山歩き

伴蔵川…ジャノウツ谷…左谷…ジャノツ谷
2009/9/19

一軒家…伴蔵川…54番鉄塔…登山道…スナジ谷…スケジ谷…登山道…ジャノウツ谷…左谷…1164P…ジャノツ谷…ジャノウツ谷鞍部…登山道…54番鉄塔…フカ谷の橋…一軒家

■ジャノウツ山(ジャノウツヤマ)958m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(平家三角点の点の記の所在地) (廿日市市)

冠山トンネル換気塔(PCB汚染物保管場所)
フカ谷の橋
伴蔵川
54番鉄塔
火の用心と書かれた赤いドラム缶のある登山道
石のスナジ谷
スナジ谷の安山岩
スケジ谷のワサビ田跡を登る
ジャノウツ谷鞍部
急なジャノウツ谷を下る
破砕された白い岩が目立つ ジャノウツ谷
ジャノウツ谷入口を通る林道
ヒダリ谷入口
ヒダリ谷上部ワサビ田跡の石垣
1164ピーク
ジャノツ谷
ジャノツ谷のワサビ
ジャノウツ谷鞍部に上がる谷
53番鉄塔から52番鉄塔をみる
フカ谷に架かる橋
6:05 一軒家 晴れ 気温9度
 
アケボノソウ

6:25 フカ谷の橋
7:45 54番鉄塔
7:50 登山道(赤いドラム缶)
8:50 スナジ谷・スケジ谷分岐
9:45 ジャノウツ谷鞍部
10:25 左谷入口
12:20 1164P
14:15 登山道(ジャノウツ鞍部)
14:30 54番鉄塔
14:50 フカ谷の橋
15:10 一軒家(一軒屋)
 
 
 気温が10度を割った一軒家を出発。伴蔵川沿いのアキノキリンソウ、キンミズヒキが咲く道を進む。大きい白い建物が見えてくる。赤い字で「PCB汚染物保管場所」と書かれた西日本高速道路の標識がある。冠山トンネルの換気塔のようだ。

 周辺にはクマシデ、クマノミズキ、オオバヤシャブシ、クリノキが実を付ける。フカ谷の橋の手前で伴蔵川に下りた。伴蔵川は岩盤の谷である。冠山噴火岩を浸食して出来た浅い沢である。50分ほどで冠高原の手前まで進んだ。そこからササ薮の尾根を上がった。

 深いササが続くと思ったが、少し上がると全くササが無くなり、歩きやすくなった。サワフタギ、オトコヨウゾメの実の生る林を登ると、ちょうど高圧線が通る54番鉄塔に出た。高圧線の下は伐採されており、見通しが良い。鉄塔線の先に換気塔の建物が見え、女鹿平山、日の平山、小室井山が見える。反対側は大将陣山が覗く。

クマシデ
シラネセンキュウ

 鉄塔から林を横切って西へ進むと赤いドラム缶のある冠山登山道に出た。スギ林を875ピークへ進み、スナジ谷へ下りた。スナジ谷は水の涸れた石の急な谷であった。「砂地」の谷ではない。下っていると冠高原にある安山岩とよく似た石があった。叩くとカンカンと良く響く。金槌で強く叩くと石の目に沿って真っ二つに割れた。

 スケジ谷の合流点まで下りた。そこは石積みの残るワサビ田跡であった。その辺りも水が涸れている。スナジ谷もスケジ谷も植林地の谷であり、そのため水が無いのか、あるいは冠山トンネルが地下を通っているので、それが原因かもしれない。ワサビ田跡があるので水流のある谷であったと思われる。

スナジ谷の安山岩 
叩くと石の目に沿って割れる
サワフタギ

 涸れた植林地のスケジ谷を登った。谷沿いに石積が残り、ワサビ田跡が続いている。登山道の下辺りまでワサビ田があった。40分ほどで登山道に出た。小山を登り切ると急な下りとなり、ジャノウツ谷の鞍部に出る。地形図を見ると、土滝山から下りる長い尾根はここで切れて小山を登る南東の登山道に続いている。

 冠山安山岩の流出後、冠山断層が活動し、常国からジャノウツ谷を通る断層とスケジ谷を通る断層が形成された。この断層は常国から頓原付近まで達している。尾根が切れているように見えるのはこの断層のためである。

 ジャノウツ谷を下った。この谷は小さいが急峻である。下るとワサビ田跡にワサビが葉を出していた。岩の谷を下っていくと、谷を砕かれたような白い石が覆っている。断層によって破壊された岩盤が脆くなったためであろうか。白い石はワサビ田跡を埋めている。トチの実でいっぱいのワサビ田もあった。

ジャノウツ谷の看板

 30分ほどで常国から上がる林道に出た。ジャノウツ谷の入口に「満州菩提樹 群生林は約300m」の看板が落ちていた。「広島県にはシナノキ属は少ないが、後冠山南尾根の山口県側のオオ谷にマンシュウボダイジュがある」(「西中国山地」)とあるので、菩提樹の群生林とは左谷の西側のオオ谷のことであろう。

 林道を進むと左谷に出た。林道はオオ谷側へ入っている。入口は石の谷であった。左岸、右岸に道がある。この谷も石積の残るワサビの谷であった。一番上のワサビ田の石積は950m付近まであった。スギ林の中のワサビ田跡であった。

