山歩き

鷹の巣山…掛津山…苅尾山…ウマゴヤ谷 2006/9/30
ウマゴヤ谷登山口…本坪谷…鷹の巣山…八幡三方…八幡洞門…土草峠…掛津山…サルキ峠…苅尾山…ウマゴヤ谷…登山口

■鷹の巣山(タカノスヤマ)943.3m:(点の記なし) 浜田市
■掛津山(カケヅヤマ)1126.1m:山県郡八幡村大字東八幡原字掛頭(点の記) 北広島町
■苅尾山(カリウザン・カリオサン)1223.4m:山県郡八幡村大字東八幡原字刈尾(点の記) 北広島町

車道に散乱するクリノキのイガ
クマ棚
クマの爪痕

土草峠

苅尾山
本坪谷を上がる林道
山を覆うヒノキ林
鷹巣山直下の尾根の広場
鷹の巣山
八幡三方
八幡三方
3.8mブナ
土草峠
4.2mブナ
掛津山
枯木ヶ平山 山頂東面から
展望所の説明板
霞む深入山
苅尾山
ナラガシワの道を降りる
掛津山 車道峠から
サルキ峠
山頂手前のブナ
苅尾山
ウマゴヤ谷のブナ
ウマゴヤ谷
7:20 ウマゴヤ谷登山口出発 晴れ 気温13度
 

8:55 鷹の巣山
9:55 八幡三方
10:40 八幡洞門
11:25 土草峠
12:30 掛津山
13:05 サルキ峠
14:10 苅尾山
15:30 登山口 

 ウマゴヤ谷の登山口から北へ少し進むと、車道にクリノキのイガが散乱している。見上げると、クマ棚があった。幹を見ると、小さな爪痕あった。小熊のようである。山中にクリノキはたくさんあるはずだが、里のクリのほうが旨いのだろうか。ここは、もうクマのテリトリーである。車道のあちこちにクリのイガが落ちており、クマ棚が出来ていた。

 林を抜けると、東八幡原に水田が広がっている。土草峠と八幡洞門を通る車道を横切って、八幡湿原に向かう、町道中島くぐる木線に入ると、稲刈りを終わった田の先に、土草峠が霞んでいた。

 柴木川の支流の、ムナクトの谷が流れる本川橋を渡り、明元寺の手前を東へ曲がり、柴木川に架かる乙出(オトイデ)橋を渡る。乙出橋から見る柴木川は、流れがなく、止まっているように見える。

 杉田屋橋を過ぎ、東を見ると、稲刈りを待つ田の向こうに、苅尾山が霞んでいた。ハウスで農作業するおじさんが「クマが出るよ」と注意された。そこから少し進むと三叉路に出た。本坪谷に上がる北の左の林道を進んだ。ここまでに鷹の巣山への道標はなかった。アキノキリンソウが咲いている。マムシグサが赤くなり始めた実を付けていた。山はヒノキで覆い尽くされている。

 

陸軍の標柱

 林道は鷹の巣山の直下の広場のある尾根まで上がっていた。出発から1時間半ほどで鷹の巣山へ到着。樹林の中の山頂は展望がない。山頂でよく見かける444回目の札が掛かっていた。昨年の11月、ここから大佐山へ縦走されている。

 鷹の巣山は三等三角点。点名は「鷹巣」、ピンとこないが、ここは浜田市である。山頂に「陸軍」と書かれたセメント柱が立っている。「陸軍」の柱は嶽とこれから行く八幡三方にもある。

「(ハコビ山は)昭和十七年陸軍が八幡演習場設置のとき頂上の樹林を切り倒して眺望をよくして、砲弾が大佐山などに落ちる状況を手旗信号で知らせた」(「西中国山地」桑原良敏)。

 樽床貯水池の北にあるハコビから、大佐山へ落ちる砲弾を観察していたと言うから、芸北の山中に砲弾の雨が降っていた時代があった。


オオウラジロ


 登りとは違う北東の踏み跡を降りてみた。ほどなく林道に出ると、「有用広葉樹母樹林」の看板が落ちていた。このあたりのミズメ、ミズナラの種を採取しているようだ。林道を一回りして元の尾根の広場に戻った。

 「大佐山登山口」と書かれた黄色の小さなプレートのところから尾根に取り付いた。踏み跡があるので迷うことはない。1時間ほどで八幡三方に到着。大佐山の頭が樹林の間から見える。ここにも「陸軍」の標柱がある。

 八幡三方から土塁の道を下った。この道は林で展望はない。車の走る音が時々聞こえてくると、八幡洞門。上を電線が走っているが、下に洞門があるのは分からない。洞門からヒノキ林を登る。振り返ると、八幡三方の頭が樹林の上に覗いていた。クマと思われる小さな新しい糞があった。表面は黒いが、中身は黄色でクリのようである。

