山歩き

板ヶ谷…虫木ノ峠…カナクラ峠…向山
2018/6/16

板ヶ谷チェーン着脱場…河内神社…虫木ノ峠…ホワイトバレー…カナクラ峠…バア堀…向山…ワル谷堰堤…板ヶ谷

■犬ヶ谷(イヌガダニ)915m:広島県山県郡戸河内町字板ヶ谷(点名 犬ヶ谷) (安芸太田町)
■向山(ムカイヤマ)1065.8m:広島県山県郡安芸太田町大字柴木字段原(点名:柴木=しばき) (安芸太田町)

板ヶ谷
板ヶ谷川
国道から西側の旧道に入る
コウラ谷
板ヶ谷河内神社
板ヶ谷河内神社
板ヶ谷河内神社
忠魂碑とソーラーパネル
ガスが掛かる熊ノ滝山
埋立現場 板ヶ谷右岸
トガウチのプレート
林道熊野滝線
板ヶ谷右岸の水田
イヌガ谷の橋
イヌガ谷の標柱
虫木ノ峠へ上がる旧道
旧道から見たイタガ谷
眼下の国道 旧道から
虫木ノ峠
林道松原線
国道は気温13度
ホワイトバレーに入る
オオノタ谷水源の貯木場
スキー・スノーボードジャンプ台
草原から樹林に入る
ワラビが群生
ゲレンデトップ
ゲレンデトップから ガスで展望が無い
ゲレンデトップから西へ進む
915三角点
カナクラ峠
空洞の4.2mブナ
岩を抱いた倒れたスギ
岩を抱いた倒れたスギ
作業道に出る
沼の北端のゴーロ
沼の北端にバイケイソウが咲く
バア堀 北端
バア堀 南端
南端
モリアオガエルの卵
向山
作業道を下る
掘り下げた跡
作業道終点
ヒノキ林の平たい岩
ワル谷へ下りる
堰堤が谷を塞ぐ
作業道終点に下りる
ワル谷下流の堰堤
民家の横に出る
刈られた水田跡から駐車場へ
5:40 板ヶ谷チェーン着脱場 気温16度 晴れ
 

6:05 河内神社
7:20 虫木ノ峠
7:30 ホワイトバレー入口
8:20 ゲレンデトップ
8:50 915m三角点
9:05 カナクラ峠
9:50 4.2mブナ
10:15 蔵座作業道
10:50 バア堀
11:15 向山
11:25 バア堀
11:35 作業道
12:10 作業道終点
13:10 ワル谷
13:20 ワル谷上流の堰堤
13:45 ワル谷作業道
14:00 ワル谷下流の堰堤
14:25 板ヶ谷駐車場


 駐車場から191号線を横切り、旧道に入る。板ヶ谷川沿いに道が続いている。オオバアサガラが実を付け、クリの花が出ている。日陰にはユキノシタが咲く。人気の無い民家の前を通る。木の枝に茶色の蜂の巣のようなものが下がっていて、下側が開いている。ウツギの花はもう終わり。

 旧道から国道に出て、すぐに山側の旧道に入る。畑の石垣にヒルガオを咲いている。民家の横にワル谷に入る作業道の入口がある。道沿いにドクダミが咲き、ヤマグワが実を付ける。墓所、民家の間を通る。コウラ谷に「土石流危険渓流 甲良谷川」とある。

 コウラ谷の左岸に板ヶ谷河内神社がある。階段を上がってお参りする。「母カン百歳記念」の石灯篭が左右に立っている。石の鳥居には「石工上殿村 矢立柳次郎」の名が刻まれていた。神社から国道に出る。

蜂の巣?
ユキノシタ

 左上に大きい石碑が見えた。「忠魂記念 故陸軍歩兵上等兵鈴木圓次郎之碑」と書かれていた。石碑の左奥にはソーラーパネルが設置されていた。オオエキの谷を過ぎた先から谷側の旧道に入る。ウメが実を付けていた。

 山腹にガスが掛かっている。庭にコバギゾウシが咲いている。埋立工事の看板があり、板ヶ谷右岸の板ヶ谷上久保が埋立中だった。一旦国道に出て旧道に入る。マサガ谷に入る作業道の入口がある。ヒノキにイワガラミが巻き付く。旧道から埋立現場が見える。電柱に「トガウチ」のプレートが付けてあった。

