5:25 飯山出発 曇り 気温12度
5:50 平岩
6:35 鬼ヶ城山
7:15 床越
7:45 稗原峠
8:25 飯山
飯山の河内神社を出発、降りだしそうな天気である。河内神社にヒノキとスギの巨木がある。「天然記念物 飯山・河内神社の社叢」の標柱がある。100mほど進むと、電柱に「鬼ヶ城方面左」の道標がくくりつけてある。民家を過ぎると、スギとヒノキの植林帯に入る。15分ほどで林道は分岐する。分岐の先で谷も分岐し、スギ林の中に石垣が残っている。この辺りは、谷沿いに水田があったようだ。
出発から30分ほどで林道終点、谷を渡ると平岩。3m四方の平たい岩で、腰掛けるのにちょうど良い。表面がウロコ状になっている。平岩から少し進むと左岸に三つ石がある。大岩が数個、スギ林の中にある。近付いてみると、表面に突起がある。羅漢山の仏岩の突起より小さい。
スギ林を進み874ピークの南辺りから道は西向きになり、急な登りとなる。「北九州歩け歩け協会」の鬼ヶ城山の道標がある。コアジサイは来週あたりが満開だろう。岩崖が現れると山頂が近い。山頂に近い大きな岩崖が鬼ヶ城の山名の由来となっている。岩崖が割れて門のようになっている。
平岩から上がる谷を登ると、おそらくこの岩崖の門に抜けると思われる。この岩崖に数本のブナがある。岩崖からほどなく山頂に到着した。林で展望はない。林間から羅漢山のレーダドームが見える。東へ少し下ると、開地から板敷山から大峯山の山容を見ることができる。
三角点 |
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鬼ヶ城山は点名も鬼ヶ城で、三等三角点、選点は明治28年、古くから鬼ヶ城山と呼ばれ、山名を示す資料も多い。以下に山名が記されている。昔から鬼ヶ城山と呼ばれたようだ。
『芸州佐伯郡寺社』(1715年)
『飯山村御建御留野山腰林山帳』(1725年)
『国郡志御編集ニ附しらべ書出帳』飯山村(1819年)
『佐伯郡廿ケ村郷邑記』(1806年)
『安芸佐伯郡図』(1810年)
『芸藩通志』(1825年)
『防長地下上申』宇佐郷村絵図(1749年)
『防長風土注進案』(1841年)
「鬼ヶ城山という呼称は、昔も今も変わらない。山名の由来は…鬼ヶ城という岩に起因して名付けられており、…飯山、針山、中道の村人は、動物の住んでいる洞穴のことをジョウと呼んでいる。…鬼ヶ城山というのは鬼の住んでいた洞穴のある山の意と解してよい」(「西中国山地」桑原良敏)。
山頂から北へ下った。踏み跡がしっかりあるので迷うことはないだろう。大岩を過ぎて、15分ほどで床越。この辺りはカシワがある。植林帯で展望はない。912ピークを過ぎて、山頂から45分ほどで稗原峠。森林開発公団のプレートが掛かっており、宇佐側から踏み跡がある。
スギ林とヒノキ林の山道を下った。15分ほどで林道に出た。林道は谷沿いに上がっている。こちらの谷も石垣があり、水田だったようだ。ほどなく出発点の林道と合流した。今日は雨の予報だったが、下ってみると晴れている。林道から鬼ヶ城山の頭が見える。出発からちょうど3時間で帰着した。
カシミールデータ
総沿面距離6.0km
標高差329m
区間沿面距離
飯山
↓ 2.5km
鬼ヶ城山
↓ 1.6km
稗原峠
↓ 1.9km
飯山
地名考
●鬼ヶ城山
鬼ヶ城山はアイヌ語で
o-nit-us-ke-so
オ・ニッ・ウシ・ケ・ショウ
そこに・串・付いている・所の・岩崖
(岩崖の中央が裂けている)
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