6:40 後温井駐車場 気温11度 曇り
7:00 大箒林道起点
7:15 14番鉄塔入口
7:30 14番鉄塔
8:00 大箒林道
8:15 登山口
8:40 馬道
8:45 大箒山東鞍部
8:55 大箒山北鞍部
9:20 クロタキ谷・オオボウキ谷鞍部
9:50 向山黒滝林道終点
11:00 黒滝集落跡
11:20 黒滝橋
11:55 とや橋(渡屋)
12:15 新盆徳橋(盆徳滝の上)
13:20 猪山展望台
13:45 瀧山峡大橋
14:00 アンテナ塔(大箒山トンネル上)
14:25 後温井駐車場
後温井の駐車場から国道を渡ると林道入口。滝山から左に続く峯の山腹に白い筋になった雲が残っている。オオ谷入口に用水路から落ちる開閉口がある。大箒山トンネルの上に出ると、眼下の国道の先に高鉢山が見える。イロハモミジの黄葉の中に緑の葉が残る。ヒヨドリジョウゴの赤い実と緑の実。
大箒山トンネルの上には二つの大きいアンテナ塔と小さいアンテナ塔がある。小さいアンテナ塔からサイレン塔まで踏み跡がある。葉が落ちたイイギリに赤い実が鈴生りだった。林道大箒線起点から滝山川右岸の林道を進む。林道は落ち葉が覆う。赤い実が残るイイギリが多い。林の間に瀧山峡大橋が見える。
前方に送電線鉄塔が見える。前方の894ピークに雲が掛かる。植林地の中に14番鉄塔が見える。温井駐車場から30分ほどで14番鉄塔入口の階段。入口に「火の用心」のプレートが掛かっている。階段にアキノキリンソウが残っていた。894ピークの下まで雲が降りるのが見える。スギ林を登ると潰れたトタン小屋があり、傍に中電の13番、14番を示す標柱がある。
急坂を登り14番鉄塔に出る。送電線が猪山展望台に延びているのが見える。鉄塔からヒノキ林の尾根を登る。「郡林」と書かれた石柱があった。植林地の中にアカマツの入っている。鉄塔から30分ほどで大箒林道に上がる。気温は9度。舗装路はすぐに砂利道に変わる。
尾の長いのと短いヤマドリが驚いて飛び立つ。飛び立ったあとにはヒヨドリジョウゴの赤い実があった。ウリカエデに茶色になった果実が下がる。送電線が林道の奥へ入っている。ケヤマハンノキの葉が残る。ムラサキシキブに紫の実。白骨林が現れると登山口。ササ道の入口に大箒山登山口の木の道標が立っている。
ササの踏み跡を進む。山道はオオホウキ谷水源の右岸を通っている。谷の分岐を南へ進む。水源の湿地を過ぎると、前方に堤のような馬道が見える。馬道の上に大きいアカマツが立っていた。北へ進むと堤は掘下げ道に変わる。登山口から30分ほどで大箒山東の鞍部。山頂への道標がある。
馬道は東鞍部から山腹を通っている。コハウチワカエデの真っ赤な葉の幼木がある。馬道にアカマツが生えていた。10分ほどで北の鞍部に出た。ヒノキ林の馬道に入る。山道は尾根の西側を通っている。途中崩れて、道が切れている所がある。西側に深入山が見える。イノシシの足跡が残るヌタ場があった。周辺のササが泥で汚れていた。
ヌタ場のイノシシ足跡 |
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ムラサキシキブ |
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馬道のクマ糞 |
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中はペースト状 |
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真っ黒いクマ糞があった。中は茶色のペースト状だった。オオボウキ谷とクロタキ谷の鞍部に出る。道は北側、西側に続いている。馬道は西側のチュウダア谷へ下りている。一休みしてクロタキ谷へ下りる。ムラサキシキブに実と葉が残る。鞍部の北側にはヌタ場があった。下って行くと炭焼跡があった。送電線直下を下る。
伐採してそのままの木が多い。ピンクのテープを付けた木の標柱が続く。黒滝林道へ繋げるようだ。鉄塔への標柱があり18番と19番を示す。19番へ上がる階段道があった。倒木を避けながら、ピンクの標柱を目印に進む。鉄の囲いに丸石を詰め込んだ堰堤があった。そこからほどなく左岸の作業道に出た。
作業道から林道に出ると、道は水流で流され下の石がむき出しになっていた。深い穴になり渕のように水が溜まっている所もあった。右岸へ渡って進むと分岐道があった。道が東側へ入っている。支流の水底が赤茶になっていた。左岸へ渡る手前に炭焼跡があった。
ウリカエデ |
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大分下った所で右岸の山際に石積が見えた。植林地下に広い平坦地がある。アケボノソウがまだ残っていた。右岸の山は岩山だった。谷にも大岩が落ちていた。炭焼跡を過ぎた所で、谷全体が紅葉に覆われていた。一瞬カラマツかなと思ったが、メタセコイアが群生していた。林道はメタセコイアの葉で覆われていた。メタセコイアの緑の実が落ちていた。
