山歩き

滝山川…阿正谷…安中谷…鹿篭頭
2019/3/18

滝山橋南…滝本ダム…加計発電所上部水槽…五輪山登山道…阿正谷…安中谷…鹿篭頭…垰…寺屋敷…滝山川

滝本ダム
鉄塔道手前のお地蔵さん
鉄塔への山道入口
鉄塔へ上がる道
竹林に出る
石垣の上に出る
岩崖の右を登る
高い石垣のある平坦地
平坦地の基礎跡
横道を進む
導水管上の水槽
水槽
4番鉄塔
奥へ延びる作業道に出る
作業道を下る
天竺地蔵尊
天竺地蔵尊由来
阿正谷集落と百々山
434号線の社
434号線を進む
安中谷
長谷橋
U字カーブの小屋
道路開通碑
安中集落の石垣
車道終点の石垣
建物跡の五右衛門風呂
峠に雪が残る
林道に出る
広い伐採地 平見谷事業区
伐採地を通る
伐採地
鹿篭頭分岐の石垣
小滝の上に石垣が続く
滝の上に石垣が続く
鹿篭頭かじや跡の平坦地
集落手前のイノシシ罠
鹿篭頭集落
カロウズ川下流から集落を望む
集落入口の石垣
鹿篭頭・猪山分岐
垰集落手前
猪山集落入口の墓所
猪山集落と滝山川右岸の山の伐採地
寺屋敷林道起点
寺屋敷林道起点から滝山川右岸の伐採地を望む
梅の里へ下りる道
寺屋敷林道終点
寺屋敷林道終点の鉄塔
五輪山と4番鉄塔
展望地から加計の街を望む
サージタンク横を下る
サージタンク
高鉢山と滝山と滝山川
導水管の階段を下る
鉄塔道を下る
6:40 滝山橋南駐車地 気温4度 晴れ
 

6:55 滝本ダム
7:35 上部水槽
7:50 五輪山登山道
8:20 作業道
9:00 阿正谷入口(社)
9:15 安中谷入口
10:25 安中集落
11:30 林道
12:00 鹿篭頭
12:10 鹿篭頭かじや跡
12:35 鹿龍頭橋
12:55 猪山・鹿篭頭分岐
14:05 垰
14;40 寺屋敷林道終点
15:00 4番鉄塔
15:30 サージタンク
15:45 導水管上部
16:35 車道
16:50 駐車地

 滝山橋を渡り左岸を下る。滝山川発電所横を通り、しばらく進むと滝本ダムに出る。滝本ダム排砂ゲートを過ぎると地蔵さんが祀ってある。そこからすぐに送電線鉄塔に上がる山道が入っている。対岸に滝本集落が見える。ヤブツバキが咲いている。23標柱があり、さらに登ると24標柱がある。

 植林地とササ原の間を登る。振り返ると鉄塔と集落が見える。竹林の手前に傾いた木橋が架かっている。竹林の中にイノシシが掘り返いした跡がたくさんある。鉄塔の横に出て、さらに植林地を登る。分岐の東側を登ると石垣の上に出る。

滝本ダムプレート
ヤブツバキ

 頭上に大岩が迫る右側を登る。平坦地に出て東へ進むと高い石垣があり、建物の基礎が残っていた。そこは導水管の上に位置する。平坦な横道を南へ進む。分岐をさらに進むと、加計発電所から上がる導水管の水槽施設に出た。この上部水槽は縦10m、横43m、高さ4.8mあるという。

 引き返して植林地の分岐を登る。上部に「火の用心」のプレートが見える。急坂を登り、五輪山の登山道に出た。出発からここまで1時間ほど。登山道を少し進むと4番鉄塔への標柱がある。送電線鉄塔を結ぶ山道を登る。石垣の上の4番鉄塔下に出る。さらに進むと分岐に出る。この道は南側の登山道に合流する。

