7:05 押ヶ峠 気温−2度 晴れ
7:30 虫送峠
8:50 県境尾根
9:15 191スキー場
11:05 木束原
12:25 八幡小学校跡
12:30 三島会館
12:45 100年農場
13:00 滝の平牧場跡
14:00 八幡小学校跡
14:40 押ヶ峠
八幡原の朝はマイナス2度で寒い。押ヶ峠から日が入る国道に出ると寒さが和らぐ。191スキー場前の池にカキツバタの花が残っていた。笹薮は霜で白くなっている。虫送峠手前、国道の北側は沼になっている。
峠から作業道に入る入口が露頭になっており、入口の766m付近に白い粘土状の層が見られる。「八幡高原の地質図特に八幡盆地の湖成層について」(今村外治)では、虫送峠の北側769mに、上から順に粘土層・礫層、不整合の下に花崗斑岩としている。
リンドウ |
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嶽の東の赤枠が作業領域 黒線は作業道 |
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作業道の入口に「保安林内作業許可標識」があり、「土地の形質の変更」が行われている。標識の地図を見ると嶽の東面(赤枠)が広く変更を加えられているようだ。作業道はすでに嶽の東面まで入っている。
作業道を進むと、嶽の山腹に作業道が上がっているのが見える。角礫が覆う作業道を進む。高岳に日が射している、その右手に岩倉山が見える。小尾根にワラの笠が並んで立っている。そのワナの下に植樹されていた。
作業道はピークから一旦下る。島根県側770m付近に粘土状の白い層が見られる。少し進むと黒ボク土が見られる。角礫の作業道を進むと、露頭に上から続く白い粘土状の層の末端が現れる。作業道を進むと白と淡褐色の粘土状の層の帯が続いている。
アキノキリンソウ |
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この粘土状の層には曲流する筋が見られ、水流の影響を受けたことがわかる。この粘土状層は790m付近で最高点になり、最高点から急に帯の幅が小さくなり、線となって作業道の下にもぐりこんでいる。
作業道をさらに登ると苅尾山、深入山が見えてくる。引き返して笹尾根に上がる。県境尾根の北側に出ると、スキー場ゲレンデの端に白い粘土状の層が残っている。スキー場の前を通り、北側の露頭に出る。
露頭上部に白い層が見える。露頭から西へ進むと、780m標高の平坦部を掘下げた地点に黒土が見られる。そこから東へ切土の部分へ上がる。最上部に粘土状の白い層が見られる。さきほど通った南側の露頭より少し上部の790m標高地点である。
カキツバタ |
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カキツバタの花の下に実 |
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そこから下って北側の785m標高の露頭部分に出ると、白い粘土状の層が見られる。引き返して盛り土の所に行ってみると、ゴミ捨て用の穴であろうか、深さ1.7mほど掘られていた。上部は黒土で下部は薄褐色と青白い粘土で、底は黒い粘土状であった。この辺りはスキー場の平坦地であるが、かつては古代八幡湖の底であったと思われる。
そこから林道を西へ上がった。ゲレンデ上部から振り返ると苅尾山が見える。給水タンクの前を通り、小谷に入る。木束原方向の谷へ進むと、イノシシのヌタ場があった。小尾根を越えて北側の谷を下る。30分ほどで木束原の車道に下りた。
車道を西へ進むと、木束原へ下りる785m付近のピークに粘土状の層が見られる。この付近は砂層と礫層の間に粘土層があり、不整合面の下に花崗斑岩がある(前同)。木束原の平坦地に出て、湖成層のある北側の宮ヶ谷の段丘を見渡す。
木束川に沿って車道を下ると、水田跡にヒツジが放牧されていた。タンナトリカブトの紅い葉が多い。カキツバタの花が残っている。湖成層のある善龍寺を過ぎて、八幡小学校跡西側の湖成層を左に折れる。
放牧中のヒツジ |
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マツムシソウ |
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三島会館から峠に上がる。峠は標高790mを越えているが、この地点に湖成層がある。上層からシルト・砂層、不整合面の下は花崗閃緑岩である(前同)。「三島の湖成層分布地5(792m地点)は、柴木川斜面と波佐川のさらに別の無名谷(スミ川)の谷頭との分水嶺にあたっている。これらは日本海に注ぐ山陰側河川の谷頭侵食が柴木川のそれに比べ、如何に急速であったかを物語っている」(前同)。
分水嶺を越えて芸北100年農場を下る。滝の平牧場跡の林道を進むと790m標高地点に粘土状の層が見られる。その層の先端は波打っており、古代八幡湖の波打ち際であったように思われる。
引き返して三島へ下った。刈り取られた水田跡の先の八幡高原を掛津山、苅尾山の峯々が囲んでいる。返りに浸命水で一休み。ここにもカキツバタの花が残っていた。鳥落橋付近には黒い牛が三頭放牧されていた。木束原の上に巨大な羽が見えた。弥畝山の風力発電の巨大な風車だった。
浸命水 |
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放牧中の黒牛 |
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マユミ |
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コマユミ |
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ツルウメモドキ |
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ミヤマガマズミ |
