山歩き

寺屋敷…安中道…垰集落…滝山 2018/12/1

滝山橋南…鉄塔道…寺屋敷…安中道…垰集落…寺屋敷林道…反射板…滝山…滝山川車道

■滝山(タキヤマ)652.5m:広島県山県郡加計町大字温井字滝山(点の記=滝山峡) 安芸太田町

西側の1番鉄塔入口
西の1番鉄塔
東側の一番鉄塔入口
東側の1番鉄塔
導水管横の階段を上がる
加計を望む
2番鉄塔へ上がる階段道と谷へ出る道の分岐
鉄橋を渡ると道が消失
ヒノキ林の階段道に出る
道の横に石垣
道の下にも石垣
道沿いにも石垣
ヒノキ林を登った上に石垣
分岐 左寺屋敷林道 右南の作業道 手前は西の作業道
寺屋敷
安中道
安中道下の作業道
安中道のヤマザクラ
林道に出る
安中道を進む
桧谷水源
三叉路に出る 左鹿篭頭 真直ぐ安中谷
三叉路の建物
五輪山へ入る林道
垰集落の墓所
民家の向こうに伐採尾根が見える
林道寺屋敷線起点
梅の里へ下りる手摺
寺屋敷線終点
五輪山を望む
鉄塔標柱から4番鉄塔へ下りる道
反射板
霞む加計の街
反射板から見た滝山
滝山三角点
南尾根を下る
急坂下のホオノキ
ササ薮の尾根を下る
滝山発電所の導水管が見える
ヒノキ林の岩場に下りる
階段出口
西側の1番鉄塔の上の懸崖
8:10 滝山橋南駐車地 気温8度 晴れ
 

8:30 西の1番鉄塔
9:00 東の1番鉄塔
9:40 鉄塔道分岐
10:20 鉄塔道の木の階段
11:00 寺屋敷林道終点南の分岐
11:15 寺屋敷
12:00 五輪山へ延びる林道
12:05 再び安中道へ
12:30 車道三叉路 
13:15 垰集落
13:20 林道寺屋敷線起点
13;40 梅の里へ降りる階段
13:50 寺屋敷線終点
14:15 反射板
14:50 滝山
16:05 階段=車道
16:20 駐車地 


 駐車地点から墓所前を通り滝山橋を渡る。左岸車道を進むと山へ道が入っている。「火の用心」のプレートが掛かる山道を登ると1番鉄塔に出る。眼下に滝山川が見える。鉄塔の山側はゴーロが続いていた。周辺を探したが2番鉄塔へ上がる山道は無かった。

 車道に引き返して東へ少し進むと鉄塔へ上がる階段がある。東側の1番鉄塔に登る。日当たりにチャノキが咲いていた。鉄塔から尾根を登り、導水管横の階段道に出る。サルトリイバラの赤い実がある。階段を振り返ると滝本、土居辺りの里が見える。

 導水管の末端に出ると、2番鉄塔へ上がる道と、谷側へ入る道に分かれる。東側の電線路に渡ろうと思い谷側の道へ進む。東側の植林地に鉄塔が見える。谷に向かって広い道が続いていたが、谷を渡る鉄橋で道は消失。谷の上に石垣が見えたので登って見たが道は無かった。

導水管の末端
末端から南側を望む
分岐から谷に向かう広い道
チャノキ

 東側のヒノキ林を登ると、木の階段のある鉄塔道に出た。階段道を登ると石垣があった。山道の下側にも石垣がある。急な尾根上に石垣が何段か続いているようだった。山道に沿っても石垣があった。石垣の間を登る古道の跡だろうか。アキノキリンソウの花がまだ残っていた。

 山道は崖下を渡ると、ヒノキ林の階段道に入る。ヒノキ林を登って行くと、また石垣があった。石垣は寺屋敷への古道のようだ。石垣の先に標柱があり、24、25番鉄塔を示す。ヒノキ林の中にコシアブラ、モミジガサの葉が残る。鉄塔道から作業道の分岐に出た。23番鉄塔の近くで西、北、南に道が分岐している。

