山歩き

立戸…築山…大岡山…広石
2012/10/27

立戸…夏ノ地蔵…コジュウロウ…861P…築山…923P…792P…大岡山…広石…立戸

■築山(ツキヤマ)1006.9m:島根県鹿足郡吉賀町立戸(幅井谷国有林)(点の記 点名:立戸=タイド)
■大岡山(オオオカヤマ)896.8m:島根県鹿足郡吉賀町広石(点の記)
■金五郎(キンゴロウ)313m:島根県鹿足郡吉賀町立戸(点の記)

スポーツ公園入口
金五郎三角点
グランドから見た大岡山
グランドから見た高津川の南から延びる出崎
グランドホーム側から築山林道に入る
立戸川とタキガ谷の合流点
タキガ谷右岸の地蔵尊
築山林道 植林地の石垣
谷の合流点付近
炭焼跡
岩壁の滝
861ピーク
植林地とササ尾根のブナ
築山三角点
白旗山
ヤブ尾根を下る
尾根分岐の植林地
保安林の尾根
尾根を塞ぐ巨石
大岡山
登山道の大岩
ロープ張られた登山道
登山道から見える高津川の出崎 立戸
登山口の柏前バス停 奥に登山口の道標がある
広石から見た築山の峯
大谷原古墳
八幡宮社殿
八幡宮の大銀杏
金五郎の灯篭 国道そばのスポーツ公園入口
6:25 立戸スポーツ公園  曇り 気温10度
 

6:30 313m三角点=金五郎
6:45 夏ノ地蔵
7:05 スキビヒラノ谷
8:50 861P
9:30 築山
10:05 923P
10:45 792P
11:30 大岡山
12:35 柏前バス停
12:50 大谷原古墳群
13:05 立戸八幡宮 
13:25 金五郎の灯篭  
13:30 スポーツ公園

 スポーツ公園の駐車場を出発。建物の北側のグランドのセンターフェンスに313m三角点がある。点名は金五郎。グランドから霧に霞む大岡山が見える。グランドのホーム側に回ると、高津川南の出崎がグランドに浮かぶ島のように見える。

 ホーム側から植林地の築山林道に入る。右側に石垣があり、ユズが栽培されていた。林道築山線の標識のところの小道から谷に下りてみた。小道は立戸川とタギガ谷の合流点に出る。この辺りの右岸を「夏ノ地蔵」と呼ぶが、目立つものは無かった。

 林道に戻り少し進むと、タキガ谷で林道が分かれる。タキガ谷右岸に小さい地蔵尊があった。その向かいに「築山登山口→」の小さい道標があった。築山林道を進む。植林地の下に石垣がある。登山口がはっきりしないままスキビヒラノ谷とコジュウロウの谷の分岐付近に出た。林道はスキビヒラノ谷の左岸に上がっている。

ユズ
オトコヨウゾメ

 谷を渡ると、山道がコジュウロウの谷に上がっていたので入ってみた。谷に沿って目印のテープが続く。右の谷へ進み、ガレ場でテープが消えるが、右岸を巻くと谷道に出る。テープは左の谷へ続いていたが、右の谷に入る。炭焼跡の石垣があった。谷を岩壁の滝が塞ぐ。左岸を巻き、谷の水源に入る。

 笹薮を抜けて861ピークに出た。植林地のササ尾根にブナが点々とある。尾根に出てから40分ほどで築山。湿った風が吹き付ける。目の前は大展望だが、雨雲で霞む。白旗山から鹿足河内の峯が続く。早々にササ尾根の薮を下る。植林地に出ると、道はスギビヒラノ谷の左岸の尾根に続いている。

 植林地の南の尾根を進む。この尾根はササ薮が多い。923ピークの南に「平成17年度保安林改良事業施工地」の看板があった。築山の西尾根にブナがあるが、こちらには無いようだ。792ピークを過ぎた所で、尾根を大岩が塞いでいた。

サルトリイバラ
ミツマタ

 岩場を二ヶ所通過して、植林地の大岡山に出た。ここからは山道が西へ通っている。急な尾根道にはロープが張ってある。大岩の横を通り、小谷を渡る。ここにもロープがある。林の間から高津川曲流点の立戸の出崎が見える。植林地と竹林を抜けて民家の横に出た。登山口に柏前のバス停があり、奥に大岡山登山口の道標がある。

 広石から、先ほど通った861ピークと築山の尾根が見える。民家の間の車道を進み、道標のとおり大谷原古墳に寄ってみた。そこから車道に出て、立戸八幡宮(1285年の創建)に入った。樹齢650年の大銀杏の奥に立派な社殿がある。

