山歩き

伊良谷山…毛無山…烏帽子山…立烏帽子山 2006/10/15
牛曳山登山口…牛曳山…伊良谷山…毛無山…出雲峠…烏帽子山…比婆山…越原越…池ノ段…立烏帽子山…牛曳山登山口

■牛曳山(ウシビキヤマ)1144.0m:島根県仁多郡奥出雲町(三角点なし)
■伊良谷山(イラダニヤマ)1148.9m:島根県仁多郡奥出雲町(点の記なし)
■毛無山(ケナシヤマ)1143.7m:島根県仁多郡奥出雲町大字大馬木字蔭地(点の記)
■烏帽子山(エボシヤマ)1225.1m:広島県比婆郡比和町大字三河内字越原(点の記) 庄原市
■立烏帽子山(タテエボシヤマ)1299.0m:広島県庄原市(点の記なし)

牛曳山登山口
白樺林
烏帽子山

牛曳谷の小滝

ブナの道を上がる
道後山と猫山
船通山と窓山の間に霞む大仙
竜王山 立烏帽子 池ノ段
牛曳山
烏帽子山と毛無山
伊良谷山
伊良谷山
立烏帽子山と池ノ段
比婆山と烏帽子山 伊良谷山から
烏帽子山と吾妻山 毛無山から
ききょうが丘から見た吾妻山
ヒノキ林を出雲峠へ下る
ブナの巨木 烏帽子山への登り
吾妻山 烏帽子山から
比婆山のブナ
比婆山 3.9mブナ
比婆山のブナ
越原越(おっぱら)
ブナの紅葉
立烏帽子 池ノ段分岐から
7:20 牛曳山登山口出発 晴れ 気温5度

 

8:15 牛曳山
8:35 伊良谷山
9:00 1061ピーク
9:15 毛無山
9:40 ききょうが丘(1071P)
9:50 出雲峠
10:20 烏帽子山
10:45 比婆山
11:10 越原峠(おっぱら)
11:40 池ノ段分岐
11:55 立烏帽子山
13:30 県民の森
13:50 牛曳山登山口

白樺展示林入口

 県民の森へ上がる手前が、牛曳山への登山口。林道の道標に、「牛曳山2.5km」とある。林道を少し登ると、「展示林」と書かれた、白樺の道標があり、ここから白樺の林となる。「しらかんば 白樺 かばのき科 分布=本州の中部以北 北海道」と書かれたプレートが挿してある。日が入る白樺の幹は白く輝き、これから紅葉がすすむと、一段と映える林になると思われる。白樺林を抜けると、県民の森のスキーコースの上に、烏帽子山が見えてくる。

 モミかツガのような林をを通り、道は牛曳谷へ降りる。小滝の横を上がり、「落石注意」の看板のある牛曳谷の右岸へ渡ると、ブナ林となる。ブナの黄葉に日が射して美しい。林を抜けて遮るものがなくなると、大展望が現れてくる。

 登山口から1時間ほどで牛曳山で、三角点はない。道標に「三井野原3.2km 伊良谷山0.6km」とある。三井野原への道はササが茂っている。道後山、猫山の山容が東に見える。船通山と窓山の間に霞んでいるのは大仙のようだ。東側に竜王山、立烏帽子、池ノ段へと峯が続く。

 牛曳山から少し進むと、県民の森を取り囲む峯の全体を見渡すことができる。前方に伊良谷山、その左に坊主頭の毛無山、烏帽子山、比婆山、立烏帽子山と目で追っていく。立烏帽子はエボシのような、尖がった山だが、烏帽子はなだらかな山で、エボシには見えない。牛曳山から20分で伊良谷山。

実の残るクリのイガ

 伊良谷山は三等三角点で、所在地は島根県仁多郡奥出雲町。谷の名が山名となっている。伊良谷山の北側を、イラダニと言うのかもしれない。ミズナラの林を下った。クリノキも多いが、クマの痕跡がない。イガに付いたクリの実がそのまま落ちている。登山道周辺を見る限り、クマはいないようだ。1061ピークの横を通り、伊良谷山から40分ほどで毛無山。

