6:55 道の駅出発 晴れ 気温−1度
ヤブコウジ |
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7:05 中道川入口(出合橋)
7:30 針山
7:55 中道
9:00 峠
9:20 悪谷林道
10:10 尾根へ
11:55 グイメガ峠
12:45 鬼石山
13:45 横山
14:45 カゴ立岩
15:00 松ヶ峠
15:20 比丘尼ヶ渕
15:50 悪谷入口
16:10 道の駅
道の駅を出発。小瀬川沿いにマンサクの黄色い花が咲いていた。出合バス停を過ぎ、出合橋を渡って中道川に沿うスギ林の車道を進む。スギ林の中にシロモジの葉が残る。ウラジロガシの道を上がり、中電栗栖川発電所の取水口を過ぎると、民家がある。針山集落の端である。山へ入る道の入口に頼山陽の歌碑がある。有福温泉へ行く途中の詠という。
散歩していたおばあさんに、昔この辺りにカワシンジュガイを見たことがないか聞いたみた。津田から嫁に来たので知らないとのこと。針山には現在14軒あるが、多い時は60軒あったそうだ。
アテツマンサク |
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イチョウの木の先に水田の石垣があり、そこに廃屋があった。ビワの白い花が残っていた。針山のバス停の先にハリヤマ川が下りている。イチョウの大木があった。クリノキやコナラの道を進む。コ谷の川口は小さい平坦地がある。中道橋を渡ると、中道集落に入る。両岸に水田がある。
中道集会所を過ぎると、左岸に小滝のあるポチノ谷がある。少し引き返して地形図にある破線道に入った。谷を少し入ると、右岸に掘り下げた道が小尾根に上がっている。雑木林のクリ、ミズナラ、アカマツ、ホウノキ、コハウチワカエデ、イヌブナ、シロモジなどの落葉の道を進む。道はイノシシが掘り返した跡が続く。植林地を抜けるとモミの若木があった。クリの木のクマ棚が多い。
峠を越えると、ササに昨夜降った雪が残る。ほどなく悪谷林道に出た。小住事業地を過ぎると、津和野街道の道標がある。栗栖4.8kmとある。「史跡 石見津和野路石だたみ道」の標柱が立っている。林道を少し進むと、中国自然歩道の中道分かれ。浅い悪谷は谷の中までスギ林がある。西山貫兵事業区を通り、右岸の林道を進む。
山道の糞 シカの糞のようだ |
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林道の途中から地形図にある破線道の尾根を上がると、すぐに山道が横切っていた。山道を進むと、途中から横山の方へ上がって行くので、破線路へ引き返す。尾根道を進み、スギ林の谷へ下りた。右岸に道が見えたのでそこへ上がる。山腹を横切るジグザグの道を進む。イノシシではないシカの糞に似た糞がかたまってあった。鹿はこの辺りにいないはずだが。アラカシがあった。
グイメガ峠に出た。「右山道」「下浅原」「左中道」と書かれた石柱がある。浅原へ道が下りている。鉄砲の音が断続してこだます。ホィッスルを鳴らしながらスギ林を上がった。クリ、アラカシ、アセビ、ユズリハ、シロダモ、ヤブニッケイなどがスギ林の中にある。ササが無くなると棘の潅木やフユイチゴが葉を出す。ヤブコウジが赤い実を付けていた。
岩が現われてくると鬼石山である。岩の表面に筋があるものが多い。平坦なスギ林の山頂を通り、北へ進む。植林地の山である。鬼石山から1時間ほどで横山。尾根に土塁が続いている。珍しくキハダがあった。クリノキにクマ棚が残る。林間から大峯山が見える。横山から1時間ほどで津和野街道へ下りた。下りたところにイヌブナの小木があった。標高700mのところ。
街道を進むと「かご立岩」がある。藩主が岩の上に賀篭を下ろして休んだ所だと言う。かご立岩の植林地の中にシロモジの葉がたくさん残っていた。「三国横え」を過ぎると松ヶ峠の看板がある。地形図ではそこから西寄りが峠になっているが、間違いであろう。石段を下りて悪谷林道に出た。
林道を下って行くと、小谷が連続する所が、比丘尼ヶ渕である。比丘尼の伝説があると言う。比丘尼ヶ渕に左岸から小谷が下りている。谷沿いにヤマグルマがある。下っていくと、中電の水路橋があり、トチノキ、ケヤキの大木がある。下流はウラジロガシが多い。悪谷の入口は浅瀬となっていた。小瀬川を上がり、道の駅に帰着。
比丘尼ヶ渕に下りる小谷 |
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ウラジロガシ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。
東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。
(以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)
東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
周辺には冠遺跡、頓原遺跡、廿日市市地御前南町遺跡、上平良大原遺跡、円明寺遺跡などがある。
●米ノ餅山(コメノモチヤマ・鬼石山南西)
植生図(「第2回自然環境保全基礎調査」(植生調査・昭和53年、54年)によると、米ノ餅山周辺は「スギ・ヒノキ・サワラ植林」であるが、山頂周辺に「クリ−ミズナラ群落」「コナラ群落」が残っている。縄文期、ナラの林が広がっていたと思われる。
廿日市市地御前南町遺跡から、貯蔵していたと思われるシリブカガシがかたまって出土した。周辺にシリブカカシなど、ドングリ林があったと思われる。
●ヒナタゴヤ峠
「『防長風土注進案』秋掛村往還の項に、ヒナダコヤという地名が峠の山口県側にあったことが記されている。峠の名としてよく峠の向側の村落の名や谷の名を使う場合が多く広島県側の峠の呼称としては普通の用法であるし、山口県側としても峠の直下の地名であるのでこの名で通じると思う」(「西中国山地」桑原良敏)。
ヒナダコヤは山口県側の地名であるが、峠の東側をヒナタゴヤと呼んでいたと思われる。
ヒナタは峠直下、中道川水源の地名であったと思われる。
世界の南限である小瀬川のカワシンジュガイは、戦前は相当数が生息していたが、戦後、急激に減少し、1971年(昭和46年)に、佐伯町玖島の民家の庭の池に生きたカワシンジュガイが確認されたのが最後となった。その後、増殖のとりくみが行われ、2000年に蛇喰で体長5センチほどのカワシンジュガイが発見されている。
玖島にカワシンジュガイが居たことは、かつては中道川にも生息していた可能性がある。
小瀬川が縄文期から呼ばれているカワシンジュガイ由来の地名であるなら、次のようなアイヌ語地名が考えられる。
小瀬川の山口県側は美和町だが、この町名は村合併後の新町名のようだ。
カシミールデータ
ビワ |
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総沿面距離17.2km
標高差494m
区間沿面距離
道の駅
↓ 2.7km
中道
↓ 2.2km
悪谷林道
↓ 4.4km
グイメガ峠
↓ 1.8km
横山
↓ 6.1km
道の駅
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