7:10 飯山 晴れ 気温9度
7:50 平岩
8:35 鬼ヶ城山
9:30 平岩越
9:50 相波峠
10:30 平岩
12:00 車道
12:45 段ノ原作業道
13:30 段の原
13:35 段ノ原作業道終点
14:05 床越
14:35 稗原峠
14:50 林道
15:15 飯山
飯山の河内神社を出発。神社のイタヤカエデの花が咲いていた。集落を通り、植林地の林道に入る。ミツバツツジが点々と咲く。お鉢山遺跡E地点付近は平坦地となっている。ここから冠山安山岩の砕片が出土している。
林道分岐を右へ進むと間もなく平岩。周辺は伐採されて明るくなっている。平岩から作業道が南へ延びていた。登山道は三つ岩の横を通って、874ピーク西の鞍部に上がる。
河内神社のイタヤカエデ |
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アキグミ |
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植林地の枯れたアカマツの幹に丸い小さい穴がたくさん開いていた。穴を少し掘り下げると、大きいアリのような幼虫がいた。植林地を抜けると広葉樹林帯に入る。シロモジの若葉が目立つ。オトコヨウゾメがツボミを付ける。
登山道はオニガジョウの大岩の横を通る。大岩から林越しに、茅帽子山から冠山の峯への展望がある。笹原を抜けて鬼ヶ城山に出た。羅漢山のレーダーがくっきりと見えた。山頂のアセビの白い花が咲き、ハウチワカエデが花芽を出す。
枯れたアカマツに寄生する虫 |
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アセビ |
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ハウチワカエデ |
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山頂から南へ笹薮を下る。この辺りのガマズミはまだツボミ。クロモジが咲く。山頂から30分ほど下ると、尾根を東西に横切る分岐道に出る。すぐ下のアカナメラ水源に作業道が入っている。分岐道を東に進み、平岩越に出た。そこから下の作業道に下りた。
作業道がアカナメラ水源の右岸を通っているが、すぐに終点で、谷沿いに進むと、相波峠に通じる旧道に出る。この道はササの茂る薮と化している。ほどなく相波峠に出た。峠で一休みして旧道を進む。旧道は石垣の残る幅広の道で、所々薮があるが、良好な山道である。
旧道沿いに巨石が点在する。相波峠から40分ほどで平岩。ヒライワ谷の水源の谷を平たい巨石が塞いでいる。平岩から少し進むと、旧道が崩壊し、展望地となっている。ヒライワ谷の先に羅漢山が見える。
ミヤマガマズミ |
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クロモジ |
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石垣の残るジグザグ道を進み、展望地に出た。容谷山、小五郎山、大将陣山への展望がある。そこから少し進むと岩が崩壊し、大岩がある。その先にも展望地があった。直下に車道が通る。高速道の先に小五郎山が見える。茅帽子山、ミノコシ峠への展望がある。
旧道はキリドヤノ谷、ヒノヒラ谷を渡り、ようやく車道に出た。そこから間もなく、高速道の柏原橋に出る。柏原橋の東側から、段の原から下りる尾根に、手すりの付いた山道が入っている。車道を下り、高速道の高架を潜る。
ミヤマガマズミ |
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ギンリョウソウ |
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しばらく林道を進み、作業道段ノ原線に入る。延長1300mとある。植林地の山道に入る。日の当たる作業道は薮になっている。ヤマサキ谷を渡った尾根に大きいケヤキがあった。岩を回ると、前方に鬼ヶ城山が見えてくる。作業道は796ピーク東の段の原に上がり、その先の植林地で終点。
「鬼ヶ城山頂の山口県側の山腹に796m独標のある段の原とよばれている平坦地がある。この丘は北方の新五郎畑(820〜840m)、吉和地(680〜710m)と共に山腹の平坦地として注目され、花崗岩の台座平坦地と、その上に乗っている玄武岩との境界地形としてできたものとされている。段の原より低い部分は花崗岩、それより上部は玄武岩で鬼ヶ城山頂までの厚さは250mとなっている(『西中国山地』桑原良敏)。
作業道終点から植林地を東へ登ると、南から上がる山道に出た。そこからほどなく床越に出た。鬼ヶ城山から下りる登山道は、東へ稗原峠へ下りる。峠には松の木峠と飯山を示す道標がある。山道を進み、出発点の林道に出た。
ウワミズザクラ |
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ムラサキケマン |
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ツボスミレ |
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シハイスミレ |
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スミレ |
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ヤマグワ |
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キケマン |
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ワサビ |
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アサクラザンショウ |
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ヒトリシズカ |
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トチノキ |
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ネコヤナギ |
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マムシグサ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
鬼ヶ城山北の冠高原には石器製作遺跡の冠遺跡群がある。旧石器時代には、ここで石器を製作していたが、縄文期になると、原石を運んで、それぞれ現地で石器を製作するようになる。
鬼ヶ城山近辺には6つの旧石器・縄文遺跡がある。お鉢山遺跡A地点は安山岩原石の露頭地である。飯山には大河遺跡があり、安山岩の剥片が出土している。
松の木峠から寺床付近まで黒ボク土があり、縄文期に山焼きが行われたと考えられる。冠山南登山道の尾根は縄文人の通路であったと思われる。
松の木峠から南へ黒ボク土がつづき、鬼ヶ城山北の黒滝山付近まで達している。黒滝山の東側に、お鉢山遺跡がある。
松の木峠から南へ延びる尾根で山焼きが行われ、縄文時代から人々の出入りがあったと考えられる。
鬼ヶ城山周辺の縄文遺跡
★冠遺跡(旧石器・縄文早期)
石器製作遺跡
★飯山貯水池遺跡(縄文土器・石鏃)
縄文土器・石鏃
★お鉢山遺跡(5地点・旧石器・縄文・弥生)
翼状剥片・安山岩原石露頭地
★頓原遺跡(旧石器・縄文早期)
原産地における石器製作遺跡
★焼山遺跡
黒曜石石鏃
★汐原遺跡
★半坂遺跡(縄文早期・土壙)
★石原遺跡(弥生・縄文)
●飯山(イイヤマ)
i
大河遺跡から安山岩の剥片が出土。
●針山川(ハリヤマカワ)
●鬼ヶ城山(オニガジョウヤマ)
(岩の中央が裂けている)
「鬼ヶ城山という呼称は、昔も今も変わらない。山名の由来は…鬼ヶ城という岩に起因して名付けられており、…飯山、針山、中道の村人は、動物の住んでいる洞穴のことをジョウと呼んでいる。羅漢山の広島県側にある巨岩にオオカミ城、キツネ城、タヌキ城という呼称があるように鬼ヶ城山というのは『鬼の住んでいた洞穴のある山の意』と解してよい」(「西中国山地」桑原良敏)。
●相波川(アイナミガワ)
●段の原(ダンノハラ)
●床越(トコゴシ)
●稗原峠(ヒエハラタオ)
カシミール3Dデータ
総沿面距離14.7km
標高差537m
区間沿面距離
飯山
↓ 2.7km
鬼ヶ城山
↓ 1.5km
相波峠
↓ 4.1km
車道
↓ 2.7km
段の原
↓ 1.8km
稗原峠
↓ 1.9km
飯山
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