山歩き

二軒小屋…藤本新道…十方山…恐羅漢山
2019/3/23

二軒小屋…藤本新道…丸子頭…十方山…水越峠…旧羅漢山…恐羅漢山…カヤバタキビレ…牛小屋

■丸子頭(マルコカシラ)1236m:広島県山県郡戸河内町字横川(点の記) (安芸太田町)
■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)
■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記 点名:羅漢) (安芸太田町)
                          島根県益田市匹見町匹見亀井谷

恐羅漢橋
藤本新道入口
藤本新道分岐
藤十郎を望む
丸子頭
リョウウブ林を進む
雪原を進む
中三ツ倉 那須分岐
奥三ツ倉
十方山を望む
掘割
十方山
南西尾根
十方山 剥がれた道標
北の十方山
カラマツ林を下る
朽ちたブナ
水越峠
鎖止めの十方山林道
登山道に出る
霞む十方山尾根
焼杉山分岐
ササを覆う雪
旧羅漢山
雪原を下る
平太小屋原
登山道を進む
恐羅漢山
夏焼峠道標
かやばたキビレ
かやばたゲレンデトップ
砥石川山
サバノ頭を望む
山毛欅の木小屋
川本老介碑
丸子頭
6:55 二軒小屋 曇り時々雪 気温4度

7:05 藤本新道入口
7:40 藤本新道分岐
8:10 丸子頭
8:40 中三ツ倉
8:55 奥三ツ倉
9:15 十方山
9:30 北十方山
10:15 水越峠
11:30 焼杉分岐
12:00 旧羅漢山
12:35 恐羅漢山
12:50 かやばた分岐
13:00 ゲレンデトップ
13:35 牛小屋 
14:15 二軒小屋 


 曇り空、二軒小屋から恐羅漢橋を渡り、恐羅漢公園線に入る。10分ほどで藤本新道入口、十方山まで3時間10分とある。スギ林の急坂を登る。粒の小さい雪が降り始めた。広島県山岳連盟の標識のある階段を登る。30分ほどで藤本新道分岐。

 落ち葉の登山道は粒雪で白く覆い始める。1152ピーク手前に進むと、登山道に雪が残っていた。彦八の頭へ振り返る。藤十郎の峯が見えてくる。ガサガサと残雪を踏む。丸子頭標識から三角点へ進む。ナナカマドの冬芽が膨らむ。

 三角点から登山道に戻り、リョウブ林の雪道を進む。雪の上にツルアジサイのドライフラワーが落ちている。雪原を進む。遠くは霞んでいる。丸子頭から30分ほどで中三ツ倉。ピークから下って行くと、降ったばかりの粒雪にイノシシの新しい足跡があった。足跡は残雪の上にも続いていた。30分ほどで奥三ツ倉。
広島県山岳連盟の道標
ツルアジサイ
掘割
立岩山

 ピークからブナ林を下って行くと、ガスの中に十方山の道標が見えてきた。キツツキのドラミングが響く。掘割に進むと小さい木の梯子が谷底に立ててあった。山頂に出ると雪は無かった。立岩山方向は低い雲で霞む。広いササ原の南西方向も霞んでいる。南西の登山道も雪が無い。山頂近くの道標は表面が風で飛ばされて無くなっていた。

 早々に北へ進む。シシガ谷分岐に水越新道へのプレートがある。北のピークのブナにもプレートが取り付けてあった。ピークから北へ下る。スギ林を抜け、雪原のカラマツ林を通る。カラマツの松ぼっくりが落ちている。十方山登山口へ下りる分岐を西尾根へ進む。スギ林の中に朽ちた大きいブナが立っていた。

 植林地から水越峠へ下りる。十方山林道は鎖止めがあり、進入禁止になっている。スギ林の尾根を登る。西から入る水源の鞍部に下りて、再び登り登山道に合流。スギ林とカラマツの生える山道を進む。林の向こうに丸子頭が見える。雄花が膨らんだスギの枝先が落ちている。

アカモノ

 1200m付近から登山道を雪が覆うようになる。雪が降り始める。焼杉山分岐のスギの木の下で雪宿り。スギ林の雪原で雪風が激しくなる。カッパを取り出すリュックの中も雪が入り込む。ササの葉も白く雪で覆われた。旧羅漢山の大岩に出たところで、雪は少し小やみになった。水越峠から2時間ほどかかった。

 周辺は真っ白で展望は皆無。早々に恐羅漢へ下る。雪が覆う雪原をテープを見ながら下る。平太小屋原を抜けて登りの登山道に出る。展望地に出るが視界ゼロ。旧羅漢山から30分ほどで恐羅漢山。ガスで視界は無い。北へ下る。夏焼峠の道標が雪の中から出ていた。

三笠宮の登頂記念碑
カラマツ

 かやばたのキビレから東へ下る。10分ほどでゲレンデトップに出た。ゲレンデを下るに連れて視界が開けてくる。砥石川山や牛小屋谷の堰堤池が見えてくる。砥石川山に雲が掛かるが、日が射す深入山が見える。向山やサバノ頭が見えてくる。