 土草峠手前で、3.8mブナと再会した。下の幹は相当痛んでいるが、そこから枝が伸びて大きく成長している。かつては、ヒノキ林のこの辺りにも大ブナが林立していたと思われる。オオウラジロノキの小さなリンゴのような実がもう落ちている。鷹の巣山から2時間半ほどで土草峠に下りた。

クマの糞
糞の中身
 
 
クリノキのクマの爪痕
クマの爪痕の残るミツバチの巣



 土草峠で数分休憩している間に3台、車が通った。わらじの下がるところから山道に入った。広い急な山道になる。この道はいたるところ、クリのイガが散乱している。クマ棚があちこちある。どのクリノキにも鋭い爪痕がある。

 標高1000mラインを超えると、ブナの巨木帯に入る。計測しようとブナの根元に近づくとミツバチが巣を作っていた。巣の周囲にクマの爪痕がある。羽音が急に大きくなる。早々に退散した。道沿いの大きなブナは周囲4.2mあった。

 ブナ帯を過ぎて大岩が現れると、ほどなく山頂へ続くアンテナ塔に出た。車道を歩かず山道を進むと、まもなく掛津山。掛津山は三等三角点、点名は掛頭(かけず)、所在地は東八幡原字掛頭、選点は明治28年。

 山頂から展望のあるスキー場に出た。阿佐山塊の大きな山容が見えるはずだが、霞んで全く見えない。車道を進むと展望所に看板がある。「今から六、七十年まえは、この山頂から千町原へは大草原であった。農耕の変化にともない赤松林が進入した。谷間のところどころにあった叢林が、現在、巨木となっている。頂上付近は未だ草原で、低木化した、ならかしわの大群生である」。山頂から車道の降りる西の鞍部にかけて、ナラカシワが多い。

 掛津山から南の峯へ回ると、深入山が霞んでいる。ススキの向こうに苅尾山の大きな山容があった。車道からナラカシワの登山道を降りた。マツムシソウが残っていた。30分ほどで車道が通る984ピークの鞍部に下りた。車道から掛津山のなだらか尾根が見える。984ピークの鞍部の道標に「猿木峠」とあるが間違いだ。サルキ峠はここから少し先の小鞍部のことを言う。

 984ピークの鞍部に、掛津山へ登る車道ができるまでは、ジャゴヤ谷とキリガ谷を結ぶ径がサルキ峠を通っていたようで、登降路として使われていたという。

 車道鞍部から数分でサルキ峠。ここに「ここは猿木峠」と書かれた道標がある。西側に踏み跡が残っている。峠に石積がある。この道もところどころクマ棚がある。ユキザサが赤い実を付けている。1123ピークを過ぎるとブナの巨木帯に入る。樹林の中にある4.8mブナと再会し、巨木の道をゆっくりと上がった。掛津山から1時間半ほどで苅尾山。西の展望岩まで行ってみたが、霞んで、すぐ下の聖湖さえ霞んでいた。

 引き返して、ウマゴヤ谷を降りた。ほどなく「臥竜山保健保安林」の看板のある車道に出た。ウマゴヤ谷を降りた。この谷もブナの巨木が残る谷である。ウマゴヤ谷を渡ると広い道の平地になる。林を抜けてススキの原に出た。ススキの上の苅尾山は霞んでいた。

4.8mブナ
苅尾山



●地名考

●掛津山

 掛津山の初見は「かげす山」と言う(「山縣郡政所村差出帳」1679年)。山陰では鳥のカケスのことを「カゲス」と言う。領内の鳥獣草木を書き出した出雲市周辺の「神門郡組下村々産物書出寄帳」(享保20年・1735年)に、鳥の「かげす」がある。掛津山はカケスの好むナラ類が多いことなどから、「カケス山」ではないかと思っていた。

 しかし、掛津山の西にカケズ谷があるので、掛津山はカケズ谷にある山と考えるのが順当と思われる。

 

「西中国山地」より


●苅尾山(カリウザン・カリオサン)
 「西中国山地」で山名が「サン」と呼ばれているのは7ヶ所である。近辺では深入山がある。
 苅尾山の初見は、「芸備国郡志」(1663年)のカリウ山(狩龍山)である。「カリウ」は「カリュウ」ではないかと思われる。

「西中国山地」より


 苅尾山には「カリオ谷」がないが、深入山に「シンニュウ谷」がある。
 

「西中国山地」より

 


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミールデータ
総沿面距離17.7km
標高差451m

区間沿面距離
ウマゴヤ谷登山口
↓ 5.1km
鷹の巣山
↓ 4.4km
土草峠
↓ 1.3km
掛津山
↓ 3.5km
苅尾山
↓ 1.0km(展望岩往復)
苅尾山
↓ 2.4km
登山口
 

 
 

八幡原
土草峠
掛津山
苅尾山
鷹の巣山
八幡三方
3.8mブナ
土草峠
4.2mブナ 掛津山北
掛津山
枯木ヶ平山
深入山
苅尾山 掛津山南面から

サルキ峠
苅尾山
ウマゴヤ谷のブナ
ウマゴヤ谷
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)