山歩き

二軒小屋…旧羅漢山…恐羅漢山…砥石川山
2017/9/30

二軒小屋…登山口…旧羅漢山…恐羅漢山…ナツヤケノキビレ…砥石川山…夏焼峠…牛小屋…二軒小屋

■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記) (安芸太田町)
■ブナ林 1131.6m:広島県山県郡戸河内町中ノ甲(点の記) (安芸太田町)
■砥石川山(トイシゴウヤマ)1177m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記:点名=砥石山=トイシヤマ 地図は砥石郷山)

サバノ頭
通行止めの看板
十方山登山口の看板
中ノ甲亀井谷(十方山)林道改良工事とある
旧羅漢山登山口
境界尾根の植林地を登る
焼杉山分岐付近登山道の糞
1300m付近
旧羅漢山
広見山と春日山
冠山 五里山 安蔵寺山
平太小屋原
恐羅漢山
サバノ頭から彦八への峯
南側に風車群が見える
苅尾山と深入山
かやばたのキビレ分岐
早手のキビレ
1131三角点付近
夏焼峠
砥石川山登山口
カラマツ林を登る
1166ピーク
恐羅漢山 1166Pから
広見山 1166Pから
魔の池
砥石川山
サバノ頭
石の道標
森林セラピーのデッキ
デッキの看板
スギ林を通る
かやばたリフト
6:45 二軒小屋 晴れ 気温6度

7:50 旧羅漢山登山口
9:00 焼杉山分岐
9:40 旧羅漢山
10:25 恐羅漢山
11:55 1131三角点(ブナ林)
12:05 ナツヤケノキビレ
12:30 1166P
12:55 砥石川山
13:50 夏焼峠
14:45 牛小屋
15:30 二軒小屋

 二軒小屋駐車場を出発、気温6度で肌寒い。日の出の光にサバノ頭が浮かぶ。林道沿いにノリウツギの花が残る。林道工事のため29年11月20日まで全面通行止の看板がある。ナナカマドの赤い実がある。八百ノ谷に珍しくシナノキがあった。湿地にオタカラコウが生える。

 1時間ほどで十方山登山口。登山口の右手に林道工事中の看板があり、「中ノ甲亀井谷(十方山)林道改良工事」という工事名で、工事区間は「広島県山県郡安芸太田町 十方山国有林」と書かれていた。工事名の「中ノ甲亀井谷(十方山)林道」の地名はどこを指すのだろうか。
 
ナナカマド
アケボノソウ

 旧羅漢山登山口に道標がある。恐羅漢山まで1時間45分とある。登山道はシモミズコシ水源の右岸を上がる。スギ林の間を通る。登山道にナナカマドの赤い実が続く。境界尾根に進み、植林地を登る。青空にナナカマドの緑の葉が浮かぶ。枯れ始めたホオノキの葉の間に袋状の実が見える。

 1時間ほどで焼杉山分岐。分岐から少し進むと、糞がまとまってあった。クマにしては小さくみえるが、タヌキかクマの子か。樹林帯を通る。オオカメノキに赤、黒の実が残る。ヤマブドウの実が数粒残っていた。大きい方を口に含むと甘酸っぱい。一面に葉が展開している中で、のこっているのは、この数粒だけだった。動物たちに食べつくされたようだ。

ヤマブドウ
クマシデ

 1300mを過ぎると、空が開け陽射しが暑かった。振り返ると、十方山と奥三ツ倉が見える。ユキザサ、ナナカマド、オオカメノキの赤い実が残る。登山口から2時間弱で旧羅漢山。岩の上に立つと見通しが良い。足元から広見山、半四郎山へ尾根が続く。広見山の右に街が見え、日本海が見える。北方向に風車群が見える。

 旧羅漢山から下り始めるとアサノハカエデが多い。ヤマブドウが色づいた大きい葉を広げる。平太小屋原の樹林を抜けると、コバノフユイチゴが赤い実を付けていた。林を抜けると十方山が見える。30分ほどで恐羅漢山。

