6:00 虫送峠 晴れ 気温14度
7:15 虫送峠=作業道往復
7:45 カルカヤ橋
8:20 聖湖
9:10 コウツナギ谷落口
10:55 車道
11:55 樽床ダム
12:25 ノジイ川入口
13:10 城ヶ谷作業道入口
13:30 191号線
14:00 虫送峠
虫送峠は気温14度で涼しい。北側の島根県側の作業道に上がってみた。作業道入口に岩壁があるが、亀裂が入り、脆くなっている。作業道を上がると、標高775m付近から角礫に覆われている。大きいものは長さ50cmほどある。角礫は50mほど続き、そこから下り坂になる。
山側には2mほどの岩が横たわっていた。坂道の先に角礫が続いているのが見える。作業道は山腹を縫って登っている。作業道の地層には角礫が点在しているところもある。作業道の標高775mから785m付近に、さらに数十メートル角礫が覆う。地層はシルトのような粘り気がある。
角礫の覆う道を過ぎると、地層に明瞭な白と茶の層が現れる。地層に礫は見られない。この層は長く続き、790m付近で、白い層が作業道の下に入る。796m付近から地層の色が薄茶に変わる。812m付近で、小谷の右岸に角礫の層が見える。角礫の壁が続くが、820m付近からアカツチの層に変わる。
押ヶ峠のカキツバタ |
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ミヤジマママコナ |
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作業道から八幡盆地を一望する。引き返すと、砂地にイノシシの足跡が続いていた。虫送峠へ戻り、国道を進む。押ヶ峠のカキツバタは、一ヶ月前よりたくさん咲いていた。八幡橋を渡り、「森の料理家」手前の道を入る。ママコナが咲く道をカルカヤ橋に出る。南側は広い平坦地の長者原。橋下に大きい鯉が居た。
畑沿いにコバギボウシが咲く。国道に出て長者原下橋を渡る。ミズナシ谷は水量多い岩盤の谷であった。そこからキャンプ場の道に入る。キャンプサイトから湖岸に出る。聖湖の看板に満水位750m、最低水位733mとあった。岸辺は750m標高で、満水位の状態であった。
湖岸は草が覆う所も、水に浸かっていた。そのため林の際まで水があり、湖岸沿いを歩けない。笹薮の林に入り、林道を通り、コウツナギ谷の落口に出た。谷の入口は湖になっている。林道を引き返すと、コウツナギ谷に朽ちた橋が架かっていた。
湖岸の看板 |
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コバギボウシ |
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谷を渡って左岸の道を進むと、途中から山道になる。山道を進むと、植林地に出た。植林地から林を西へ進み湖岸に出た。湖岸に礫が並ぶ所があり、そこに小さい鉄滓が幾つかあった。湖畔から林に入ると、山道に出た。山道は樽床ダムへ下りる車道に通じていた。
車道を下ると、800m付近に作業道が入っていた。濡れた作業道はひどくぬかるむ。820m付近の削られた地層には小礫が混ざっていた。赤い川底の太刀洗川に沿って車道を下る。サビ谷は水量が少ない。
770m付近で、道路が崩壊していた。アスファルトの下にシルト層があり、小礫が点在している。崩壊地点からほどなく樽床ダム。湖岸沿いに茶色の地層が目立つ。懸崖の間のダム下の柴木川は水量が少ない。静かに三ツ滝に落ちている。
湖の右岸を進む。聖湖の向こうに苅尾山が見える。ノジイ川落口左岸に、大きい岩壁が立つ。キャンプ場の反対側の、城ヶ谷の作業道に入ってみた。2、30cmほどの角礫が道にも壁にも散在する岩の山であった。
樽床ダムから1時間半ほどで、国道に出た。道路沿いにビッチュウフウロが咲き、カンボクが赤い実をつける。水田が緑に染まる八幡原を通り、虫送峠に帰着。
ヤマジノホトトギス |
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コオニユリ |
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ヌルデ |
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カンボク |
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ビッチュウフウロ |
