6:10 柴木出発 晴れ 気温5度
8:25 横川出合
9:05 イキイシ谷
11:30 出合原
12:40 台所原
13:35 恐羅漢山
14:45 古屋敷橋
15:50 内黒峠
16:10 内黒山
17:20 柴木
明るくなったところで、西善寺近くの駐車場を出発。三段峡の奥に、サバノ頭が覗く。柴木の里は、点々と灯りが点いている。暗い林の中に、黄葉が明るく光っている。龍ノ口を通る頃には、すっかり明るくなった。龍ノ口の入口の淵から、岩の水路の谷が奥へ続いている。
龍の口は、古くから呼ばれていたようで、『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)で、龍の口の淵が紹介されている。
『松落葉集』(1768年)に、西善寺住職、善応の歌がある。
竜口(たつのくち)
善応(ぜんおう)
巖穴(がんけつ) 煙雲暗く
激流 雨声(うせい)を作(な)す
自(おのずか)ら神竜(しんりゅう)の勢あり
緑鱗(りょくりん) 削り成すに似たり
(大意)岩穴のあたりは水煙でほの暗くかすみ、はげしく流れる水音は、大雨が急に降ってきたかと思われるほどである。あたりはさながら神妙不可思議な竜の趣があり、緑のうろことも見まごう岩肌は、まるで削りとりでもしたようである。(広島大学附属図書館HPより)
龍ノ口は、おそらく、1700年代以前に、古くさかのぼる呼び名と思われる。
|
|
砂がたまった黒渕 |
|
|
龍ノ口から少し進むと、皆実高校遭難碑、その先から渓谷は北東に向きを変える。ニ谷を過ぎると、コの字の谷に入る。西にあるサバノ頭の展望地から、コの字の地形を見ることができる。
渓谷の紅葉は、幾分か鮮やかさがないように思われる。黒渕は砂がたまり、浅くなっている。コの字の底辺を抜けて、蛇杉橋、南峰橋を渡る。サバノ頭から降りるヌケ谷を過ぎると、葭ヶ原。ミズナシ川の駐車場に、食材屋さんのトラックが止まっている。葭ヶ原の店へ来るお客さんが多いのだろうか。店の前ではもう、カゴを売る出店の人が準備している。
葭ヶ原を過ぎると猿飛、渡船場の船頭さんが待機している。急坂を上がると、イタヤカエデの大木がある。猿飛付近はイタヤカエデが多い。猿飛も古い地名である。
『松落葉集』の亭々の歌がある。
猿飛(さるとび)
亭々
岩を飛ぶ猿も礫(つぶて)や玉あられ
(大意)空高く聳える猿飛岩の上をとぶ猿の姿は、投げた小石か玉あられのように見える。(広島大学附属図書館HPより)
猿飛の渓谷の間隔は案外広く、猿といえども、岩から岩へ飛び越すのは不可能と思われるが、垂れた枝の先から飛び越すのは可能だろう。三段峡のこの辺りで猿を見たことがない。
2時間余りで、横川出合に到着。ここで谷は、横川川と田代川に分岐する。田代出合橋を渡り、田代川に沿う林道を上がった。この辺りの山は、赤く染まっている。横川トンネルに掛かる高い橋の下を過ぎると、田代集落のあった石垣の道になる。牛小屋谷へ入る田代橋を過ぎ、通行止めの谷沿いの道を進むと、終点がイキイシ谷。
谷沿いの道を進み、くも渕を見ると、水量が少ない。左岸の山道を乗り越し、奥三段峡に入る。水量が少ないので水に浸かることはなかったが、しばらく進むと、がけ崩れで、谷が塞がれたところがある。崖を登れば水に浸かることはないが、水に入れば簡単に乗り越せるところである。
膝ほどの水に入り、崩れた大岩に上がる。水は、さほど冷たくはなかった。岩崖を回りこむと、畳ケ平(タタミガナル)。谷の底が、畳を敷いたように、段々になっている。蛇渕の手前で、日が差し込み、黄葉が鮮やかだった。
ゴツゴツした岩を越えると、もぢきごうら。モヂキゴウラとは、南から降りる谷のことであろうか。変わった名である。その先で、倒れたブナの大木が、谷を塞いでいた。北東からゆるやかに降りる出合谷を過ぎると、お岩渕が近い。左岸を回りこんで、お岩渕の上に出ると、先は堰堤である。
