6:30 林道入口 曇り 気温15度
アケビ |
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8:05 林道終点
8:50 弥畝山
9:05 遊歩道
10:00 展望小屋
10:25 登山口
10:55 アマツツミ
13:10 空山
13:35 山道から東尾根へ
14:15 水越峠
15:10 林道入口
佛谷橋の東の林道入口を出発。雲が掛かり雨がぱらつく。林道入口に「畜魂碑」がある。ホトケ谷川口に10棟ほどのビニールハウスがある。中ノ谷を渡り、スギ林を進むと大きい実を付けたヤマナシの木があった。木の上の方の枝が折れて葉が枯れ、林道に枝が散乱していた。幹に爪痕があり、クマが食べた痕のようであった。
スギ林の下に石垣が残っている。谷沿いにツルヨシが群生する。植林地のタジン原を進む。谷を渡るコンクリートの橋は沈下橋となっている。保安林許可標識に「日本製紙木材」の名称がある。谷沿いに一本だけトリカブトが咲いていた。林道の奥に入ると、キバナアキギリがある。
ヤマナシ |
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地形図の終点から、さらに奥に林道が入っていた。1時間半ほどでスギ林の林道終点に着いた。林道は弥畝山南の直下まで入っていた。ホトケ谷水源に下りて少し進み、弥畝山の西に上がる小谷を登った。小谷を進むと、谷の分岐に岩尾根があり、右の水源を進む。100mほどササを漕いで尾根に出た。林道終点から30分ほどであった。
尾根の薮を分けて進み、間もなくササを刈った山頂。林の中で展望はない。この山頂は961ピークの西寄にある。山頂からは、はっきりした踏み跡がある。山頂から20分ほどでイヤムネ峠の北の広い遊歩道に出た。イモハラゴシノ谷側に少し下るとブナの巨木があった。周囲4.7mで、折れた太い枝が幹の間に引っ掛かっていた。イモハラゴシの谷から山道が上がっている。
戻って遊歩道を進む。この辺りがブナ道である。ブナ遊歩道の東側の小谷にもブナの巨木がある。遊歩道を進みススキ原に出た。空山が見える。「十文字山ブナ植物群落保護林」の看板がある。NTTのアンテナ鉄塔に出た。南から車道が上がっている。クロマツとススキの遊歩道を進む。弥畝牧場から煙が上っている。
アキチョウジ |
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電波反射板のある展望地を通っていくと、避雷針のようなアンテナが直立している。空山の右手にも見える。弥畝山に建設予定の風力発電の事前調査のためのようである。939ピーク南の展望小屋に出た。展望が良く、日本海に浮かぶ島が見える。
遊歩道を進むと、深入山、苅尾山、掛津山、大佐山、雲月山が見えてくる。長い木の階段を下り、車道のある登山口に出た。車道を弥畝牧場に向って上がった。NTT鉄塔に上がる車道の先がトマリゴヤ谷の水源でアマツツミと呼ばれるところである。
アマは高い所、ツツミは池の方言で、芋原の老人はアマツツミでジュンサイを採っていたと言う(「西中国山地」)。
サンヨウブシ |
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アマツツミへ下りた。左岸は薮の湿地、右岸は小木の薮である。右岸を進む。所々、沼地のような水溜りがある。薮を進むと両岸を林が覆うようになる。水源に作業道が東側から下りていた。水源の抉れた谷の斜面を見ると黒い土であった。水源から尾根を進むと林道に出た。電波反射板の手前で空山に上がった。山頂はササ薮の中で展望は無い。
東の尾根を進むと、西側に山道が通っていた。4年前には無かった道で作業道のようであった。山道は1036三角点の西を通り、尾根の途中から北へ下りていた。山道を分れ東の尾根を下った。この尾根には大きいブナが見られる。峠の手前にドラムカンを二つつないだクマ捕獲用のワナがあった。「学術調査中」と書かれた紙が貼ってあった。山道から40分ほどで水越峠に出た。
峠に大きいブナがある。ツリフネソウ、シラネセンキュウ、オタカラコウの咲く植林地の車道を下る。スギ林の中に石垣がある。赤谷水源にゴギが居る。ヤゲンジ谷は伐採されていた。1時間ほどで峠道を下った。
アキノキリンソウ |