4番鉄塔下の石垣
5番鉄塔下の木橋

 分岐からすぐ5番鉄塔の下に出る。木橋を渡り、さらに進むと6番鉄塔の上に出る。そのまま山道を進み作業道に出た。作業道の上に車が止まっていた。薮だらけだった作業道が改修され、さらに上へ延伸しているようだった。轍が走る作業道をジグザグに下る。展望地に出るがガスで見えない。眼下にダンプが1台、ゆっくりと上がってくるのが見える。

 茶色に膨らんだスギの雄花が山全体に見える。下るに連れて遠くが見渡せるようになる。7番8番を示す標柱がある。ゼンマイの新芽が土から顔を出している。阿正谷集落に出る手前に、天竺苑跡地の石碑があった。天竺地蔵尊が祀られている。阿正谷集落を眼下に見ながら車道を下る。百々山が見える。白梅が咲いている。

スギの雄花が膨らむ
ゼンマイ
天竺苑跡地

 434号線の社に出る。車道沿いの日当たりにホトケノザ、ウツボグサが咲く。急傾斜地工事中の鳥屋地区から安中谷へ入る。ユズが実を付ける。川土手にフキノトウが出る。橋を渡り左岸を進むと滝がある。谷沿いにヤブツバキが咲く。長谷造林地の標識がある。長谷は少し上流の谷名である。長谷手前に朽ちた木橋が架かっている。

 長谷橋に「あんちゅうがわ」と書かれていた。西平事業地の標識がある。西平は右岸の地籍名である。左岸の山はコケの付いた角礫で覆われていた。U字カーブ地点に小屋があり、丸太が並べてあった。カーブを進むと「道路開通碑」の石碑があった。カーブを上がり切ると、開けた畑があり奥に民家がある。

長谷橋 あんちゅうがわ
安中集落
阿正谷のウメ
ホトケノザ
安中 民家跡

 段々の石垣の間を奥へ進む。車が2台停まり、その先で終点。この辺りが安芸太田町と北広島町との境界。石垣下の枝薮を進む。キハダの実がたくさん落ち、ノウサギの糞がかたまってあった。谷の奥へ続く山道を見つけるまで右往左往する。民家跡の石垣の上を山道が通っており、奥に入ると山道が明瞭になってくる。民家跡にはセメントの台所やゴエモン風呂が残っていた。

 山道に雪が残っていた。途中、谷を少し進むと左岸道に出る。少し進むと右岸に道が変わる。植林地に入り、雪の残る峠を越すと、植林道を緩やかに下る。イノシシの足跡がある。林道は西側から北へ通っている。西側には途中まで道路図があり、そこまでつながっているかもしれない。西側の猪山までの近道になる。

 林道を北へ真直ぐ進む。分岐をさらに北へ進むと広い伐採地に出た。平見谷事業区の標識がある。伐採地の林道の両側に丸太が積まれ、重機が停まっていた。林道はひどくぬかるんでいた。伐採地のアセビの花芽は小さかった。後山事業地の標識がある。コナラにクマ棚があった。

伐採地
コナラのクマ棚
ヒメオドリコソウ
ユズ

 鹿篭頭に出ると分岐に石垣があった。分岐を東側の水源へ進む。分岐左岸は広い平坦地で川沿いに石垣があり、ススキ原になっている。小滝を過ぎると、上流に石垣が続く。コンクリートの橋を越えて川が流れる。鹿篭頭かじや跡はススキ原だった。地図の破線の山道を北へ入る。北側の雪の下り路は薮になっていた。薮を抜けるとイノシシの箱罠が仕掛けてあった。

 橋を渡り民家横に出る。車道を西へ進む。林道猪山線の標識があり、その先、鹿龍頭川に鹿龍頭橋が架かる。「かろうずはし」と書かれている。畑の法面にオオイヌノフグリが咲く。南の林道へ入る分岐に進むと通行止めの標識がある。カロウズ川上流に広い平坦地が広がっていた。

 北へ進む川沿いにアテツマンサクがたくさん咲いている。鹿篭頭集落入口の右岸には大きい石垣がある。猪山事業地の標識がある。鹿篭頭・猪山の分岐に出る。鎖止めの車道を猪山へ進む。コナラの林の中にカシワの木があった。鹿篭頭・猪山分岐から1時間ほどで垰集落の墓所。車道を下り民家横に下りると、けたたましく3匹の犬が吠える。垰の畑に水が張ってあった。