オクモミジハグマ
コウモリソウ属

 小尾根を登り登山道に出た。カラマツ林のある1164ピークまで登り、ジャノツ谷を下った。ジャノツ谷は石の多い涸れ谷である。この谷もワサビ田跡の石積が残る。ワサビ田の中に大きなイタヤカエデの木があった。1時間半ほどでジャノウツ谷の鞍部に上がる小谷まで降りた。

 ジャノツ谷は元々この小谷の名であったと思われる。この小さい谷もワサビの谷であった。30分ほどで登山道に出た。鞍部から急な登りの登山道を進み、赤いドラム缶の所から東の林を抜けて54番鉄塔に出た。

 54番鉄塔から東の鉄塔に向けて山道が通っている。道を下ると53番鉄塔に出た。キンミズヒキ、ツリフネソウの道を下り、フカ谷の橋に出た。換気塔の横を通り、ススキの道を一軒家に下った。

冠山安産岩で作った鏃


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

●スナジ谷

 スナジ谷は「砂地」の谷ではない。石と岩の急な谷である。流れの早い谷であろう。

●スケジ谷

 この辺りにも冠山安産岩がみられるので、石器を製作していたのかもしれない。

●ジャノツ谷
(ジャノウツ谷の東側の谷のことと思われる)

●ジャノウツ谷
 

 



大将陣山西の地名

 
「ツネクニ」と呼ぶ地名は全国に三ヶ所ある(カシミール検索)。宇佐川上流の常国から十数キロ西の所に「常国」地名がある。宇佐川を下り、かつてつながっていた高津川を下ったところの大将陣山の西の九郎原にある。周辺は縄文遺跡が多く、石斧や鏃が出土している。

 「石西」地方は匹見・美都・益田・津和野・日原・柿木・六日市のことで、「冠山産安山岩は各時期を通してもっとも多く使われている石材。大型の石器も作られている」(『石西のあけぼの 石西の縄文時代』HP)と言う。

 このあたりの鏃や石製品はおもに冠山安産岩を使っていたと思われる。常国周辺の弓に関係ある地名を挙げてみた。




九郎原周辺縄文遺跡の出土物

★星坂遺跡(ホシザカ)
縄文土器・弥生石鏃・石斧

★旧役場屋敷遺跡
縄文石鏃

★蔵木観音堂下遺跡(クラキカンノンドウシタ)
縄文石匙・石斧

★沖番遺跡(オキバン)
縄文打製石斧・サヌカイト

★九郎原U遺跡(鹿足郡吉賀町蔵木 九郎原)
縄文土器・石斧

★九郎原T遺跡(鹿足郡吉賀町九郎原 溝手)
縄文土器(早期・後期・晩期) 石錘・スクレイパー・石斧・石鏃

★迫遺跡(サコ)
縄文・弥生 サヌカイト片

★五味田遺跡(ゴミタ) 
縄文土器・石鏃

★堂免遺跡(ドウメン)
縄文土器

★河内遺跡(コウチ)
石器・打製石斧

★田丸遺跡(タマル)
縄文土器・弥生石斧・皮剥・石鏃・敲石


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カシミールデータ

キンモンガ 食草リョウブ

総沿面距離12.8km
標高差477m

区間沿面距離
一軒家
↓ 2.4km
冠山登山道
↓ 3.3km
左谷落口
↓ 2.3km
1164P
↓ 4.8km
一軒家
 

 
大将陣山西の九郎原周辺の縄文遺跡 「島根県遺跡データベース」より
遺跡名称 所在地 時代 遺跡種別
星坂遺跡   鹿足郡 吉賀町 田野原 星坂  縄文 弥生 古墳   散布地  
田丸遺跡   鹿足郡 吉賀町 真田 田丸  縄文 弥生 古墳   散布地  
堂面遺跡   鹿足郡 吉賀町 注連川  縄文   散布地  
迫遺跡   鹿足郡 吉賀町 六日市 久保田  縄文 弥生 古墳 散布地  
九郎原I遺跡   鹿足郡 吉賀町 九郎原 溝手  縄文 弥生 古墳 近世 集落跡 その他の墓  
沖番遺跡   鹿足郡 吉賀町 九郎原 沖番  縄文 弥生 古墳 奈良 近世   散布地  
蔵木観音堂下遺跡   鹿足郡 吉賀町 蔵木 利光  縄文 弥生   散布地  
旧役場屋敷遺跡   鹿足郡 吉賀町 蔵木 藤根  縄文   散布地  
五味田遺跡   鹿足郡 吉賀町 六日市 野中  縄文   散布地  
九郎原II遺跡   鹿足郡 吉賀町 蔵木 九郎原  縄文 中世 時代不明   散布地  
河内遺跡   鹿足郡 吉賀町 注連川 河内  縄文 弥生 奈良 平安 中世 近世  散布地  

 

北海道アイヌの仕掛け弓(『アイヌ自製品の研究―仕掛け弓・罠―』宇田川洋)
糸に触れると矢が飛び出す

大将陣山西の九郎原周辺の地名と縄文遺跡
54番鉄塔から
995P(三角点平家)                  女鹿平山      日の平山               小室井山
ジャノツ谷のワサビ田跡のイタヤカエデ
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より