 分岐に古い石柱がある。寺屋敷へ上がる尾根に入る。冬芽があるオトコヨウゾメの赤い実が残る。ササ道からスギ林を登る。倒れた道標のある寺屋敷に出る。道標には「寺屋敷」「右安中道」「左猪山道」とある。

ヒノキ林の中の石垣
寺屋敷
ミヤマガマズミ

 安中道を進むと五輪山への分岐に出る。安中道を進む。フユイチゴが実を付ける。安中道の下に作業道が並行して続く。コアジサイの黄葉が残る。サラシナショウマが実を付ける。ミヤマシキミに赤いツボミが付いていた。大きいヤマザクラがあった。作業道に出た所で安中道が消失。作業道を下ると林道に出る。

 林道は北側は垰集落、南側は五輪山へ延びている。北側へ進むと安中道の分岐に出た。谷の左岸に山道が続く。鍛冶屋原カジヤ跡を過ぎる。桧谷水源の谷を進む。途中、道が消失するが、左岸を進むと道が現れる。寺屋敷から1時間15分で車道三叉路に出た。

 西側は垰、北は鹿篭頭、東は安中谷へ下りている。三叉路に建物があるが使われていないようだ。猪山・平見谷自治会の「告」の看板がある。三叉路から西へ進む。車道にホオノキの実と葉が落ちていた。峠をUターンして下る。途中、南に林道が入っているが、五輪山へ入る林道だろう。

サルトリイバラ

 空山窯跡を通り、大分下った所の墓所の日当たりで休憩した。開いている電気柵を通り車道を進む。寺屋敷から延びている送電線鉄塔が見える。垰の民家の向こうに滝山川右岸の伐採尾根が見える。民家の横のカキノキの実が鈴生りだった。刈り取った後の田んぼには水が残っていた。南へ進むと林道寺屋敷線起点の標識があった。

 墓所の前を通り、寺屋敷林道を進む。西側に伐採尾根が見える。電気柵は開けられていた。林道にはところどころ古い石垣がある。梅の里へ降りる手摺が付いた階段道があった。作業道が東側に入っている。30分ほどで林道終点に付いたが、道は奥へ続いている。午前中に通った23番鉄塔近くの分岐に出る。

 西側の作業道を進む。23番鉄塔から南へ送電線が延びているのが見える。北側へ梅の里へ向かう分岐道がある。西の尾根を登る。東側に五輪山が見える。尾根に登ると標柱があり、23、4、5番鉄塔を示す。そこから間もなく展望地の反射板に出た。加計の里は霞んでいた。

アキノキリンソウ
出口の階段
出口の階段から見た後平橋
左右の1番鉄塔
墓所の石積

 6番鉄塔への標柱があり、反射板から北へ進むと6番鉄塔に出る。反射板から西の尾根を下る。ツルアリドウシの赤い実がある。黄葉したタカノツメの葉が落ちていた。反射板から30分ほどで滝山。赤い境界柱に座って一休み。滝山三角点からゴーロを越えて尾根を下る。境界柱を示すテープが続いている。

 途中から急坂の南尾根を下る。東側はゴーロ、急坂を下りた所に大きな株立ちしたホオノキがあった。古い踏み跡があるが尾根はササ薮になっている。東側に導水管と鉄塔が見えてくる。186号線の車音が響く。前方に後平橋が見える。尾根の下部はヒノキ林、大きいヤマザグラを過ぎて車道手前から西側の谷へ下りる。出口の階段まで薮になっていた。

 滝山から1時間余りで車道に降りた。左岸の車道を進む。クサギの実が残る。キクバヤマボクチにたくさんの頭花が付く。西側の1番鉄塔の上に懸崖が見える。滝山橋を渡り、墓所前を通り駐車地に帰着。 
 