 ゲレンデ端のミズナラにヤドリギがたくさん付いている。山毛欅の木小屋の横を通り、ゲレンデトップから30分ほどで牛小屋に下りた。丸子頭、十方山が見える。車道を下って行くと、雹が降り始め、はげしくなる。エビフライが転がっていた。フキノトウが顔を出す。ヤマザクラのツボミが膨らんでいる。牛小屋から40分ほどで二軒小屋に帰着。 

かやばたゲレンデトップ
かやばたゲレンデ
山毛欅の木小屋
エビフライ
ヤマザクラ
スギの雄花
ヤドリギ
フキノトウ

地名考

 「十方山の記録の初見は、安芸国で最も古い地誌といわれている黒川道祐『芸備国郡志』(1663年)であろう」(「西中国山地」桑原良敏)とある。

 匹見側にはさらに古い記録がある。広見川は古代には「加江ノ川」(カエノカワ)と呼ばれており、「加江ノ川」の奥に十方山があることから、旧羅漢山を十方山と呼んでいた。

 『附言山田郷内東村、有加江乃川。源芸石広見河内奥、自十方山下流而到干此』(『匹見八幡宮祭神帳』1651年『石見匹見町史』)。

 『芸備国郡志』(1663年)は十方山について、「其山突兀…見北海往来之船舶」とある。「突兀」は「山や岩などの険しくそびえているさま」の意で、旧羅漢山は、西面は巨石群で、その頂きが岩峯になっている。山頂からは日本海が見える。『芸備国郡志』の十方山は旧羅漢山そのものである。

 『日本書紀通証』(1762年)は十方山を、「石窟」「多竒石」「恠巌」とあり、「岩穴」「多くの普通でない岩」「不思議な巌窟」などと形容しており、旧羅漢山の山頂直下の巨石群と石窟を表現していると思われる。

 『石州古図』(1818年)では、春日山と広見山の間に十方山があり、この山は旧羅漢山考えられる(下図)。

『石州古図』(石見国絵図) 1818年
道川村・下道川村に春日山・十方山

(島根大HP)


『国郡全図』安芸国
(1837年 神戸大HPから)

底見(匹見)と八幡原の上に
二つの山(高岳と聖山)を隔ててソカヒ山


 以上、整理すると各出典と山名、現在の山名の関係は以下のようになる。

 十方山

出典 山名 現在の山名
『匹見八幡宮祭神帳』1651年 十方山 旧羅漢山
『芸備国郡志』
1663年
十方辻 旧羅漢山
『戸河内森原家手鑑帳』1715年 十方山 十方山
『吉和村御建野山越林帖』1725年 西十方山 旧羅漢山
『日本書紀通証』
1762年
十方山 旧羅漢山
『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』1806年 西十方 旧羅漢山
『石見八重葎』1816年 十方山 旧羅漢山
『石州古図』
1818年
十方山 旧羅漢山
『芸藩通志吉和村絵図』1825年 西十方 旧羅漢山
参謀本部測量局
明治
十方山 旧羅漢山

 恐羅漢山

出典 山名 現在の山名
『戸河内森原家手鑑帳』1715年 おそらかん山
おそらかん辻
 
『申定鈩山約束之事』1738年 おそらかん山  
『書出帳・戸河内村』1819年 オソラカン  
『芸藩通志』
1825年
ヲソラカン山
おそらかん山
そかひ山
西十方
旧羅漢山
『大日本與地便覧』1834年 ソカヒ山  
『国郡全図』
1837年
ソカヒ山  
匹見町の村人 匹見羅漢 旧羅漢山
『広島山岳会会報』1932年 恐羅漢山 旧羅漢山
三笠宮 匹見から登頂
昭和53年高校登山大会(1978年)
旧羅漢山 旧羅漢山

 十方山は元々旧羅漢山の山名であったと思われる。
 おそらかん山、そかひ山の山名も、旧羅漢山であったと思われる。

 「十方山という山名は十方の展望をよくすることのできる山という意からでたものと思われる(『西中国山地』)と言われているが、十方山が元々、旧羅漢山の呼び名であった可能性があり、その意味は別の意味をもっていると思われる。

 西中国山地の山名に次の山がある。

 向半四郎 半四郎山の向かいの山
 ウシロカムリ 冠山の後ろにある山
 向真入山 深入山の向かいにある山

 恐羅漢山、ソカヒ山は次のように考えられる。

 ソカヒ(背向)羅漢 羅漢の背後にある山(旧羅漢山)
 オソ羅漢 羅漢の後ろにある山(旧羅漢山)


 「後ろ」の方言

 宮古弁(岩手県)
 ウッソ 後ろ
 ウッソケエ 後ろ返し・裏返し
 ウッソメエ 後ろ前

 気仙沼(宮城県)
 ウッショ 後ろ

 仙台弁(宮城県)
 ウッショ 後ろ・後ろの家
 ウッショメエ 後ろ前

 相馬弁(福島県)
 ウッショ 後ろ

 茨木県
 ウッショ 後ろ

 金沢弁
 オシロ 後ろ

 伊勢(三重県)
 オシロ 後ろ・おしり 

 出雲弁
 オッソ 後ろ(出雲・大田)
 (用例 おっそから ぼいちゃげてくー)
 (用例訳 後ろから 追いかけてくる)