 林道熊野滝線の看板がある。林道は板ヶ谷に深く入っている。旧道下の水田は田植えを終えたばかりだった。熊ノ滝山にガスが掛かる。イヌガ谷の橋下に出る。両岸に標柱が立っているのが見える。標柱は200mほど上流にも立っている。

ヤマグワ
コバギボウシ

 ネムノキにツボミが出ている。ミズキが実を付け、マタタビの花が咲く。ミズナシ谷を過ぎて、旧道を進んでみたが草薮で行き止まり。引き返して国道へ上がる。国道を少し進んで、山側の旧道に入る。板ヶ谷左岸の山はガスが掛かっている。

 旧道はミズナシ谷左岸に入り、U字に回って北へ進む。リョウブが咲き始めている。旧道は国道より大分高い所を通っている。大平山の峯にガスが掛かる。ヤマアジサイが咲き、ウバユリにツボミが出ている。虫木ノ峠に出る。峠の電柱に虫木峠局のプレートが付けてある。コアジサイが咲く。

 峠を越えると涼しい北風が吹く。気温は14.5度。少し下ると、林道松原線起点の看板がある。ヤマボウシが咲く。オオノタ谷にオオバアサガラの花が残る。国道に出ると気温13度を示していた。ホワイトバレー入口に「HIROSHIMA QUEST」の看板がある。ゲートを潜って車道を進む。

ネムノキ
ミズキ

 ヤマハンノキにマツカサ状の実が付いている。オカトラノオはツボミ。オオノタ谷水源に貯木場がある。奥へ入って行くと、ムラサキスポーツの看板があった。ゲレンデにスキー・スノーボードのジャンプ台が作られていた。ジャンプ台の横を通って、草原のゲレンデに出る。ヒヨドリバナが咲く。

 草原はガスの露で湿っていた。腿まですっかり濡れてしまった。途中から樹林に入る。林の道を進むが、すぐに切れてワラビの群生地に出る。草原に緻密な網のクモの巣が張っていた。ゲレンデトップに出る。ガスで展望は無い。クリの花芽が出ている。

 ゲレンデトップから西側の伐採地に進む。大きいアカマツがある。コハウチワカエデが実を下げる。尾根の樹林に入る。トップから30分ほどで915m三角点。そこから10分ほどで倒木のあるカナクラ峠、イヌガ谷峠とも呼ぶ。西側に踏み跡がある。

マタタビ
ツルマンネングサ

 尾根を進む。マサガ谷の鞍部を過ぎ、尾根が広くなったところに大きいブナがあった。計測すると胸高周囲4.2m。幹の下側が空洞で倒れそうであるが、葉は出ていた。周囲に落下した枝が転がっている。

 広い尾根を進む。ユキザサが実を付ける。大きい岩を抱いて倒れたスギがあった。岩に巻き付いて成長したスギの重みに耐えかねて岩ごと倒れたようだ。カナクラ峠から1時間ほどで作業道に出た。コバノフユイチゴが咲く。

 作業道を進み、途中から山へ入る。導水トンネルを過ぎて、谷の水源を通る。谷は苔むしている。西へ進み、次の谷を通る。南西に進んだところに岩が並んでいた。その近くにバイケイソウが咲き、南側が湿地になっていた。湿地の東側を南へ進む。南端は沼になって、モリアオガエルの卵が枝にくっついていた。

バイケイソウ
ヤマアジサイ
リョウブ

 沼の南端から西側を北へ進み、一回りした。南北に80mほどの細長い沼だった。この沼がバア堀と思われる。沼の北端から向山まで150mほどの所、向山へ進む。山頂から尾根のヒノキ林を進み、10分ほどで沼の北端に出る。沼から作業道に進む。

 ミヤマガマズミ、オトコヨウゾメに実が付いていた。イノシシが掘り返した跡があった。下の赤土が見えるまで掘っていた。作業道終点からスギ林に入る。ユズリハが多い。尾根を離れ、東へ下る。スギ林からヒノキ林を下る。コアジサイが多い。平たい大岩があった。

