7:20 田吹出発 曇り 気温-2度
7:45 564P
8:35 鍋山
9:55 石堂
10:15 牛首
10:30 821P
11:25 ハチガ谷の頭
11:55 885P
12:40 714P
13:00 明ヶ崎
14:00 田吹
旧道沿いの本郷商店街の中ほどから、田吹川に沿って上がる道が通っている。田吹水路橋を過ぎると、鍋山が正面に見えてくる。
下田吹と上田吹の間辺りを出発。下流を見ると田吹川入口左岸の盆手山の上に、高鉢山から大平山にかけての山容が見える。川沿いに水田の石垣が長く続いている。
田吹は『松落葉集』(1768年)に歌われている。
多富貴(たぶき)里
風律
庵建て西行留む稲の花
文a
静かさや多冨貴に置(おか)ば露も玉
(大意)稲の花咲く頃の田吹の山里はすこぶる雅趣に富む。恐らく西行が来たら庵を建てて足を留めしめるであろうという程の意か(「広島大学附属図書館」HPから)。
タブキの呼び名から、多福、多富とかけて歌われたのだろう。
電気柵 |

|
谷の奥に863ピークの石堂が見える。少し下って田吹川を渡った。対岸からはハチガ谷の頭が見える。無名の谷の左岸の道を上がると、電気柵が横切っている。堰堤手前からクチガサコの谷の北側の尾根を登った。尾根の下部は潅木だが、上るに連れて歩きやすくなる。
谷に少し雪が残っているが、尾根筋には全くない。植林地の中に大きなアカマツが多くある。鍋山近くの尾根の斜面まで上がると、数センチの粗目の雪があった。1時間余りで山頂。古い小さな小屋の傍に三角点がある。山頂に掘り下げた跡があり、コンクリートの塊が残っている。
鍋山は三等三角点で、字名は東平。山頂の東側は、急な斜面になっている。尾根を少し進むと周囲3.1mの大きなブナがあった。植林地と雑木の間を下っていく。雪の残る尾根にカンジキの跡があった。どこから登ってきたのだろうか。ミヤマシキミの群落がある。クマと思われる糞があった。雪の少ない今年は、時々穴から出てくるのだろう。糞には糸状の繊維がいっぱい詰まっていた。雑木の中にブナの残る道である。クリノキにクマ棚があり、小さい爪痕があった。
クマの糞 |

|
糞の中は糸状の繊維が詰まっている |
 |
クリノキの爪痕 |
 |
伐採された展望地に出た。市間山からハチガ谷の頭にかけて一望できる。ハチガ谷の頭は全山が、植林の山である。市間山とハチガ谷の頭を色分けしたような山姿だった。展望地に焚き火跡を囲んで、伐採された丸太が並べられていた。切り株に座って一休みした。展望地から伐採された山道がつづくが、道は布原の方へ降りていた。鍋山から1時間半ほどで石堂。ここは上筒賀で字名、仕形ヶ谷山と言う。植林地の中に三角点がある。そこから牛首へ下った。牛首はホン谷とイチマ谷の支谷が交わるところを言う。
峠道の道標 |

|
牛首からほどなく、舗装された峠道に出た。道標に林道臼谷線とあった。臼谷と言うのは、どこの谷のことだろうか。峠道にはまだ雪が残っていた。急な法面を這い上がると踏み跡がある。北西に真っ直ぐ上がる植林地の尾根道である。ツガの大木があった。林間から先ほど通ってきた展望地が覗いていた。ずっと続いていた足跡は途中で消えていた。
高度が上がると雪が多くなる。峠道から1時間ほどで、市間山とハチガ谷の頭の分岐付近に出た。この辺りは平坦な植林地で、ピークを見分けにくいところである。高い方へ、高い方へと植林地をさまよっていると、石柱のあるピークに出た。周辺を見回すと、ここが一番高そうである。石柱に「八」の字が微かに読める。ハチガ谷の「ハチ」か、あるいは単に数字の「八」かもしれない。周辺は雪の間から岩が覗いている。
剥ぎ皮 |