 山頂に石の方向板があり、大山の方向を見たが、雲で霞んでいる。毛無山は四等三角点で、点名は「丸が岡」。山頂の道標に「出雲峠 1.2km」とある。毛無山からしばらく下って、1071ピークのきょうが丘へ上がった。すぐ下に大畝辺りの里が見える。西側に吾妻山が覗いている。ヒノキ林を下ると、10分ほどで出雲峠。ここから烏帽子山まで1.6km。出雲峠から30分ほどで烏帽子山。

烏帽子山道標

 烏帽子山は、明治27年の選点で、三等三角点。吾妻山が目前にある。中間の大膳原まで1.3km、時間があれば往復してみたいところである。比婆山へ進んだ。道はブナ林に変わる。周囲4m近い、大きなブナが多い。比婆山を過ぎた登山道に、3.9mの大きなブナがあった。その先が比婆山御陵である。墓のように盛り上がっており、「比婆山神陵の伝承」の看板がある。

 それによると、『古事記』を引用し、イザナミの墓が、「出雲の国と伯伎の国の境の比婆の山に葬り祀った」とあり、比婆山がその墓の山だと言う。麓の熊野神社を本院と呼び、比婆山を奥の院と言う。

御陵
ツガの大木 御陵
 

 

 その御陵で昼食をしている人に、「こんな所で食事していると罰が当たりますよ」と言うと、「賽銭をあげたから大丈夫」と返ってきた。

 御陵を進むと、大きなツガの木がある。御陵から20分ほどで越原越、オッパラと呼ぶ。これは、西にあるドルフィンバレースキー場にある越原のことだが、この珍しい呼び名は、島根県と岐阜県にもある。ここから池ノ段への登りとなる。この登りもブナが多い。ブナの幹の傍から見上げる紅葉が美しかった。山頂に近づくと、石ころの道となる。

 烏帽子山から1時間余りで、池ノ段分岐。目前に紅葉の立烏帽子がある。立烏帽子はどこから見てもエボシである。ここから、今通ってきた峯々を振り返ることができる。西側の吾妻山の奥に、猿政山が見える。池ノ段はすぐ先にある。

 立烏帽子へ進んだ。立烏帽子の西面は真っ赤に染まっている。山頂に近づくと、こちらも石ころの道となる。池ノ段分岐から15分ほどで山頂。ここの三等三角点は、一回り小さい石柱だった。急な東面に下ると、ブナ林に変わる。真っ赤なコミネカエデもある。ジグザグ道を降りると駐車場
に出た。県民の森への道を下った。この道もブナの道である。ところどころ、4m近い大きなブナが残っている。1.5時間ほどで、県民の森へ降りた。ここから、牛曳山、伊良谷山が見える。そこから20分ほどで登山口に帰着した。

池ノ段 立烏帽子山から
立烏帽子山
立烏帽子東面のブナ道
県民の森へ下る道のブナ


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カシミールデータ
総沿面距離17.9km
標高差549m

区間沿面距離
牛曳山登山口
↓ 2.9km
牛曳山
↓ 0.8km
伊良谷山
↓ 1.4km
毛無山
↓ 3.2km
烏帽子山
↓ 3.6km
立烏帽子山
↓ 6.0km
牛曳山登山口

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地名考

●毛無山

全国の毛無山(カシミール検索から)
県・道名・座数 標高(降順)
北海道7 816 749 720 684 650 631 548
青森県3 982 792 693
秋田県1 677
新潟県1 1044
宮城県1 315
長野県3 1650 1130 1021
山梨県2 1934 1144
鳥取県2 1218 558
岡山県1 837
広島県5 1253 1155 1144 1083 999 
全国26座  

 毛無山は全国26座の内、北海道・東北に13座あり、四国・九州に毛無山がない。広島県には5座ある。芸北、大暮の毛無山が、本州の最西端に位置している。

 「毛無」の初見は、天智天皇の第7皇子の志貴皇子が三室山を詠んだ万葉和歌にある。

「神奈備の 石瀬の杜の 霍公鳥(ほととぎす) 毛無の岡に いつか来鳴かむ」

 ホトトギスが来て鳴くくらいだから、毛無の岡は不毛の地でなくて、森があった所だという解釈がされており、7世紀頃にはケナシという呼び名は定着していたと思われる。「毛無の岡』は、奈良県斑鳩町に12世紀まで遡る毛無の地名を確認できるという。

