山歩き

正教山…才中得…発坂城跡…実際寺
2018/11/4

道の駅…青ヶ迫右岸…667P…正教山…松根川…才中得…与一野…善右衛門隧道…発坂城…道の駅

■正教山(ショウキョウザン)817m:広島県山県郡安芸太田町大字寺領字小京山(点の記=小京=ショウキョウ)

霧が降りた上殿
青ヶ迫
上水路記念碑
東側の道と小屋 奥に電気柵
青ヶ迫右岸の墓所へ渡る
墓所の奥の古い墓
墓所の奥に石碑と電気柵
石碑
電気柵に沿って進む
掘下げた道を進む
ヌタ場
雲海と市間山
岩の所から左に折れる
公社の石柱 ここから道が分岐
ヒノキ林の尾根を東へ進む
杉谷側から上がる山道に合流
山頂手前のゴーロ
正教山
コナラの大木
大岩で一休み
ヒノキ林にアカマツが入る
堰堤の右岸に林道
民家の裏に出る
松根川水源の里から見える十方山登山道の峯
新築中の民家
305号線に出る
鍋山
シダレ桜と正教山
那須与一の墓
岩田のトンネル予定地
善右衛門隧道
善右衛門隧道 西側
発坂・岩田城入口と電気柵
17番鉄塔
掘下げた岩田城東面
薮の岩田城
19番への鉄塔道を南へ
掘下げた発坂城北
平坦地の発坂城
土居の宝篋印塔
諏訪神社
岩田城、発坂城、17、19番鉄塔
実際寺
実際寺階段参道
実際寺参道階段下の石畳
発坂トンネルと191号線
土居発電所へ渡る橋
橋から見た実際寺のイチョウ
轟浜
轟岩
「筒賀村をへて吉和村に通ず」石の道標
道の駅から正教山を望む
6:40 道の駅来夢とごうち 気温7度 晴れ
 

7:00 青ヶ迫右岸電気柵
8:30 才中得分岐
8:40 667P
9:10 正教山 
10:20 松根川堰堤
10:40 弁財天加計線(305) 
10:45 才中得積石塚
11:00 那須与一墓
11:30 善右衛門隧道
11:50 17番鉄塔 
12:00 岩田城跡
12:15 発坂城跡 
12:45 実際寺  
12:55 191号線
13:25 轟橋 
13:40 道の駅

 周辺の山は霧が降りて見えない。道の駅から旧道に進む。途中、青ヶ迫川左岸の道に入る。左岸に「上水路記念碑」と書かれた大きな石碑があった。碑の側面は上殿村と刻まれている。「昭和6年に始まった寺領川から上殿長田まで6kmに及ぶ上水路工事が、山根蕭村長指揮のもと、昭和8年完成」(『とごうち石の文化』)した記念碑である。

 右手の山根蕭翁頌徳碑裏面には「山根蕭翁ハ元治元年七月十日出生」(1865年)とあった。ガード下を過ぎると右上に京之本遺跡の碑がある。さらに進むと右岸に墓所があり、左岸に電気柵がある道があり、そこから少し進むと小屋の奥に入る道に電気柵がある。道角に「寄付」の石碑がある。

 引き返して青ヶ迫右岸の墓所へ渡る。墓所の奥に七基の古い墓石が並んでいた。その後に古い墓石が山積みされていた。奥に道が入り電気柵がある。その左に古い石碑があったが読めない。電気柵に沿って進む。道は谷側に下り、地形図の破線道に沿って続いていた。途中で東側の尾根から上がる道と合流。

青ヶ迫川右岸の古い墓石
青ヶ迫川右岸電気柵入口の石碑
ウラジロノキ

 ソヨゴが赤い実を付ける。掘下げた道が薮の所は尾根上を通る。550mを越えた所にヌタ場があった。ヒノキ林を進む。白い幹のホオノキの下にたくさんの落ち葉が散っていた。600m手前で西側の林の間から雲海が見え、背後に市間山が見える。岩がある所で道は左へ曲がる。日当たりにツルリンドウが伸びる。