キクバヤマボクチ
コシアブラ
オトコヨウゾメ
ミヤマフユイチゴ
コアジサイ
サラシナショウマ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
ホオノキ
ツルアリドウシ
タカノツメ
ソヨゴ
クサギ
ヒヨドリジョウゴ


■地名考


 「とごうち石の文化」から
 (戸河内町教育委員会・戸河内町郷土史研究会)

 猪山大歳神社
 社殿改築が寛文5(1665)年との記録があるが、石段の年代は不明

 金屋子神祠
 猪山大歳神社裏山

 石灯篭(明治12年)
 猪山大歳神社参道

 猪山地蔵堂
 猪山大歳神社参道入口
 地蔵菩薩、不動明王、道祖神、鉄山の守り神

 道祖神
 造立、亨徳3(1454)年、緑岩製
 裏面に「京吉田関上」とあり、二体とも剃髪し、僧衣をもとい、合掌した僧の像で、京から移り住んだ人が運んで来たものと伝えられている。

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、70cm

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、30cm

 自然石板碑(いたび)(垰)
 板碑は中世に見られる板状の石を用いた供養塔。正面に「南無阿弥陀仏」、側面に「信者日田嶋三郎」と刻んである。昔の往還道の道端にある。

 石灯篭
 平見谷大歳神社
 造立、宝□元年(宝永元=1704)年と考えられる。

 狛犬(昭和30年=1955)
 平見谷大歳神社 
 大歳神社創建650年を記念して奉献された。創建713年になる。

 地蔵 畑ヶ谷


 とごうちの民話

 第11話:滝の金毘羅神の話
(平見谷)

 寿永二年(1183)、安徳天皇がおしのびでこの地に来られたとき、道中、次々と川に渡ることが多いので、京都からお供して来た金毘羅神を、平見谷の滝の上にまつられました。

 安徳天皇の身代わりというのは、あちこちによくありますが、私は、所の爺さんに聞いたことを話します。京都から三次を通って大朝に出たとき、夜が明けたから「おおあさ」と言われたので  ”大朝”。

 平見谷に着いたとき、滝の上の山頂に金毘羅神をまつられたが、そこから見ると、谷が平たく見えるので、「平らな谷よのう」と言われ、”平見谷”(ひらみだに)となったそうです。

 その後、畑ヶ谷を下ると”王渡り”(おうわたり)。小さな原に出たで”小原”(こばら)。また、細い道を通ったので”細見”(ほそみ)。何日か泊まられたところを”王泊”(おうどまり)といいます。

 王泊ダムの左側の山、泉水山(せんすいざん)の上に登り、日が暮れたところを”大暮”(おおぐれ)といい、奥に入ると”御前滝”(ごぜんたき)があり、また奥に入ると”生御前滝”があります。

 その後、金毘羅神のご神体が何者かに盗まれたそうですので、後のご神体を朴(ほお)の木で刻んだそうです。平見谷ではそれ以来、朴の下駄は作らないそうです。

 ※この話で出てくる地名は、現在、広島県山県郡内の各町で使用されている町名や字等です。
 (猪山 佐藤滝仁)


 『芸藩通志』戸河内村絵図の地名

 猪山、追付郷、平見谷、畑谷、黒瀬
 盆徳滝

 大仁古(鬼後)
 建 江平山(ゑの平山)(榎平山)


 『ほのぎ』地名(寛永地詰=1638年)

 猪山のほのぎ名

 あらい川、あんちう、やすね田、きつなか谷、こさこ、しんぎょうか垰(垰)、はた、むかいた、ゑの平、山ね、上山根、大にこ、大井川、中きれ、中の原、鳥目、かきの木た、弐つ町、桧木谷

 ねね、かすね田(葛根迫)、むかい田

 「大にこ」は「鬼後」
 「しんぎょうか垰」は「垰」

 平見谷のほのぎ名

 おつけ谷、くろせ、こたわ、こみ山平、なかえ、はたか谷、まき迫、まつか谷、よこみち(上、小たき)、家の上、小田、道の上


 戸河内村山帖の山名(享保10年=1725)