鹿篭頭の民家
鹿篭頭橋
鹿龍頭川
キハダ
ノウサギの糞
垰集落
カエルの卵

 林道寺屋敷線起点に進む。墓所の横から大箒山方向の伐採地の峯が見える。林道を進み、梅の里の上を通り、梅の里へ下りる階段道に出る。上空に送電線が見える。起点から30分ほどで寺屋敷林道終点。23番鉄塔下を通り、作業道を進む。開地から加計の街が見える。道の水溜まりにカエルの卵があった。

 梅の里分岐からヒノキ林を登る。五輪山が見えてくると標柱のある分岐。4番鉄塔へ下る。急坂を3番へ下る。3番から少し下った所に展望地がある。2番鉄塔の先に滝山川と街が見える。さらに急坂を下りサージタンクの上に出る。朽ちかけた鉄の階段を下り、タンクの下へ出る。2番鉄塔の下から百々山が見える。2番鉄塔の先は滝山、高鉢山側が開けている。導水管横の階段を下り、1時間余りで車道に出た。

朽ちた鉄の階段を下る
サージタンク横の階段
 
アテツマンサク
アテツマンサク
サルトリイバラ
コガネネコノメソウ
ミツバツチグリ
アセビ
カシワ
アカシデ
オオイヌノフグリ
ミスミソウ
ミスミソウ
ミスミソウ


■地名考

 阿正谷の天竺苑跡

 『天竺地蔵尊由来』石碑より

「往古より山陽山陰を結ぶ連絡道に
猪山郷経由の大道あり 五輪山山径の
峠に寺屋敷の地名あり この天竺苑
の真向かいに寺畑の地名あり 寺畑の南
方角に天竺畑という頂上平坦にして展
望全絶佳なる小山あり 比の地より町営
天竺苑北側宇城家の所有地に遷座す

 昭和六十一年秋彼岸
 中世以前の起源にして〇〇伝説に拠る」


 安中谷

 安中谷の長谷橋に「あんちゅうがわ」と書かれている。地形図や安芸太田町では「あんじゅう」「あんぢゅう」と仮名書きされているが、『ほのぎ』地名(寛永地詰=1638年)では、「あんちう」となっている。「あんちう」が古い呼び名と思われる。

 鹿篭頭

 カロウズ川に架かる橋には、「鹿龍頭橋」「鹿龍頭川」となっている。『書出帳』(1819年)では「鹿龍津」となっている。


 「とごうち石の文化」から
 (戸河内町教育委員会・戸河内町郷土史研究会)

 猪山大歳神社
 社殿改築が寛文5(1665)年との記録があるが、石段の年代は不明

 金屋子神祠
 猪山大歳神社裏山

 石灯篭(明治12年)
 猪山大歳神社参道

 猪山地蔵堂
 猪山大歳神社参道入口
 地蔵菩薩、不動明王、道祖神、鉄山の守り神

 道祖神
 造立、亨徳3(1454)年、緑岩製
 裏面に「京吉田関上」とあり、二体とも剃髪し、僧衣をもとい、合掌した僧の像で、京から移り住んだ人が運んで来たものと伝えられている。

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、70cm

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、30cm

 自然石板碑(いたび)(垰)
 板碑は中世に見られる板状の石を用いた供養塔。正面に「南無阿弥陀仏」、側面に「信者日田嶋三郎」と刻んである。昔の往還道の道端にある。

 石灯篭
 平見谷大歳神社
 造立、宝□元年(宝永元=1704)年と考えられる。

 狛犬(昭和30年=1955)
 平見谷大歳神社 
 大歳神社創建650年を記念して奉献された。創建713年になる。

 地蔵 畑ヶ谷


 とごうちの民話

 第11話:滝の金毘羅神の話
(平見谷)

