山歩き

小郷山…ケヤキ谷…イシノコヤ…釣橋林道
2015/8/29

長者原林道終点…御境…小郷山…シモコ谷…赤谷林道…イシノコヤ…1126P…二艘岩…釣橋林道…八郎林道

■小郷山(コゴウヤマ)1121.3m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字赤谷(点の記) (益田市)

長者原林道・国道488号線交点
十方山林道 11月20日まで通行止め
ヤマダチ谷・バンジョウ川合流点
スギ下の墓所
御境
国道488号線通行止め地点
62番鉄塔から見た広見山
クワノキ谷水源の崩壊地点
薮に覆われた小郷山三角点
五里山方向 小郷山から
ケヤキ谷の小滝
スギ林の山道に出る
上流に延びるシモコ谷林道
渓谷のシモコ谷
69番鉄塔から下りる山道の鉄橋
下古谷橋 その先が赤谷林道
ヤケガ谷付近の壊れた祠
赤谷林道 間伐の丸太が積まれている
イシノコヤ
尾根を登る
スギの皮剥ぎ
変わった形の境界石
1126ピークから東の尾根へ
二艘船岩に出た
釣橋林道入口
6:10 長者原林道終点 曇り後雨 気温18度
 

7:00 御境
7:50 小郷山
10:20 下古谷林道
10:40 赤谷林道
11:35 イシノコヤ
15:15 1170P
17:00 二艘船岩
17:45 釣橋林道入口
18:30 八郎橋
18:35 長者原林道終点


 長者原林道と国道488号線の交点付近を出発。釣り人が細見谷に入るところだったが、十方山林道は11月20日まで、林道工事のため立入禁止になっている。釣り人は広見川に下りて行かれた。

 ヤマダチ谷に架かるヤマメ橋を渡る。橋の下流でバンジョウ川と合流する。植林地の国道を進む。涸れることの多いコウサギ谷は水が多かった。判城橋の下で、判城川と御境から下りる谷が合流する。

 橋からほどなくスギの木の下に古い墓所がある。1時間ほどで御境。峠から鉄塔を結ぶ山道を上がる。この山道は小郷山付近を通り、69番鉄塔からシモコ谷に下りている。

オタカラコウ
シシウド

 山道の空けた所から、直下の御境と霞む五里山の峯が見える。道に青いクリのイガが落ちている。62番鉄塔に出ると、北側が開ける。広見山、恐羅漢山、五里山への展望がある。御境付近から分かれたもう一方の送電線は、山根上に下りているのが見える。その下に鉄塔を結ぶ山道が通っている。

 右手に63番鉄塔を見ながら広葉樹の道を進む。クワノキ谷の水源が崩れ、山道の通る尾根付近まで崩壊している。途中から山道と分かれて、小郷山に這い上がる。北側への展望があるが、曇り空で霞んでいる。三角点は潅木で覆われ始めている。

 山頂から西のケヤキ谷水源を下る。下っていくと、長いゴーロに変わる。伐採された山のためか、ケヤキは見られない。谷の下部の左岸は植林地になっている。小滝を過ぎて、左岸の小谷に入ると、獣道のような山道が入っていた。この道を辿ると、植林地の中に古い山道が残っていた。山道からシモコ谷に下り、林道に出た。

ツリフネソウ
ノリウツギ

 シモコ谷林道は谷の上流に続いているようだった。植林地の林道を下る。シモコ谷は岩盤を削ってできた岩の谷である。所々、深い渓谷になっている。69番鉄塔から下りる山道の鉄橋を過ぎると、まもなく赤谷林道。

 積み上げられた丸太に座り一休み。東の山上に69番鉄塔が見える。赤谷林道を上がる。林道脇に間伐した丸太が積んである。ヤケガ谷付近に壊れた祠がある。そこから少し先で、間伐する重機が林道を塞いでいた。

 ヒノキオ谷は右岸がスギ林になっている。赤谷林道終点からシミズ谷を渡り、イシノコヤに出る。台風によるものか、キハダの実がたくさん落ちている。1126ピークに上がる谷の左岸の急な尾根を登った。クリのイガやオオウラジロノキの実が落ちていた。スギの皮が剥がされていた。

キハダの実
オオウラジロノキの実

 変わった境界石があった。上部には伐採された切り株が残っていた。イシノコヤから2時間ほどで、ようやく尾根に出た。雨が本降りになる。濡れた笹薮を分けて進む。1126ピークから薮尾根を東に進む。県境尾根に出て、ニソウ谷水源の林道に下りた。ちょうど二艘船岩のところだった。

 ニソウ谷の林道から峠に上がり、釣橋林道を下る。峠から20分ほどで八郎林道に出た。降り続く小雨の中を1時間ほどで出発点に帰着。

アケボノソウ
ママコナ
ヒヨドリバナ
ミヤマガマズミ
ウリノキ
テンニンソウ
クサアジサイ




地名考

 マタギの言葉には、アイヌ語語彙が多く見られる。「マタギ」の語源については諸説ある。

 1、アイヌ語説 
   matanki マタンキ(狩猟・狩人)