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ヤマボクチ |
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タンナトリカブト |
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カワラナデシコ |
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■地名考
古代八幡湖
「八幡盆地は標高750m〜800mで、西中国山地の中でも最も標高の高い盆地である。周囲は1000mを越す山々をめぐらし、かなり広い面積を占めている。
湖成段丘が780m〜810m標高にあることより、古八幡湖の水面は、800mから810m標高であった。
盆地内の泥炭層の花粉分析から…古八幡湖は二度に渡って出現した。
氷期または晩氷期に出現していた第一古八幡湖。第二古八幡湖の水が柴木川へ流出して、現在の状態になった」(「西中国山地」桑原良敏)。
中村純氏は盆地内の泥炭層の花粉分析を行い、次のことが明らかとなった(『八幡湿原の花粉分析学的研究』)。
8000年前、第1古八幡湖が盆地内に形成されていた。湖面標高は約800〜810mで、湖の排水口は810m以下であったと考えられる。
7000前、水位の低下とともに、ハンノキなどの叢林が侵食面に成立する。
4000年前後、水位は再び回復に転じ、ハンノキなどは水没して姿を消し、第2古八幡湖が形成された。
旧期八幡湖成層の分布は次のようになっている「八幡高原の地質図特に八幡盆地の湖成層について」(今村外治)。
旧期八幡湖成層の高度分布 |
地域 |
標高 |
1西上(本坪谷左岸) |
794m |
2本坪谷(右岸) |
790m |
3新川妙願寺の東250m(杉田屋橋東) |
782m |
4八幡小学校の西 |
780m |
5三島の北西400m(100年農場入口) |
792m |
6善龍寺 |
777m |
7善龍寺の北西西500m(西側の谷奥) |
792m |
8宮ヶ谷(木束原) |
791m |
9木束原(車道沿い) |
786m |
10鳥落の旧兵舎跡(橋田屋橋西) |
773m |
11押ヶ峠(スキー場東側) |
772m |
12西長者原(長者原上橋南) |
767m |
13中郷(西上の南・柴木川左岸) |
795m |
14水口谷・民部(ムナクト左岸) |
796m |
15大林の北東河岸段丘断崖
(人参畑南・ウマゴヤ谷右岸崖) |
797m |
16菅原の東部(人参畑北) |
796m |
17下林(15の下流右岸) |
783m |
18大林の南350m(長者原湿原北東) |
792m |
19下林の南300m(長者原湿原北) |
790m |
20虫送峠の北側 |
769m |
21長者原刈萓橋の北200m |
772m |
22樽床堰堤の北東1km |
765m |
23樽床堰堤の西200m |
762m |
旧期八幡湖成層の分布から、古代八幡湖の水面は標高800m付近にあったと考えられる。
虫送峠の北、790m付近に水流の跡と考えられる粘土状の層が見られることから、古代八幡湖は790m超の県境尾根を越えて南流し、県境の西の谷から匹見川へ下ったと考えられる。
カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が確認されたのは八幡盆地と匹見川だけである(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。かつて八幡盆地と匹見川は繋がっていたことを示すものである。
第2古八幡湖が形成された当時は、イネ科花粉の粒径頻度によると、既に付近にはイネ科植物の栽培が行われていたらしい(「八幡高原の地質図特に八幡盆地の湖成層について」)。
長者原の花粉分析では、イネ科、カヤツリグサ科の花粉のピークは6000年前後にあることから、この時期に山焼き面積の増大があったと考えられる。
黒ボク土Ysi−1と790m標高線を比べると、曲線が類似している。黒ボク土は山焼きによって形成されたものである。この黒ボク土の曲線は、古代八幡湖の水面低下とともに、山焼きが可能になったことを示している。長者原ではイネ科花粉のピークが6000前にあることから、この時代、縄文人は山焼きを行っていたと考えられる。
八幡原は旧石器時代から人々の出入りがあり、縄文、弥生へと続いた。縄文人は古代八幡湖の生成と消滅を目撃していたと思われる。
八幡村は、鎌倉時代に至って正和4年(1314)、栗栖高基の支配下に入る。東西八幡村は正保3年(1646)検地が行われた(『八幡村史』)。
●八幡原(ヤワタハラ)
八幡原は古代八幡湖が生成した時代の地名と思われる。
万葉集の「海原」と古今和歌集の「わたの原」は、どちらも「広い海原」の意である。
(万葉集)海原を八十島隠り(うなはらを
やそしまがくり)
(古今和歌集)わたの原 八十島かけて(わたのはら やそしまかけて)
万葉集では湖を「うみ」と呼んでいる。
遠つ淡海(とほつあふみ) 遠い湖(浜名湖)
遠江(とおとうみ) 浜名湖
近江の海(あふみのうみ) 琵琶湖
鳥羽の淡海 大沼沢地
海の朝鮮語 pata,pada
アイヌ語彙
atuy-okake アトウィ・オカケ 海の跡
atuy-pa アトウィ・パ 海の頭
atuy-kes アトウィ・ケシ 海の末
atuy-noski アトウィ・ノシキ 海の真ん中
watara ワタラ 海中の岩
万葉集の海=わた
海神 わたつみ
海中 わたなか
海の底 わたのそこ
日本書紀・古事記の海
海北 わたのきた
海西 わたのにし
海表 わたのほか
カシミール3Dデータ
総沿面距離15.6km
標高差96m
区間沿面距離
押ヶ峠
↓ 2.8km
191スキー場
↓ 2.4km
木束原
↓ 6.0km
滝の平
↓ 4.4km
押ヶ峠
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