6:35 篠原出発 晴れ 気温6度
7:10 車道終点
9:10 1131P
10:35 大万木山
11:25 975P(門坂)
11:35 駐車場
11:55 展望所
12:25 毛無山(1062P)
13:00 鉄屋山
13:30 1020P
13:55 985P
14:25 鯛ノ巣山
16:25 キジヤ橋(432号線)
17:20 篠原
国道432号線から篠原へ入る交差点を出発。道路標識は Shinohara となっている。
車道の先に雲の掛かる毛無山が見える。篠原大橋を渡る。ここも「しのはらおおはし」となっている。ムラサキシキブが実を付けている。ビニールハウスではトマトを栽培している。大万木山は、雲が掛かっている。
北へ上がる車道を西へ曲がり、戸田橋を渡ってほどなく車道終点。終点から先、踏み跡が見当たらない。沼を回り込んで、小尾根に取り付いた。登るに連れて薮となる。
薮をやっと抜けて、1131ピークへ続く主尾根に出た。スギ林とブナの林の間を登っていく。急な登りが終わると1131ピークである。車道終点から2時間ほど掛かった。三角点のすぐ近くに、同じような境界柱がある。
1131ピークは点名、奥三沢(おくみさわ)で、四等三角点、所在地は、比婆郡高野町大字和南原字奥三沢山(点の記)。南側から奥三沢川が上がっている。
紅葉のブナ林を上がった。少し進むと、北斜面に大きなブナがあった。周囲4mの二股ブナである。尾根の北側はブナが多い。そこから少し登ると、大万木山へ続く平坦地に入る。最初は歩きやすいササの道だったが、だんだんと枝が覆ってくる。長いブッシュ帯が続く。前方に白樺林のような白い幹の林が見えてくる。ブッシュを抜けて、その林に入るとブナ林だった。すぐ先に小屋が見えた。山頂へ200mほどの所の登山道へ出た。避難小屋の道標があり、門坂駐車場へ2.9kmとある。
出発から3時間半で大万木山に到着。ベンチのある広い場所だが、ここからは展望が無い。大万木山は二等三角点、点名も同じで、明治26年の選点。
道を引き返して、門坂へ降りた。ブナの道を下ると程なく分岐。登山道は西の車道へ降りているようだ。尾根の踏み跡を降りた。毛無山が樹林から覗く。開けた所で、篠原を眼下に見る。その先に、猿政山から毛無の峯がつづく。西側には車道が上がっている。
大万木山から50分で975ピーク。点名は門坂(もんざか)で、四等三角点、所在地、島根県飯石郡吉田村、俗称を「新正坊」と言う(点の記)。門坂は展望が利く。篠原から1131ピーク、大万木山を一望できる。1131ピークから大万木山まで平坦な様子がよく判る。
門坂から10分ほどで車道に出た。広島北部森林管理署の大万木山登山道の案内図がある。ここは、篠原と頓原から車道が上がる鞍部である。峠の駐車場から毛無山の登山道に入る。15分ほどで展望所。前方に紅葉の毛無山がある。展望所へ等検境(トウケンキョウ)から上がるルートがある。
毛無山へ進んだ。木の階段を登る。カエルがまだ飛び跳ねている。気温は16度、冬眠にはまだ早いのだろう。眼下に、先ほど通った篠原の車道終点の民家が、間近に見える。毛無山の紅葉が、だんだんと鮮やかになってくる。山頂周辺は若いブナ林である。清々しいブナの林を歩く。駐車場から50分で毛無山。1062峯で三角点はない。林で展望はないが、樹林から鯛ノ巣山が見える。
鉄屋山へ向かった。毛無山まで遊歩道の登山道だが、ここから山道に変わる。少し進むと大岩がある。南側に、篠原から北へ上がる谷を見渡すことができる。前方に錦の鉄屋山が見える。その先に大毛無の峯がある。しばらく進んだところで道が分岐する。深谷川から上がる道があるようだ。
毛無山から30分で鉄屋山。点名は鉄屋(てつや)で、三等三角点 俗称も鉄屋と言う。明治27年の選点。樹林で展望はよくない。快適な若いブナの道が続く。樹林が開けたところでは、猿政山から毛無牧場まで一望できる。
ここから猿政山の峯を一望すると、猿政山は、毛無山牧場のある草原の奥にある山の意ではないかと思われる。
