8:10 滝山橋南駐車地 気温8度 晴れ
8:30 西の1番鉄塔
9:00 東の1番鉄塔
9:40 鉄塔道分岐
10:20 鉄塔道の木の階段
11:00 寺屋敷林道終点南の分岐
11:15 寺屋敷
12:00 五輪山へ延びる林道
12:05 再び安中道へ
12:30 車道三叉路
13:15 垰集落
13:20 林道寺屋敷線起点
13;40 梅の里へ降りる階段
13:50 寺屋敷線終点
14:15 反射板
14:50 滝山
16:05 階段=車道
16:20 駐車地
駐車地点から墓所前を通り滝山橋を渡る。左岸車道を進むと山へ道が入っている。「火の用心」のプレートが掛かる山道を登ると1番鉄塔に出る。眼下に滝山川が見える。鉄塔の山側はゴーロが続いていた。周辺を探したが2番鉄塔へ上がる山道は無かった。
車道に引き返して東へ少し進むと鉄塔へ上がる階段がある。東側の1番鉄塔に登る。日当たりにチャノキが咲いていた。鉄塔から尾根を登り、導水管横の階段道に出る。サルトリイバラの赤い実がある。階段を振り返ると滝本、土居辺りの里が見える。
導水管の末端に出ると、2番鉄塔へ上がる道と、谷側へ入る道に分かれる。東側の電線路に渡ろうと思い谷側の道へ進む。東側の植林地に鉄塔が見える。谷に向かって広い道が続いていたが、谷を渡る鉄橋で道は消失。谷の上に石垣が見えたので登って見たが道は無かった。
導水管の末端 |
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末端から南側を望む |
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分岐から谷に向かう広い道 |
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チャノキ |
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東側のヒノキ林を登ると、木の階段のある鉄塔道に出た。階段道を登ると石垣があった。山道の下側にも石垣がある。急な尾根上に石垣が何段か続いているようだった。山道に沿っても石垣があった。石垣の間を登る古道の跡だろうか。アキノキリンソウの花がまだ残っていた。
山道は崖下を渡ると、ヒノキ林の階段道に入る。ヒノキ林を登って行くと、また石垣があった。石垣は寺屋敷への古道のようだ。石垣の先に標柱があり、24、25番鉄塔を示す。ヒノキ林の中にコシアブラ、モミジガサの葉が残る。鉄塔道から作業道の分岐に出た。23番鉄塔の近くで西、北、南に道が分岐している。
分岐に古い石柱がある。寺屋敷へ上がる尾根に入る。冬芽があるオトコヨウゾメの赤い実が残る。ササ道からスギ林を登る。倒れた道標のある寺屋敷に出る。道標には「寺屋敷」「右安中道」「左猪山道」とある。
安中道を進むと五輪山への分岐に出る。安中道を進む。フユイチゴが実を付ける。安中道の下に作業道が並行して続く。コアジサイの黄葉が残る。サラシナショウマが実を付ける。ミヤマシキミに赤いツボミが付いていた。大きいヤマザクラがあった。作業道に出た所で安中道が消失。作業道を下ると林道に出る。
林道は北側は垰集落、南側は五輪山へ延びている。北側へ進むと安中道の分岐に出た。谷の左岸に山道が続く。鍛冶屋原カジヤ跡を過ぎる。桧谷水源の谷を進む。途中、道が消失するが、左岸を進むと道が現れる。寺屋敷から1時間15分で車道三叉路に出た。
西側は垰、北は鹿篭頭、東は安中谷へ下りている。三叉路に建物があるが使われていないようだ。猪山・平見谷自治会の「告」の看板がある。三叉路から西へ進む。車道にホオノキの実と葉が落ちていた。峠をUターンして下る。途中、南に林道が入っているが、五輪山へ入る林道だろう。
サルトリイバラ |
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空山窯跡を通り、大分下った所の墓所の日当たりで休憩した。開いている電気柵を通り車道を進む。寺屋敷から延びている送電線鉄塔が見える。垰の民家の向こうに滝山川右岸の伐採尾根が見える。民家の横のカキノキの実が鈴生りだった。刈り取った後の田んぼには水が残っていた。南へ進むと林道寺屋敷線起点の標識があった。
墓所の前を通り、寺屋敷林道を進む。西側に伐採尾根が見える。電気柵は開けられていた。林道にはところどころ古い石垣がある。梅の里へ降りる手摺が付いた階段道があった。作業道が東側に入っている。30分ほどで林道終点に付いたが、道は奥へ続いている。午前中に通った23番鉄塔近くの分岐に出る。
西側の作業道を進む。23番鉄塔から南へ送電線が延びているのが見える。北側へ梅の里へ向かう分岐道がある。西の尾根を登る。東側に五輪山が見える。尾根に登ると標柱があり、23、4、5番鉄塔を示す。そこから間もなく展望地の反射板に出た。加計の里は霞んでいた。
アキノキリンソウ |
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出口の階段 |
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出口の階段から見た後平橋 |
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左右の1番鉄塔 |
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墓所の石積 |
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6番鉄塔への標柱があり、反射板から北へ進むと6番鉄塔に出る。反射板から西の尾根を下る。ツルアリドウシの赤い実がある。黄葉したタカノツメの葉が落ちていた。反射板から30分ほどで滝山。赤い境界柱に座って一休み。滝山三角点からゴーロを越えて尾根を下る。境界柱を示すテープが続いている。
