山歩き

大暮…ツチダキ…阿佐山…毛無山
2017/6/4

毛無山登山口…深山大橋…阿佐山登山口…作業道…ツチダキ…阿佐山…二十丁峠…横吹峠…毛無山…車道…登山口

■阿佐山(アサヤマ・ドウゲン山)1218.2m:広島県山県郡芸北町大字大暮字阿佐山(点の記・阿佐山) 北広島町
■中の丸見山(ナカノマルミヤマ)1079m:広島県山県郡芸北町大字大暮字阿佐山(点の記・高野=タカノ) 北広島町
■毛無山(ケナシヤマ)1082.5m:広島県山県郡芸北町大字大暮字毛無山(点の記・毛無山) 北広島町

毛無山登山口
小屋が並ぶ毛無山登山道
御前滝
御前滝の前の大暮川
岩盤が続く大暮川
深山新橋
阿佐山造林地
ハタビラゴウ谷
深山大橋
深山大橋の標識
左が天狗石山荘
尾関神社
尾関神社
尾関神社石碑裏面
阿佐山橋
阿佐山登山口
シラカバと小屋
林道からコンクリート舗装の作業道に入る
ヒノキ林を進む
ヒノキ林の山
西側の山を望む
作業道を進む
作業道終点からゴーロの山へ入る
登山道のツチダキ
登山道からゲレンデに出る
阿佐山と毛無山
畳山と阿佐山
寒曳山と大朝の里
阿佐山
阿佐山
二十丁峠
中の丸見山
登山道のブナ
横吹峠
山頂手前のブナ
毛無山
アンテナ塔に出る
ヒノキ林を進む
車道の上の展望地に出る
車道から毛無山への入口
車道から見えるアンテナ塔
高杉山
天狗石山と三ツ石山
姥御前神社
登山道は小屋の前を通る
6:10 毛無山登山口 気温8度 晴れ
 

7:40 深山大橋
7:50 尾関神社
8:10 阿佐山登山口
8:30 林道終点
9:40 作業道終点
10:25 ツチダキ
10:40 展望所
11:05 ツチダキ
11:20 阿佐山
12:00 二十丁峠
12:15 中の丸見山
12:45 横吹峠
13:20 毛無山
14:05 アンテナ塔
14:20 車道
15:35 登山道入口
15:55 姥御前神社
16:05 登山口
 
 毛無山登山口を出発。気温8度で少し肌寒い。登山口近くの車道沿いにシナノキがある。寂地山では尾根周辺でしか見なかったが、ここは標高680mの川沿いである。エゴノキの花がまだ残っている。

 開地に出ると、毛無山登山道沿いに小屋が並んでいるのが見える。車道の左右にもシナノキがあった。枝からヘラ状の細長い苞が出て、そこから花芽が出始めている。ヤマウルシも花を下げている。ヤマボウシが咲く。キブシはたくさんの実をぶら下げる。コアジサイはまだツボミ。

 カマツカはほころび始めている。ヤグルマソウ、ヤブデマリが咲き、ダンコウバイの葉が多い。左岸から落ちる御前滝に天狗石山の道標がある。御前滝付近の大暮川に小滝がある。川は岩盤に流れている。キシツツジが少し残っていた。岩盤の川が上流へ続いている。

シナノキ
ツルアジサイ

 深山新橋を渡って右岸へ。ヤマザグラが実を付け、クリの花芽が出ている。看板があり、西側は阿佐山造林地と呼ぶようだ。タンナサワフタギはツボミ。この辺りもシナノキがある。オオバアサガラの花が残る。ハタビラゴウ谷は大岩が多い。その先の右岸に広地があり、毛無山が見える。

 深山大橋の下を通る。林道細見大塚線の標識がある。ここから大暮川沿いの林道に入る。サルナシが花芽を付け、タニウツギが咲く。天狗山荘に入る道にホオノキが咲いていた。尾関神社に寄る。スギの巨木が立ち、天然記念物ツガの標柱がある。その前に石碑があり、尾関神社の由緒が書かれている。石碑には、

