清『日本書紀通証』(1762年)
芸藩通志 戸河内村絵図

旧羅漢山の位置にヲソラカン山がある。「一に西十方をおそらかん山とよぶ」(芸藩通志)。
吉和―打梨―那須―横川―ヲソラカン山の北―上道川村と下道川村の間に下りる道があった。
 
恐羅漢山
十方山
台所原へ下りる道
登山道のブナ
春日山を望む
三ノ谷 大竜頭
大竜頭
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)