山歩き

立野…黒ダキ山…十方尾根…下山林道
2010/2/7

立野…ゴロシのタキ…黒ダキ山…仏石…十方尾根…1067P…925P…ホトケ谷…下山林道…立野

■黒ダキ山(クロダキヤマ)1084.7m:広島県廿日市市吉和細見谷(点の記)

ササ尾根を上がる
城山と女鹿平山
イノシシの足跡が続く尾根
登山道合流点付近
小松原橋から上がる尾根の合流点
黒ダキ山
黒ダキ山
仏石
ブナの尾根を上がる
十方山南西尾根
岩峯の灰皿
岩尾根と右五里山
雪の尾根を下る
925ピーク北から見える黒ダキ山
ツガ林を下る
細見谷 V字滝とオオリュウズ
ホトケ谷
クロダキ谷
細見谷橋
 
6:35 立野(タチノ) 晴れ 気温−7度
 

7:45 774P
10:10 ゴロシのタキ
11:05 黒ダキ山
11:40 仏石
12:10 十方尾根
13:00 1067P
14:15 925P
15:45 ホトケ谷
17:00 下山林道
18:00 立野


 立野キャンプ場付近を出発。細見谷橋入口は除雪された雪で覆われている。下山林道の雪は少ない。途中から山に取り付く。雪の少ない山の斜面はササが立ち、葉の上に新雪が乗っている。40分ほどで尾根に出た。城山の先に見える女鹿平山に日が射す。

 新雪が20cmほど積もっている。キツツキのドラミングが間隔をおいてこだます。774ピークから北西にまっすぐ進む。ミズナラに寄生したヤドリギが黄色の実を付けている。尾根にイノシシの足跡が続く。3時間ほどで下山林道の登山道から上がる尾根に到着。

 左手に冠山が見える。小松原橋から上がる尾根と合流するところに赤い灰皿がある。その先からやせ尾根が続く「ゴロシのタキ」である。東面は懸崖となっており、絶好の展望地である。垂れ下がったリョウブの実が残り、青い葉のヤマグルマは花のような実を残している。

ヤドリギ

 前方に黒ダキ山の懸崖が見えてくる。左手に冠山が見える。4時間半ほどで黒ダキ山。山頂に赤い灰皿が覗く。展望は林越となる。西へ下り20分ほどで仏石、大きい墓石のように見える。下山林道の終点が右手に見える。ブナ林のゆるやかな尾根を上がり十方尾根に出た。

 十方尾根はまだ深い雪であった。十方山南西尾根を下る。タキワケ谷右谷とホトケ谷の鞍部から急な尾根を登ると展望地に出る。黒ダキ山の後に立岩山があり、細見谷南尾根の上に冠山が見える。ロクロ谷は平坦な山端を上がっている。眼下にホトケ谷が細見谷へ下りている。

 岩尾根を進むと赤い灰皿があり、その先に岩峯がある。その辺りが1067ピークのようだ。細見谷への展望が素晴らしい。五里山、1158ピーク、京ツカ山、焼杉山への展望が続く。岩の峯を進むと南西尾根末端の岩のピークに出る。ここから見ると大きく見えるキュウラカンザンのとなりにオソラカンザンがある。

ヤマグルマ

 末端の岩峯から南に下った。南へは三つに尾根が分かれている。東側の尾根の急坂を下った。下っていくとアセビの枝が尾根を覆い、歩きにくい尾根道となる。分岐の岩峯から1時間ほどで925ピークに出た。尾根を覆う潅木に手間取りながらホトケ谷に出た。ホトケ谷へ降りる尾根の末端は崖となっており、ホトケ谷の上流側かオオリュウズの上に降りる方が山が緩やかである。

 雪で覆われたV字滝の先にオオリュウズが見える。ホトケ谷からジグザグ道を上がるが山の斜面に雪は無かった。黒ダキ山から降りる尾根を横切り、クロダキ谷に降り下山林道に出た。林道もこの時期にしては雪が少ない。1時間ほどで立野に帰着。

アセビ
アカマツの爪痕
ゴジュウカラ




地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 「黒ボク土 人が作った土?