 750m付近から踏み跡が消失する。いくつかの尾根に赤いテープが下がる。小尾根を下る。下るに連れて急坂になる。水音が聞こえ、最後は崖になった。ようやくワル谷に下りると滝の下だった。右岸を進むと、高い堰堤が谷を塞いでいた。両岸崖で、滝と堰堤に挟まれた袋小路のような所に下りてしまった。

ウバユリ
コアジサイ

 左岸の崖を登り堰堤の上まで進むが、その下も崖。左岸を少しトラバースし、ようやく谷左岸の作業道に下りる。堰堤の下まで作業道が通っていた。堰堤の前に「悪谷川激特砂防堰堤」の看板があった。「激特」は「砂防激甚災害対策特別緊急事業」の略らしい。

 そこから10分ほどで下流の堰堤に出た。作業道の途中から谷沿いの薮道を下る。小屋を過ぎ、民家の横に出る。6月3日に草薮だった水田跡は、きれいに刈ってあった。刈られた広地を進み、駐車場へ下りた。
 
 

フウリンウメモドキ
ユキザサ
ケヤマハンノキ
オオバアサガラ
クリ
ウメ
キリンソウ
スイカズラ
イワガラミ
ツルアジサイ
モミジガサ
ヤマボウシ
オカトラノオ
クロモジ
ミヤコグサ
ヒヨドリバナ
コハウチワカエデ
ニガナ
コナスビ
ミヤマガマズミ
オトコヨウゾメ
ヤブヘビイチゴ


■地名考

 虫木ノ峠は、「虫送り」が行われていたことから、「ムシキノタオ」と呼ぶようになったと言う。
 
 佐伯町虫所では「虫祈祷」が行われた。

 『「夏祭り」は6月土用の入りに行った。虫所山村では「五穀成就之祭虫祈祷」と呼んでおり、虫送りの要素が認められる。社人を招き氏神社や小祠へ神酒・燈明を供え、村人が参拝した(栗栖村)。この一環として、7月15日夜から17、8日頃迄、氏神社や小祠の前で老若相集まって終夜踊っていた。「神踊り」(津田村・虫所山村)とか「寄進踊り」(栗栖村)と言われ、古来より行われていたと記している』

 稲虫退散祈祷は、佐伯郡内で広く行われ、津田村 飯山村に記録がある(『旧佐伯郡の神社祭祀』三村泰臣)。

 『防長風土注進案』(1841年)によると、虫気により、虫祈祷を行った。

 『年ニ寄田方虫気有之節ハ為御祈祷、嶽権現社又ハ河内大明神田頭御幸執行、惣御百姓中不残御供ニて田頭巡り仕候事』(『防長風土注進案』)。

 「『虫祈祷・蝗虫祓・田頭御幸・虫施餓鬼・虫祭・大般若転読』、これらは虫除けのために行われる祈祷の類である』(以上『防長風土注進案』にみる稲作と農耕儀礼』金谷匡人)。

 「虫木」は「虫祈祷」「虫気」とも考えられる。

 虫送峠

 「島根県道川へ抜ける峠を八幡では虫送峠という。明治の初年頃まで、八月の盆の終わる日に、虫送りの行事が行なわれていた。わらで馬の形を作り、幣をかついで斉藤さねもりの歌を唄いながら、この峠より臼木谷の川へ流したという。島根県側もこの峠名がつかわれている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 虫害の歴史(ウィキペディア)
 
 701年(飛鳥末期) 17か国に蝗害 『続日本紀』
 749年(奈良中期) 蝗害 『続日本紀』
 812年(平安初期) 薩摩国に蝗害・ウンカ 『日本後紀』
 1183年(平安末期) 斎藤実盛戦死 その後の西日本の神事
 16世紀初め(戦国中期) 農村で虫送り
 1540年(戦国末期) 天文の飢饉 大雨・洪水・蝗害
 1661年(江戸初期) 小豆島で虫送り
 1670年(漢文10年) 筑前国で鯨油による稲虫の駆除法を考案
 1732年(江戸前期) 冷夏とウンカ
 1868年(幕末) 島根県邑智郡邑南町矢上鹿子原の虫送り

 虫祈祷の歴史 広島県史年表(近世)から

 広島町新開(広島城より南)の木綿に虫害あるため除虫祈祷(1722年)
 広島藩、領内の田地虫害のため厳島神社で祈祷(1732年)
 広島藩、蝗害のため厳島神社で五穀成就の祈祷(1750年)
 広島藩、気候不順・虫付きを憂える郡村の願いにより、厳島に五穀成就の祈祷をさせる(1753年)

