7:15 郷路橋出発 雨のち曇 気温17度
8:05 瑞穂スキー場
9:05 畳山
9:40 1033ピーク
10:20 猪子越
11:15 ドウゲン山
11:30 ツチダキ
11:45 同形山
12:20 1090.6ピーク
12:55 マブ
13:25 旭テングストン
14:15 大石谷
16:50 郷路橋(猪子山)
小雨の中、郷路橋を出発。猪子谷川を上がり、浜田道の高架を通ると、ドウギョウ谷、カレキヨウ谷、トチ谷がつづく。左に一の谷川が下りている。砂防指定地の看板にカレキヨウ谷は枯木尾谷川とあった。猪子谷川を渡ってしばらく登ると瑞穂ハイランドスキー場。同形山と畳山からスキーコースが降りている。
3月11日、同形山には多勢のスキー客が居たが、今は人っ子一人いない。ガスで展望のないゲレンデを登った。タテバシリは小さな水路となってゲレンデの隅を流れている。40分ほどでリフトの終点に着いた。リフトは畳山直下まで上がっている。畳山で雷に襲われたら屋根のあるリフト終点に避難できる。
腰ほどあるササを漕いで尾根を登った。大きなブナが多い。ブナが根こそぎ倒れていた。ブナの幹に水路ができている。リフト終点から20分ほどで畳山。林で展望はない。三角点周辺は茂っている。
畳山の点名は滝ヶ谷(タキガタニ)で三等三角点、所在地は山県郡大朝町大字筏津字畳山。選点は明治28年。
3.4mブナ |
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登ってきた径を少し下り、北西の尾根を進んで1033ピークを過ぎると、周囲3.4mの大きなブナがあった。猪子山越への下りはブナ帯で、3mを超える大きなブナが多い。瑞穂スキー場から上がるカタラ谷水源はヤブと湿地になっており、猪子山越もヤブで覆われている。猪子山越の南側もカタラ谷で、こちらは植林帯になっている。
ヤブを分けて尾根に出ると西側は皆伐されていた。尾根に沿って伐採径が開かれて踏み跡がある。尾根筋もブナが多いが、境界上のブナは尽く伐採されていた。伐採された西側もブナの森だったと思われる。大谷側からはササもないので、ドウゲン山に楽に登れそうである。大岩を超えると山頂、猪子越から1時間ほどだった。
ドウゲン山の三角点はひと回り大きい。一等三角点で点名は阿佐山、所在地は大字大暮字阿佐山、明治21年の選点。
少し休憩して山小屋の前を通り、ツチダキへ下った。踏み跡はしっかりしている。ドウゲン山から15分ほどでツチダキ。同形山への登りに入るとササが邪魔になる。途中から横のスキーコースに下りた。相変わらずガスが濃く、100mほどしか見通しがない。ドウゲン山から30分ほどで同形山。北側に丸瀬山があるが、『石見風土記』(736年)では同形山が丸瀬山と呼ばれていたようだ(「西中国山地」)。
同形山のスキー場から樹林帯に入ると景色は一変する。苔むしたブナ森になる。少し下ったところで大ブナを計測しようとスケールを当てて反対側に回ると空洞になっていた。4.2mあったが、大きな枝がそばに落ちていた。葉もあまり出ていない。そろそろ寿命なのかもしれない。
尾根に入ると北側はスギ林で踏み跡がある。同形山から30分余りで1090.6ピーク。旭テングストンのリフトがここまで上がっている。スキーコースを下った。周囲はブナが多い。コースの中にも大きなブナを残してある。旭テングストンはブナ帯を伐採して作られたようだ。ガスが薄らいで見通しのあったゲレンデの下部から、まるで水が押し寄せるようにガスが上がってきた。たちまち見通しは50m以下になってしまった。手探りでゲレンデを降りるような感じだった。
30分ほどでリフトの中継点に降りた。ガスでほとんど見通しがない。建物の間を通って少し下るとサイジョウガエキとトチバシ谷をつなぐマブである。サイジョウガエキ側へ水を落す水路があったと言うが、道路とゲレンデの出発点になっておりマブの痕跡も残っていなかった。すぐ先にあるカラスギ山がマブの痕跡と言えるだろうか。ガスで先が見えないスキーコースを30分ほど下り、旭テングストンに到着した。1090.6ピークから中継点を経て3.3kmの長い見通しのないスキーコースの下りだった。
旭テングストンの駐車場を降りると林道早水来尾線に出た。そこから少し西へ進むと大石谷へ車道が降りている。車道をしばらく下ると林道唐杉山線起点の看板があり、カラスギ山辺りへむけて林道が上がっていたようだが、今はつかわれていない。谷に沿って古い石垣が残っており、かなり上部まで水田があったと思われる。大石谷の棚田では田植えが始まっていた。大石谷は大岩が多い。旭テングストンから40分ほどで大石谷へ下った。
大石谷 |
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大石谷から来尾川を下った。川岸に広い平坦地が続き、どこも田植えを終えたばかりのようだ。十通り(トトオリ)の周辺は特に広い平坦地になっている。
越木(コシキ)に出て、八戸川(ヤトガワ)を東へ進んだ。緩やかな流れの岸に平坦地が長く続いている。貝崎にはニワトリの居ない養鶏場があった。内ヶ原(ウチガハラ)は貝崎を過ぎた南側の山手にある。尋常小学校跡の石碑が立っていた。貝崎と内ヶ原の間に市木があるが、周辺に市木の地名が多い。
丸瀬橋 |
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「早水渓谷入口」の看板があった。「渓流の奥深い地には、かつて本谷・薊木屋の二鈩があり、砂鉄採集も行なわれていた。牛の放牧や製炭も行なわれ、その炭は広島県大暮の製鉄所に運ばれていた」。
対岸の宮中に「市喜の社 石見風土記」がある。八戸川が南へ上がると厳島神社の社があった。観音寺原に丸瀬橋がある。丸瀬山があるのでこの辺りを丸瀬と呼んでいたいたのかもしれない。大石谷から2時間半ほどで猪子山に帰着した。
渓谷入口の看板 |
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カシミールデータ
総沿面距離25.9km
標高差1011m
区間沿面距離
郷路橋
↓ 4.4km
畳山
↓ 2.1km
ドウゲン山
↓ 2.6km
1090.6P
↓ 3.3km
旭テングストン
↓ 2.7km
大石谷
↓ 10.8km
郷路橋
地名考
●「貝」を含む地名
「貝」の字は万葉集にあり、古く遡る文字のようだ。
島根県の「貝」を含む地名は丸瀬山北の「貝崎」だけである。広島県の貝地名8件の内、6件が日和川から帝釈峡辺りの緯度に集中している。海岸沿いでなく、山間部にあるのはどういう理由なのだろうか。残りの2件は府中市と三原である。山口県の貝地名は3件で海岸に近くにあり、日本海2件、瀬戸内海1件である。
帝釈峡の縄文遺跡から多くのカワシンジュガイが出土しているが、北海道でいうカラスガイはカワシンジュガイのことで、沼貝ともいう。カワシンジュガイの幼生はイワナやヤマメなど魚類のエラやヒレに付着し、これらとともに移動するという。広島県の小瀬川には昭和20年頃まで相当数が生息していたようで、世界の南限といわれていたが絶滅した。山口県も絶滅種、島根県は絶滅危惧類になっている。
カラスガイは寒冷化とともに南下してきた貝で、帝釈峡辺りの緯度が生息に適していたのだろう。カラスガイは島根県の日和川南の周布川水系の上流には戦前まで普通に生息していた。
「貝」を含む地名 広島県8・島根県1 |
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