 「御由緒 御祭神 尾関権之守の御霊 国主福島左衛門大夫正則の家臣なり…」とあり、子孫が尾関神社を立てて、尾関権之守の霊を祀ったとある。石碑の裏には宮瀬神社宮司、野田氏と天狗石山荘、佐々木氏の名がある。神社の裏には小社がある。

尾関神社由緒
タニウツギ
タンナサワフタギ

 林道を進むと、左奥に墓所があり、右手にはシナノキがあった。ここのシナノキも花芽を付けていた。スギに巻き付いたツルアジサイが咲いていた。阿佐山橋を渡ると、阿佐山登山口の道標がある。山頂まで3.9kmとある。

 林道を進むと、小屋があり数本のシラカバがある。そこから少し先に数本のシナノキがあった。さらに進むと、トチノキの花が咲いていた。林道終点から、コンクリート舗装の作業道に入る。林間から西側の山が見える。

 ヒノキ林の作業道を登る。作業道はあちこちで分岐しながら、阿佐山の尾根に向かって上がっている。ミヤマガマズミ、タンナサワフタギ、ナナカマドが咲く。980m付近の小尾根で作業道終点となり、小尾根に上がると、北側に作業道が通っていた。作業道へ下りて、ジグザグに進む。

アキグミ
コマユミ

 1000m付近に阿佐山に向かって山道が上がっていた。そこからさらに進むと、谷側にも山側にも踏み跡があり、その先で作業道終点。ツチダキまで直線距離で600mほどの地点。そこから山に入る。ゴーロを登ると、南側に作業道が通っていた。

 作業道を通らず、大きい岩が点在するゴーロの中を、ツチダキに向かって進む。途中、獣道があった。作業道終点から40分ほどで、登山道のあるツチダキの南に出た。登山道を進み、ゲレンデに出て、展望所に上がる。

 阿佐山から毛無山へ続く峯が見える。その右に苅尾山、掛津山が見える。畳山の左に大朝の里が見え、その左に寒曳山が見える。展望所で休憩し、登山道に戻る。日が射す山縁に、ナナカマドが咲いている。展望所から30分ほどで阿佐山。

トチノキ
ナナカマド
ナナカマド

 コミネカエデの花芽が伸びている。山頂のブナにたくさんの実が生っていた。林で山頂は展望が無い。山頂から樹林の南面へ下る。ブナが多い。ユキザサの花はもう終わり。ササに花芽が付いている。40分ほどで二十丁峠。阿佐山登山口へ下りる山道が通っている。

 峠からヒノキ林を西へ進むと、踏み跡が薄い分岐がある。その踏み跡を進み、中の丸見山へ向かう。三角点周辺は枝で覆われているが、石で囲まれた三角点がある。三角点から登山道へ向かっていると、一輪だけウスギヨウラクが残っていた。

 ヒノキ林の中に点々と大きいブナがある。花が終わり、果実を付けたショウジョウバカマの茎が長く伸びていた。中の丸見山から30分ほどで横吹峠。毛無山登山口へ下りる山道と、ブナの横を通って東側へ下りる山道がある。一休みして毛無山へ進む。

ミヤマガマズミ
コミネカエデ

 ヒノキ林を進む。大きいブナが現れると山頂。横吹峠から30分ほど。林で展望は無い。山頂の岩に腰かけて一休み。気温19.5度で涼しい。山頂から南へ下る。フタリシズカ、カマツカが咲く。山頂から30分ほどでアンテナ塔に出る。南側から車道が上がっている。アンテナ塔の手前左に山道が続いている。

 山道を進むと、ヒノキ林に出る。アンテナ塔から15分ほどで車道の上の展望地に出た。熊城山の峯が見える。林道細見大塚線の舗装道に下りる。山道が南側の尾根に続いている。車道を進む。ヤマツツジが一輪残っていた。長いシマヘビが車道に出ていた。アナグマが横切る。