 今日は展望が利く。聖山、苅尾山、深入山、サバノ頭、彦八の峯々が眼前に続く。登山道を進むと、弥畝山方向へ、風車群が一段と近づいて見える。この付近にもアサノハカエデが多く、まだ実がぶら下がっていた。ヤマブドウが蔓を伸ばしている。コシアブラが実を付ける。赤い実が残るナナカマドが多い。ヤマシグレの赤い実、サワフタギはブルーの実。

アサノハカエデ
オオカメノキ

 かやばたのキビレで道は分岐する。ゲレンデの方へ山道が下りている。下って行くとナナカマドの赤い実が目立つ。サルナシの実が落ちている。枝にも少し残っていた。早手のキビレで分岐し、台所原まで40分とある。1131ピークの三角点は笹薮で見えない。ピークから前方に1166峯が見える。

 ピークから10分ほどで夏焼峠に下りる。中ノ甲へ下りる道を進むと、間もなく砥石郷山登山口。道標があり、山頂まで45分とある。カラマツ林を登る。20分ほどで1166ピーク。中ノ川山、広見山、恐羅漢山、十方山、彦八への展望がある。ピークの日当たりにカワラナデシコが咲いていた。

 ピークから一旦下って登山道を進む。サワフタギのブルーの実がある。魔の池は草に覆われているが、水が山道の縁まで溜まっている。ピークから20分ほどで砥石川山。ササ原に進むと東側が開ける。サバノ頭が見える。ミヤマガマズミの赤い実、コマユミが鮮やかに紅葉し、赤い実を付ける。大きい虫コブが付いたミズナラのドングリが落ちていた。

ミズナラの虫こぶとドングリ
ユキザサ
サルナシ

 登山道を引き返す。薄茶色のアカガエルが跳ねる。1時間ほどで夏焼峠。山道を牛小屋高原へ下る。途中に石の道標がある。昔はトイシ川へ下りる山道があったが、笹薮になっている。木製のデッキで一休み。「森林セラピーの医科学的な効果」と書かれた看板がある。ストレス減少、血圧、脈拍数の低下、免疫機能が上がる、抗がんタンパク質の増加などが記されている。

 セラピー効果を満喫して道を進む。大きいスギ林を通過する。コウハチゴヤの谷を渡り、山毛欅乃木小屋北のカヤバタリフトの所に出た。ほどなく牛小屋高原の車道に出た。夏焼峠から1時間ほどだった。大分下った所に珍しくオヒョウニレの幼木があった。細見谷水源に多い木である。牛小屋から45分で二軒小屋に帰着。
 

ダイモンジソウ
シナノキ
サワフタギ
カワラナデシコ
クロタキカズラ
コシアブラ
シシウド
ホオノキ
ヤマシグレ
オヒョウニレ

地名考

 「恐羅漢山という山名は、広島県戸河内町の呼称である。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)の他村境覚書きにおそらかん山≠ニあるのが初見と思われる」(「西中国山地」桑原良敏)。

 「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「前同」)。

 「旧羅漢山は、広島県側横川の呼称である。いつの頃からこう呼ばれ出したか明らかでない。吉和村側では西十方と呼んでいた。『芸藩通志』の佐伯郡の山林の項にあり、吉和村の三浦一介所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)にも、はっきり十方山と西十方山がわけて画かれている」(前同)。

 「西中国山地」にある、恐羅漢山と旧羅漢山の山名の初見と変遷は以下のとおりで、大亀谷山は匹見側の呼称である。

 恐羅漢山
 1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
 1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
 1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
 1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
 1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
 1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
 1837年 ソカヒ山 国郡全図

 明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部(匹見)
 大正12年 大亀谷山 島根県史(匹見)
 大正14年 大亀谷山 石見誌(匹見)

 旧羅漢山
 1825年 西十方山 芸藩通志
 江戸末期 西十方 吉和村絵図
 匹見町史
 (匹見町の人々は匹見羅漢)