途中から急坂の南尾根を下る。東側はゴーロ、急坂を下りた所に大きな株立ちしたホオノキがあった。古い踏み跡があるが尾根はササ薮になっている。東側に導水管と鉄塔が見えてくる。186号線の車音が響く。前方に後平橋が見える。尾根の下部はヒノキ林、大きいヤマザグラを過ぎて車道手前から西側の谷へ下りる。出口の階段まで薮になっていた。
滝山から1時間余りで車道に降りた。左岸の車道を進む。クサギの実が残る。キクバヤマボクチにたくさんの頭花が付く。西側の1番鉄塔の上に懸崖が見える。滝山橋を渡り、墓所前を通り駐車地に帰着。
キクバヤマボクチ |
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コシアブラ |
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オトコヨウゾメ |
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ミヤマフユイチゴ |
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コアジサイ |
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サラシナショウマ |
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ミヤマシキミ |
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ミヤマシキミ |
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ホオノキ |
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ツルアリドウシ |
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タカノツメ |
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ソヨゴ |
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クサギ |
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ヒヨドリジョウゴ |
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■地名考
「とごうち石の文化」から
(戸河内町教育委員会・戸河内町郷土史研究会)
猪山大歳神社
社殿改築が寛文5(1665)年との記録があるが、石段の年代は不明
金屋子神祠
猪山大歳神社裏山
石灯篭(明治12年)
猪山大歳神社参道
猪山地蔵堂
猪山大歳神社参道入口
地蔵菩薩、不動明王、道祖神、鉄山の守り神
道祖神
造立、亨徳3(1454)年、緑岩製
裏面に「京吉田関上」とあり、二体とも剃髪し、僧衣をもとい、合掌した僧の像で、京から移り住んだ人が運んで来たものと伝えられている。
地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、70cm
地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、30cm
自然石板碑(いたび)(垰)
板碑は中世に見られる板状の石を用いた供養塔。正面に「南無阿弥陀仏」、側面に「信者日田嶋三郎」と刻んである。昔の往還道の道端にある。
石灯篭
平見谷大歳神社
造立、宝□元年(宝永元=1704)年と考えられる。
狛犬(昭和30年=1955)
平見谷大歳神社
大歳神社創建650年を記念して奉献された。創建713年になる。
地蔵 畑ヶ谷
とごうちの民話
第11話:滝の金毘羅神の話(平見谷)
寿永二年(1183)、安徳天皇がおしのびでこの地に来られたとき、道中、次々と川に渡ることが多いので、京都からお供して来た金毘羅神を、平見谷の滝の上にまつられました。
安徳天皇の身代わりというのは、あちこちによくありますが、私は、所の爺さんに聞いたことを話します。京都から三次を通って大朝に出たとき、夜が明けたから「おおあさ」と言われたので
”大朝”。
平見谷に着いたとき、滝の上の山頂に金毘羅神をまつられたが、そこから見ると、谷が平たく見えるので、「平らな谷よのう」と言われ、”平見谷”(ひらみだに)となったそうです。
その後、畑ヶ谷を下ると”王渡り”(おうわたり)。小さな原に出たで”小原”(こばら)。また、細い道を通ったので”細見”(ほそみ)。何日か泊まられたところを”王泊”(おうどまり)といいます。
王泊ダムの左側の山、泉水山(せんすいざん)の上に登り、日が暮れたところを”大暮”(おおぐれ)といい、奥に入ると”御前滝”(ごぜんたき)があり、また奥に入ると”生御前滝”があります。
その後、金毘羅神のご神体が何者かに盗まれたそうですので、後のご神体を朴(ほお)の木で刻んだそうです。平見谷ではそれ以来、朴の下駄は作らないそうです。
※この話で出てくる地名は、現在、広島県山県郡内の各町で使用されている町名や字等です。
(猪山 佐藤滝仁)
『芸藩通志』戸河内村絵図の地名
猪山、追付郷、平見谷、畑谷、黒瀬
盆徳滝
大仁古(鬼後)
建 江平山(ゑの平山)(榎平山)
『ほのぎ』地名(寛永地詰=1638年)
猪山のほのぎ名
あらい川、あんちう、やすね田、きつなか谷、こさこ、しんぎょうか垰(垰)、はた、むかいた、ゑの平、山ね、上山根、大にこ、大井川、中きれ、中の原、鳥目、かきの木た、弐つ町、桧木谷
ねね、かすね田(葛根迫)、むかい田
「大にこ」は「鬼後」
「しんぎょうか垰」は「垰」
平見谷のほのぎ名
おつけ谷、くろせ、こたわ、こみ山平、なかえ、はたか谷、まき迫、まつか谷、よこみち(上、小たき)、家の上、小田、道の上
