6:20 キリンボウ林道 晴れ 気温12度
ミゾソバ |
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7:50 カミヌクイ谷水源
9:00 嶽
10:10 964P
11:20 虫送峠
11:40 ウツナゴヤ
12:10 シリダカ
12:35 タキガサコ
12:45 キリンボウ
気温12度で肌寒い。191号線からナナメ橋東の林道に入る。「林道キリンボリ線」の看板がある。キジ・ヤマドリの捕獲禁止区域の看板もある。林道はキリンボウの谷に下りる。右岸に渡ると、砂利道からコンクリートに変わる。谷にイヌブナがあった。左岸は植林地である。
水源の水溜りに魚影が走る。ゴギのようであった。林の間から日の射す高岳が見える。林道の分岐に出た。西の尾根に入る林道は桑木谷水源の1000m峯に向って延びている。林道がくの字の曲がる所がキリンボウの鞍部で、そこからヌクイ谷の水源を林道が通っている。
アケボノソウ |
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前方に嶽が見えてくる。平成18年度保安林の看板を過ぎると、ススキに覆われた林道はカミヌクイ谷の水源を下る。地形図では林道は西の尾根に延びて赤谷に達している。林道から離れ嶽西の直下の谷に入る。この小谷は薮と倒木の谷である。左岸の小尾根を登る。高さ数メートルほどスギの植林地の山である。
振り返ると、1000m峯の左手に岩倉山、広見山、中ノ川山、天杉山が見える。薮尾根を登ると、山頂直下に大きいブナがあった。ササを分けて山頂に出た。ササに覆われた山頂は三角点が見えない。4年前の4月には三角点が見え、展望が良かったのだが、この数年で薮と化したようだ。「陸軍」のセメント柱と三角点の周りのササを刈って一休みした。
オトギリソウ |
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ササ尾根を東へ進む。古いテープが残っている。964ピークの西に尾根を横切るように、ヒノキ谷とウツナゴヤ谷を結ぶ山道があった。アカマツの964ピークからスキーリフトのトップに出た。眼下に八幡盆地が広がる。八幡盆地は苅尾山、掛津山、大佐山、鷹ノ巣山の山々に囲まれている。土草峠の先に阿佐山山塊が見える。
スキー場トップから県境尾根に沿うスキーコースのススキ原を下った。苅尾山を正面に見ながら下る。途中から樹林に入るとアカマツが多い。山道に出ると、ここにも「陸軍」のセメント柱があった。そこからまもなく虫送峠の西に出た。峠の東側は広い平坦地である。柴木川が土砂で塞がれると、八幡盆地の水は容易に匹見川に流れ出るように思われた。
アキグミ |
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峠から匹見川水源に作業道が下りている。作業道が北側に回りこんだ国道下の、北から下りる小谷にゴギが居た。虫送峠から200mほどの所であった。ウツナゴヤ谷の国道下にもゴギが居た。薮の作業道は途中から伐採されていた。作業道が薮に変わった所で匹見川水源を歩いた。
タキガサコの手前で国道に上がった。タキガサコの谷は大岩が多い。ニオザイエキ付近の匹見川は緩やかな流れである。本谷鈩跡を通り、キリンボウに帰着。
ヒメアザミ |
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アキノゲシ |
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ツリガネニンジン |
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クロバナヒキオコシ |
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ノギラン |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
柴木川水源の八幡川は、古代には虫送峠を通り、匹見川に流れていた。
「カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである。また、匹見川と八幡盆地との間は不完全な分水嶺となっている虫送峠があり、これは川が流れていた痕跡とされる風隙と思われ両地域を連絡する河川がかつて存在したことを予測させる」(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。