 ソカヒ山は戸河内の呼称である。江戸期の安芸国の絵図にソカヒ山があるが、石見国の絵図には見られない。

 『国郡全図』安芸国(1837年)を見ると、八幡原の上に柴木川が通り、石見国境の二つの山の先の恐羅漢山付近にソカヒ山が描かれている。

 二つの山は高岳と聖山と思われる。二つの山の左に長谷の地名が見られる。この付近の長谷と呼ぶ地名は、樽床にナガ谷があり、山林名の長谷(818三角点)がある。

 恐羅漢山から俯瞰すると、十方山から内黒山へ続く峯が障壁となり、戸河内の里は見えない。恐羅漢山を戸河内から見た場合、障壁の後にある山なので、見えない。

『大日本與地便覧』安芸国 1834年
戸河内と底見の間にソカヒ山
(神戸大HP)


 万葉集に「そがひ」を含む歌が12首ある。

 『万葉集の解釈において未だ定説をみない語句の一つに「そがひ」がある。集中に12例を数え、曽我比(6例)、背向(3例)、背(2例)、背匕(1例)の4つの表記法がある』(『万葉集の「そがひ」に関する若干の考察』藤田富士夫)。

 以下のように、原文に「曽我比」を含む歌が6首あり、東歌が2首、ほかに富山、北陸、出雲の歌である。「背」を含む歌は大和地方にみられる。「曽我比」は古い用例で、後に「背」の字を当てたのではないか。


 万葉集歌(番号順)の「そがひ」を含む歌

357 背向尓所見(そがいにみゆる) 兵庫
 (山部赤人 724−736に生存)

358 背尓見乍(そがいにみつつ) 兵庫・淡路
 (山部赤人)

460 背向尓見乍(そがいにみつつ) 大和=奈良
 (大伴坂上郎女 700前後〜750以後)

509 背尓見管(そがいにみつつ) 淡路
 (丹比真人笠麻呂 大宝‐和銅=701−715)

917 背匕尓所見(そがいにみゆる) 紀州 和歌山
 (神龜元年=724年)

1412 背向尓宿之久(そがいにねしく)
 (
東歌に似た歌あり 作者未詳)

3391 曽我比尓美由流(そがいにみゆる) 筑波山
 (東歌 作者未詳)

3577 曽我比尓宿思久(そがいにねしく)
 (東歌 作者未詳)

4003 曽我比尓見由流(そがいにみゆる) 富山 剣岳
 (大伴地主 738−757頃に記録)

4011 曽我比尓見都追(そがいにみつつ) 富山 高岡
 (大伴家持 718−785)

4207 曽我比尓所見(そがいにみゆる) 北陸
 (大友家持)

4472 曽我比尓美都々(そがいにみつつ) 出雲
 (安宿奈杼麻呂 756年に記録)


 広辞苑に「背向」(そがい・そがひ)がある。@背を向かい合わせること。背中合せ。Aうしろの方。後方。背面とある。

 ソカヒ山は山名ではなく、戸河内の里から見て、後方にある山の意と考えることができる。 

 ソカヒ山もオソラカン山も戸河内の呼称である。元々、同じ意味であったと仮定しよう。

 吉和冠山の西に「ウシロカムリ山」がある。冠山の後にある山の意である。u音とo音は音韻転訛しやすい。

 ウシロカムリ → オシロカム・オソロカム・オソラカン 

 恐羅漢山は「後冠」あるいは「後神」などの意であったと考えられる。

 匹見側にカメイ谷、カマのキビレがあることから、恐羅漢山は神山なのかもしれない。オオカミの方言にオオカメがある。オオカメ谷はオオカミ谷である。「中ノ甲亀井谷(十方山)林道改良工事」の地名はどこを示しているのあろうか。

 アイヌ語 osor オソル 尻 の意味だが、次のように転訛してのではないか。

 osoru オソル

 osiri オシリ

 usiro ウシロ

 八丈島方言 後(ウシロ)=オシロ 嘘(ウソ)=オソ

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カシミール3Dデータ

総沿面距離15.5km
標高差548m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 4.7km
旧羅漢山
↓ 1.1km
恐羅漢山
↓ 4.1km
砥石川山
↓ 3.0km
牛小屋
↓ 2.6km
二軒小屋
 

 
 
 
旧羅漢山から 五里山と広見山
恐羅漢山から
1166ピークから
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)