しばらくメタセコイアの紅葉の中を下る。メタセコイアの林が終わると黒滝の集落跡に入る。古い衛星写真にあった建物跡は、植林地になり跡形もなかった。古い地形図に見える田んぼ記号の所にはススキが生えていた。田んぼと建物跡に入る降口があった。
そこからほどなく廃屋があった。一本スギを囲むようにログ風の家が建てられていたが廃屋だった。廃屋から少し進んだところに目立つ滝があった。右岸の山腹は紅葉の終りを告げる。堰堤上流の水面は落ち葉で覆われ、道のようだった。
メタセコイアの落ち葉 |
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メタセコイア |
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メタセコイアの実 |
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アケボノソウ |
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橋に出る手前に「向い山黒滝事業区」の標識があった。その後に紅葉した大きいメタセコイアが一本立っていた。黒滝橋に出る。クロタキ谷鞍部から2時間ほどだった。黒滝橋は昭和34年竣工とあった。橋の上から下流側の先に山が見える。橋を渡ると町道下山橋山線は通行止めとなっていた。
落ち葉が覆う奥滝山峡を進む。イロハカエデの葉は赤と黄になっている。山側へ分岐道が通っている。龍頭の滝は水が涸れていた。滝の上流に堰堤が見える。「樹間より峡谷を観る」と立札がある。道路は所々崩れかけている。眼下に長渕が見える。降口は草薮になっていた。「下山造林地」の標識がある。「峡谷遠望」とある立札の所から上流への展望がある。
186号線の下山隧道が見えると、奥滝山峡入口。入口は「倒木のおそれあり一時通行止め」「川平山山腹工事施工の為通行止め」と二つの表示があった。国道を渡り、滝山川に架かるとや橋(渡屋)を渡る。昭和40年竣工とある。橋の東側に「榎平山暖帯落葉樹林植物群落保護林 代表的な樹種 コナラ、ミズナラ」と書かれた看板があった。
下山洞門を見ながら左岸の車道を進む。下流に下山ダムが見える。ここから導水管が延び温井ダム下流の発電所に送られている。車道は下山ダムと桧谷の間を通る。途中、盆徳滝入口へ下りる山道があるが繁っている。入口に椿平山国有林と表示された錆びた看板がある。車道の向こうに民家が見える。桧谷川に盆徳橋と新盆徳橋が架かる。「猪山分れ」のバス停がある。
新盆徳橋の下に盆徳滝がある。186号線から盆徳滝の下に出る遊歩道があるようだ。車道を新猪山橋へ進む。紫のヨメナが咲く。東側に猪山集落が見える。186号線に出る手前から山側の道に入る。猪山を囲むように電気柵が続いている。谷筋には電気柵の出入口がある。滝山川右岸の山腹に大箒林道へ通ずる林道が通るのが見える。
六反原トンネルの上に進むと、猪山自治会の看板があり、「クマ用電気柵」設置の注意書きの看板がある。電気柵を外して進む。この道は石垣が組まれている。フユイチゴが実を付ける。山禿には大石が組まれていた。ところどころ、尾根や谷に入る電気柵の出入口がある。熊ヶ谷トンネルにはイノシシのタイル絵が張ってあった。イロハモミジの幼木が生える。
倒木が電気柵を潰していた。猪山自治会の電気柵を通り車道に出る。車道から滝山川上流へ展望がある。滝山川右岸の向山黒滝三角点の下の林道が通る辺りに、かなり大きな懸崖が見える。滝山川が北西に西向きに変わる角の上にある。クロタキ谷、大佐川、滝山川から向山を眺めたが、目立つ懸崖がここだけだった。向山黒滝三角点の黒滝の「タキ」は、この懸崖のことかもしれない。
オトコヨウゾメ |
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猪山展望台の下に「里道改修時に設けられた石垣の復旧」の看板がある。展望台から瀧山峡大橋を見下ろす。その上に高鉢山が見える。ダム湖の左に滝山が見える。展望台から東に鉄塔道が続いている。標柱から階段を下りるとイイギリの実の赤が目立った。日当たりにイヌホオズキの花が残っていた。
展望台を下り、坂道を下る。茶色のヤマコウバシの葉は落ちない。法面の日当たりにヒヨドリジョウゴが多い。湖岸のイロハモミジの赤が最後まで燃え立つように見える。橋に出るとヤブツバキが咲いていた。静かな湖面に最後の紅葉を眺める。橋下を見ると白い鳥が見える。トンネル出口からサイレン塔に登り林道に出る。そこから15分ほどで駐車場に帰着。
ヤブツバキ |
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コハコベ |
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ヤクシソウ |
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アメリカイヌホオズキ |
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ヤブマオ |