 2、マタハギ説 
   マダ(樹皮)ハギ

 3、山跨ぎ(ヤママタギ)説 
   山を跨いで歩く(またぐ→またぎ かせぐ→かせぎ) 

 4、木跨ぎ(キマタギ)説=股木 
   木の股から生まれた

 5、又鬼(マタオニ)説 
   猛獣を獲るから鬼のさらに鬼

 6、山達・山立(ヤマダチ)説 
   山立は山で果てるという意味がある。ヤマダチが訛りマタギになった

 7、マトギ説 
   四国南部では狩人をマトギと呼ぶ。

 8、マータンガ・マータンギ説
   インドの屠殺業者のマータンガ(男)、マータンギ(女)名称。


 五里山に、ヤマダチ谷がある。東側の十方尾根にはマド谷があり、マトギを連想させる。西側の三葛には熊祭りの風習が残っていた。マタギのような人々が、西中国山地で狩猟を中心とした生活を送っていたのではないか。

 三葛の熊祭り

 「三葛地区には『熊祭り』が行われていたともいい、昭和57年(1982)ごろ大谷瀧次郎(故人)から聞き書きしたものを列記しておく。それは熊を捕った場合、その狩猟具の槍などを用いて熊の周りを囲むように七本立てなければならない。数が足りない時は木棒でも立てて補う。熊の月ノ輪の部分はお天道様には向けてはならず、頭を正面に向けて舌を切り取って供える。そして『籠宮の乙姫様に肴を差し上げんと思って討ったら、天の犬をあやまって捕ってしまいました。どうぞ許してください』そして『アブラウンケソー』と三回唱えたという。なぜ熊祭りをしなければならないかというと、熊野権現様のご幣が一本ずつ倒れるから、そのお使いである熊を供養しなければならないからであるという…熊を山の精霊としてとらえていることは確かであり、おそらく根底には山の神自身であったのではないかと思う」(『匹見町誌・遺跡編』)。

三葛の「熊祭り」
昭和57年(1982)ごろ行われた熊祭り 
(『匹見町誌・遺跡編』より)

 三葛の「熊祭り」は、東北のマタギが熊を獲った時に行う「ケボカイの神事」と似ている。どのような歴史的経過を経て、西中国山地にマタギの風習が残ったのだろうか。四国にマトギと呼ぶ狩人がいたことは、かつては全国にマタギのような人々が山中で暮らしていたことをうかがわせる。


 マタギ語に見られるアイヌ語語彙(『アイヌ語・日本語の形成過程の解明に向けての研究』板橋義三)

アイヌ語 マタギ言葉 日本語
セタ
seta
ヘダ・セタ・セダ
チャペ
cape
チャペ・チャベ
パケ
pake
バッケ・ハケ・ハッケ
サンペ
sanpe
サベ・サンペ 心臓
ワッカ
wakka
ワカ・ワッカ
アペ
ape
サッピ
ウパシ
upas
ワバ・ワシ・ワス
カント
kanto
カド 天気
シナ
sina
シナリ 荷負縄
マキリ
makir
マギリ 小刀
ポノ
pono
ホノ 小さい
ポロ
poro
ホロ たくさん
ヌサ
nusa
ノサ
シトキ
sitoki
シトギ
ピラ
pira
ヒラ・ビラ

 アイヌ語とマタギ言葉音韻変化

アイヌ語 マタギ言葉 日本語
sampe sambe
sabe
心臓
kanto kado 天気
seta heda
seda
pake bakke
hakke
hake
cape chabbe
chape
pira hira
bira
makir magiri 小刀
sitoki shitogi
upas waba
wanba
matanki matagi 猟・猟をする

 マタギ言葉に見られるアイヌ語の音韻変化をみると、濁音が含まれることに共通性がある。マタギはアイヌ語マタンキの音韻変化と考えられる。

 猟に関するアイヌ語に以下がある。

 matanki 猟をする・狩人
 matanki-ne-epaye 猟に行く
 iramante 狩をする
 ekimne 狩をする
 yuk-koyki 鹿をとる
 humpe-ramante 鯨を・狙い射つ
 iyomante 熊送り・熊祭り


■ヤマダチ谷
 

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カシミール3Dデータ

総沿面距離18.0km
標高差635m

区間沿面距離

長者原林道終点
↓ 4.3km
小郷山
↓ 2.7km
赤谷林道
↓ 4.5km
二艘船岩
↓ 1.7km
釣橋林道入口
↓ 4.8km
長者原林道終点
 

小郷山から
            広見山                      恐羅漢山                       十方山        五里山
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)