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ミヤマガマズミ |
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ヌマトラノオ |
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ハンカイソウ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。
「日本語、アイヌ語、さらには朝鮮語には、音韻上、文法上の特徴において、あるまとまりがあるみれれるといってよいであろう。あるまとまりがみられるということは、これらの言語には、共通の基盤があることを思わせる。
…日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通の基盤を、『古極東アジア語と名づけることにする』」(『日本民族の誕生』安本美典)。
「樽床遺跡群は、人口湖である聖湖に面した丘陵を中心に立地しています。発掘調査は実施されていませんが、旧石器〜縄文時代を中心とする遺物が26地点から採集されています。旧石器時代の遺物は、G地点、M1地点、C0地点などで発見されています。
中でも、G地点では注目される遺物が出土しています。縦長剥片素材の基部加工ナイフ形石器、掻器、掻器(そうき)や整った形態の縦長剥片が多数採集されており、石材は黒曜石、安山岩(あんざんがん)などですが、黒曜石の割合が高く、理化学分析では島根県隠岐産という分析結果が出ています。
出土石器はいずれも採集品などで共伴関係は不明ですが、後期旧石器時代後半期に位置づけられるものと思われます。隠岐からの距離は直線で約200kmあることや石器群の特徴が山陰・北陸地域と関連を持つことなどから、今後の調査・研究の進展が期待されます(「広島大学埋蔵文化調査室」)。
出土地点のG地点、M1地点、C0地点はいずれも、樽床貯水池北辺の東八幡原である。G地点は聖湖真ん中付近の左岸である。
東八幡原の9ヶ所で旧石器の細石刃(サイセキジン)石器が出土している。
ナイフ形石器・尖頭器・細石刃
(『ビジュアル版 旧石器時代ガイドブック』提隆=新泉社) |
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細石刃は北東日本と南西日本で製作技術が異なる。冠遺跡群からは冠山安山岩製の「湧別技法関係石器が断片的ながら発見されている」(『旧石器人の遊動と植民』稲田孝司=新泉社)。
湧別技法集団の植民と遊動の地図(下)によると、島根県東部に達した湧別技法集団は、冠遺跡群、山口県宇部の川津遺跡まで移動しているので、冠遺跡群と島根県東部の間にある樽床遺跡や八幡原にもやって来たと思われる。
「約1万5千年前ごろに遠くシベリアからアラスカまで広がりを持つ細石刃文化があらわれる。細石刃文化を担った人類集団はバイカル湖から拡散し、1万2千〜1万3千年前に東日本を覆ったとされる(「邪馬台国の会」HP)。
細石刃文化は北海道、東北を南下するが、「新潟県以西の北陸地方・近畿地方の日本海側に、湧別技法細石刃石器群の遺跡はほとんどみられない…
湧別技法細石刃文化はムラからムラへ、集団から集団へ伝えられて中国山地までゆっくりと波及したのではない。短期間で一足跳びに到達したのである…故郷の遊動領域をすて、山陰・中国山地の新天地をめさして植民したのである」(『旧石器人の遊動と植民』)。
「冠遺跡第4地点の細石核は岡山県恩原2遺跡などで検出されている北方系細石核と系統を同じくするものと考えられる…冠山安山岩は山口県宇部台地周辺の細石刃石器群でも利用されているようで、冠遺跡群でも量的には少量ながら細石刃石器関連の石材は安山岩を利用していることからすれば、細石刃文化期に冠高原が利用されなかった可能性は基本的には考えられない…
冠遺跡群の槍先形尖頭器石器群は細石刃石器群と時間的に併行して残され、縄文時代初頭まで連続的に存在した可能性が想定される」(『冠遺跡群[』冠遺跡群発掘調査事業最終報告書)。
樽床遺跡群出土の石器
(北広島町の文化財) |
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八幡原は旧石器時代、温暖な気候であった。旧石器時代のナラ(1万2千から1万8千年前)が出土し、現在のナラより年輪の幅が広く、現在よりも温かかったことがわかる。