 猪山 ゑの平山、大原山、中ノ原山
     (ゑの平山は榎平山か、芸藩通志では江平山)

 平見谷 後山、原山、上野山

 近世後期の戸河内村編成
(『夏上納并御免割帳』文久3年=1863)

 平見谷組の郷 安中、勝僧、平見谷

 猪山組の郷 猪山


 『手鑑帳』の村境の地名

 『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村、細見村、小原村の境が記されている。

 「一、橋山村境、小板ヶ原分上り尾辻迄峯水走り限り、松原分上り尾辻よりいゝの山さげの尾ぜうとく垰こせぎ垰、しゝごやの尾下垣内谷迄峯尾限り、それより下垣内谷限り、本川へ出少し上り境原谷、それより赤瀧中代頭迄弥七郎谷しもの尾限り、中代頭より助右衛門落仁蔵垰迄道限り、それより雨堤の峯水走り限り、猪山分牛首大田押の尾続き、尻はどろくふち限り、黒瀧山分峯水走り限り

 一、細見村境、猪山分平見谷分大渡り迄大川限り

 一、小原村境、平見谷分大渡りより畑ヶ谷迄川限り次第に小谷限り、それよりくびれを越え、それより谷を少し下り、それより谷を少し上り、僧ヶ墓迄大道限り」

 一、溝口村境、平見谷僧ヶ墓のくびれより、後山尾続き水越迄大峯尾限り

 一、戸谷村境 略

 一、長篠村境 略

 一、加計村境、勝草分うへは狼城の尾次第に境目谷限り、向へ渡りしたは引地谷うへは小岡限り、それより安中分穴ヶ迫のうへの尾より木戸岩迄大峯尾水走り限り、猪山分木戸岩よりきづなが迫のしもろんでんの益限り、それより尻は谷、うへは梅のがうろの頭へ続き、五輪ヶ尾次第に寺屋敷の尾続き峯水走り限り、それより次第に下は本谷大川迄谷限り、それより温湯境大川限り、向へ渡り高すろ限り、それより次第に尾続き松原分迄大峯尾水走り限り、松原分温湯さかへ大ざう田大床尾かうげ休み迄大峯尾水走り限り、但し後山の内也」

 「上り辻尾」は道戦峠

 橋山村との東側の境は黒瀧山の水走

 細見村の「大渡り迄大川限り」は王泊貯水池付近

 僧ヶ墓 924m三角点

 引地谷 丁川西岸

 五輪ヶ尾=五輪山

 寺屋敷

 大川=滝山川

 温湯=温井

 後山の内 大箒山から床尾山の西斜面


 『ほのぎ』と現代地名

ほのぎ(猪山) 現代地名
あらい川 洗川
あんちう 安中
やすね田  
きつなか谷 木津名
橘中(書出帳)
キツナ(芸藩通志)
こさこ  
しんぎょうか垰
はた
むかいた  
ゑの平 榎平
江平山(芸藩通志)
山ね  
上山根  
大にこ 鬼後
大仁古(芸藩通志)
大井川  
中きれ  
中の原  
鳥目  
かきの木た  
弐つ町  
桧木谷 桧谷
かすね田 葛根田・葛根迫
 
ほのぎ(平見谷) 現代地名
おつけ谷 追付
くろせ 黒瀬
こたわ  
こみ山平  込平山
なかえ  
はたか谷 畑ヶ谷
畑谷(芸藩通志)
まき迫  
まつか谷  
よこみち  
小たき 小滝
家の上  
小田  
道の上  
  鹿篭頭 
鹿龍津(書出帳)



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カシミール3Dデータ

総沿面距離14.8km
標高差557m

区間沿面距離
滝山橋南駐車地
↓ 3.2km
寺屋敷
↓ 5.0km

↓ 4.4km
滝山
↓ 2.2km
駐車地
  

 
 
垰集落と伐採尾根
垰の民家
五輪山
加計の街
手前滝山 後ろ正教山 右高鉢山
下る尾根から見える鉄塔と五輪山
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)