山歩き

二軒小屋…十方山…下山橋…焼杉山
2015/12/13

二軒小屋…十方山…下山橋…焼杉山…ケンノジ谷…水越峠…十方山登山口…二軒小屋

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県廿日市市吉和字吉和西(点の記)(廿日市市)
■焼杉山(ヤケスギヤマ)1225.2m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字広見(点の記 点名:村杉) (益田市)

朝焼けのサバノ頭
ウマバノ谷
工事中の林道 シビト谷手前
植林地のシビト谷
八百ノ谷
イビセン谷
植林地のサカモリ谷
十方山への道標から後の山道に入る
吉和境界の尾根に出る
カラマツ
焼杉山の右手に広見山
十方山北峯直下
シシガ谷登山道合流点
十方山
十方山南登山道を進む
旧遭難碑からみた向半四郎、半四郎山
s59年遭難碑
ブナのクマ棚 下山橋から東へ上がる尾根
ブナの木の下に枝が散乱する
下山橋
植林地を登る
十方山の峯
細見谷下流から雨の煙が湧いてくる
県境尾根の植林地に入る
焼杉山三角点付近のリョウブ
十方山林道 ケンノジ谷の橋
7:00 二軒小屋 気温-2度 曇り後雨
 

7:45 十方山登山口
9:00 十方山
11:30 下山橋
14:15 焼杉山
16:00 十方山林道
16:10 水越峠
16:15 十方山登山口
16:45 二軒小屋

 二軒小屋からみると、サバノ頭の後ろに朝焼けの雲が広がっている。舗装路の林道を進む。舗装路は火事で焼けた民家跡の先辺りまで。未舗装に入り、ウマバノ谷を過ぎると、道路にユニックが置いてあり、その付近からら道路工事を行っている。

 工事作業の掲示板をみると「林道横川西平線改良工事」となっており、H27年12月25日までの工事と書かれている。植林地のあるシビト谷の手前まで道路工事を行っている。

 滝となって落ちる八百ノ谷、そのすぐ先にイビセン谷がある。サカモリ谷は植林地から落ちる小谷である。林道を進むと、右側を林道に沿ってシモミズコシの谷が下りている。45分ほどで十方山登山口。

ウリハダカエデの落葉が多い

 「恐羅漢・細見峡 自然休養林」の看板の横に十方山への道標がある。その道標の後が吉和の境界尾根に上がる新登山道になっている。道標の後に入ると、尾根に上がるテープが続いている。

 新道のために伐採された年輪が新しい。15分ほどで水越峠から上がる境界尾根に出る。登山道は境界上を上がっている。ササ帯に入り振り返ると、旧羅漢山に日が射していた。登山道はまだ山影になっている。

 落葉にウリハダカエデが多い。1100m付近からカラマツがみられる。1230m付近から植林地で、その上にもカラマツがある。十方山北のピークに近づくと、山肌は白く薄化粧していた。

 北のピークを過ぎると緩やかな下りになる。シシガ谷登山道と合流し、十方山道標に出た。日が射しているが、周辺は低く雲が垂れこめている。南の登山道を進む。古い遭難碑は笹が刈られていた。ここから半四郎山、広見山、恐羅漢山への展望がある。

カラマツの実

 そこからすぐ先に昭和59年の遭難碑がある。昭和59年12月22日に遭難した永吉氏は、翌年の四月四日に大谷川左谷で発見された。遭難碑は大谷川左谷を見下ろす位置にある。永吉氏は登山の下見で軽装でシシガ谷から入ったが、山頂付近で天候が急変して大雪になり、迷って大谷川上流へ降りたようだ。

 登山道が南へ下りるところから西の笹薮に入る。西へ下りる尾根にブナのクマ棚があった。幹の爪痕は小さく小熊のようだ。枝についたブナの実の殻が散乱している。樹林の先に焼杉山が見える。

 下って行くと細見谷の下流方向の千両山と送電線が見える。またブナのクマ棚があった。木の下はひどく枝が散乱していた。爪痕は先ほどより大きめだった。植林地に入る。しかし笹薮は続く。ようやく尾根を下り、下山林道から下山橋に出た。山頂から2時間半ほどかかった。

 十方山林道を少し進むと、上に植林地が見えたので尾根にとりついた。15分ほどで植林地の尾根に入る。植林地の笹薮を登る。オオウラジロノキのリンゴのような赤い実がたくさん落ちていた。植林地を抜けて笹薮となる。右手に十方山尾根が見える。

ブナの爪痕
クマ棚の下のブナの実の殻

 後を振り返ると、細見谷下流から煙のようなモヤが突然迫ってきた。と思うまもなく辺りはモヤに覆われ、霧雨から小雨に変わった。ミズナラにクマ棚がある。雨を避けてカメラを収める。

 1100m付近の笹薮のど真ん中だった。西側の尾根も東側の尾根もまだ植林地が上へ続いていた。この尾根はクマ棚が多く、クマ糞がやたらと多かった。一本のミズナラの木の周りに数箇所、糞の塊があった。

 ようやく境界尾根に出て、大スギのある頂上部の植林地の平坦地に出た。下山橋から3時間弱で焼杉山。

 国土地理院の点の記の経度緯度は焼杉山三角点の地図上の三角点の中心部より南側にずれていたので、それを確かめに焼杉山に登ったのだが、南側の地点周辺をくまなく探してみたが三角点は見つからなかった。