 寿永二年(1183)、安徳天皇がおしのびでこの地に来られたとき、道中、次々と川に渡ることが多いので、京都からお供して来た金毘羅神を、平見谷の滝の上にまつられました。

 安徳天皇の身代わりというのは、あちこちによくありますが、私は、所の爺さんに聞いたことを話します。京都から三次を通って大朝に出たとき、夜が明けたから「おおあさ」と言われたので  ”大朝”。

 平見谷に着いたとき、滝の上の山頂に金毘羅神をまつられたが、そこから見ると、谷が平たく見えるので、「平らな谷よのう」と言われ、”平見谷”(ひらみだに)となったそうです。

 その後、畑ヶ谷を下ると”王渡り”(おうわたり)。小さな原に出たで”小原”(こばら)。また、細い道を通ったので”細見”(ほそみ)。何日か泊まられたところを”王泊”(おうどまり)といいます。

 王泊ダムの左側の山、泉水山(せんすいざん)の上に登り、日が暮れたところを”大暮”(おおぐれ)といい、奥に入ると”御前滝”(ごぜんたき)があり、また奥に入ると”生御前滝”があります。

 その後、金毘羅神のご神体が何者かに盗まれたそうですので、後のご神体を朴(ほお)の木で刻んだそうです。平見谷ではそれ以来、朴の下駄は作らないそうです。

 ※この話で出てくる地名は、現在、広島県山県郡内の各町で使用されている町名や字等です。
 (猪山 佐藤滝仁)


 『芸藩通志』戸河内村絵図の地名

 猪山、追付郷、平見谷、畑谷、黒瀬
 盆徳滝

 大仁古(鬼後)
 建 江平山(ゑの平山)(榎平山)


 『ほのぎ』地名(寛永地詰=1638年)

 猪山のほのぎ名

 あらい川、あんちう、やすね田、きつなか谷、こさこ、しんぎょうか垰(垰)、はた、むかいた、ゑの平、山ね、上山根、大にこ、大井川、中きれ、中の原、鳥目、かきの木た、弐つ町、桧木谷

 ねね、かすね田(葛根迫)、むかい田

 「大にこ」は「鬼後」
 「しんぎょうか垰」は「垰」

 平見谷のほのぎ名

 おつけ谷、くろせ、こたわ、こみ山平、なかえ、はたか谷、まき迫、まつか谷、よこみち(上、小たき)、家の上、小田、道の上


 戸河内村山帖の山名(享保10年=1725)

 猪山 ゑの平山、大原山、中ノ原山
     (ゑの平山は榎平山か、芸藩通志では江平山)

 平見谷 後山、原山、上野山

 近世後期の戸河内村編成
(『夏上納并御免割帳』文久3年=1863)

 平見谷組の郷 安中、勝僧、平見谷

 猪山組の郷 猪山


 『手鑑帳』の村境の地名

 『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村、細見村、小原村の境が記されている。

 「一、橋山村境、小板ヶ原分上り尾辻迄峯水走り限り、松原分上り尾辻よりいゝの山さげの尾ぜうとく垰こせぎ垰、しゝごやの尾下垣内谷迄峯尾限り、それより下垣内谷限り、本川へ出少し上り境原谷、それより赤瀧中代頭迄弥七郎谷しもの尾限り、中代頭より助右衛門落仁蔵垰迄道限り、それより雨堤の峯水走り限り、猪山分牛首大田押の尾続き、尻はどろくふち限り、黒瀧山分峯水走り限り

 一、細見村境、猪山分平見谷分大渡り迄大川限り

 一、小原村境、平見谷分大渡りより畑ヶ谷迄川限り次第に小谷限り、それよりくびれを越え、それより谷を少し下り、それより谷を少し上り、僧ヶ墓迄大道限り」

 一、溝口村境、平見谷僧ヶ墓のくびれより、後山尾続き水越迄大峯尾限り

 一、戸谷村境 略

 一、長篠村境 略

 一、加計村境、勝草分うへは狼城の尾次第に境目谷限り、向へ渡りしたは引地谷うへは小岡限り、それより安中分穴ヶ迫のうへの尾より木戸岩迄大峯尾水走り限り、猪山分木戸岩よりきづなが迫のしもろんでんの益限り、それより尻は谷、うへは梅のがうろの頭へ続き、五輪ヶ尾次第に寺屋敷の尾続き峯水走り限り、それより次第に下は本谷大川迄谷限り、それより温湯境大川限り、向へ渡り高すろ限り、それより次第に尾続き松原分迄大峯尾水走り限り、松原分温湯さかへ大ざう田大床尾かうげ休み迄大峯尾水走り限り、但し後山の内也」