 公社と書かれた標柱の下が侵食で露わになっていた。そこから小路が東側に上がっている。尾根に出て、東のヒノキ林を進む。破線道が北へ延び、才中得の鍛冶屋谷へ下りている。700mを越えた所で山道が南側から上がっていた。杉谷から上がる道があるのかもしれない。破線道の分岐を過ぎて少し登ると、ヒノキ林の中に山道が江河内谷のほうへ下りていた。

 ゴーロを登ると山頂、道の駅から2時間半ほど、気温12度。山頂から西側へ踏み跡がある。尾根上にコナラの大木があった。岩の上で一休み。コシアブラの林を下る。赤いウラジロノキの実が枝と葉が付いて落ちていた。ヒノキ林にアカマツが侵入している。ツルアリドウシ、ヤブコウジの赤い実。

ツルアリドウシ
那須与一の墓隣の百々初一の碑
災害復旧記念碑
与一野大歳神社

 530m付近から谷へ下りる。堰堤に上がると右岸に林道が通っていた。松根川水源の林道を下ると民家の裏手に出た。植林地に石垣がある。民家の間の里道を下る。山の向こうに十方山登山道の峯が見える。新築中の民家の前を通る。ナンテンに白い実が付いていた。20分ほどで305号線の才中得集会所へ出る。

 才中得積石塚の横を通る。えの橋を渡り与一野に入る。鍋山が大きく見える。東側に与一野のしだれ桜が見え、その後に正教山が見える。畑の土手の日当たりにチャノキが咲いていた。那須与一の墓、災害復旧記念碑を過ぎると、与一野の大歳神社が右上に見える。シシウドの花がまだ残っていた。

 岩田バス停に出る。トンネルの右手に新しいトンネルができるようだ。工事現場の階段で一休み。階段を下りて橋を渡るとトンネル。川は岩盤となっている。車道の左手に廃棄物保管場所がある。トンネル入口には「善右衛門隧道」と彫られている。トンネルは傷みが激しく、数メートル毎に水が滲み出ている。道の両側には水が溜まっていた。

岩田バス停
水が滲み出るトンネル
アキノキリンソウ

 隧道の西側に善右衛門の墓がある。「熊高(才中得)の善右衛門は、文禄の役(1592年朝鮮出兵)に出征中、親の発病を知り、軍令を犯して帰郷したところを捕まり、善右衛門垰で死に処せられた」(『とごうち石の文化』)。

 トンネルを出ると「発坂・岩田城跡」の木板に墨書きされたりっぱな説明板がある。

 「栗栖氏の本拠であった発坂城は太田川・寺領川を天然の外堀として利用…岩田城は発坂城の北側尾根続きにあり、主城である発坂城の見張り所として機能した」(説明板)。

 説明板の横に電気柵があり、鉄塔道が通っている。標柱があり西に16番、東に17番となっている。ヒノキ林を登り17番鉄塔に出る。そこから岩田城の西側へ登る。尾根の東側が深く掘られていた。薮の岩田城跡を通り、尾根を東へ進む。標柱があり左にNO.19、右にNO.17となっていた。

ツルリンドウ

 尾根の鉄塔道を東へ進む。発坂城手前は深く掘られ、急坂を登ると上は広い平坦地になっている。引き返して窪地に下りると南側に小路が下りていた。19番鉄塔へ通じる道のようだ。引き返してトンネル西の車道に出る。頭上に17番鉄塔が見える。

 道を下ると大きい宝篋印塔がある。隣に瓦葺の諏訪神社がある。階段を上がると、大きいツバキ、イチョウ、ムクロジの木がある。建物の中に「諏訪神 御神燈」の字が見える。東側に岩田城、発坂城の峯が見え、17、19番鉄塔が見える。

