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タタバ川…青笹山…板敷山…焼山峠 2006/2/19
焼山林道…タタバ川…青笹山…1035P…板敷山…焼山林道…焼山峠…焼山林道

■青笹山(アオササヤマ)1021.5m:広島県廿日市市吉和
■板敷山(イタシキヤマ)1071.0m:広島県廿日市市虫所山(旧佐伯町)

魅惑の里
焼山川
タタバ林道入口
タタバ川
タタバ橋を渡ると林道は分岐し南へ延びている
タタバ林道
鉄塔の左が青笹山
送電線手前 左の尾根に取り付く

 女鹿平山                    十方山

冠山 右端は鵜の子山
青笹山

              板敷山

三倉岳
1035ピーク手前の斜面のブナ
大峯山

        小五郎山            茅帽子山

3.1mブナと冠山
板敷山
深く抉れた焼山林道

焼山峠
カラマツ林
8:20出発 曇り 気温−2度

8:55 タタバ川入口
9:55 林道分岐
10:10 取り付き
11:00 青笹山
11:55 1035ピーク
12:40 板敷山
13:35 焼山林道
14:20 焼山峠
15:20 タタバ川入口
15:50 ツリーハウス

新焼山橋の標識

ツリーハウス入口の道路情報

 温泉のある汐原を過ぎて新焼山橋を渡ると魅惑の里、この辺りは太田川の源流域ですぐ先の判蔵原を越すと小瀬川の流域となる。魅惑の里を過ぎ、ツリーハウスの看板があるところで通行止め、除雪されているのはここまで。

 焼山川右岸の焼山林道を上がった。新焼山橋にある標識は一般県道所山潮原線で、積雪時通行不能となっている(12月15日から3月15日)。ツリーハウス入口にある道路情報は路肩決壊、通行止めとある。
 焼山林道は焼山峠から中ノ川へ下り、七瀬川を通って所山へ抜けるが、この道は明治の後期まで吉和村と広島を結ぶ主要道だった(「西中国山地」桑原良敏)。

 鎖止めのあるヨコウツ谷へ入る林道(間伐作業道冠支線)を過ぎて10分ほどでタタバ林道入口。入口は空色の鉄門があり、周辺はカラマツとアカマツの林になっている。
 林道入口に太田川林業地基幹線の標識があり、西山林業組合の看板がある。

広島県西部の断層

 タタバ川手前の東西の山を焼山と言う。断層分布図によると、加計断層は広島県特有の北東―南西方向に、筒賀川を上がり吉和入口に達しているが、タタバ川と飯山貯水池を通る別の断層があるようだ。この断層によって形成されたタタバ川とノタノグイメガマの谷は焼山川によって分断されている。

 タタバ林道を上がると15分ほどで夛多場橋。この辺りは南側へ開けており、タタバ橋から南へカードレールのある林道が上がっている。タタバ川は川幅が広く緩やかな流れだ。タタバ川に沿う林道を上がった。大きなツララが山の斜面にぶら下がっている。40分ほどで倉庫代わりのバスが留まっている。前方に送電線の鉄塔と削られた山肌が見える。分岐する林道が左右へ上がっている。

 バスから20分ほどで送電線の下へ到着。北に32番鉄塔がある。南の送電線の先に青笹山が見える。そこから10分ほどで林道は分岐。左の分岐に多々場3号線の標柱がある。この先はタタバ峠である。ここで右の林道を上がった。10分ほどで分岐、左の林道はすぐ上で行き止まり、林道を右へ少し進むと送電線を潜って林道は下へ降りている。送電線手前の尾根を上がった。

夛多場橋

 タタバはタタラ場(鑪場、鈩場)が訛ったものと思われる。鈩原(タタラバラ)の地名はカシミールでは広島県東城町、島根県木次町、邑南町などにある。細井原からもみのき森林公園に上がる488号線沿いの川は鍛冶屋川と言う。

