山歩き

二軒小屋…ナエマン谷…恐羅漢山 2007/4/30
古屋敷…二軒小屋…ナエマン谷…恐羅漢山…旧羅漢山…旧羅漢山登山口…十方林道…二軒小屋…古屋敷

■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:山県郡戸河内町横川(点の記) 安芸太田町

恐羅漢山
古屋敷上流 右横川浄水場
シラカバ林の奥にナエマン谷が降りる
ナエマン谷右岸の石垣
林の中の小屋
ナエマン谷
ナエマン谷右岸の林
ナエマン谷

4.3mブナ

岩場から見る十方山
恐羅漢山
広見山
旧羅漢山
オオカメノキ
  シモミズコシのイワナ
民家下流付近
二軒小屋付近
7:20 古屋敷出発 晴れ
 

7:55 ナエマン谷
12:05 恐羅漢山
12:35 旧羅漢山
13:35 旧羅漢山登山口
14:45 二軒小屋
15:05 古屋敷

サンインマイマイ?

 古屋敷橋から横川川を上がった。右岸はスギ林に石垣があり、川沿いに水田があったと思われる。右岸にある横川浄化センター辺りの川底は掘り返され、車両の跡がある。おばさんがゼンマイを乾しておられた。シラカバ林を過ぎてスキー場へ上がる車道付近に、恐羅漢山からナエマン谷が降りている。

 ナエマン谷の堰堤を越えて上がると、右岸に石垣がある。ナエマン谷沿いにも水田があったようだ。石垣に沿って右岸に道がある。雑木林の中に小屋があった。右岸はスギ林の山である。まだ葉の少ない山の斜面に日が入ってくる。谷筋はヤグルマソウが伸びはじめている。エンレイソウも多い。ハウチワカエデの笠があちらこちらに伸びはじめている。

ヤグルマソウ
ハイイヌガヤの雄花

 トチノキの幼木も谷筋にある。谷はサワグルミが多いようだ。ハイイヌガヤの雄株が白い粉を巻き上げる。今の時期、この谷沿いに咲く花のある木はオオカメノキだけである。ヤマシャクヤクのツボミが膨らんでいる。クロモジが多い谷である。クロモジの若葉の葉裏に毛がある。

 「恐羅漢山、旧羅漢山は昭和三十年代の始め頃までは、全山ブナ−クロモジ群集の天然林に覆われた国有林の山であった。先ず東側が切られ、ついで南西の広見谷側が皆伐され、更に最近、中之甲側が択伐された。いま樹林が残されているのは、わずかに西面の亀井谷の水源帯だけという淋しい状態になった」(「西中国山地」桑原良敏)。

クロモジ

谷の境界石

 恐羅漢山東面が皆伐された後も、クロモジは残っていたのであろうか。1000mを越えた谷筋に「山」と書かれた境界石が埋められていた。谷の水が見えなくなると、潅木の谷に変わる。1100mを越えた所に、周囲4.3mのブナの巨木が残っていた。皆伐時に、伐採を免れたのであろうか。ブナが復活しつつある山であるのかもしれない。カタツムリの大きな殻があった。

 谷が潅木に覆われた所で左岸の尾根の、笹と枝の潅木を登った。谷よりは尾根の方が少しは楽なようだ。1200mを越えた所で見通しのある岩場に出た。そこから潅木を進み、ほどなく登山道近くの岩場に上がった。岩場から見ると、平太小屋原の東側の、スギ林を抜けた尾根筋に広いササ原があるのが見える。

タムシバ
ミヤマカタバミ

 恐羅漢山へ寄ってから、平太小屋原へ下った。鞍部にタムシバが咲いていた。鞍部の水溜りはカエルの卵塊でいっぱいになっている。トウモロコシのようなユキザサのツボミが出ていた。旧羅漢山の岩場で休憩した。

 十方林道へ下った。尾根筋の花もタムシバ以外は、オオカメノキだけであった。1時間ほどで十方林道に出た。日陰にはミヤマカタバミが多い。シモミズコシの谷の細い水路に魚影が走った。見ると小さいイワナである。この水路にもゴギが上がっている。まもなくこの水路は道路工事で壊されてしまうだろう。

 最奥の民家を過ぎた辺りで、パワーシャベルが唸りをあげていた。その辺りにあった雑木は跡形もない。二軒小屋では、もう一台のパワーシャベルが斜面を固めていた。林道の両岸は伐採され、上には石垣が見える。このような伐採道が細見谷を貫通するのであろうか。


地名考

上本郷のミツバウツギ

 戸河内上本郷のミツバウツギが咲き始めていた。恐羅漢山周辺の開花は2週間ほど遅いようである。亀井谷入口、亀井谷奥、那須辺りでは例年、5月半ばから20日にかけて咲いていた。今年も5月半ば頃の開花であろうか。


 「西中国山地」に言えることだが、恐羅漢山周辺の谷名と山名は、ほとんど一致する。

●トイシ川 砥石川山
●亀井谷 大亀谷山(恐羅漢山)
●丸子谷 丸子頭
●ヒコハチ谷 彦八の頭
●中ノ川川 中ノ川山
●アマスギ谷 天杉山
●のたの原 野田原の頭
●カジヤ谷(古名:シシリ谷) ヒジリ山(聖山)
●広見川 広見山
●黒山谷 内黒山

 

●一の谷 岩倉山
●四の谷 春日山
●細見谷 十方山
●柴木川 サバノ頭

 恐羅漢山も「オソラカン」と呼ぶ谷名があったと思われる。

 戸河内村には、毛利氏の検地帳や慶長検地は現存しないが、戸河内村の地詰帳は大歳神社「手鑑帳」(正徳5年・1715年)、梶木家文書「万手鑑」(延享2年・1745年)に写されている。

 「手鑑帳」によると、検地は、田代→横川→魚切→横川→古屋敷→しろへ谷こや→古屋敷→横川→魚切→田代の順に行われた。(『戸河内町史』)。

 「しろえ谷こや」が横川川の一番奥で、そこから折り返して対岸を下って検地するコースであった。

 このことから古屋敷の上流に、「しろえ谷小屋」と呼ぶ小字名があったことが分かり、これが二軒小屋の古名のようである。

 「しろえ谷こや」は10畝ほどの広さなので、約30メートル平方余りの小さな耕地であった。


 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミールデータ
総沿面距離9.5km
標高差605m

区間沿面距離
古屋敷
↓ 1.2km
ナエマン谷
↓ 1.9km
恐羅漢山
↓ 3.0km
旧羅漢山登山口
↓ 3.4km
古屋敷
 

市間山 立岩山 日の平山 手前に桧尾山
聖山 高岳
苅尾山
恐羅漢山
シラカバの奥にナエマン谷
ナエマン谷
4.3mブナ
4.3mブナ
十方山
女鹿平山 黒ダキ山 冠山
丸子頭 中三ツ倉 奥三ツ倉 十方山
彦八の頭
恐羅漢山
広見山
半四郎山
春日山
旧羅漢山
十方山
二軒小屋付近
二軒小屋付近
二軒小屋付近
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)