 先ほど通った尾根のアンテナ塔が見える。林道が西側の車道下に通っている。開地に出ると、高杉山、天狗石山、アンテナ塔、三ツ石山の峯が目の前にある。車道に出てから1時間余りで登山道入口。

 車道の暑さから逃れて、樹林に入るとヒンヤリする。20分ほどで姥御前神社。集落上の開地に出る。小屋が並ぶ前を通り、登山口に帰着。

ツクバネソウ
ウスギヨウラク
マムシグサ
トチバニンジン
ブナ
エゴノキ
コアジサイ
キシツツジ
ヤマツツジ
ヤマボウシ
カマツカ
キブシ
ヤブデマリ
ヤマザクラ
クリ
オオバアサガラ
ホオノキ
ヤグルマソウ
ギンリョウソウ
ニガナ
フタリシズカ
コツクバネウツギ


地名考

●毛無山(ケナシヤマ)

 kenas ケナシ 林(アイヌ語のケナシ)

 「『芸藩通志』には、この山についての記述はないが、『国郡志御用に付下調書出帳・高野村』(1819年)に山林名として毛なし辻山≠ェある。『国郡志御用に付下調書出帖・大暮村』には、これも山林名として毛なし山≠ニあって、大暮側の呼称が山名として一般に用いられるようになったことがわかる。現在も山麓の村里では、この山名が使われている」

 「毛無山という山名は、辞典にはハゲ山の意としたものが多い。しかし、北海道から中国地方にかけて<ケナシ>という山は二十数個あるが、これが全部ハゲ山とは限らないようだ。山中襄太氏がケナシはアイヌ語の Kenash Kenas-i であり、<木の生えている原>の意であることを指摘してより、ケナシ山は木の生えている山、生えていない山と論議をよんだようだ」(以上「西中国山地」桑原良敏)。

 
万葉集(1466)に「毛無乃岳」(ケナシノオカ)がある。

 [原文]神名火乃 磐瀬之<社>之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴

 [訓読]神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ

 [仮名]
かむなびの いはせのもりの ほととぎす けなしのをかに いつかきなかむ

 (「万葉集検索 吉村誠」HPから)

 東大寺文書に、「法隆寺北山岩壺領字毛無」(仁安2年=1167年)の小地名がみえる。

 斑鳩町ホームページの地番図に、毛無西山、毛無の地名がある。

 斑鳩町の法隆寺の北に「毛無池」の地名がある。このあたりは松尾山の南山麓で、標高200から300mの丘である。石瀬の社は法隆寺・龍田神社南西の三室山(神奈備山)付近のことである。地形図では「石瀬の社」より「毛無の岡」の方が大きい森に見える。

 第5回植生図(平成6〜10年度)では、毛無池の西側の南北に、アベマキ‐コナラ群集が分布している。東側は水田と市街地になっているが、アベマキ‐コナラ群集が点在しており、かつては周辺全体がアベマキ‐コナラ群集であったと思われる。

 「毛無乃岳」は「ならしのおか」と訓む説もあるが、ホトトギスが来て鳴くくらいだから、不毛の地というより森のある岡と考えられる。以下のような論考がある。

 『巻8・1466の第4句の「毛無」は、古訓にナラシとあって、今も定訓のようになっている。巻8・1506に「奈良思」という地名があり、そのナラシと同一地を指すものと考えられたらしいが、「毛無」を「不毛の」義の用字とする理由づけには苦しいものがあり、また京大本の赭訓にケナシとあること、『八雲御抄』が「ならしの岡」と共に「けなしの岡」を別地として挙げること、生駒郡三郷村に伝わる旧名にケナシ及びケナシの岡のあることから、「毛無」と「奈良思」とは異名であり、別地であるとする。さらに、ケナシが林をいうアイヌ語(kenash又はkenashi)の系統を引き、もと森林のあった地の称呼とする方が、踏みならした「不毛」の義とするよりも、霍公鳥の来鳴く地により適切であると論じる』(万葉集主要論文所収歌句データベースHP『「毛無乃岳」の訓』春日政治)。