|
|
胸の高さの皮剥 |
 |
植林帯を下った。クマのような足跡が雪道に残っていた。樹間から深入山が覗く。ヒノキ林の中に伐採された巨木が朽ちていた。西側に内黒峠から十方山へ向かう尾根が見える。尾根道のクリノキにクマ棚が残る。膝の高さの所の樹皮が剥がされていた。イノシシかなと思っていると、さらに先で、胸の辺りから根元まで剥がされていた。どうもクマのようである。糞にあった繊維状のものは、木の皮であったようだ。
744ピークを過ぎた所で西側が開ける展望地に出た。下に打梨発電所が見え、坂根谷の上に、藤十郎から中三ツ倉、奥三ツ倉、キリイシのタキへ降りる峯が続いている。高圧線鉄塔が太田川の奥へ入っていた。744ピークと明ヶ崎の間に深く掘り下げた山道があり、田吹に下りるまで続いていた。田吹から打梨へ抜ける馬道であったと思われる。ノウサギの型にはめたような円い糞があった。
ハチガ谷の頭から1時間半で明ヶ崎。四等三角点で字名は下田吹。明ヶ崎から深く掘り下げた道を少し下ると、高圧線鉄塔を結ぶ道が通っている。鉄塔まで行ってみたが、展望はあまりない。引き返した掘り下げ道を降りた。道は倒木や枝が多く、もう使われていないようだ。タヌキの溜め糞があった。堰堤に出て電気柵を過ぎ、ちょうど田吹川に架かる水路橋の上に出た。
立岩ダムから打梨発電所に送られた水は、すぐ下流で溜め、山を貫通して田吹水路橋を通り、土居発電所へ導水されている。田吹水路橋は昭和13年竣工した。目前に鍋山が見える。車道を上がると、左岸に「田尻谷」がある。タジイ谷と読むのであろう。そこからほどなく帰着。
カシミールデータ
総沿面距離12.6km
標高差651m
累積標高1291m
区間沿面距離
田吹
↓ 2.2km
鍋山
↓ 3.1km
牛首
↓ 1.9km
ハチガ谷の頭
↓ 5.4km
田吹
■地名考
●頭 カシラとアタマ
山頂や山のピークを「頭」(カシラ)と呼ぶ地名が、「西中国山地」に6ヶ所ある。共通した特徴は、同じ呼び名の谷名等があることである。そして、谷名の奥に「頭」地名のピークがあることだ。
この「頭」地名は、西中国山地の中では、恐羅漢山の周辺の山々に限られているようだ。
地名の成立過程では、山名よりも山麓地名が先行する例は各地に散見される。谷の奥の頂にあるのが「〜谷の頭」地名である。谷の地名が先にあって、後に山名がその谷の名を冠して呼ばれるようになる。アイヌ語地名も山麓地名が先行する場合が多い。
「カシラ」と「アタマ」の関係は、「カシラ」の方が古いようだ。
古事記(712年) かぶ・かしら(頭)
日本書紀(720年) こうべ(首、頭)
万葉集(8C後半) かしら(頭)
本和名抄(934年) あたま(頭)
源氏物語(1001年) 頭(かしら)
室町末期 ツムリ(頭)
「鰯の頭も信心から」の諺の「頭」は、カシラと読む。室町時代の仮名草子集『清水物語』に、「鰯の頭も仏になる」という諺があり、やはり「カシラ」と読む。
時代とともに、頭を表す呼び名は、アタマが主流になっていく。カシラを持つ谷地名は、700年代をさらに遡る古い地名かもしれない。
●牛首(ウシクビ)
「牛首」は「牛首状の細くて長い尾根、またはその尾根の鞍部」(「西中国山地」桑原良敏)とある。牛首は天杉山の西、青笹山の東にもある。ウシクビの谷が馬糞ヶ岳の西にある。この谷はドウギレ峠へ上がる谷である。
牛首は地形では鞍部を表している呼び名である。ホン谷とイチマ谷を結ぶところが牛首である。
●盆手山(ボンテヤマ)
「とごうちの民話」第5話に盆手山がある。「この町は、川辺の狭いところにあり、裏には盆手山という、小山が突き出ています。昔から人々は、『この山を取り除くことができたら、広くなるがなあ』と言っていました」と言う書き出しで、宮島の女神「明神様」がこの山を取り除くという話である。
他の戸河内の民話にも盆手山が出てくるので、古くから「ボンテ」と呼ばれていた山と思われる。
|