 中国地方の虫送り(民俗語彙データベース)

 イネノムシ 中国地方 害虫駆除の行事
 ウジキトウ 山口県 蛆祈祷 藁人形のサネモリサン
 サバキトウ 山口県 蛆祈祷とも サバイ虫
 アマコオイ 岡山県 イナゴを駆逐、神社で祈祷
 アマコオクリ 岡山県 蟻巻をはらう虫送り
 シマオクリ 島根県 虫送り 実盛の藁人形
 サバオクリ 山口県 藁人形を海に流す
 サバイオクリ 山口県大津郡
 サバライ 山口県

 虫の峠地名

 
穴虫峠 アナムシ 奈良県・大阪府
 虫木ノ峠 ムシギノタオ 広島県
 虫送峠 ムシオクリタオ 広島県・島根県
 虫原峠 ムシハラタワ 広島県・岡山県
 小虫越 コムシゴシ 島根県

 西中国山地の虫地名

 
小虫谷 匹見
 大虫谷 匹見
 小虫峠 匹見
 虫道 佐伯
 大虫 佐伯
 虫所山 佐伯
 虫木谷 板ヶ谷
 ムシガ谷 上筒賀
 
 日本書紀の虫


 勸祭蟲 虫を祭ることを勧める

 取常世蟲 常世の虫を取る

 此蟲者、常生於橘樹、或生於曼椒。(曼椒、此云褒曾紀。)其長四寸餘、其大如頭指許、其色緑而有K點。其皃全似養蠶。

 この虫は、常に橘のに生る、或いはホソキに生る。(曼椒、これをば褒曽紀(ほそき)と云ふ。)その長さ四寸あまり、その大きさ頭指ばかり、その色緑にして黒点がある。その形は全ら養蚕(かひご)に似れり(アゲハ蝶)。

 古事記の虫

 大后幸行所以者、奴理能美之所養虫、一度爲匐虫、一度爲鼓、一度爲飛鳥、有變三色之奇虫

 大后の幸行せる所以は、奴理能美の養える虫、一度は匐う虫と爲り、一度は殼と爲り、一度は飛ぶ鳥と爲りて、三色に變わる奇しき虫有り(三種類の状態になる虫=カイコ)。

 
 万葉集の虫(歌番号・原文・訓読・仮名の順)

 虫 348
 蟲尓鳥尓毛吾羽成奈武
 虫に鳥にも我れはなりなむ
 むしにとりにもわれはなりなむ

 虫 1807
 夏蟲乃入火之如
 夏虫の火に入るがごと
 なつむしのひにいるがごと

 ひむし(蛾) 3281
 <蛾>葉之衣<谷>不服尓
 ひむし羽の衣だに着ずに
 ひむしはのきぬだにきずに
 (蛾の羽のような薄い着物すら着ずに)
 (ひむし=灯火に誘われる虫)
 (日本書記 那菟務始能 譬務始能虚呂望
         なつむしの ひむしのころも)
 蝿 478
 五月蝿成 五月蝿なす さばへなす

 蝿 897
 五月蝿奈周 五月蝿なす さばへなす

 蚊 2649
 置蚊火之 置く蚊火の(鹿火) おくかひの

 蜘蛛 892
 久毛能須可伎弖 蜘蛛の巣かきて くものすかきて

 蜂 1738
 須軽娘子 すがる娘子 すがるをとめの
 (すがる=蜂のようなくびれたウエスト)

 蜻蛉 376
 秋津羽之 あきづ羽の あきづはの

 蜻蛉 3314
 蜻領巾 蜻蛉領巾 あきづひれ
 (トンボの翅のように、薄くて美しい領巾)