 社殿からの帰り、地元の人に「金五郎岩」を尋ねた。地元では「金五郎の灯篭」と呼んでいた。国道187号線からスポーツ公園に入る角に灯篭がある。「金五郎の灯篭の所から大岡山の三つ岩のヤクロジカに矢を放った伝説があるが、遠すぎて届かないよ」と言っておられた。

 高津川の北の先端に立ってみると、川は淀んでいた。立戸川は円入橋を通り、淀む高津川に合流している。高津川左岸の先端の川原は草薮となっていた。金五郎の灯篭の横に岩が一つ置いてあった。

ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
シロダモ
シロダモ
ヒサカキ
コムラサキ
シャクチリソバ
サイヨウシャジン
アキノキリンソウ
 
ばいばいフヒタ 立戸橋東
遺 立戸橋東


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 周辺は遺跡が多い。縄文から近世につながる遺跡もある。縄文時代に成立した地名が現代に引き継がれていると考えられる。


周辺縄文・弥生・古墳などの遺跡

★立戸遺跡(立戸嶮土畠)
 弥生土器・石鏃

★堂面遺跡(注連川)
 縄文土器

★光長遺跡(注連川)
 弥生土器
 土師器(古墳)

★河内遺跡(コウチ・注連川河内)
 石器・打製石斧(縄文か弥生)
 須恵器(奈良)
 須恵器・青白磁(11〜12世紀)
 青磁・白磁(15〜16世紀)
 陶磁器(近世)

★河口遺跡(広石河口)
 磨製石斧(縄文〜弥生)

★平田遺跡(広石平田)
 弥生土器

★大谷原古墳群(広石大谷)
 古墳
 碧玉製管玉 メノウ製勾玉 鉄刀 鉄鏃

★土居遺跡(広石土居)
 古墳時代
 須恵器 土師器

★五味田遺跡(ゴミタ) 六日市野中
 縄文土器(晩期)
 石鏃

★迫遺跡(サコ) 六日市久保田
 サヌカイト片(縄文か弥生)
 須恵器(古墳)

★田丸遺跡(タマル) 真田田丸
 縄文土器

★星坂遺跡(ホシザカ) 田野原星坂
 縄文土器・弥生土器
 石鏃・石斧(縄文〜弥生)
 石包丁・石錘(弥生)

★九郎原T遺跡(クロウバラ) 九郎原溝手
 縄文土器(早期・後期・晩期)
 石錘・スクレイパー・石斧・石鏃(縄文か弥生)
 弥生土器・磨製石剣・石剣状石製品
 
★九郎原U遺跡(クロウバラ) 藏木九郎原
 縄文土器・石斧

★沖番遺跡(オキバン) 六日市九郎原沖番
 打製石斧・サヌカイト(縄文か弥生)

★藏木観音堂下遺跡(クラキカンノンドウ) 藏木利光
 石匙未製品・石斧
 弥生土器

★旧役場屋敷遺跡 藏木藤根
 石鏃


●スキビヒラノ谷
 

●築山(ツキヤマ)
 
 
 出ている所とは立戸の半島地形で、後戻りするとは川の曲流をあらわす。

●注連川(シメガワ)
 

 下の地形分類図に、高津川の両岸に旧河道がある。これらは泉であったと思われる。

高津川曲流部の北端
淀む立戸川 高津川合流点
立戸橋から見た立戸川

●立戸(タチド・タイド)
 

●立戸川 タチドカワ 
 

 築山の所在地は立戸で、点名は立戸=タイドになっている。タチド・タイドの両方の呼び名があったのかもしれない。

●コジュウロウ
 

●夏ノ地蔵(ナツノジゾウ)
 

●タキガ谷
 

●金五郎(キンゴロウ 313m三角点名)
 

●大岡山(オオオカヤマ)
 

 

●広石(ヒロイシ)
 

●光長(ミツナガ)
 

 光長は曲流地形。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離10.7km
標高差724m

区間沿面距離
立戸
↓ 4.0km
築山
↓ 2.9km
大岡山
↓ 1.8km
広石
↓ 2.0km
立戸
 

 
 
 
 
 
@国土交通省地形分類図+カシミール3D

注連川のF=扇状地は河内川が形成
国土交通省地形分類図凡例
 
A立戸付近の段丘面=TkU面は最終氷期後期の段丘
(3万年から1万年前)
 『中国山地西部、錦川水系・宇佐川における河川争奪』(山内一彦・白石健一郎)から

 立戸の北にTkU面がある(灰色のベタ部分)
 
第10図の説明(『中国山地西部、錦川水系・宇佐川における河川争奪』から)
 
六日市の遺跡

沖場遺跡発掘調査報告書』から
(注連川地区県営圃場整備(担い手育成型)事業に伴う 埋蔵文化財発掘調査報告書 平成12年3月 2000年)
 
  
築山から
           白旗山                                   小五郎山        鹿足河内
シゲフジ橋から
            861P                        築山                     923P       
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より