戸河内村山帖の山名(享保10年=1725)
猪山 ゑの平山、大原山、中ノ原山
(ゑの平山は榎平山か、芸藩通志では江平山)
平見谷 後山、原山、上野山
近世後期の戸河内村編成
(『夏上納并御免割帳』文久3年=1863)
平見谷組の郷 安中、勝僧、平見谷
猪山組の郷 猪山
『手鑑帳』の村境の地名
『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村、細見村、小原村の境が記されている。
「一、橋山村境、小板ヶ原分上り尾辻迄峯水走り限り、松原分上り尾辻よりいゝの山さげの尾ぜうとく垰こせぎ垰、しゝごやの尾下垣内谷迄峯尾限り、それより下垣内谷限り、本川へ出少し上り境原谷、それより赤瀧中代頭迄弥七郎谷しもの尾限り、中代頭より助右衛門落仁蔵垰迄道限り、それより雨堤の峯水走り限り、猪山分牛首大田押の尾続き、尻はどろくふち限り、黒瀧山分峯水走り限り
一、細見村境、猪山分平見谷分大渡り迄大川限り
一、小原村境、平見谷分大渡りより畑ヶ谷迄川限り次第に小谷限り、それよりくびれを越え、それより谷を少し下り、それより谷を少し上り、僧ヶ墓迄大道限り」
一、溝口村境、平見谷僧ヶ墓のくびれより、後山尾続き水越迄大峯尾限り
一、戸谷村境 略
一、長篠村境 略
一、加計村境、勝草分うへは狼城の尾次第に境目谷限り、向へ渡りしたは引地谷うへは小岡限り、それより安中分穴ヶ迫のうへの尾より木戸岩迄大峯尾水走り限り、猪山分木戸岩よりきづなが迫のしもろんでんの益限り、それより尻は谷、うへは梅のがうろの頭へ続き、五輪ヶ尾次第に寺屋敷の尾続き峯水走り限り、それより次第に下は本谷大川迄谷限り、それより温湯境大川限り、向へ渡り高すろ限り、それより次第に尾続き松原分迄大峯尾水走り限り、松原分温湯さかへ大ざう田大床尾かうげ休み迄大峯尾水走り限り、但し後山の内也」
「上り辻尾」は道戦峠
橋山村との東側の境は黒瀧山の水走
細見村の「大渡り迄大川限り」は王泊貯水池付近
僧ヶ墓 924m三角点
引地谷 丁川西岸
五輪ヶ尾=五輪山
寺屋敷
大川=滝山川
温湯=温井
後山の内 大箒山から床尾山の西斜面
『ほのぎ』と現代地名
ほのぎ(猪山) |
現代地名 |
あらい川 |
洗川 |
あんちう |
安中 |
やすね田 |
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きつなか谷 |
木津名
橘中(書出帳)
キツナ(芸藩通志) |
こさこ |
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しんぎょうか垰 |
垰 |
はた |
畑 |
むかいた |
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ゑの平 |
榎平
江平山(芸藩通志) |
山ね |
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上山根 |
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大にこ |
鬼後
大仁古(芸藩通志) |
大井川 |
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中きれ |
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中の原 |
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鳥目 |
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かきの木た |
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弐つ町 |
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桧木谷 |
桧谷 |
かすね田 |
葛根田・葛根迫 |
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ほのぎ(平見谷) |
現代地名 |
おつけ谷 |
追付 |
くろせ |
黒瀬 |
こたわ |
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こみ山平 |
込平山 |
なかえ |
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はたか谷 |
畑ヶ谷
畑谷(芸藩通志) |
まき迫 |
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まつか谷 |
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よこみち |
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小たき |
小滝 |
家の上 |
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小田 |
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道の上 |
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鹿篭頭
鹿龍津(書出帳) |
カシミール3Dデータ
総沿面距離14.8km
標高差557m
区間沿面距離
滝山橋南駐車地
↓ 3.2km
寺屋敷
↓ 5.0km
垰
↓ 4.4km
滝山
↓ 2.2km
駐車地
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