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イイギリ |
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イイギリ |
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イイギリ |
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アキノキリンソウ |
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ヤブコウジ |
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ソヨゴ |
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ケヤマハンノキ |
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ムラサキシキブ |
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ヤブコウジ |
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アセビ |
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アセビ |
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ホオノキ |
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ヨメナ |
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フユイチゴ |
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■地名考
『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村の境が記され、「黒瀧山分峯水走り限り」とある。「水走り」は山と山の下り尾根が出あう、いわゆる鞍部のことである。
芸藩通志(1825年=文政八年)戸河内村絵図の橋山村境に、瀧山川右岸の山と山の間に「留」「黒タキ山」「論所」と書かれている。
国土地理院地図画像に、黒滝橋から2kmほどクロタキ谷を入った所に「黒滝」と表示されている。周辺に田んぼ記号があり、建物がある。
カシミール3D空中写真1974年には、黒滝付近に、建物と開地が見られる。
向山三角点(747m峯)の点の記に「黒瀧越小径」と書かれている。北側の青松林道から山道を進み、当時の雄鹿原村境界尾根に達した地点を「黒瀧越小径」と呼び、南のクロタキ谷に「黒滝」集落がある。
向山三角点(747m峯)「点の記」に書かれている、三角点に至る道程は、方角に疑問があるが、「黒瀧越小径より東北方約600m小径を登ると本点に達す」とあるので、黒瀧越は向山の南の境界付近と思われる。
温井ダム東の滝山、大箒山の南西に熊ノ滝山がある。滝山川両岸に懸崖が多い。熊ノ滝山の南面には大きい懸崖があり、滝山、熊ノ滝の「滝」は懸崖(タキ)のことと思われる。
向山黒滝三角点の山は、南面に大きい崖があり、黒滝はこの懸崖のことではないか。
「タキは岩壁、懸崖の意で、山頂の岩壁、山の中腹にある岩壁、渓谷の側壁、すべてタキと呼んでおり、水が落下している滝とは無関係な語意である」
「タキは昔からこの地方で使われている。『防長地下上伸』宇佐村絵図(1750年)を見ると、寂地川水源にあたる土瀧山の中腹に岸壁の絵が書いてあり、『みやうぜんの横タキ』とある。この絵図は藩の絵図方役人が地下の庄屋の案内で実地検分して画いたものであるが、山の中腹の尾根上にあって水の流れていないこの岩壁に滝(タキ)や嶽の字を当てることができず困惑して片仮名書きにしたものと推察される。筆者も困って本書では懸崖(タキ)を用いている」(『西中国山地』桑原良敏)。
「ホウキ」地名
「大箒山は戸河内町と加計町の境界にある山である。『戸河内森原家手鑑帖』(1715年)に大箒山の山名はない。加計町側の『加計村御建山御留山野山腰林御改帖』(1707年)に大はうき≠ニあるのが初見と思われる。大箒山の山名は加計町側の呼称が一般化して現在も用いられていると考えるのが穏当のようだ」(「西中国山地」桑原良敏)。
「点の記」に、大箒山は二等三角点で点名は大坊木(おおぼうき)とあり、所在地は戸河内町大字松原、俗称大箒山と言う。選点は明治26年と古い。点名の大坊木≠ヘ大箒山の東面、加計側の小字名である。南東の668.6mピーク(点名 上温井)の字名は大坊木≠ニなっている。温井側には大枋木林道(おおほうき)が通っている。
加計の地籍図によると、大坊木は山頂からカジヤ谷の北面、滝山川と戸河内境に挟まれる大箒山東面辺りをいう。