 火山灰は岩や砂に比べ粒子が細かいため風化が早く、この土の黒い部分は、だいたい100年から1000年くらいでできてしまうと考えられています。また黒さは腐植という、植物が腐って土に返った成分が多いことに由来しています。
 さて、この黒ボク土の生成には、1万年以上に及ぶ、かつての人間の活動が反映されているといわれています。これは、たとえば土の中に残っている植物ケイ酸体という、植物の中で作られ、さらに植物の種類ごとに固有の形を示す鉱物を調べるとわかるようです。

 すると、現在の黒ボク土の中にも、過去の火山噴火ですでに埋もれてしまった深い所の黒ボク土の中にも、草本類に由来する植物ケイ酸体が、非常に多く見つかるのです。これはこの土ができる間のかなりの期間において草原であったことを示しています。

 しかし日本の気候帯から考えると、最後は木本類が卓越し森林に達するはずなので、草原が長く維持されたというのは自然ではありません。つまり、森林に至らず長きに渡って草原が維持されるためには、何らかのかく乱が必要だったはずです。その一つとして森林破壊や火入れなどの、人間の生活活動がかかわっていたというのが、現在の有力な説です」(国立環境研究所HP・村田智吉)。



 西中国山地の山すそや尾根に黒ボク土が点在する。冠遺跡群の黒ボク土は厚さ70cmで1万年前にさかのぼる。冠高原の黒ボク土の植物珪酸体分析がおこなわれた。

 「K−Ah(アカホヤ火山灰・6300年前)の降灰層準にかけては…この時期にはススキ属やチガヤ属、キビ属などが生育する草原植生が成立したと考えられ…これらのイネ科植物は陽当たりの悪い林床では生育が困難であり、ススキ属やチガヤ属の草原が維持されるためには定期的な刈り取りや火入れ(焼き払い)が必要である。このことから当時は火入れなど人間による何らかの植生干渉が行われた可能性が考えられる」(『冠遺跡群[』2001)。

 吉和川沿いや長者原林道沿い、県境尾根の黒ボク土は縄文人のススキ原への火入れによって形成されたと考えられる。五里山県境尾根の黒ボク土域の植生に「ススキ群団」がある。

五里山県境尾根の黒ボク土(島根側はデータなし)
(カシミール3D+国土交通省土地分類調査土壌図)
1158ピーク尾根周辺の黄色がススキ群団
(カシミール3D+環境省6回・7回植生図)



●ゴロシのタキ 


 セト谷左谷の枝谷を登ると尾根の懸崖にぶつかる。この懸崖が「ゴロシノタキ」と呼ばれている。

 懸崖の上の尾根は展望地となっており、十方山への展望があり、眺めの良いところである。


●クロダキ山
 

 クロダキ谷を登ると黒ダキ山東の懸崖の下を通る。西中国山地では懸崖を「タキ」と呼ぶことからこの山名がある。

 この山はクマの痕跡が多い。登山道にはクマ糞があり、尾根のアカマツには珍しく松脂を食べた食痕が残っている。昔からクマの出る山であったのかもしれない。


●仏石(ホトケイシ)
 

 

●沼長トロ山(ヌマナガトロヤマ・ナガトロ)
 

●沼ノ原(ヌマノハラ) 
 

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カシミールデータ

総沿面距離11.8km
標高差565m

区間沿面距離
立野
↓ 4.2km
黒ダキ山
↓ 4.0km
ホトケ谷
↓ 0.9km
下山林道
↓ 2.7km
立野
  

 
 
 
黒ダキ山周辺の土壌図
カシミール3D+土壌図(国土交通省土地分類調査・土壌図 赤茶が黒ボク土)
ゴロシのタキから見た十方山
黒ダキ山と立岩山
冠山と細見谷南尾根 右端はロクロ谷
五里山と1158峯
キュウラカンザンとオソラカンザン 手前は焼杉山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より