 「『角川日本地名辞典・島根県』には『阿佐山の山名は古代阿波忌部部族にちなんで<麻山>とつけられたもののようである』と記されているが<麻山>の字の使用例は筆者は未だ見ていない(「西中国山地」)。

大麻天神社
大麻天神社
御祭神 少名彦名乃大神

 毛無山の東9.5kmの大朝町に、小山八幡神社があり、境内に大麻天神社の小社がある。祭神は「少名彦名乃大神」となっている。大麻天神社が忌部氏と関係あるか分からない。

 少名彦名乃大神は、スクナビコナ、スクナヒコナと読み、少名毘古那、須久那美迦微、少彦名、少日子根などとも表される。

 松江市玉湯町玉造温泉の守護神は少彦名である。玉湯町の東側が忌部町で、忌部川の奥に毛無越がある。

 出雲風土記、意宇郡に忌部神戸(インベカンベ)があり、忌部の由来が記されている。

 「忌部神戸 郡家の正西二十一里二百六十歩(正西21里260歩)の所にある。国造(こくぞう)が神吉詞(かんよごと)を唱えに朝廷に参上する時に、潔斎に用いる清浄な玉を作る地である。だから、忌部という」(『出雲風土記現代語訳HP』)

 「忌部神戸 郡家正西廿一里二百六十歩。國造、神吉詞奏、 参向朝廷時、御沐之忌玉作。故云忌部」(原文・前同)。

 大朝の大麻天神社の少名彦名乃大神が玉造温泉の守護神であり、出雲風土記にある「玉を作る地であるから忌部という」ことから、少名彦と忌部が関連あるのかもしれない。

 忌部氏は、5世紀後半から6世紀前半頃にその地位を確立したとされ、阿波忌部部族の始祖は、現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地にしていたという。忌部町は「毛無乃岳」から南へ10km余の所にある。毛無乃岳と忌部町との中ほどに、讃岐忌部と関係がある讃岐神社(奈良県北葛城郡広陵町)がある。

 「毛無」の本来の意を解する人々が、阿佐山・毛無山周辺に暮らしていたとも考えられる。

 丸瀬山の北東に、今佐屋山(イマサヤヤマ)遺跡がある。6世紀前半までさかのぼる製鉄遺跡である。今佐屋山遺跡は、中国地方で多い箱形炉で、広島、岡山県で多く確認されている。島根県内では確認例は少なく、松江市玉湯町の玉ノ宮遺跡、雲南市掛合町羽森遺跡などで認められる。今佐屋山は玉湯の製鉄遺跡と関連があるかもしれない。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離20.1km
標高差543m

区間沿面距離
毛無山登山口
↓ 3.1km
深山新橋
↓ 5.0km
ツチダキ
↓ 1.5km
阿佐山
↓ 4.0km
毛無山
↓ 6.5km
毛無山登山口
 

法隆寺 「毛無乃岳」周辺の 第5回植生図(平成6〜10年度) カシミール3D
法隆寺の北に毛無の小字名があり、西側の大部分がクヌギ−コナラ群集になっている。毛無の東側にもクヌギ−コナラ群集が点在しているので、かつては毛無の周辺は全体がクヌギ−コナラ群集であったと思われる。
毛無西山は斑鳩町ホームページの地番図NO21にある地名である。
法隆寺 「毛無乃岳」周辺
カシミール3D 空中写真(最新)
法隆寺 「毛無乃岳」周辺
カシミール3D 今昔マップ(1892−1910)
 
毛無、忌部町、讃岐神社の位置
カシミール3D
 
阿佐山と毛無山
寒曳山と大朝の里
天狗石山と三ツ石山(林道細見大塚線から)
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)