 芸北の毛無山については、

「『芸藩通志』には、この山についての記述はないが、『国郡志御用に付下調書出帳・高野村』(1819年)に山林名として毛なし辻山≠ェある。『国郡志御用に付下調書出帖・大暮村』には、これも山林名として毛なし山≠ニあって、大暮側の呼称が山名として一般に用いられるようになったことがわかる。現在も山麓の村里では、この山名が使われている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 ほかに芸北の苅屋形村・書出帳にけなし山=A移原村・書出帳に毛無ケ辻≠ェある。

 万葉の時代に定着した「毛無」の呼び名が、広島県においても、山名として残ったものと思われる。

 「国郡志恵蘇郡辻書出帳」(1819年)には、「ケナシ」が見当たらない。この書出帳は未完成だったようで、白紙が十数枚あると言う。山については、「井西山」「あつま山」がみられる。「西中国山地」周辺の書出帳ではなかった「ぶな」が、一項目あった。

「ぶなの木 壱本

 但 廻り凡壱丈五六尺御座候 枝傘ノ如ク四方ニひろがり居申候 当村木の下と申所ヨリ井西谷ト申所マデの蛭先年ヨリ一向人に喰付不申候

越原谷」

 井西谷は毛無山(福田頭)の西のことであろう。「廻り凡壱丈五六尺」のブナと言うから、周囲4.5mほどのブナだが、それが「壱本」あったと、わざわざ「書出帳」に記されていることは、おそらく、1800年代には、ブナはほとんど伐採し尽くされていたのではないか。現在でも、苅尾山には、4m、5mを越えるブナが幾本もある。

 恵蘇郡は、現広島県庄原市山内地区+口和町+比和町+高野町で、1889年の市町村制施行当時、恵蘇郡に属していた町村は、口北村(くちきたむら)、口南村(こうなんむら)、高野山村(たかのやまむら)、比和村(ひわむら)、山内北村(やまのうちきたむら)、山内西村(にしむら)、山内東村(ひがしむら)がある。

「山中襄太氏がケナシはアイヌ語のKenash Kenas-iであり、木の生えている原≠フ意であることを指摘してより、ケナシ山は木の生えている山、生えていない山と論議をよんだようだ」(「西中国山地」)。

 「西中国山地」の中で、「アイヌ」の文字が見られるのは、毛無山の項だけである。恐羅漢山の項でも「アイヌ」の文字はない。アイヌ語を語源とする「ケナシ」があることは、ほかの山名や地名についても、アイヌ語の地名が残っていると思われる。

 Kenash(ケナシ)は次のように変化したのではないだろうか。

Kenash(アイヌの呼び名 木の生えている原)

ケナシ(木の生えている原の呼び名が定着)

毛無を当てた(万葉集)

木無(毛無の転訛 木の生えている原の意)

橅(木+無)(読み:附奈乃木
    『和漢三才図会』1715年)

ぶなの木(「国郡志恵蘇郡辻書出帳」1819年)

 北海道黒松内町(クロマツナイ)はブナ北限の町だが、実際はさらにその北の蘭越町(ランコシ)のツバメ沢がブナの北限のようだ。北海道の毛無山7座の内、5座がブナの北限より南にあり、残りの2座も北限から北東へ60kmほどの小樽市までにあることは注目される。

 ケナシはアイヌ語で木の生えている原≠セが、木の生えている原≠ニは、当時アイヌが生活していたブナを中心とした鬱蒼とした森を表しているのではないだろうか。

 「万葉」の時代の人々が、「毛無」と表した時、ブナの森を意識していたのかもしれない。そして、「毛無」は「木無」「橅」と変化していった。

池ノ段西のオッパラ
島根県津和野のオッパラ
岐阜県東白川村のオッパラ
 

立烏帽子 池ノ段 比婆山  牛曳山西から
左右に船通山と窓山 その間に大仙があるが霞む  伊良谷山から

比婆山のブナ
紅葉の立烏帽子山 池ノ段分岐から
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)