6:25 御境 気温−1度 曇時々晴
6:40 鉄塔
7:25 展望地
7:50 五里山ピーク
8:20 1064P
9:30 1158P
9:50 島大林道終点
11:30 ハチガヒラ谷水源(1064P西)
12:45 ワサビ田跡(ナカノ谷水源)
13:45 R488
13:55 御境
薄雲の空で風はない。御境の車道から西側の山に鉄塔が見え、そこから踏み跡が下りて、東側の尾根へ続いていた。雪が融けて笹が現れた薮尾根を登る。尾根に出ると冠山が見える。西側の雪の山に、小郷山に向かって送電線が延びている。
カンジキの跡が県境尾根に続いている。尾根の下に雪の島大林道が見える。県境尾根の送電線鉄塔に出る。吉和から延びる送電線は御境付近で二方向に分かれる。一方は御境から西の小郷山の方向へ。もう一方は、ここから島大林道に沿って北へ延びている。
ブナのクマ棚 |
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県境尾根を進む。ブナにクマ棚があった。尾根はいったん南向きになり、東方向へ変わる。南側は植林地の境界尾根を進む。県境に踏み跡が続く。尾根にマツが点在し始め、展望が良くなる。南に冠山が見える。女鹿平山も見える。
五里山西の展望地に出ると、さらに視界が広がる。冠山から左右に延びる尾根が続いている。冠山の右にウシロカムリ、広高山、寂地山。冠山の左側には、尾根の途中に塔のようなシルエットのクルソン岩が見える。さらに左には板敷山。女鹿平山の前に細見谷西峯が続き、その後に沼長トロ山が見える。西側には千両山、大神ヶ岳、小郷山が見える。
展望地からリョウブの多い灌木林を西へ進む。地形図上の五里山の東側のピークに進むと、南側への展望がある。北東側の視界が開け、1158ピークの左に旧羅漢山が見える。ピークから下って行くと、前方の視界が開ける。左に向半四郎、半四郎山、広見山が見える。右手に十方山の南西尾根が見える。その先に黒ダキ山の頭が覗いている。
ツルアジサイ |
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リョウブ |
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踏み跡は県境尾根を左側に逸れて、急坂を下っていた。尾根の東側が植林地になっている鞍部に下り、スギ林の1064ピークに登る。尾根を北東に進むと、ブナにクマ棚がある。県境尾根が北向きに変わると、南への展望が開けてくる。
1158ピーク西の展望地に出る。十方山から大神ヶ岳まで180度の展望が広がる。展望地の東端に座り込んでコーヒータイムにした。眼下に細見谷曲流部、オシガ谷を囲む峯が見える。目の前に十方山南西尾根から頭を出す黒ダキ山が見える。左右の展望を目に収めた後、1158ピークに進んだ。
北側の京ツカ山の先に旧羅漢山が見える。1158ピークの東側は展望が良い。十方山の先に丸子頭が見える。1158ピークから北西の尾根へ下る。旧羅漢山が林の間にみえるようになる。ミズナラにクマ棚があった。折れた枝が根本にあり、幹に鮮明な爪痕があった。大きいブナのある地点まで下り、そこから島大林道終点まで100mほどであった。谷へ下りるヤマドリの足跡があり、足跡は雪の無いササの中に入っていた。
1158ピークから15分ほどで1090m標高の林道終点に下りた。林道終点の端はスギ林になっている。終点はレンゾウ谷の水源にある。終点から林道を西へ進む。林道の下側は植林地、上は広葉樹の林になっている。林道は雪の無い時期は、ササと灌木の薮である。
1158P北西尾根のブナ |
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林道にはまだ深い雪が残っている。植林地の間に旧羅漢山が見える。ノウサギの足跡が横切る。林道に日が当たる所はササが出ている。西側の山並みが見える。向半四郎、半四郎山が見える。西側には島大林道が通る942ピークが見える。五里山も見える。
山腹の急なところでは、林道は雪の斜面と化している。クワゴヤ谷の水源からは春日山と眼鏡峠が見える。谷筋に水流がある所では、林道の雪が寸断されている。雪が消失している部分もあった。ハチガヒラ谷が1064ピークと五里山の間に深く入り込んでいる。この地点はオオバヤシャブシが多い。
植林地を進む |
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林道のブナ |
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林道近くのブナ |
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ノウサギの足跡 |
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標識 |
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オオバヤシャブシ |
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1台目の廃車 1064P西 |
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谷を深く回り込み北へ進む。ノウサギの足跡が続く。地形図上の終点に出る。北側に向半四郎、半四郎山、広見山が見える。廃車のある所から西へ進む。植林地の中の雪道を進む。許可標識の看板が倒れていた。ナカノ谷水源に廃車がある。林道の下にワサビの石積が見える。林道上にもワサビの葉が見られる。
