6:10 鈴ノ大谷入口 晴れ 気温13度
6:50 入江山橋
8:00 登山口
8:30 尾根登山口
8:55 林道から尾根へ
9:40 982P
9:50 928P北鞍部
10:45 伝法寺跡
11:05 寺屋敷
12:40 ゴルジュ入口
13:55 オシガ谷
14:50 歩道入口
15:15 出発点
鈴ノ大谷へ下りる県道入口付近を出発。前方に568ピークが見える。県道西側の植林地は伐採されている。ウツギが一斉に咲いている。左岸から落ちるカドガ谷の先の、福川川上流に椛谷ダムが見える位置に椛谷渓谷の看板がある。それによると、上流の黒渕から椛谷の間を椛谷渓谷と呼んでいる。昭和28年から3年かけて建設され、その後改良工事が行われた。渓谷は約1億年前の火山灰が堆積してできた地層にあると言う。
椛谷堰堤の横に石碑があり、昭和31年3月竣功と書かれている。堰堤上流のヒノキオ落口付近は、小石の川原になっている。モミジバシは岩の谷で、紅葉橋を渡る。ヤマザクラに実が生っている。口に含むと酸っぱい。工事中の県道を通り、40分ほどで入江山橋に出た。
ウツギ |
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ミヤコグサ |
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橋を渡ると砂利道になる。入江谷川左岸の入江谷林道を進む。コヤノエキを過ぎると、林道は大きくU字に曲がり、コヤノエキに沿って上がる。再び、U字に曲がり入江谷左岸を上がっていく。コヤノエキの上流は水量は少ない。木に絡みついたツルアジサイが咲いている。小谷に石垣を組んだ堰堤がある。
平成15年度、水源森林総合整備事業施工地の看板がある。コズガエキの谷は東側の谷より小さい。林道が岩盤の入江谷に接する。そこから少し進むと堰堤のあるハカノオ。周辺は平坦地になっており、長者原と呼ぶ。オオバアサガラが咲いている。
入江谷に、平成15年度、入江山国有林第1号谷止と書かれた堰堤がある。コズガエキの谷にサワグルミが花穂をぶら下げていた。入江山橋から1時間ほどで、鈴ノ大谷山登山口。登山口から西へ延びる林道を進む。林道が北に延びると、鈴ノ大谷山が見えてくる。鈴ノ大谷山から下りる谷に大きい堰堤がある。
ミヤマガマズミ |
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ノイバラ |
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林道の展望地から松茸山と弟見山が見える。30分ほどで尾根に上がる登山口。ハシゴが立てかけてある。北西方向に展望があり、法師山の右手に青野山が頭を出している。左手に高岳山が見える。
鈴ノ大谷山西尾根の先端の林道に「保安林内作業許可標識」がある。それによると、平成25年8月から30年9月まで間伐作業道の開設が行われる。地図を見ると、主林道から網の目のように間伐道が延びている。
林道を進むと、崖が崩れている。間伐道がインクラへ下りる山道に向かって下りている。あちこちの山肌が剥き出しになり、間伐道が下りる。植林地の中を山に上がる間伐道もある。30分ほど林道を進み、林道が西に延びるところで、尾根の鞍部に上がる小谷に入った。ササ薮の鞍部を進むと、黄色のテープの続く尾根道に出た。
982ピーク北の植林地から青野山が間近に見える。林道から1時間ほどでピーク北の鞍部に下りた。ササ薮を下って水源に出ると、赤い測量の標柱が立っていた。この辺りまで林道が延びるのかもしれない。倒木の多い小谷を下り、1時間ほどで伝法寺跡。間伐された植林地の中に、8年前、伝法寺跡を示す板が掛かっていた鉄柱だけが残っていた。
伝法寺跡 2006年9月10日 |
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少し休んで谷を下ると、左岸から続く山道が、右岸に入っている。植林地の山道を進むと、平坦地に出る。「西中国山地」にある寺屋敷付近であろうか。山道はまだ奥へ続いていたが、平坦地から鈴ノ大谷水源の谷を下った。
少し進むと、懸崖の滝に出る。右岸を下り滝下に出た。奥の左側に落ちた滝は、流れ出て小さい釜に落ちる。谷を進むと、また滝があり、伝法寺から落ちる滝と合流する。ここも右岸を回り、滝の下流に出た。谷を少し遡って滝下に出る。右岸から本流の滝が落ち、左岸から伝法寺の谷の滝が落ちる。
さらに下ると本流に滝があり、少し下の左岸から小滝が落ちている。ゴルジュ入口の小滝は右岸を進み、平坦地に下りた。この滝の続く谷は、上部の寺屋敷下流まで500mほどの長いゴルジュになっており、本流に三つの滝、左岸から落ちる二つの滝がある。
クマシデ |
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ヤマボウシ |
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平坦地の谷に下りると魚影が走る。右岸の石垣の上の山道は、すぐに左岸に渡る。道は橋跡の石垣から右岸の石垣に渡る。右岸の谷に入る山道は崖の所で切れている。左岸にロープ、右岸にロープと鎖が垂らしてある。左岸のロープを使って、右岸の鎖とロープが下がる所まで下り、少し登って切れ落ちた崖の谷を越える。
岩崖を通る山道を回りこむと、橋脚跡の石垣が残り、道は谷を回りこんで対岸の石垣に出る。そこから急勾配の坂が真っ直ぐオシガ谷に落ちている。オシガ谷に出ると、朽ちた橋の下から下流に向かって、川底に石が敷き詰めている。そこから大きいモミの林を通って、左岸の道に出た。
レールの残る道を進み、鈴ノ大谷山へ上がる山道のあるインクラの石垣の所に出た。橋跡の石垣のあるナカノ谷を渡る。小谷に架かるコンクリート橋を渡り、道が回りこむところに橋げたが残っている。鈴ノ大谷に架かる軌道橋を右岸に渡ると、ここにもレールが残っている。
