6:00 黒渕 晴れ 気温14度
6:55 愛宕神社
9:55 尾根登山道
10:10 983P
10:55 莇ヶ岳
12:50 ホンエキ落口
13:45 ホンミギ谷落口
14:05 ヨソウバヤシ落口の橋
14:10 キャンプ場
14:30 猿田原
14:55 中条
15:10 黒渕
黒渕付近を出発。県道3号線に「愛宕神社・大杉2km」の大きい道標がある。白井谷川入り口に「黒渕神楽の里」の標柱がある。その横に「愛宕の千年杉」の看板がある。それによると千年杉は幹周7m、高さ40mとある。
右岸の車道を進むと、トチノキにたくさんの花が咲いていた。川沿いにオオバアサガラが咲く。ヤマハンノキ林を通り、滝のある川沿いを進む。ヤマグルマが花を付けている。左岸から落ちる上クチナシ谷と下クチナシ谷の間に滝がある。両クチナシとも水量は僅かだった。
川が曲流する先にウツレバシがある。ここも水量が少ない。植林地から落ちるジョウノエキは涸れていて、落口左岸に岩礁がある。七石谷には数段の堰堤が見える。落口に「ダム及び堰堤敷(堰堤及び碓砂敷)」とプレートが立ててある。
トチノキ |
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ヤマグルマ |
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白井谷川右岸に大きい石垣がある。ハコノサコは笹の間から落ちていた。道の左手の植林地の中は、ワサビ畑になっている。セドノエキ、民家を過ぎると愛宕神社。長い石段の途中にスギの巨木がある。入口にある「愛宕神社の社叢」によると、愛宕神社は延長元年(923年)の創建で、千年杉のほかに、ケンポ梨、大栃、大桂がある。
愛宕神社の西側にオダガサコの谷が落ちている。この付近からドウノオク谷とオトトミ谷が合流し、左岸は水田になっている。山への展望があるが、ガスで弟見山は見えない。アヤメが水田脇に植えられている。林道がドウノオク谷へ入っている。
オホノキ、トチノキの咲く山手の田んぼの端から、電機柵に沿って山に入る。電機柵がドウノオク谷を渡る所で柵を越えた。水田跡の石垣の残る植林地を横切り、オトトミ谷に出る。少し進むと左岸に山道が通っていた。ドウノオク谷の林道からオトトミ谷に入る山道があるようだ。
コケイラン |
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オオバアサガラ |
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左谷を過ぎ、山道を進む。ピンクのテープが続く、植林道が入っている。川を渡り、平造林谷に出ると、ミツバウツギがたくさん咲いていた。テープに沿って大分入った所で,植林地に炭焼跡と思われる石積みが残っていた。植林地が所々、小尾根に下りている。
さらに進むと、植林地の中に明瞭な炭焼跡の石積が残っていた。もう一つの炭焼跡を過ぎ、右岸の間伐林の所でテープが終わる。谷沿いを進むと、右岸にトチノキの巨木があった。幹周は目測で5m以上、谷にトチの花がたくさん落ちていた。少し進むと、左岸にサワグルミの巨木。奥に進むと、右岸に最初のトチノキよりさらに一回り大きいトチの巨木があった。
この辺りは巨木の森のようであった。樹林で奥が見えないので、巨木がもっとあると思われる。小滝を越えると水流が二分する。左の谷に進む。さらに分岐をトチノキの立つ左に進む。水源に入り、ササが覆い始めると、登山道まで50mほど。オトトミ谷から3時間ほどで尾根に出た。
民家の横に咲くオオデマリ |
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水田脇のアヤメ |
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尾根を進むと、983ピーク手前に展望地があるが、遠くは雲で見えない。ピークを下ると前方へ続く尾根が見える。二つの石柱を過ぎ、登山道に出てから1時間ほどで莇ヶ岳。周南愛山会の新しい山小屋が出来ていた。山頂は生憎のガスで展望は皆無。
引き返して、石柱と石柱の間の鞍部まで下り、植林地のササ薮を下る。植林地は尾根付近にあるだけで、下は急坂のササ薮が続いた。水源の谷筋は倒木が多い。尾根から1時間半ほどでホンエキ落口に出た。緩やかな谷を下る。こちらの谷には巨木が無いが、ツヅラ谷落口に大きいトチノキがあった。水量は少ない。下ツヅラ谷の方が水量が多い。
大きい、黒い魚影が走る。ゴギのようだった。下ツヅラ谷を少し下ると、左岸に山道があった。草地に「身代わり鈴」がぶら下がっていた。山道は右岸に渡り、ほどなくホンミギ谷落口に出た。右岸を進み、一度左岸に渡ってすぐ右岸に渡る。ヨソウバヤシ谷手前の橋を渡り、さらに二つ橋を渡って、広いキャンプ場に出た。
ホオノキ |
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平造林谷のミツバウツギ |