 細井原の東隣の妙音寺原には鍛冶屋が居たようだ。「鍛冶屋は下吉和にも上吉和にもおった。吉和には二、三人はおった。鎌や鍬など、百姓仕事の道具を作っていた。妙音寺原のは、刀鍛治の筋で、地金を使うけえ、この人の作ったものはよう切れた」(「吉和村誌」)。

 タタラは風を送る吹子(ふいご)が不可欠だが、鍛冶屋川左岸、細井原の西の小福(おふく)は吹子を逆さにした地名だ。福と吹を含む地名はタタラと関連が深い。
 鳥取県の日野川流域には、楽楽福(ささふく)と言う名前の神社が多く見られる。「ささ」は砂鉄を表し、「ふく」は製鉄炉へ風を送る鞴(ふいご)を意味するという。
 山口県美祢市於福(おふく)町の東に河原上たたら製鉄遺跡がある。

 細井原から488号線を少し上がった所にある高橋からタタバ峠に上がる手前左岸にアベ谷がある。

「中国山地のたたら場では必ず金屋子(かなやご)神を祀っている。金屋子神は白鷺に乗って出雲国能義郡黒田の奥非田の山に着き、この地で安部氏に鉄造りの技術を教えた。その後、金屋子神は安部氏によって代々祀られ、神官としてだけでなく、たたら技術の巡回指導も行った」(「たたらの話」日立金属HP)。

 能義郡黒田の奥非田は現在、安来市広瀬町西比田となっている。
 安部氏がこの地に来てタタラ製鉄の指導をして、アベ谷あたりに金屋子神を祀っていたのかもしれない。因みに吉和には352戸のうち阿部姓が一軒ある(昭和56年調査「吉和村誌」)。

 タタバ川近辺は遺跡が多い。半坂遺跡は縄文早期から後期にかけての遺跡で、落し罠の土壙がある。込山遺跡は室町時代後半(1500年)で五輪塔、宝筐印塔とともに鉄釘三本が出土している。半坂尾城跡は中世末の三浦兵部の居城といわれている。天堂古墳には五輪塔がある。妙音寺原遺跡は室町から江戸にかけての墓石が多数出土し、さらに時代がさかのぼると推察されている。鉄釘が26本出土している。妙音寺は鎌倉期の創建(「吉和村下調べ書出帳」)で、毛利領になってから衰退した。

 室町時代後半から鉄の需要が増え、中国山地へ生産が集約されるようになった。タタバ川、鍛冶屋川、小福、アベ谷とタタラに関係する地名が多く、鉄の需要が高まった室町時代の遺跡が残るこの辺りは中世期のタタラ場があったと思われる。

源流碑
ノタノグイメガマの谷と焼山川の合流点

 急な尾根を上がり、30分ほどで稜線に出た。ミヤマシキミの赤い実が雪のなかにあった。振り返ると女鹿平山から十方山、立岩山、小室井山の山なみが続いていた。少し上がると冠山が見えてくる。右に林間から29番鉄塔が見えると青笹山。山頂からは林で展望はない。三角点が雪の中から頭を出していた。

 点名は青笹山(アオササヤマ)、四等三角点。この辺りの山は西山林業組合が所有している。青笹山から南の28番鉄塔まで降ってみた。鉄塔の横から南が開けており、目前に板敷山があり、霞んでいるが三倉岳のジグザグの山容が見える。北側に冠山がのぞいている。青笹山へ戻り西側の29番鉄塔へ少し下ると冠山から十方山への展望がある。

 細井原からワル谷を上がり、馬庭峠を越えて多田へ抜ける径はよく使われていたようだ。馬庭峠に鶏石の伝説がある。大きな石があり、月夜の晩に鶏が鳴くという。
 西牛首へ上がるホリワリ谷は明治・大正期に掘られた。西牛首から東牛首を通り所山へ抜ける県道があったが現在廃道になっている。牛首の地名は西中国山地では岩倉山の北、市間山の東にある。

 山頂からヒノキ林を下った。鞍部へ下りて1035ピークへ上がる斜面にブナがある。太めのブナを測ってみると周囲2.7m、2.5mほどのブナが数本あった。東の林間に大峯山が見える。青笹山から1時間ほどで1035ピーク。
 1035ピークから冠山の西側への展望が開けている。寂地山、茅帽子山、小五郎山が続いている。1035西面に大きなブナがあった。周囲3.1mで、この辺りでは一番のブナだろう。