そこからほどなく水害碑がある。「水害遭難死者精霊位」の石碑があり、碑の横に「昭和十一年九月十一日」とある。植林道を進み、歩道入口に到着。そこまで車道が入っている。柿木村生椎茸菌床センターの横を通り、福川川、カドガ谷を渡って県道に出た。
ヤマザクラ |
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アヤメ |
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コアジサイ |
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コツクバネウツギ |
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ヤブデマリ |
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タニギキョウ |
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ミヤマシキミ |
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タツナミソウ |
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ホオノキ |
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ミツバウツギ |
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オオバヤシャブシ |
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ハナウド |
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コガクウツギ |
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ナツグミ |
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オオバアサガラ |
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ミズタビラコ |
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ツタウルシ |
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コケイラン |
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ハイノキ |
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モミ林 オシガ谷右岸 |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。
盛太ヶ岳の東側に縄文遺跡が多い。
★向津原遺跡(コウヅバラ 柿木村大野原)
縄文 弥生 中世 近世 近現代
縄文土器(前期・晩期)・石鏃・打製石斧
弥生土器(前期)
磨製石斧(縄文か弥生)
砥石(時代不明)
★田丸遺跡(タマル 真田)
石斧
★河内遺跡(注連川 河内)
縄文・弥生・奈良・平安・中世・近世
石器(縄文か弥生) 打製石斧(縄文か弥生)
★前立山遺跡(マエタテヤマ・注連川 三助)
弥生・古墳・奈良・平安・中世
竪穴住居(後期14)
土壙墓(中期1・時期不明4)
木棺墓1 溝 祭壇状遺構
サヌカイト製石鏃工房
土坑 柱穴
弥生土器(中期・後期)
石鏃 磨石 砥石 石包丁 棒状石製品
鉄鎌 勾玉 土玉 ミニチュア土器
石皿(後期)
★仲の原下遺跡(ナカノハラシタ・注連川)
須恵器(古墳)
★仲の原中遺跡(ナカノハラナカ・注連川)
須恵器
★山入遺跡(田二穂 部栄 注連川西)
弥生土器
★藤安遺跡(注連川)
須恵器(古墳)
★沖場遺跡(注連川)
土師器(古墳)
★堂面遺跡(注連川)
縄文土器
縄文時代の区分
草創期(約12000〜9000年前)
縄文早期(約9000から6000年前)
縄文前期(約6000〜5000年前)
縄文中期(約5000〜4000年前)
縄文後期(約4000〜3000年前)
縄文晩期(約3000〜2300年前)
●銚子の口(チョウシノクチ)
●伝法寺 デンポウジ
島根県遺跡データベースによると、伝法寺跡は860ピーク東の鈴ノ大谷ゴルジュに入る下流の位置になっている。桑原良敏の「西中国山地」地図では、銚子の口の上流に寺屋敷がある。
香川県の小豆島に伝法川と銚子滝がある。由来は不明だが、鈴ノ大谷に銚子滝の近くに伝法寺があり、似通っている地名に驚かされる。
寺屋敷から鈴ノ大谷を下ってみると、500mほどのゴルジュの間に、本流に3つの滝、左岸から落ちる2つの滝があり、滝の多い谷であった。
島根県遺跡データベースにある伝法寺跡
位置は860ピークの東になっている
出土遺物は陶磁器と灰 時代は中世
(出典は柿木村誌) |
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小豆島の
伝法川と銚子滝 |
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●スズノオオ谷
●スズノオオ谷
●オシガ谷
●馬ノ背(ウマノセ)
●ヨコセ谷(オシガ谷北側)
カシミール3Dデータ
総沿面距離17.5km
標高差622m
区間沿面距離
鈴ノ大谷入口
↓ 6.4km
登山口
↓ 4.7km
伝法寺跡
↓ 3.0km
オシガ谷
↓ 3.4km
鈴ノ大谷入口
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