「八幡盆地は標高750m〜800mで、西中国山地の中でも最も標高の高い盆地である。周囲は1000mを越す山々をめぐらし、かなり広い面積を占めている。
湖成段丘が780m〜810m標高にあることより、古八幡湖の水面は、800mから810m標高であった。
盆地内の泥炭層の花粉分析から…古八幡湖は二度に渡って出現した。
氷期または晩氷期に出現していた第一古八幡湖。第二古八幡湖の水が柴木川へ流出して、現在の状態になった」(「西中国山地」桑原良敏)。
第一古八幡湖は1.3万年前、第二古八幡湖は8000年前に出現した。八幡湖の水面は800〜810m標高まで達していた。湖があった時代、八幡盆地を囲む山々から流れる谷の水は、八幡湖に呑みこまれていた。
土壌図では虫送峠の西は厚層黒ボク土(Azo-2 茶色)、東は表層黒ボク土(Ysi-1 赤茶)である。約1万年前、縄文人は虫送峠で山焼きを行っていたが、峠の東側は第一古八幡湖の湖岸であった。この時、八幡湖は虫送峠から匹見川に流れていた。第一古八幡湖の湖岸は柴木川水源の八幡原にある「Ysi-1」土壌の外側に広がっていた。
第一古八幡湖の水が引き、8000年前、第二古八幡湖が「Ysi-1」土壌の内側に出現した。この時、八幡湖は柴木川に流れていた。7000年前頃から湖岸周辺で山焼きが行われ、「Ysi-1」土壌が形成された。
その後、古八幡湖の水が引き、八幡盆地の柴木川周辺に腐食質黒ボクグライ土(Ygh 紫)が形成された。
「八幡盆地のゴギは明治年間に、波佐川より移植したと伝えられている」(「西中国山地」)。
『芸藩通志』(1825年)に『鱒(マス)、石鮒(イシフナ)、呉岐(ゴギ)、立貝(タチガヒ)並に川小田村等の大川にあり』と記されており、太田川の水源である、現在の山県郡芸北町川小田付近には、文政年間(1818〜1830年)初期の頃ゴギが生息していたとの記録がある。
太田川水系には明治期の移植前からゴギが居たことになる。ハゼ科の淡水魚「カワヨシノボリ斑紋型」が、匹見川から虫送峠を越えて八幡盆地に入ったことから、同様にゴギも峠を越えたと考えられる。したがって柴木川のゴギは移入でなく自然分布の可能性がある。
虫送峠の直下200mほどの所の匹見川の水源にゴギが生息している。八幡盆地と匹見川が繋がっていた古代には、ゴギは峠を越えたと考えられる。ゴギが越えた峠は、サケ・マスも越えたと思われる。
虫送峠の東の柴木川川床で石斧採取されている。前期から後期の縄文尖頭器も採取されている。
●ニオザイエキ
匹見川の最も上流で発掘された石錘は出合原の田中ノ尻遺跡、蔵屋敷田遺跡からそれぞれ一つづつ出土した。これらは網用の錘と考えられている。
アイヌ語地名
★ichan-i イチャニ(伊茶仁・イジャニ)
★poro-ichan-i ポロイチャニ(ポロイサンニ)
★ichani イチャニ(漁川・イザリガワ)
★ni-o-ichan ニオイチャン
●キリンボウ
ニオザイエキ、キリンボウの谷の落口付近はサケ・マスの産卵場であったと考えられる。
アイヌ語地名
★kirikatchi キリカッチ 鮭の産卵場(kirpa)
★o-kirikap オキリカプ 川尻・鮭産卵場
●キリガ谷(八幡原)
アイヌ語地名
★o-kirikap オキリカプ 川尻・鮭産卵場
キリガ谷水源は810m付近であり、古代にはキリガ谷川口付近まで湖面であったと考えられる。「キリガ」と呼ぶ地名が古代から続くものであれば、サケ・マスが虫送峠を越え、遡上してきたと思われる。
●八幡原(ヤワタバラ)
虫送峠を越えて、サケ・マス・ゴギが越える八幡盆地は、食料の多い所であった。
●匹見川(ヒキミガワ)
八幡盆地から匹見川に流れていた時代がある。
アイヌ語地名
★e-kim-kar-utnay 川頭が・山の方・へ回る・ウツナイ川
★e-kim-oma-anruru エキモマ・アンルル
川頭が・山の方・へ入る・アンルル川
●嶽(ダケ)
出雲弁「タケ」は「高い」の意。用例「たけ所」。
福岡・鹿児島・青森も「タケ」
●長者原(チョウジャバラ)
長者原湿原での花粉分析の結果、古代には山焼きが行われススキ草原であったと考えられる。
カシミール3Dデータ
キンミズヒキ |
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総沿面距離10.5km
標高差340m
区間沿面距離
キリンボウ林道
↓ 4.3km
嶽
↓ 1.3km
964P
↓ 1.7km
虫送峠
↓ 3.2km
キリンボウ林道
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