古代八幡湖
「湖成段丘が780m〜810m標高にあることより、古八幡湖の水面は、800mから810m標高であった。
盆地内の泥炭層の花粉分析から…古八幡湖は二度に渡って出現した。
氷期または晩氷期に出現していた第一古八幡湖。第二古八幡湖の水が柴木川へ流出して、現在の状態になった」(「西中国山地」桑原良敏)。
「八幡盆地は、周囲の高位平坦面より300〜500mも低く、南北8km(樽床ダムまで)・東西1〜4kmのひろさですが、標高760mの長者原をさかいにして、その南は回春による浸食が進みつつあります。長者原より北の部分は、浸食が進まず、平坦で水田以外に、ところどころ湿原があります。山麓の760〜800mのところには礫・砂・粘土の若い堆積物が残っていて、湖水の形成と消滅がここでくりかえされたことをしめしています。
湖水の成因は、臼木谷断層とこれ平行に走る臥竜山西側山麓の断層の活動により、地溝状に陥没したものと思われます。湖成層は第四紀のもので、湖成段丘に残っている旧期のものと、水田下に発達している新期のものとに二分することができます。
旧期の八幡湖成層は…ところによっては最上部に、三瓶火山灰と類似の淡黄褐色の浮石質火山灰が入っていることもあります。
旧期湖成層の分布は、本坪谷・上西・菅原・大林・長者原周辺の丘陵部で、さらに木束原・樽床堰堤の東西両側の県道沿いにもみられます。
湖成層の高度分布から…旧八幡湖の…湖面の高度は795m以上あったはずです。…虫送峠は765m…木束原西の休峠は785mです。虫送峠や休峠の高度が八幡湖面の高度より低いことは、日本海にそそぐ山陰側河川の谷頭浸食が、瀬戸内海にそそぐ柴木川にくらべて、非常に急激であったことをしめしています」(『広島の地質をめぐって』)。
表層地質図では、旧期湖成層(cs)は、下流の順に、虫送峠北側から鳥落橋までの柴木川右岸、鳥落橋から北東方向、菅原付近までの柴木川左岸、善龍寺から旧八幡小学校までの西側、明元寺から法誦寺までの柴木川右岸、本坪谷入口の東側に分布する。それは800m標高線の内側に分布する。
虫送峠西側に扇形に山麓地形がある(下図)。峠の南端は800標高、北端は790m標高にある。
「山麓堆積地形= 斜面の下方、山間の谷底または谷の出口等に堆積した、岩屑または風化土等の堆積地形面で、崖錐・麓屑面・土石流堆などをいう」(国土地理院HP)。
山麓地の775mから785m付近の作業道は、角礫で覆われている。その間の地層中にも角礫がある。この角礫は古代の川跡であったと思われる。
旧期湖成層は800m等高線の内側にあり、湖面高度は800m以下であったと考えられる。古代、虫送峠の標高は790mから800mであったと思われる。古代八幡湖の水は虫送峠を越えて匹見川に流れていた。
虫送峠西側の地形分類図
(カシミール3D+国土交通省土地分類基本調査地形分類図) |
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また、カワヨシノボリ斑紋型が八幡盆地に生息することから、匹見川と八幡盆地が古代にはつながっていたことを裏付けている。
「カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである。また、匹見川と八幡盆地との間は不完全な分水嶺となっている虫送峠があり、これは川が流れていた痕跡とされる風隙と思われ両地域を連絡する河川がかつて存在したことを予測させる」(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。
●シジリ谷(カジヤ谷)
シジリ谷はカジヤ谷とも呼ぶ。聖山はシジリ谷が山名になっている。検地帳では「シシリ谷」と呼ぶ。シジリ谷は樽床ダムの懸崖の間を通って、三ツ滝に落ちる谷である。
ダムに沈む前の樽床 |
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カシミール3Dデータ
総沿面距離20.9km
標高差97m
区間沿面距離
虫送峠
↓ 1.9km
虫送峠
↓ 3.7km
聖湖
↓ 7.5km
樽床ダム
↓ 4.0km
ナガ谷落口
↓ 3.8km
虫送峠
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