地形図の拡大図
基準点の経度緯度による三角点の位置
スケールはメートル
   
国土地理院 焼杉山基準点の位置
 
国土地理院 基準点現況写真
国土地理院焼杉山(村杉)基準点

 トチ谷北の尾根を下る。ケンノジ谷右岸を下り、1時間ほどで十方山林道に出た。雨は止んでいた。林道崩壊地点は北側の谷の水が溢れ、林道を流れて崩したものだった。45分ほどで二軒小屋。

 帰りに内黒峠を越えると、雨の形跡が無かった。十方山、恐羅漢山の峯辺りが雨の境界のようだった。

ミズナラのクマ棚 焼杉山南面の県境尾根
オオウラジロノキの実
アセビ


地名考

 恐羅漢山・十方山周辺の地名と山麓地名

 地名の成立過程では、山名よりも山麓地名が先行する例は各地に散見される。谷の奥の頂にあるのが「〜谷の頭」地名である。谷の地名が先にあって、後に山名がその谷の名を冠して呼ばれるようになる。

 「西中国山地」の目次にある山名の内、三分の一が谷名と同じ地名である。以下に恐羅漢山、十方山周辺の山麓地名と地名を列挙してみる。

山麓地名 地名
広見川
かえの川(1651年)
広見山
砥石川 砥石川山
oso
kae
恐羅漢山
そかひ山
旧+恐羅漢山
oso+rakan
旧羅漢山(横川)
西十方(吉和村)
十方山(石州古図1818年)
匹見羅漢
  十方山
シツハウサン
ジョシ谷 ジョシノキビレ
亀井谷
kame
カマノキビレ
kama
ケンノジ谷 ケンノジキビレ

 「恐羅漢山という山名は、広島県戸河内町の呼称である。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)の他村境覚書きにおそらかん山≠ニあるのが初見と思われる」(西中国山地)。

 「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「前同」)。

 「旧羅漢山は、広島県側横川の呼称である。いつの頃からこう呼ばれ出したか明らかでない。吉和村側では西十方と呼んでいた。『芸藩通志』の佐伯郡の山林 の項にあり、吉和村の三浦一介所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)にも、はっきり十方山と西十方山がわけて画かれている」(前同)。

 「西中国山地」にある、恐羅漢山と旧羅漢山の山名の初見と変遷は以下のとおりで、大亀谷山は匹見側の呼称である。

 恐羅漢山
 明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部
 大正12年 大亀谷山 島根県史
 大正14年 大亀谷山 石見誌

 1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
 1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
 1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
 1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
 1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
 1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
 1837年 ソカヒ山 国郡全図

 旧羅漢山
 1825年 西十方山 芸藩通志
 江戸末期 西十方 吉和村絵図
 匹見町史
 (匹見町の人々は匹見羅漢)


 『芸藩通志』の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ』とあることから、旧羅漢山は元々恐羅漢山と呼ばれ、その山名が東に移動したため、旧恐羅漢山とよぶ地名が生まれ、後に旧羅漢山と呼ばれるようになったと考えられる。

 恐羅漢山を恐+羅漢の合成語であったと仮定する。

 oso+rakan (おその羅漢)
 hikimi+rakan (匹見の羅漢)

 細見谷は hosomi であり、oso が含まれる。

 「オソラカン」は「細見谷の羅漢」の意となる。hosomi は osomi とも呼ばれたと思われる。

 旧羅漢山は古くから西十方山と呼ばれ、石見側でも十方山と呼ばれた。それは山麓地名の細見谷の水源にある山であるから、十方山、西十方山の地名が生まれたと考えられる。

 細見谷の最奥の谷はケンノジ谷である。その鞍部はケンノジキビレと呼ぶ。旧羅漢山はケンノジキビレのすぐ北にある。ノジはマタギ言葉で狼の意である。

 マタギ言葉にオソヲタテル、オソビキがある。どちらも口笛を吹くことを意味する。

 「嘯き」(うそぶき)は、@口をすぼめて息を吹き、音を出す、口笛を吹くA咆哮する、ほえる、なく などの意がある。岩手では口笛をほそ笛(ホソベ)、山形ではホソと呼ぶ。

 能楽では空吹(うそふき)と表わし、うそ(口笛)を吹いているような表情から名づけられたもので、狐、猿、狸などの写実的な動物面が使用される。

 嘯む、嘯むくは嘯くに同じである。

 ウソム → オソム → ホソミ への転訛。

 「オソミのラカン」は「吠える・羅漢」の意である。

 アイヌ語 wose-kamuy ウォーセ・カムイ は狼の意。
 wo-se はウォーと・吠える の意味がある。

 ウソブキはオセ→オソ→ウソ のように転訛した。

 西中国山地にはマタギの風習の残っていた三葛地区やマタギの別名=ヤマダチ谷の地名などがある。ホソミ谷もマタギ関連の地名の一つと考えられる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミール3Dデータ

総沿面距離13.8km
標高差513m

区間沿面距離

二軒小屋
↓ 4.3km
十方山
↓ 3.0km
下山橋
↓ 1.8km
焼杉山
↓ 1.6km
十方山林道
↓ 3.1km
二軒小屋
 

国土地理院 焼杉山(村杉)の点の記情報
 
十方山遭難碑からみた旧羅漢山・恐羅漢山
五里山の峯
千両山
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)