さらに進むと3台目の廃車があった。島根大学と書かれたNissan
Caravan だった。イノシシの足跡があった。イノシシは雪の無い斜面を掘り返していた。朝、通った尾根の鉄塔の下に着いた。島大林道が通る北の峯が見える。青路頭から半四郎山の峯が見える。林道が北向きになると旧羅漢山も見える。
水防システムのある鉄塔の下を通る。国道の少し手前に島根大学匹見演習林の看板がある。そこには積雪を測るカメラが設置してあった。島大林道終点から4時間ほどで488号線に出た。国道は除雪してあった。そこから10分ほどで御境に帰着。
ナカノ谷水源の廃車 |
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ワサビ |
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ワサビ田の石積 |
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ナカノ谷水源 |
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島根大学のニッサンキャラバン |
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イノシシの足跡 |
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島根大学匹見演習林の看板 |
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国道から北へ延びる島大林道の入口 |
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御境に帰着 |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(『日本語とアイヌ語』片山龍峯)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)。
「言葉、文法など、日本語、アイヌ語、朝鮮語の間に似ている点が多いことには驚きます。そのことは、氷河時代における東北アジア人の日本海両側廻りでの流入。縄文草創期における鹿児島からの拡散。縄文全期を通じた列島・半島間の往来。縄文晩期における半島経由の渡来。黒潮や対馬海流が、列島と半島南部とに等しく南からの人や物を運んだこと。などが要因となっていた」(『縄文語の発掘』鈴木健)。
「日本語、アイヌ語、さらには朝鮮語には、音韻上、文法上の特徴において、あるまとまりがあるみれれるといってよいであろう。あるまとまりがみられるということは、これらの言語には、共通の基盤があることを思わせる。
…日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通の基盤を、『古極東アジア語と名づけることにする』」(『日本民族の誕生』安本美典)。
「およそ1万〜2万年前には『古極東アジア語』の行われた地域は、日本海を内海としたかこみ、地つづきであった。日本海も結氷のため、渡りやすい部分が多かったであろう。そのことは、『古極東アジア語』は、環日本海語として、あるていどの統一性をもっていた可能性も大きい。音韻体系、文法体系、基礎語彙における共通性をもっていたとみられる。
その後、日本列島が大陸から離れるにつれ、古日本語(日本基語)、古朝鮮語、古アイヌ語は、船による移動などで、たがいに接触をつづけながらも、しだいに方言化し、さらには、異なる言語となっていった。この三つの言語のいずれかから、いずれかが派生したという関係では、なさそうである
古日本語(日本基語)の系統をひく言語は、その後稲作などの渡来とともに、長江(揚子江)下流域からのビルマ系言語などの影響をうけ、倭人語(日本祖語)が成立する」(『研究史 日本語の起源』安本美典)。
■三葛の熊祭りとマタギ言葉
マタギの言葉には、アイヌ語語彙が多く見られる。「マタギ」の語源については諸説ある。
1、アイヌ語説
matanki マタンキ(狩猟・狩人)
2、マタハギ説
マダ(樹皮)ハギ
3、山跨ぎ(ヤママタギ)説
山を跨いで歩く(またぐ→またぎ かせぐ→かせぎ)
4、木跨ぎ(キマタギ)説=股木
木の股から生まれた
5、又鬼(マタオニ)説
猛獣を獲るから鬼のさらに鬼
6、山達・山立(ヤマダチ)説
山立は山で果てるという意味がある。ヤマダチが訛りマタギになった
7、マトギ説
四国南部では狩人をマトギと呼ぶ。
8、マータンガ・マータンギ説
インドの屠殺業者のマータンガ(男)、マータンギ(女)名称。
五里山の南側に、ヤマダチ谷がある。東側の十方尾根にはマド谷があり、マトギを連想させる。細見谷水源にケンノジ谷がある。ノジはマタギ言葉でオオカミの意である。
御境から直線で7kmほどの所に三葛がある。三葛には熊祭りの風習が残っていた。マタギのような人々が、西中国山地で狩猟を中心とした生活を送っていたのではないかと思われる。
三葛の熊祭り