堰堤の上の周辺の紅葉が鮮やかだった。その先に比尻山の裾野が降りている。2時間半ほどで、奥三段峡を抜けた。中之甲の林道を上がった。管理林道の入口に着くと、土場に車が2台止まっていた。出合橋から1時間ほどで台所原。分岐のミズナラの大木の下で少し休憩した。
台所原のブナの黄葉はすばらしかった。静かな樹林を上がった。登るに連れて、ブナの木の葉が少なくなる。1時間ほどで恐羅漢山。山頂は大勢の人でいっぱいだった。霞んではいるが、山頂からの眺めを見て、下山した。山頂直下のゲレンデに出て、真っ直ぐに下った。1時間ほどで古屋敷橋。
古屋敷橋を渡り、旧道に入る。入口は茂っているが、中に入ると、立派な古道が残っている。車道を上がるより、旧道の方が、内黒峠まで大分近い。所々、崩れている。立派な石垣が、随所に残っている。モリガ谷から上がる古道と合流すると、だんだんとヤブになる。その辺りから車道に出た。
車道から、サバノ頭、深入山、苅尾山、比尻山、砥石川山の山並みが見える。古屋敷から1時間ほどで内黒峠。最後の登りとなる、内黒山へのブナ林を上がった。若いブナ林に夕日が差し込む。内黒山を過ぎて、薮ヶ迫山の入口まで来ると、周辺は伐採されていた。
いままで見ることのできなかった景色が、突然現れた。向山と深入山が、すぐ近くに見える。その隣の、苅尾山も見える。柴木林道に下りると、今までなかった、クマの捕獲オリがあった。クマの出没が多いのかもしれない。内黒峠から1時間半ほどで柴木に下った。
三段峡 |
|
奥三段峡 |
|
奥三段峡 |
|
台所原 |
|
牛小屋谷と深入山 |
|
砥石川山 恐羅漢公園線車道から |
|
内黒山のブナ林 |
|
|
カシミールデータ
総沿面距離31.4km
標高差1018m
累積標高+2992m
累積標高-2992m
区間沿面距離
柴木
↓ 8.8km
横川出合
↓ 2.6km
イキイシ谷
↓ 2.5km
出合原
↓ 6.0km
恐羅漢山
↓ 7.0km
内黒峠
↓ 4.5km
柴木
■地名考
●もじきこうら(奥三段峡)
カシミールで、「もじき」「もぢき」を検索すると、三ヶ所ある。
モジキ谷(奈良県)は、大峰山脈の大普賢岳の西にある。曲木(モジキ 香川県)は、県境の山間にある。茂知木(モジキ 山口県)は、莇ヶ岳南の山奥にある。
「モジキ」の呼び名の地名は、山間の奥にあるようだ。
三段峡の奥の奥三段峡の奥にあるのが、「もぢきこうら」である。
苅尾山の南に「モジリキ」の谷がある。橋山川の奥にある谷である。
苅尾山南のモジリキ |
|
■三段峡周辺
三段峡に関する記録で最も古いのは、『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)で、龍の口の淵が紹介されている。画文集『松落葉集』(1768年)には、奇勝として、龍の口、三段龍頭、猿飛が紹介されている。田代の南にある呼岩も、『松落葉集』に、梅北の歌がある。
呼岩(よびいわ)
梅北
ふり向ば岩かあらぬか呼子鳥
(大意)呼岩が自分をよんでいると思ってふり向くと、そうではないのか、呼子鳥の啼き声だつたのか。(広島大学附属図書館HPより)
呼岩は、よく反響することから、その名があるが、梅北の歌は、反響を歌ったものでなく、呼岩の反響かと思ったら、呼子鳥(カッコウ)の鳴き声だったという意の歌である。
呼岩は左右に二つに分かれた岩である。そのため、特定の地点ではよく反響するのかもしれない。
●三段龍頭
三段龍頭は三段滝のことだが、『松落葉集』の柳谷の歌がある。
三段竜頭(りゅうず)
柳谷
朝ぼらけ柴木(しばき)の山のきりはれて雲にながるる滝の白糸
(大意)朝あけ頃、柴木山のきりがはれて来ると、谷間の雲中に流れる竜頭の滝が白糸のように見える。(広島大学附属図書館HPより)
●猿飛
猿飛周辺はイタヤカエデの多いところである。
「西中国山地」では、阿佐山北の「トビ岩」、鈴ノ大谷山北の「トビノコ」の谷がある。
阿佐山北のトビ岩 |
|
鈴ノ大谷山北 |
|
|
|