「温井ではオオホウキ、松原、杉泊ではオオボウキと濁音で呼ぶ人が多い」(「西中国山地」)。
杉泊の呼び名のオオボウキが、明治に入って地籍を決める時、大坊木と表したと思われる。戸河内の松原でもオオボウキと呼んでいるのは、「鉄の道」で松原と杉泊が繋がっていたためだろう。
箒の字をいつから当てるようになったのか定かでないが、比較的新しいと思われる。広島県統計年鑑を見ると、昭和元年(大箒山)、昭和29年(大坊木)、昭和33年(大箒山)と変遷している。
「登山口となる加計町温井の里には、江の淵という所がある。『芸藩通志』に、『スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した所だ』という里人の伝承が紹介されている」(『リュックかついで』)。
伯耆国(ほうきのくに)の由来
伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となったという(ウィキペディア)。
「ほうき」の語源
「伯耆」とは、旧国名「伯耆国」のなごりで、現在の鳥取県中西部と島根県東部の一部を含む地域では今でも多くの「伯耆○○」という地名や旧跡が残っております。その中でもとりわけ有名なのが「伯耆富士(ほうきふじ)」「伯耆大山(ほうきだいせん)」でしょう。(元々の伯耆国の「ほうき」の語源については「山脚が断崖となって水に落ちるところ」など諸説あるようです)(伯耆町HPから)。
ハケ (ハッケ, バケ, バッケ) とホキ (ホッキ)
東日本特に武蔵を中心として最も多く分布する崖地名のハケ、ハッケ、バケ、バッケについては柳田先生の御考証もあり、新編武蔵風土記などにもすでにこれを指摘しており、また今日ではいろいろの人の注意もひいているので、改めてこゝに紙面を費す必要はあるまい。このハケ類には峡、八景、八卦、羽毛、端気など種々の字があてられ、これらのハケが単独の地名となつているほか、峡田というような地名として存在している。
東北地方には八卦や八景などが多いようである。八景山などの場合は、近江八景の八景と同じく、勝地の意味でつけられたものがあつても、それはもちろん別である。
八景のアテ字に関連して挙げたいのは、宮城県追波湾にある大八景島、小八景島である。ヤケ島とよませている。共に島の周囲全体を、断崖が取卷いている。これはハケにあてた八景の字を、ヤケとよむようになつたものかどうか。
次にホキ、ホッキ (保木、保喜、堀切、房木、仏木、宝城など)についてであるが、少なくとも北九州には断崖の個所をホキとよぶ言葉がなお残つている。この地方では現在、日常語として穴のことをホゲ、穴のあくことをホゲル、穴をあけることをホガスなどと使つているが、これはホキと同語根かと思われる。私はホキを初め地方的方言かと思つていたが、辞書によると岸険の意訳文字をあて、「断崖の個所や山腹の峻しい所をホキといい、古語である」と説かれている。
ホキの分布は広いが、西日本殊に四国・九州方面に多いようで、大保木とか切房木とかの地名が崖地によくある。大保下(おほげ)(延岡図幅)
もある。コ島県吉野川上流沿岸の、断崖地として著名な大歩危、小歩危も恐らくこれであろう。大分県下毛郡三保村洞ノ上
(中津市東南) は、ホキの地形にあてはまるので洞の字を用いたことと思われる。ハケとホキは同系のもののように思うが、そのハケがアイヌ語のPake
(パケ, 端) から来たろうという説が正しいとすれば、ホキともつながることが考えられる。
堀切をホッキとよませている例は多い。これには水沢地などの堀割や、坂道の切通しをいうのではなくて、崖から来たものが、たしかにあるように見なされる。たとえば山梨県西八代郡山保村堀切
(市川大門町の南方)
はたしかに断崖地である。仏沢や仏木峠なども恐らくこれであろう(『崖を意味する地名』松尾俊郎)。
大箒山の「ホウキ」は、滝山峡右岸の三角点に「大坊木」があり、大箒山東面、滝山峡右岸の小字名である。崖の方言に「ホキ」があり、伯耆町HPにも崖を指摘しており、崖に関連する地名であるのかもしれない。
マタギ言葉ハケ
アイヌ語の中にも偶然かも知れぬが似た語がある。国後島の大八卦(ホロボツケ)、一名ノボリパッケ、島中の第一の高山なりと大槻氏風土記に見ゆとある。ノボリは即ち山であらうから此バッケも切崖のことかも知れぬ。バチェラア氏語彙には、Pake=the
head(頭)、サパ(頭)に同じであるが、永田氏の蝦夷語地名解にはペシパケ岬、ペシは崖、パケは端、平なる山側とある(「地名の研究」柳田国男)。
マタギ言葉 |
アイヌ語 |
日本語 |
ハケ・ハッケ・ハッケィ・ハッキ |
パケ
pake |
頭 |
カシミール3Dデータ
総沿面距離18.6km
標高差485m
区間沿面距離
後温井駐車場
↓ 3.7km
大箒山登山口
↓ 1.9km
クロタキ谷鞍部
↓ 4.2km
黒滝橋
↓ 3.0km
新猪山橋
↓ 5.8km
駐車場
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