 「上り辻尾」は道戦峠

 橋山村との東側の境は黒瀧山の水走

 細見村の「大渡り迄大川限り」は王泊貯水池付近

 僧ヶ墓 924m三角点

 引地谷 丁川西岸

 五輪ヶ尾=五輪山

 寺屋敷

 大川=滝山川

 温湯=温井

 後山の内 大箒山から床尾山の西斜面


 『ほのぎ』と現代地名

ほのぎ(猪山) 現代地名
あらい川 洗川
あんちう 安中
やすね田  
きつなか谷 木津名
橘中(書出帳)
キツナ(芸藩通志)
こさこ  
しんぎょうか垰
はた
むかいた  
ゑの平 榎平
江平山(芸藩通志)
山ね  
上山根  
大にこ 鬼後
大仁古(芸藩通志)
大井川  
中きれ  
中の原  
鳥目  
かきの木た  
弐つ町  
桧木谷 桧谷
かすね田 葛根田・葛根迫
 
ほのぎ(平見谷) 現代地名
おつけ谷 追付
くろせ 黒瀬
こたわ  
こみ山平  込平山
なかえ  
はたか谷 畑ヶ谷
畑谷(芸藩通志)
まき迫  
まつか谷  
よこみち  
小たき 小滝
家の上  
小田  
道の上  
鹿篭頭 
鹿龍津(書出帳)


 猪山字名

 耕地
 垰(タオ)
 猪山(イノシヤマ)
 木津名(キズナ)
 檜谷(ヒノキダニ)
 
 山
 鬼後(オニゴ)
 洗川(アライカワ)
 畑(ハタ)
 猪山(イノシヤマ)
 守岩(マモリイワ)
 垰(タオ)
 大平(オオヒラ)
 長谷(ナガタニ)
 空山(ソラヤマ)
 舟石(フナイシ)
 下山(シモヤマ)
 折目(オリメ)
 獅子谷(シシダニ)
 葛根迫()
 向イ山黒滝(ムカイヤマクロタキ)
 中倉(ナカクラ)
 坂取(サカトリ)

 平見谷
 耕地
 畑ヶ谷(ハタガダニ)
 紺屋(コンヤ)
 黒瀬(クロセ)
 平見谷
 追付郷(オッツケゴウ)
 鹿篭頭(カロウズ)
 中山(ナカヤマ)

 山
 内ヶ倉(ウチガクラ)  内隠(ウチガクレ)
 鎧甲
 東山(ヒガシヤマ)
 後山(ウシロヤマ)
 堅岩
 垰奥(タオオク)
 原(ハラ)
 中山
 小滝(コダキ)
 瀬戸(セト)
 段原(ダンバラ)
 宮山(ミヤヤマ)
 黒瀬
 真峯(マミネ)
 鴛鴦ヶ谷
 東榎平山(ヒガシエノヒラヤマ)
 西榎平山(ニシエノヒラヤマ)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミール3Dデータ

総沿面距離26.1km
標高差538m

区間沿面距離
滝山橋南駐車地
↓ 5.7km
阿正谷
↓ 4.7km
安中
↓ 4.3km
鹿龍頭橋
↓ 5.0km

↓ 6.4
駐車地
  

 
 
加計発電所水槽
天竺地蔵尊由来
阿正谷と百々山
安中集落
伐採地
鹿篭頭集落
展望地から加計を望む
サージタンク
滝山川と高鉢山、滝山
導水管階段から加計を望む
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)