 蟋蟀 1552、2158
 蟋蟀鳴毛 こほろぎ鳴くも にこほろぎ鳴くも

 蟋蟀 2159
 鳴蟋蟀者 鳴くこほろぎは なくこほろぎは

 蟋蟀 2160
 蟋蟀之鳴音聞者
 こほろぎの鳴く声聞けば
 こほろぎの なくこゑきけば

 蟋蟀 2264
 蟋蟀之待歡秋
 こほろぎの待ち喜ぶる秋
 こほろぎのまちよろこぶるあき

 蟋蟀 2271
 草深三蟋多鳴
 草深みこほろぎさはに鳴く
 くさぶかみこほろぎさはになく

 蟋蟀 2310
 蟋蟀之吾床隔尓鳴乍本名
 こほろぎの我が床の辺に鳴きつつもとな
 こほろぎのあがとこのへに なきつつもとな

 蝉1件 ひぐらし9件 うつせみ39件

 虫の訛り・ムシの訛り

 出雲・岩手・鳥取・石川 モシ(虫)
 鳥取 モス(虫)
 新潟 ミシ(虫)
 鹿児島 ムイ(虫)
 福岡・大分 ムジ(虫)
 千葉 ムス・ムンチ(虫)

 出雲・伯耆・山形 ダイダイモシ(蝸牛)
 伯耆 バイバイモモシ(蝸牛)
 山口 デンデンモシ(蝸牛)

 茨木 ケモシ(毛虫)
 神奈川 ケーモシ(毛虫)
 鹿児島 キチキチモシ(キチキチバッタ)
 紀伊 クルモシ(蟻地獄)
 新潟県 エリモシ(いもち病)
 出雲・山形 モシロ(筵) 

 出雲 モシクライ(害虫に食われた実)
 出雲 モシガツナグ(雑穀に害虫が発生する)
 出雲 マモシ(マムシ)
 大根島(島根) モシ、モシ歯、モシメガネ(虫)
           モシメ(娘)
           モシー(むしる)

 宮古 ムス(虫) ムシ(もし=仮に)

 出雲風土記の虫(島根郡条:【四】 島根郡の山野)

 原文

 虱野 郡家西南三里一百歩。〔無樹木。〕

 毛志山 郡家正北一里。

 

 蝨野(むしの)。郡家の西三里一百歩の所にある。〔樹木がない。〕
 (毛志山の南麓を毛志原と言い、それが転訛したものとされる)

 毛志山(もし)。郡家の正北一里の所にある。

 『この山は今の松江市東北方の澄水山で、その麓を福原といっているが、雲陽誌(享保2年=1717年)の福原の条に、「当国の風土記に蟲野又は蝨野といへり、此故に初は蟲原と号す、然に明磨年中(1655〜1657)大守直政公この里に鷹狩したまひし時、蟲原といふ名のよからざりとて福原とあらためたまふなり」とある。出雲方言で虫をモシというところから、毛志原を虫原と解し、福原と改めたと思われる』(『出雲風土記勘造当時の出雲ことば』加藤義成)。

 アイヌ語のムシとモシ

 『虫内(秋田県)と漢字で見られると日本語だと思われるかも知れない。だが奇妙な字を当てられたナイの密集地のまん中にある地名である。太平洋岸の気仙郡にある茂志内(モシナイ=岩手県)とも同じであるらしい。昔繊維材料に使った蕁麻(イラクサ=アイヌ語では、モシ、モセ、ムサ等の音で呼ばれた)沢の意であったろう』(『山田秀三著作集1』)。

 知里真志保著作集別巻に、オオバイラクサ・エゾイラクサのアイヌ語に、モセ、モシがある。
 虫内=ムシナイは、モセナイ、モシナイの転訛と思われる。

 mose モセ <朝鮮語 イラクサ
 hay-mosi ハイモシ 繊維・イラクサ

 mus ムシ 蠅
 mos モシ 蠅
 mus-onkami ムシ・オンカミ 蠅・拝み
 mus-si ムシシ そばかす(蝿・糞)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミール3Dデータ

総沿面距離15.5km
標高差628m

区間沿面距離
板ヶ谷
↓ 4.9km
虫木ノ峠
↓ 3.1km
カナクラ峠
↓ 1.7km
蔵座作業道
↓ 1.5km
向山
↓ 4.3km
板ヶ谷 

 

 
 
板ヶ谷河内神社
周囲4.2mブナ
周囲4.2mブナ
周囲4.2mブナ
周囲4.2mブナ
南端から見たバア堀 閉じられた窪地になっている
モリアオガエルが卵を生むバア堀
ワル谷の滝
ワル谷
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)