5:20 柴木 晴れ 気温19度
7:30 出合橋(横川出合)
8:00 田代橋
9:25 砥石川山
10:05 夏焼のキビレ
10:25 早手のキビレ分岐
11:05 恐羅漢山
11:55 牛小屋
12:45 古屋敷橋
14:20 内黒峠
15:50 内黒山登山口
16:05 柴木駐車場
街頭が照らし出す柴木川の駐車場を出発。左岸の遊歩道を進む。柴木川第一発電所の横を通り、植林地を過ぎると長渕橋に出る。対岸の民家の障子が明るい。
遊歩道を進むと、月明かりにセイカク谷から落ちる姉妹滝が見える。龍の口から栂崎、兜石を通り、赤滝に出る。五立、庄兵衛岩下のトンネルを抜けると、谷はすっかり明るくなっていた。
皆実高校遭難碑、女夫淵、石樋、塔岩へと進むと、右岸に二谷が落ちる。天狗岩直下の蓬莱岩が大きい。黒渕の懸崖を回りこんで「コの字」地形に入る。角の仏岩を回ると直線の谷が続く。蛇杉橋、南峰橋を渡り、トンネルを抜ける。向山から下りる出崎を回りこんで、ミズナシ川を渡ると葭ヶ原に出る。
キブシ |
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アキチョウジ |
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ここから先は、落石防止工事を行っている。柴木川を渡り、猿飛の懸崖を回る。2時間ほどで田代川、横川川合流点の出合橋に出た。
田代川右岸の林道を進む。楓橋を渡り左岸へ。横川トンネルの巨大な橋げたの横を通り、石垣の残る田代に入る。横川出合から30分ほどで田代橋。下流に牛小屋谷が下りる。橋を渡ると道標がある。牛小屋高原へ1時間半、砥石郷山へ1時間。
少し休憩して、急な植林地の小尾根を登る。大岩を通り1時間余りで砥石川山。ササと潅木で展望はよくない。尾根を進むと「魔の池」がある。現在水は無く、草地になっている。7年前にはモリアオガエルの卵がたくさん木にぶら下がっていたので、その時には水があったようだ。時期によっては水があるのかもしれない。
魔の池 卵塊がぶら下がる 2006/7/2 |
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ヤマジノホトトギス |
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1166ピークに出ると展望が良い。広見山、恐羅漢山、十方山への展望がある。前方には十方山からサバノ頭への峯峰が続く。15分ほどで夏焼のキビレへ下る。平坦な尾根を進むと、管理林道へ下りる分岐に「早手のキビレ」と書かれた道標が立っている。以前にはなかったが、「西中国山地」に無い、聞きなれない地名であった。
登山道に真っ赤なナナカマドの実が落ちている。ハタガ谷水源、立山尾根の北に「かやばたのキビレ」の道標がある。新しく道が開かれたのだろうか、「かやばたゲレンデ」へ下りるようになっている。
牛小屋分岐、台所原分岐を通り、ほどなく恐羅漢山。多少霞んでいるが、内黒峠、サバノ頭から、深入山、苅尾山への展望がある。日の照る山頂は暑いので、早々に下った。
キバナアキギリ |
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クマシデ |
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牛小屋へ下る。ゲレンデに出るとなお暑い。50分ほどで車道に出た。牛小屋から古屋敷まで50分ほどかかった。橋を渡ると、内黒峠へ上がる旧道の入口だが、以前は膝ほどの草原だったが、背丈を越える草薮と化していた。
薮を掻き分け掻き分け、やっとの思いで植林地の林道に出た。林道を進むと、ワタン谷で道が崩壊していた。この旧道は以前と比べて、ササ薮が多くなり、崩壊箇所も増えていた。だんだんと歩きにくい道になっていた。
モリガ谷へ下りる道の分岐から少し進んだ所で、旧道の薮が増えたので、上に見える車道に上がった。サバノ頭を左に見ながら、車道を進み展望所で少し休憩。砥石川山と比尻山が正面に見える。
古屋敷から1時間半ほどで内黒峠。内黒山への山道を上がる。20分ほどで内黒山の道標。さらに植林地を進み、10分ほどで薮ヶ迫山(宮里山=ミヤリヤマ)道標。
ここからは、内黒山登山口まで長い下り、気温が高いせいか、薮蚊がまとわりつく。膝がくがくになりながら、峠から1時間半ほどで、登山口に下った。
オトコヨウゾメ |
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ヤブコウジ |
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リョウブ |
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カワラナデシコ |
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ツルリンドウ |
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山道を這う大きいのマイマイ |
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ナナカマド |
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サワフタギ |
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アキノキリンソウ |
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ヤマボクチ |
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オミナエシ |
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ウバユリ |
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オオバヤシャブシ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
恐羅漢山の北側、匹見川沿いに縄文遺跡が多い。恐羅漢山北の入口、亀井谷にも縄文遺跡がある。北東の樽床にも縄文の遺跡群がある。柴木川の下流部にも縄文遺跡が多い。
恐羅漢山周辺には、早くから縄文人の出入りがあったと思われる。
『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。
『日本語とアイヌ語の起源』に次の事例がある。
at アッ 集まる・沢山出る
ek エク 来る
kat カッ 格好・有様・形・型
ki キ 打つ kitafu(鍛)
ku ク のむ・食う・口
kut クッ のど kuti 与那国
●恐羅漢山(オソラカンザン)
●恐羅漢辻(オソラカンツジ)
●ソカヒ山(恐羅漢山古名・1825年)
●旧羅漢山(キュウラカンザン)
●大亀谷山(オオカメタニヤマ)
●亀井谷(カメイタニ)
●砥石川山(トイシゴウヤマ)
●トイシ川川(トイシゴウカワ)
●ナツヤケノキビレ
●柴木川(シワギガワ)
カシミール3Dデータ
総沿面距離28.2km
標高差1021m
区間沿面距離
柴木
↓ 8.6km
出合橋
↓ 7.2km
恐羅漢山
↓ 4.8km
古屋敷橋
↓ 3.1km
内黒峠
↓ 4.5km
柴木
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