「三葛地区には『熊祭り』が行われていたともいい、昭和57年(1982)ごろ大谷瀧次郎(故人)から聞き書きしたものを列記しておく。それは熊を捕った場合、その狩猟具の槍などを用いて熊の周りを囲むように七本立てなければならない。数が足りない時は木棒でも立てて補う。熊の月ノ輪の部分はお天道様には向けてはならず、頭を正面に向けて舌を切り取って供える。そして『籠宮の乙姫様に肴を差し上げんと思って討ったら、天の犬をあやまって捕ってしまいました。どうぞ許してください』そして『アブラウンケソー』と三回唱えたという。なぜ熊祭りをしなければならないかというと、熊野権現様のご幣が一本ずつ倒れるから、そのお使いである熊を供養しなければならないからであるという…熊を山の精霊としてとらえていることは確かであり、おそらく根底には山の神自身であったのではないかと思う」(『匹見町誌・遺跡編』)。
三葛の「熊祭り」
昭和57年(1982)ごろ行われた熊祭り
(『匹見町誌・遺跡編』より) |
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ケボカイの神事をとり行なう雲沢のマタギ
(秋田県角館町)
(ケボカイ=獲物の皮を剥ぐ神事 『マタギ 消えゆく山人の記録』より) |
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アイヌの「熊送りの図」
(『アイヌ民族の軌跡』より) |
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三葛の「熊祭り」は、東北のマタギが熊を獲った時に行う「ケボカイの神事」と似ている。どのような歴史的経過を経て、西中国山地にマタギの風習が残ったのだろうか。四国にマトギと呼ぶ狩人いたことや、九州の椎葉村周辺にもマタギに似た風習が残っている。このことは、かつて全国にマタギのような人々が山中で暮らしていたことをうかがわせる。また、三葛の熊祭りは、アイヌの「熊送り」にも似ている。
マタギ語に見られるアイヌ語語彙(『アイヌ語・日本語の形成過程の解明に向けての研究』板橋義三)
アイヌ語 |
マタギ言葉 |
日本語 |
セタ
seta |
ヘダ・セタ・セダ |
犬 |
チャペ
cape |
チャペ・チャベ |
猫 |
パケ
pake |
バッケ・ハケ・ハッケ |
頭 |
サンペ
sanpe |
サベ・サンペ |
心臓 |
ワッカ
wakka |
ワカ・ワッカ |
水 |
アペ
ape |
サッピ |
火 |
ウパシ
upas |
ワバ・ワシ・ワス |
雪 |
カント
kanto |
カド |
天気 |
シナ
sina |
シナリ |
荷負縄 |
マキリ
makir |
マギリ |
小刀 |
ポノ
pono |
ホノ |
小さい |
ポロ
poro |
ホロ |
たくさん |
ヌサ
nusa |
ノサ |
幣 |
シトキ
sitoki |
シトギ |
餅 |
ピラ
pira |
ヒラ・ビラ |
崖 |
アイヌ語とマタギ言葉音韻変化
アイヌ語 |
マタギ言葉 |
日本語 |
sampe |
sambe
sabe |
心臓 |
kanto |
kado |
天気 |
seta |
heda
seda |
犬 |
pake |
bakke
hakke
hake |
頭 |
cape |
chabbe
chape |
猫 |
pira |
hira
bira |
崖 |
makir |
magiri |
小刀 |
sitoki |
shitogi |
餅 |
upas |
waba
wanba |
雪 |
matanki |
matagi |
猟・猟をする |
マタギ言葉に見られるアイヌ語の音韻変化をみると、濁音が含まれることに共通性がある。マタギはアイヌ語マタンキの音韻変化とも考えられる。
猟に関するアイヌ語に以下がある。
matanki 猟をする・狩人
matanki-ne-epaye 猟に行く
iramante 狩をする
ekimne 狩をする
yuk-koyki 鹿をとる
humpe-ramante 鯨を・狙い射つ
iyomante 熊送り・熊祭り
■ヤマダチ谷
ヤマダチを日本語のヤマとアイヌ語のマタンキの合成語と考えることもできる。下のように「キ」→「チ」の転訛が考えられる。
東北・沖縄方言の「キ」→「チ」の転訛
語彙 |
東北方言 |
駅 エキ |
イチ |
北 キタ |
チタ |
君 キミ |
チミ |
今日 キョウ |
チョー |
機械 キカイ |
チカイ |
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語彙 |
沖縄方言 |
(阿児奈波 779年)
沖縄(1719年)
オキナワ |
(倭急拿 1534年)
ウチナー |
清ら キヨラ |
チュラ(美ら) |
西中国山地地形方言とアイヌ語
西中国山地地形方言 |
縄文語(アイヌ語) |
ノタ・ノダ
湿地 |
nutap ヌタプ
川の湾曲内の土地
川ぞいの平地 |
ウツ
狭い谷 |
ut ウツ
枝谷 |
クラ
断崖・岩場 |
kura クラ
崖 |
ヒラ
尾根の側面
山の傾斜面 |
pira ピラ
崖 |
タオ・タワ・トオ・トウ
峠 |
taor タオル
川岸の高所 |
キビレ
峠 |
kipir キピリ
丘・崖 |
ナル・ナルイ
平坦地 |
ninaru ニナル
丘 |
ツエ・クエ
山崩れ |
tuye ツィエ・トィエ
崩す・切る |
カシミール3Dデータ
総沿面距離12.3km
標高差228m
区間沿面距離
御境
↓ 2.3km
五里山ピーク
↓ 1.9km
1158P
↓ 0.6km
島大林道終点
↓ 6.7km
R488
↓ 0.8km
御境
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