 下へ進み実際寺の参道階段を上がる。軒下に説明板がある。「発坂城主栗栖権頭親忠薙髪して帰源禅門入道となり無為山実際寺を創建した。貞和四年(1348)京都東福寺第三世古山恵海の法嗣雪舟嘉猷を迎えて住持となし、村内与一野に二百九十石五斗の寺領を有した」。

宝篋印塔 上か空、風、水、火、地の字が見える
諏訪神社とムクロジ
諏訪神社
ムクロジ
ヤブコウジ

 参道階段の下側には石畳の参道が続いている。実際寺本堂の屋根は昭和34年、草葺きから鉄筋コンクリートに改築された。車道を下り発坂トンネル西の191号線に渡る。太田川の上流に十方山登山道の峯が見える。土居発電所へ渡る橋に出る。実際寺のイチョウが目立つ。

 発坂城跡下に19番鉄塔へ上がる標柱がある。太田川下流に砂ヶ瀬山が見える。正地の取水堰を通り、305号入口を過ぎる。発坂トンネル東口から川沿いを進む。轟浜は大きい丸石がごろごろしている。轟岩を見て轟橋に出る。191号線を渡ると「成業繁盛」「諸願成就」の小社がある。旧道に出ると「筒賀村をへて吉和村に通ず」の石の道標がある。左の正教山の峯を見ながら道の駅に帰着。
 

実際寺
実際寺から南方向
参道階段一番下から実際寺を見る
 
チャノキ
コアジサイ
ヨメナ
コシアブラ
ミヤマシキミ
ソヨゴ
シロナンテン
コセンダングサ
ヤマハッカ
シシウド
ブタナ


■地名考

 自然界で生じる種々の音や声を言語音で模写した語を擬声語といい、自然界に生起するさまざまの状態を言語音で模写した語を擬態語とよぶ。擬声語は、ゴーン、ドタン、ガタガタなどの語で、擬音語ともいわれる。擬態語は、ベットリ、キラキラ、ツルンなどの語で、擬容語ともいわれる。擬声語・擬態語を総称して、象徴詞、象徴辞、声喩(せいゆ)、オノマトペなどという(『小学館 日本大百科全書』)。

 貧窮問答歌 山上憶良(万葉集)

 奈良時代初期の歌人山上憶良作。貧しい者とそれよりもさらに貧しい者とが,貧乏生活を問答の形で述べ合ったもの。そこに示された貧窮の様相は写実的で,班田制下の農民の姿を余すところなく伝えている。721年の作。憶良72歳。

 万葉集 『鼻びしびし』
  (原文iは田偏に比)
(鼻毘之毘之尓)

 [歌番号]05/0892

 [題詞]貧窮問答歌一首[并短歌]

 [原文] 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之<?>夫可比 鼻i之i之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻R 来立呼比奴 可久<婆>可里 須部奈伎物能可 世間乃道

 [訓読]

 風交り 雨降る夜の 
 雨交り 雪降る夜は 
 すべもなく 寒くしあれば 
 堅塩を とりつづしろひ 
 糟湯酒 うちすすろひて 
 しはぶかひ 鼻びしびしに  
 しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 
 我れをおきて 人はあらじと 
 誇ろへど 寒くしあれば 
 麻衾 引き被り 
 布肩衣 ありのことごと 
 着襲へども 寒き夜すらを 
 我れよりも 貧しき人の 
 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 
 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ 
 この時は いかにしつつか 
 汝が世は渡る 
 天地は 広しといへど 
 我がためは 狭くやなりぬる 
 日月は 明しといへど 
 我がためは 照りやたまはぬ 
 人皆か 我のみやしかる 
 わくらばに 人とはあるを 
 人並に 我れも作るを 
 綿もなき 布肩衣の 
 海松のごと わわけさがれる 
 かかふのみ 肩にうち掛け 
 伏廬の 曲廬の内に 
 直土に 藁解き敷きて 
 父母は 枕の方に 
 妻子どもは 足の方に 
 囲み居て 憂へさまよひ 
 かまどには 火気吹き立てず 
 甑には 蜘蛛の巣かきて 
 飯炊く ことも忘れて 
 ぬえ鳥の のどよひ居るに 
 いとのきて 短き物を 
 端切ると いへるがごとく 
 しもと取る 里長が声は 
 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ 
 かくばかり すべなきものか 
 世間の道