 尾根を進むと再び冠山から十方山への大展望が現れた。板敷山へ近づくと日本製紙の火の用心≠フ赤いプレートが目立つようになる。
 青笹山から1時間半ほどで板敷山。点名は板敷峰(バンジキミネ)、二等三角点で所在地は大字虫所山字中ノ河山となっており、周辺の山林所有者は日本製紙株式会社。ヒノキ林で展望はない。

 板敷山から南へ10分ほど下ってみたが、展望できる場所はなかった。山頂から西のヒノキ林の尾根を下った。30分ほどで焼山林道へ出た。林道をしばらく下ると、2m近くも抉られているところが何ヶ所もある。昨年の台風被害によるものだろうか。中ノ川水源の谷へ下りると林道は分岐する。山陽国策パルプの看板がある。分岐から焼山峠へ上がった。林道分岐から15分ほどで焼山峠。峠には太田川源流の森の標柱がある。

林道分岐 中ノ川 右は焼山峠へ
ニホンザル生息分布(環境省HPから) 
全国図のうち西中国山地周辺

 桑原氏は焼山峠で野猿の群れに遭遇しているが、吉和で猿に出会ったことはまだ一度もない。戸河内上本郷で県道に出てきた数匹の猿を見かけたくらいである。環境省HPのニホンザルの生息分布を見ると吉和周辺にも生息しているようだが、絶えず移動しているのでたまたま遭遇しなかったのかもしれない。吉和からの帰り、湯来温泉を過ぎてしばらく進んだ国道で数十匹の猿の群れに出会った。

「平成16年12月に発表された第6回自然環境保全基礎調査哺乳類分布調査(環境省)によると、ニホンザルは、20年前と比較すると、全国生息区画率は13%から20%と、7ポイント増加し、全国生息区画数は、2288メッシュから3471メッシュとなり、1.5倍に拡大した」(環境省HP)。

源流碑の看板

 焼山峠を下った。雪が融けてアスファルトが見えるところもある。林間から冠山を見ながらの下りとなる。30分ほどで林道分岐に出た。クロウツ谷へ林道が上がっている。源流の森の看板があり、林道入口は鉄の柵で閉まっている。焼山川に架かる橋から水面をのぞくと形の良いアマゴの群れが居た。次のノタノグイメガマの谷に林道が上がり、やはり鉄門がある。

 少し下ってノタノグイメガマの谷と焼山川の合流点に「太田川源流の森」の石碑があった。その横に樹種の所在を示した看板がある。それによると天然林はミズナラ、コナラ、シバグリ、人工林はスギ、ヒノキ、アカマツ、カラマツとある。焼山川とノタノグイメガマの谷に木の橋が架かっている。

 源流碑からカラマツ林を通り、出発点のタタバ川に到着した。気温8度で、行きは凍っていた林道の雪道は、解けてすっぽりと埋まる。ほどなくツリーハウス入口に帰着した。

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カシミールデータ

総沿面距離11.3km
標高差412m

区間沿面距離
ツリーハウス
↓ 0.8km
タタバ林道入口
↓ 2.8km
取り付き点
↓ 0.8km
青笹山
↓ 1.8km
板敷山
↓ 1.9km
焼山峠
↓ 3.2km
ツリーハウス

 

冠山と鵜の子山(右の鉄塔の山) 青笹山登りの尾根から
3.1mブナと冠山 寂地山 茅帽子山 1035ピークから
五里山 1064峯  1158峯            女鹿平山           焼杉山 旧羅漢山 恐羅漢山  十方山   奥三ツ倉  板敷山手前の尾根から
手前の鉄塔は鵜の子山                                    大槙山
西中国山地主稜への展望 板敷山への尾根から
登路(青線は磁北線 青は900m超 ピンクは1000m超) 
登路周辺(青は900m超 ピンクは1000m超)