山歩き

小多田…大峯山…北大峯…カリハタ
2008/12/7

下小多田バス停…県道大竹湯来線…四叉路…大峯山登山口…大峯山…峯太郎…963P…北大峯…カリハタ…小多田…下小多田

■大峯山(オオミネヤマ)1039.8m:広島県佐伯郡佐伯町玖島字大峰山の内一ノ尾山(点の記) (廿日市市)
■北大峯(キタオオミネ)891.3m:広島県佐伯郡湯来町大字多田字大谷大峯(点の記) (広島市)

カシワギ川沿いの民家
大峯山 小多田バス停付近
柳原橋から見える塩石山
県道を上がる
左 小室井山 右塩石山
四叉路
スギ林の中にシロモジの葉が残る
大峯山登山口
山頂直下の祠
北側の縄梯子
北大峯

西大峯

瀬戸内海
ミズナラのクマ棚
峯太郎ブナ
北大峯三角点
カリハタ
8:20 下小多田バス停出発 晴れ 気温0度
 
ナンテン

8:30 小多田
9:25 四叉路
10:30 登山口
11:15 大峯山
12:10 963P
12:35 小栗山
13:25 北大峯
15:20 カリハタ 
16:00 小多田
16:10 下小多田バス停


 ノーマルで入れる所まで入る。下小多田バス停を出発。道は半分凍っている。東側から民家のあるカシワギ川が下りている。西法寺は上の方にある。小多田集落を通り、小多田バス停で道が分かれる。エロウジノ谷に上がる恵朗寺線は「この先行き止まりです」と書いてある。ここから大峯山が見える。県道42号線の大竹湯来線を上がる。道路標識には「Yuki Town Kotata」となっている。

 高圧線が東へ延びている。橋の下はツララが下がる。スギ林の県道を進む。柳原橋から北側へ展望が開け、湯来冠山手前の塩石山が見える。県道を登っていくと小室井山が見えてくる。オオハラ橋にオタダ川とある。

 広い四叉路に出た。「太田川林業地基幹線」の看板がある。ここから県道を離れ、大峯山に向ってスギ林を登る。スギ林の下は枯れた葉を付けたままの小木が多い。どれもシロモジばかりである。大峯山の全体にシロモジが多かった。

 「東西の主稜より北斜面にかけてシロモジが多く、西大峯山のツヅラガ谷の上部にもかなりの範囲でシロモジの純林がある。シロモジは芸北、備北山地では見かけないが、広島県南西部の山地には多い。純林を形成しているのは大峯山だけのようである。大峯山のブナ(クリ)−シロモジ群集は、特異な植生として注目されている」(「西中国山地」桑原良敏)。

スギ林のシロモジ
シロモジ

 スギ林の中に鋼のロープを巻かれたサクラの大木があった。間伐による倒木の多い山である。尾根筋にはアカマツが続く。上の林道に出ると「大峰山」の登山口であった。山頂まで700mとある。登山道を登る。「長命水」を通り、祠のある山頂下に出た。林間から雪の山々が見える。道標に従って北側へ回ると、山頂へ縄梯子が取り付けられていた。

 山頂は360度、雪山の展望地であった。遠くは低い雲が下りている。北大峯の先に女鹿平山のスキー場が見えるが、十方山は雲の中。小多田の里の上にある湯来冠とその左手に立岩山、雲の掛かる冠山、西大峰の先の鬼ヶ城山、東側は阿弥陀山、東郷山、瀬戸内海、眼下に川上集落と井手谷山。

 山頂から西へ降り、尾根を進む。そこかしこのミズナラにクマ棚がある。東郷山で見た「物知博士」さんの樹木の説明板が取り付けてある。ほどなく峯太郎ブナ。

 「大峯山頂東端の一部に、ブナ・ミズナラが残っている。これは広島県内の分布南限地と思われる」(「西中国山地」)。

 クマ棚のある尾根を進む。大岩の所を通り、963ピークを過ぎた辺りから、北の尾根に進みスギ林を下る。こちらの林下にもシロモジの枯葉が多く残っている。

ナワシログミ
オオモミジ

 小栗山はミズナラ、アカマツの雑木林。下って行くと林道に出た。大峯山登山口から西へ延びる林道のようだが、笹で茂っている。ヒノキ林を上がり、アカマツの尾根を進む。大峯山から2時間ほどで北大峯。

 北側のヒノキ林を下る。アカマツ林の中に、茎にトゲのある常緑のナワシログミがあった。ほどなく四叉路から西に延びる車道に出た。この車道は大虫へ降りている。車道からアカマツの尾根を下る。この辺りからアラカシ、ウラジロガシが現れる。シロモジの葉も残る。ウリカエデかウリハダカエデか緑の幹が多い。

 小多田と大谷を結ぶ林道に出た。北側に鉄塔がある。東へ下るとカリハタへ林道が上がっていた。カリハタまで登った。この辺りはアカマツとスギ林になっている。太めの桜類が二本、小木が数本あった。そこから下っていくと小多田のバス停に出た。 

ヒイラギナンテン
ノイバラ
小多田バス車庫


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 楢原の佐伯・歴史民族資料館には、周辺で出土した縄文時代の石鏃(矢じり)、石鉾などが展示してある。

箕のを逆さにしたように見える中国自然歩道入口から見た大峯山 2007/3/11


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カシミールデータ

マンリョウ

総沿面距離12.1km
標高差608m

区間沿面距離
下小多田バス停
↓ 4.0km
登山口
↓ 0.9km
大峯山
↓ 2.6km
北大峯
↓ 2.5km
カリハタ
↓ 2.1km
下小多田バス停
 

 

雲が掛かる冠山と手前の板敷山 中央
                                         小室井山

                                                                         湯来冠

北大峯                                                 小多田集落
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より