 [仮名] かぜまじり あめふるよの あめまじり ゆきふるよは すべもなく さむくしあれば かたしほを とりつづしろひ かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ はなびしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて あれをおきて ひとはあらじと ほころへど さむくしあれば あさぶすま ひきかがふり ぬのかたきぬ ありのことごと きそへども さむきよすらを われよりも まづしきひとの ちちははは うゑこゆらむ めこどもは こふこふなくらむ このときは いかにしつつか ながよはわたる あめつちは ひろしといへど あがためは さくやなりぬる ひつきは あかしといへど あがためは てりやたまはぬ ひとみなか あのみやしかる わくらばに ひととはあるを ひとなみに あれもつくるを わたもなき ぬのかたぎぬの みるのごと わわけさがれる かかふのみ かたにうちかけ ふせいほの まげいほのうちに ひたつちに わらときしきて ちちははは まくらのかたに めこどもは あとのかたに かくみゐて うれへさまよひ かまどには ほけふきたてず こしきには くものすかきて いひかしく こともわすれて ぬえどりの のどよひをるに いとのきて みじかきものを はしきると いへるがごとく しもととる さとをさがこゑは ねやどまで きたちよばひぬ かくばかり すべなきものか よのなかのみち

 「鼻びしびし」は以下のように訳されている。

 ○鼻をびしびしならして

 ○鼻をぐずぐずさせて

 ○鼻をすすりながら

 ○鼻水をたらしながら

 ○鼻ずるずる

 「びしびし」は、鼻汁をすすりあげる音を表す語(大辞林)。


 アイヌ語の鼻水

 etu-pe 
 エト・ペ 
 鼻・水 

 etu-wakka
 エト・ワッカ
 鼻・水

 cik チク したたる、雫が落ちる
 
 etu-pe-cik
 エト・ペ・チク
 鼻・水・したたる(鼻水たらす)

 涙をこぼす
 nu-pe-cik
 ヌ・ペ・チク
 目・水(涙)・こぼす

 pi-cis 
 ピチシ
 しくしく泣く、すすり泣く

 ci-pe-ko-picici 
 チペコピチチ
 ずぶ濡れになる(体から滴が落ちるほどに)

 e-pe-ko-cikcik 
 エ・ペ・コ・チクチク
 雫がポタポタ落ちる

 e-pe-ko-cirir 
 エ・ペ・コ・チリル
 濡れている(体から雫が落ちるくらい)

 cirir チリル 
 (滴が、涙が、よだれが)滴る、滴り落ちる

 opicir オピチリ 
 opecir オペチリ 
 下痢、たらす

 o-pe-cir
 オ・ペ・チル 
 尻・水・垂れる


 「鼻びしびし」を次のように表す

 etu-pecik-pecik
 エト・ペチ・ペチ
 鼻・水たらす・たらす


 hana-picik-picik
 ハナ・ピチ・ピチ
 鼻・水たらす・たらす


 山上憶良

 [歌番号]03/0337 (憶良60〜70歳)

 [題詞]山上憶良臣罷宴歌一首

 [原文]
憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽

 [訓読]
 