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キャンプ場にトチノキの花が咲いていた。管理棟の横を通って右ヶ谷林道に出た。植林地を抜けると、右岸にワル谷が落ちる。小さい山崎を回りこむと、右ヶ谷落口左岸が平坦地になっている猿田原に民家がある。右ヶ谷入口に看板があり、「これより上流の右ヶ谷川全域をゴギの繁殖保護のため全面禁漁とする」と書かれている。
3号線を進む。小峯谷川沿いにミツバウツギ、ミズキが咲いている。30分ほどで、小峯谷川と大峯谷川の合流点の中条に出た。大峯谷川に道が入っている。標識に「林道恋路谷線起点」とあった。
小峯谷橋と大峯谷橋の下流が川の合流点で、川は小峯谷川の方が大きく、架かる橋も大きかった。川沿いにアキグミの白い花がたくさん咲いていた。キシツツジの咲く川沿いの道を進み、中条から15分ほどで黒渕帰着。
ミズタビラコ |
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クルマバソウ |
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コツクバネウツギ |
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ヒメレンゲ |
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サワハコベ |
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ヤブデマリ |
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アキグミ |
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キシツツジ |
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ヒメコウゾ |
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白井谷川沿いのヤマハンノキ |
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ミズキ |
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テンナンショウ属 |
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ヒロハゴマギ |
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ツタウルシ |
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タニギキョウ |
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コンロンソウ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。
莇ヶ岳周辺に縄文遺跡は今のところ無い。北側では高津川沿い。南側では沿岸部に縄文遺跡がある。盛太ヶ岳の東側に縄文遺跡が集中してある。
近辺では、柿木村の向津原遺跡(こうづばら)がある。縄文・弥生・中世・近世・近現代へと続く遺跡である。
■向津原遺跡(コウヅバラ 柿木村大野原)
縄文 弥生 中世 近世 近現代
縄文土器(前期・晩期)・石鏃・打製石斧
弥生土器(前期)
磨製石斧(縄文か弥生)
砥石(時代不明)
中世 陶磁器
近世 銭貨(寛永通宝)・備前陶器
近現代 陶磁器・金属製・千歯コギの歯
弟見山南から莇ヶ岳、小峰峠にかけて、島根県側に黒ボク土「Azo−2」がある。弟見山南の山口県側に黒ボク土「Hun1(Aon1)」がある。小峰峠周辺は山口県側に黒ボク土は無い。恋路山トンネルの西側と仏峠の北に黒ボク土「Azo−2」が点在する。
近くに縄文遺跡は無いが、黒ボク土があることから、縄文時代、人々は周辺で山焼きを行っていたと考えられる。そのことは近辺に未発見の縄文遺跡が存在することを予見している。
縄文時代の区分
草創期(約12000〜9000年前)
縄文早期(約9000から6000年前)
縄文前期(約6000〜5000年前)
縄文中期(約5000〜4000年前)
縄文後期(約4000〜3000年前)
縄文晩期(約3000〜2300年前)
●オトトミ谷
●ドウノオク谷 to-un-nup-o-kus-i
ドウノオク谷とオトトミ谷の合流点が川尻、現在、川の間は水田になっている。
オトトミ谷落口付近は土壌図では、「Kma」土壌=粗粒灰色低地土壌、地形図では、「T」=崖錐および沖積錐である。これらは第4期沖積土壌で1万年遡り、縄文期に湿地であった。
●莇ヶ岳(アザミガダケ)
●大橋谷(オオハシ)
●小橋谷(コハシ)
●上クチナシ・下クチナシ
二つのクチナシの間にに滝がある。
カシミール3Dデータ
総沿面距離17.0km
標高差563m
区間沿面距離
黒渕
↓ 3.3km
愛宕神社
↓ 2.9km
尾根登山道
↓ 2.0km
莇ヶ岳
↓ 4.8km
キャンプ場
↓ 4.1km
黒渕
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