1020P、985Pを通り、鯛ノ巣山が一段と近づいてきた。日当たりに小さなマムシが寝そべっていた。つついても動かない。ロープのある大岩を上がり、展望地に出た。
猿政山がすぐ正面にある。呑谷の民家が見える。内尾谷川の最奥の民家も見える。猿政山の左に覗いているのは竜王山のようだ。ここは猿政山から毛無山への展望地である。大万木山の長い峯は影のように見えるだけになった。
展望地からほどなく鯛ノ巣山に到着。大万木山から4時間ほどだった。鯛ノ巣山は点名、鯛巣(たいのす)で、三等三角点、俗称も鯛巣で、明治27年の選点。ここから大仙が見えるようだが、霞んでいる。眼下に福原、阿井の里が広がっている。登山道は北へ降りており、東へ降りる道はないようだ。
引き返して、展望地手前の急な尾根を下った。前方の猿政山と大毛無山の間の呑谷に向かって降りる尾根である。巨大な岩が尾根を塞いでいる。左に回りこんで、元の尾根に戻る。この尾根に沿って、古いテープが巻いてある。境界測量の目印のようだ。大分下って、中電の鉄塔に出た。すぐ下に呑谷の家が見える。
鉄塔から下は道が降りていた。クリノキにクマ柵があった。登山道では、クマ柵はまったくなかったが、里近くにクマは居るようだ。爪痕が小さく、子グマのようである。ほどなく国道のキジヤ橋に出た。鯛ノ巣山から2時間ほどだった。
国道を上がった。大貫峠手前の、長い曲がり坂を上がる。峠の標高は640m、高野町に入ると、出発点まで僅かである。出発点にある朝市のおばさんに確かめてみた。「昔はシノンバラと言ったが、今はシノハラと言う」。昔の呼び名は、だんだんと変わっているようだった。
尾根を塞ぐ大岩 鯛ノ巣山を下る |
|
鉄塔から見た猿政山と大毛無山 |
|
クリノキのクマ柵 |
|
|
|
|
|
|
カシミールデータ
総沿面距離24.5km
標高差804m
累積標高+2350m
累積標高-2323m
区間沿面距離
篠原
↓ 7.6km
大万木山
↓ 4.5km
毛無山
↓ 4.6km
鯛ノ巣山
↓ 3.5km
キジヤ橋
↓ 4.3km
篠原
■地名考
●大万木山(オオヨロギヤマ)
ネットで、「よろぎ」を検索すると、万葉集に、「余綾」(よろぎ)がある。
「相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも」
「余綾の浜」は神奈川県の大磯(おおいそ)〜国府津(こうづ)あたりを言う。
現在は、小陶綾(こゆるぎ)ノ浜と言い、「ゆるぎ」とは波の動揺をあらわす意があると言う。
ほかに、滋賀県高島市安曇川町に、與呂伎神社がある。社名の「與呂伎」は、「よろぎ」と読み、 鎮座地の旧名も、「萬木(よろぎ)」と言う。創祀年代は不詳。
「大万木山の由来として、昔この山が『ゆるぎ山』(揺れ動くの意)と呼ばれていたことからという説があります。それを鎮めるためにこの権現さんをお祀りし、動くのが止んだと伝えられています」(島根県民の森HP)。
大万木山に、今から約4千万年から3千万年前にかけて出来た、火山活動を伴うカルデラがある。カルデラは、火山の噴火によって、円形に大きく窪んだ地形のうち、その円形の直径が2キロメートル以上あるものを言う。
権現様のおかげで、火山活動が止んだのかもしれない。
「よろぎ」の呼び名は、万葉の時代に古く遡るようだ。
千代田インター近くのヨウロホヨバラ |
|
大万木山の西側の奥畑から上がる谷は、大きく湾曲し、その谷の尻の山の奥にあるのが、大万木山である。
「点の記」によると、大万木山の字名は「位出谷」である。おそらく、イデタニと呼ぶと思われる。
大万木山のすぐ北西に、武智から上がる二股の谷のどちらかが、イデ谷と思われる。
「西中国山地」の半四郎山の西に、イデ谷がある。小虫谷から上がる二股の谷の片方を、イデ谷と呼んでいる。もう片方はコズガ谷である。
大万木山西の谷 |
|
半四郎山西のイデ谷 |
|
|
●篠原(シノンバラ)
シノンバラと言う地名は、カシミール検索では、この地だけだある。
毛無山牧場の南に「死人坂」がある。
恐羅漢山に死人谷がある。
恐羅漢山の死人谷 |
|
シノンバラ |
|
|
|