憶良らは今は罷らむ
 子泣くらむ
 それその母も我を待つらむぞ


 北原白秋の『雨ふり』

 雨雨ふれふれ 母さんが 

 蛇の目でお迎え うれしいな

 ピチピチ チャプチャプ ランランラン


 「びしびし」は「雨ふり」によって、ピチピチに変換され、「らむ」は「ラン」に変換された。



 アイヌ語 鼻 etu

 sir-etu
 シリ・エト
 sir-etuk
 シリ・エトク
 山・鼻
 
 etu エトゥ 鼻
 エツ・エヅ・エズ・イツ・イヅ・イズ・エト・エド・イト・イド

 etu エト 江戸

 etu エズ 伊豆・出雲・恵雲(エトモ)

 etu イト 伊都国

 奄美トゥイナブィ=嘴状の口のついている鍋

 奄美ハナンズィ=鼻

 奄美ティバナ=鼻

 西中国山地地形方言 ドマ・ドキ=山の鼻 
 etu-ma, エトマ 鼻・澗
 etuk エトク 鼻



 アイヌ語の語根重複

 『一般的に言って、語根重複reduplicationが多用されるという記述があった場合は、その言語は音の象徴性に対する依存度が高いと考えられるので、オノマ卜ペが多いという推測が可能であるがアイヌ語に関しては間接的であるがオノマトペが豊富であるという報告が別にある(『オノマトペに関する対照言語学的考察』岡本克人)。

 suyesuye スイェスイェ ゆらゆらする

 suyesuye 何回も揺らす、振る、揺さぶる

 niko-suyesuye ニコスイェスイェ 立木に登っている者を木のまま揺すぶる

 muy-suyesuye ムイスイェスイェ 箕を揺らす

 si-suyesuye シスイェスイェ 揺れ動く
 (『アイヌ語電子辞書』)

 suyesuye スイェスイェ ゆらす(重複)、ゆらゆらゆらす
 (『アイヌ民族博物館』)

 nitay suyesuye p ニタイスイェスイェプ 嵐の時森を揺らすもの
 (『アイヌ文化財団』)

 tomtom トムトム ぴかぴか光る

 tomtom-kikir トムトムキキリ 光り光りする虫=ホタル

 toktok トクトク トントンという音
 (tok トンという音)

 sampe-toktokse サムペトクトクセ 心臓がドキドキする

 ram-toktokse ラムトクトクセ 心臓がドキドキする

 tuytuy トイトイ 垂れ落ちる垂れ落ちる

 wakka-tuytuy ワッカトイトイ 水が垂れ落ちる垂れ落ちる

 karkarse カルカルセ ころころころがる

 terterke テルテルケ ピョンピョン眺ぶ

 purpurke プルプルケ プクプク涌き出る

 paraparak パラパラク 大声で泣きわめく

 hepokipoki ヘポキポキ 頭を上げ下げする

 tartarke タルタルケ 踊り踊りする(川のたぎつせ)
 (tattarke タッタルケ)

 tuytuye トイトイェ 箕で糠をとばす、体のゴミを払う

 kirpo-tuytuy キリポトイトイ ちんぼふるふる(赤ん坊の)

 tawkitawki タウキタウキ 何回も叩いて割る、切る、ブツブツに切る

 cirircirir チリリチリリ 流れるように逃げ去る

 tata タタ トントン切り刻む

 tatatata タタタタ とんとん切り刻む

 oreporep オレプオレプ 叩いて拍子をとる

 caricari チャリチャリ まき散らす

 mommom モムモム 流れ流れる

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カシミール3Dデータ

総沿面距離14.1km
標高差585m

区間沿面距離
道の駅
↓ 3.8km
正教山
↓ 2.1km
弁財天加計線
↓ 2.3km
善右衛門隧道
↓ 2.4km
実際寺
↓ 3.5km
道の駅
  

 
 
発坂・岩田城跡入口の説明板
実際寺説明板
 
登山道から見た雲海と市間山
与一野から見た鍋山
与一野 しだれ桜
岩田城 発坂城跡の峯
土居発電所へ渡る橋から実際寺を見る
太田川と土居集落
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)