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ツリガネニンジン |
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ホクチアザミ |
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マツムシソウ |
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ヤマシャクヤク |
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ミズタビラコ |
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オオバショウマ |
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ガマズミ |
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サラシナショウマ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
●空山(ソラヤマ)
山頂と牧場地周辺は黒ボク土で、縄文期に山焼きが行われ、ススキ草原が広がっていたと考えられる。ススキ草原の周りは、ブナ−ミズナラ群落、クリ−ミズナラ群落の林であったと思われる。
西中国山地細見谷上流に「ザザラのタキ」がある。十方山南西尾根の末端部の支尾根が細見谷に落ちている。支尾根の末端が岩棚になっている。
出雲弁「さらて」は「新雪」のことで、「雪が新しく積もって足跡や轍が一切ない状態」を言う。
●千畳敷(センジョウジキ)
アマツツミ東の平坦地を千畳敷と呼んでいる。
●トマリゴヤ谷
●天ツツミ(アマツツミ・トマリゴヤ谷水源)
「アマツツミ」は方言で「高いところの池」の意である。西中国山地では、山の高い所にある池の呼び名はいろいろあるようだ。オオノ池(一兵衛山南)・雨池(柏原山北)・バア堀(サルサガ池 向山東)など。
●芋原(イモバラ)
マスは匹見町道川まで遡上している。赤谷に遡上した可能性がある。
石見弁「イ」→「エ」の転訛。
「ええきび」(いい気味)・「ええでな」(いいですよ)・「ええのう」(いいよね)・「ええけえ」(いいよ)。
出雲弁「えもあめ」(芋飴)。
●フケノキリ(芋原・佛谷橋付近の字名)
「本調査地点は島根県美濃郡匹見町大字道川イ619番地に所在する。その地点は水田と化されていて、地名を泓ノ切(ふけのきり)といい、泓とは、この地方の方言で湿地をいう。よって、本調査地点をこの字名を附して「泓ノ切」調査地点と呼称することにする」
「対岸の南西側10mの水田跡には平家の落人といわれる土左岡藤左衛門がそこに来地、最初に稲の種を三粒まいて開拓の第一歩をなしたという稲作起源の三粒田伝説が今日に伝えられ、その当人の墓といわれるものが対岸南東30mの山裾近くに今も残っていることから、この地が少なくとも中世以降、人々の営みがあったことを証拠付けられる」(『匹見町内遺跡詳細分布調査報告書[』)。
●ホトケ谷
赤谷水源にゴギが居る。
●弥畝山(ヤウネ・イヤウネ)
「イヤムネ峠は、芋原の呼称である。程原の村人は芋原越(イモハラゴシ)と呼んでいる」(「西中国山地」)。
●十文字山
弥畝山へ上がる遊歩道周辺の山は、「十文字山ブナ植物群落保護林」「十文字山国有林」と呼ばれている。
西中国山地のブナの方言に「ノジ」「ノジイ」がある。
星のアイヌ語は「ケタ」「ノチウ」がある。「ケタ」はヒシの実が星型をしていることからきている。ブナの実(殻斗)も星型をしており、アイヌ語「ノチウ」の音が重なる。
周辺の山はブナ−ミズナラ群落であり、縄文期にブナの多い山であったと考えられる。ブナ遊歩道周辺とアマツツミ水源の谷に巨ブナがある。
カシミール3Dデータ
シラネセンキュウ |
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総沿面距離17.4km
標高差408m
区間沿面距離
芋原
↓ 3.9km
弥畝山
↓ 7.7km
空山
↓ 2.3km
水越峠
↓ 3.5km
芋原
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