 出雲地方における促音便の変化
 sir が促音 ss に変化
 おしろ(後ろ) osiro おっそ osso

 出雲・平田【くじける】共通語   崩れる
 おっそ山がくじけて(うしろ山が崩れて)

 大社方言アクセントにおける類と音調型の対応
 後ろ(usIro/osso)

 隠岐五箇村
 オシロ 後ろ

 八束町(大根島=島根県)
 オシロマエ 後ろ前

 浜田市
 おそ 嘘(うそ) お→う

 八丈島方言 
 オシロ 後ろ

 東日本から島根地方にかけて、「後ろ」方言に、ウッショ ウッソ オッソなどの音韻の共通性が見られる。

 「おそ羅漢山」は「羅漢の後ろにある山」の意と思われる。羅漢は旧羅漢山西面の巨石群のことだろう。
 ソカヒ山はソカヒ羅漢山であり、背向羅漢山の意で「羅漢の背後の山」の意と思われる。

 『五燈會元』(1252年)に「供養十方羅漢僧」という言葉がある。「天下の修行僧を供養する」という意味である。

 旧羅漢山は十方羅漢山であったと思われる。「天下の羅漢山」の意であろう。



 匹見羅漢・恐羅漢山 登山コースの開発

 「国体開催の申請順位が島根県に決定した昭和48年(1973)。県山岳連盟理事の鼠谷清(昭和18年生)は、匹見町の山を舞台にしたコースづくりの可能性を探るため、一人で山に向かった。

 踏査の季節を6月にしたのは、ルート案の調査を蜂が飛び回る前にしておきたかったからである。リュックを背負い道川の三の滝沿いの沢を登り、野田ノ原から尾根伝いに広島県境を台所原へと進んだ。しかし道らしきものはまったくない上、2メートルほどの背丈よりも高いクマザサは行く手を阻み視界をさえぎった。体にからまるカズラを切りながら、地図や磁石を使わずカンを頼りに進み、途中で方角がわからなくなると、何度も高い木に登っては位置を確認した。そして行ったり戻ったりを繰り返しながら、太陽の位置や枝の張り具合で場所の見当をつけて歩いた。
 
 鼠谷には縦走競技に、中国地方で最も自然が残っている恐羅漢山と天杉山を競技のコースに入れたいというこだわりがあった。

 当初の計画では三の滝から扇沢のルート案があったが、標高差が大きく登り坂でコースがきつすぎることから扇沢から三の滝の逆コースを行く新ルートの開発となった。

 こうした関係者の渾身の努力を重ねながら昭和53年にはコースが決定した。そらから地元道川の住民による道刈りの奉仕活動が始まったが、縦走コースは、町内の造林業者に下刈を依頼した。当時は便利な重機もなく、すべて人力による道づくりであった。

 縦走競技は、スタート地点扇沢から広見山を背にブナ林を抜け匹見羅漢山の頂上に出、ブナやアシオスギ、サラサドウダンの群落の中を北へたどり恐羅漢山の頂上に出る。そして中の甲鞍部を下り、再び中の甲山の稜線に出、匹見町側のブナ林をぬいながら天杉山に至る。やがてコースは西に変わり奥匹見峡の景勝地・三の滝を経て道川小学校がゴール地点となる、最も変化に富んだコースとなった。

 こうして鼠谷たちによるルート開発から十年がかりで山岳競技が開催された」

 「昭和53年10月29日から11月2日までは、三笠宮寛仁親王殿下をお迎えし、道川の西日本登山センターを中心に中国5県高校登山大会が開かれた」(以上『匹見町誌』)。


 匹見羅漢・恐羅漢山登山コース

 戸河内町との境に位置する匹見羅漢、恐羅漢山。南北に約1キロ離れて岩塊ピークがあり、双耳峰になっている。北ピークを恐羅漢、南ピークを匹見羅漢と呼んでいる。

 匹見羅漢―恐羅漢―台所原―中川山―天杉山―三の滝へのコースは、昭和57年の島根国体山岳競技の縦走コースとなった魅力的なコースである。春はヤマザクラ、ツツジなどが彩り、ブナ、トチノキ、ナラ、カエデなどの広葉樹が新芽を出し、楽しませてくれる。片道(広見扇沢から登り山頂まで)所要時間約2時間。

 
旧羅漢山の西側に開ける広大な扇沢には、スギの人工林の床に岩海が眠っている」(以上『匹見町誌』から)。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離15.8km
標高差559m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 5.8km
十方山
↓ 4.6km
旧羅漢山
↓ 1.0km
恐羅漢山
↓ 2.0km
牛小屋
↓ 2.4km
二軒小屋
 

 
 
 
砥石川山、深入山を望む
サバノ頭から南西に続く峯
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)